まえをむいてむねをはって

2004年05月01日 | ブログしました
今日も激烈に忙しかった。ちょっと眠いけど
奥様が寝てしまったので、時間を有効利用して
ちょっとだけ考えてみる。

トラックバックそのもののあり方というよりも、
トラックバックをどういう風な意味合いで捕らえているかという問題について。
むだづかいにっき:トラックバック~blogを楽しむ為に
という記事を読んで考えた。

ここのところ考え続けている、トラックバックについて、
というよりも自分の書くブログのあり方について考える。

「俺の熱く白濁したリビドーを、ぶちかませる場所が
欲しかった俺様としては、皆に恥ずかしい部分を
見せ付けられる事が幸せだゼ」

って程の気概を持った方ならいざ知らず、
普通に自分の意見を書き留めて、それに対する
意見をもらえたら嬉しい、くらいの気分で書いている
ブロガーにとって、トラックバックとは
どの程度の意味を持っているのでしょうか?

僕の場合は、自分の記事は基本的に半分は書いたことに
対する満足のため、あと半分は人に見てもらうことに対する
満足のため。
つまり前者においては、誰の目にも留まらない自分のノートの
中に書き留めて置けばよい類のものでしかない。
ただし、後者の人から評価されたいという気持ちを
満足させる為には発表の場が必要だし、僕はブログをその場にした。

そういう自分の基本的なトラックバックは、静的なものが主。
映画系、ゲーム系のブログにおいては、同じソフトに対する
ブログはトラックバックを送り合う。(記事中にリンク先を
明示せず、トラックバックのみで双方の記事を結合させる)
相手の記事も自分の記事も最新である必要すらない。
このリンクは気が楽だし、もともと自分の必要とする情報と
同じところに興味を持つ人の情報が有機的な結合を見せるわけで、
あ、この人の見ているこの作品を見てみたいなといった
さらなる情報文化のつながりが広がっていくことを予感させる。
つまり、今の僕にとってのトラックバックはそういうこと。

僕のトラックバックはそういう静的なものだけど
その静的なトラックバックの繋がりですら
静かに大きく広がっていっている。

誰かが記事を書く。誰かが記事を書く。誰かが記事を書く。
誰かが記事の関連性を見つける。誰かがトラックバックを張る。
誰かの意見に対するトラックバックの為の記事ではない、
自分の意見のみを書き溜めたブログですら、
そこに誰かの意見と関連性が後天的にでも発生すれば、
それはトラックバック可能になる。

そう思うと、ブログというシステムを利用している以上
トラックバックという呪縛からは逃れられない。

だったら、トラックバックをもちっと積極的に
活用した方が楽しいかも、って思ってみました。
時間が許す限り、という限定条件が付くけどね。

能動的にトラックバックを行っていけば
一体どれくらいの世界の広がりを見せるのだろう?
ちょっとじゃなく、かなり怖いけどワクワクする。

静的なトラックバックと、動的なトラックバックを
両方使ってみて、双方のメリット、デメリットが
判るようになってみよう。
まずは実践あるのみだな。
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