(2008年4月撮影)
少し古いライブラリを整理しておりましたら、まだブログにアップしていなかった物件がゾロゾロありましたもので、
ご紹介してまいります☆
少々古い写真で恐縮ですが、かつて、茨城県鹿嶋市内に特急電車の食堂車を使ったレストランが2008年夏までありました。
残念ながら現在は解体されてしまい、現存はしないのですがたまたま閉店数か月前に訪問した模様をご紹介します。
このときはまさか数か月後に閉店・解体されるとは思っていなかったのですが、
ふと思いだしまして、つい先日再訪しますと、看板から線路、土台まできれいさっぱり無くなってしまい、
現地を訪れても「あれ?この辺にあったはずだけどなあ、、」と思うほど痕跡がなくなっておりました。
調べたところ、私が訪問した数か月後に既にお店を閉じてしまったそうです。。。
それでは、今は無き食堂「エル」の模様をお楽しみください。
鹿嶋市の大船津、産業道路沿いにこちらのお店はありました。お店の名は「エル特急」にちなんだもの。
昭和60年前後に開業し、2008年夏まで営業しておりました。
後方は産業道路、手前側は鰐川です。喫水域のため、潮風もくるため川沿いは傷みが激しい。
奥側は厨房部分ですが、水を使う部分のため特に痛みが激しくなっています。
私、学生時代は国鉄職員(車両検査掛)OBのお宅に居候していた事があるのですが、
「食堂車は水を使うので通常の車両よりも痛みが激しい」
「鉄板を切り取って溶接したりして直した」
「JRになる直前に食堂車が廃止にない、払い下げられたが、厨房機器や客室もあり、100V電源で
動くので払い下げ車両としては人気があった」
というお話を聞いたことが。
いまの車両はモノコックやステンレスが多いですから、鉄板を切ったり溶接したりなんて修理は難しいでしょう。
この食堂車も修理をしようとした事はあるそうですが、特に屋根まわりの鉄板が非常に薄くなっており、
すでに修理が不可能な状態とのことでした。
また、店主も当時すでに70歳を超えており、車両の寿命と店主の体力の問題もあって閉店したようです。
車両銘盤。食堂車としての活躍より、鹿嶋にきてからのほうが長かったのです。
幾度となく塗り重ねられた塗装。車体番号も。北陸線で活躍していた車両だそうです。
さっそく店内へ。
厨房横の通路を通って食堂へ。ここも現役そのまま
車内はほぼ現役当時のまま
ハンドルでクルクル回すブラインドも現役でした。
場所柄、鹿島臨海工業地帯に出入りするドライバーさんが多く、ごはんもボリュームたっぷりなガテン系メニューでした
ティッシュもエル特急。店主はもともと食堂車で勤務された経験もあったそうです。
時、鰐川からの折風にゆられ車体もゆったりと揺れます。
車窓を走るクルマを眺めますと、揺れとあいまってホントに列車に乗っている気分が。
線路もきちんとひかれておりました。
以上、鹿嶋市内にあったレトロ食堂車「食堂エル」のご紹介でした。
ご旅行に!レジャーに!昭和香ばしい町並みマップをご参考にどうぞ! 群馬県エリアの香ばしスポット追加しました
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残念ながら現在は解体されてしまい、現存はしないのですがたまたま閉店数か月前に訪問した模様をご紹介します。
このときはまさか数か月後に閉店・解体されるとは思っていなかったのですが、
ふと思いだしまして、つい先日再訪しますと、看板から線路、土台まできれいさっぱり無くなってしまい、
現地を訪れても「あれ?この辺にあったはずだけどなあ、、」と思うほど痕跡がなくなっておりました。
調べたところ、私が訪問した数か月後に既にお店を閉じてしまったそうです。。。
それでは、今は無き食堂「エル」の模様をお楽しみください。
鹿嶋市の大船津、産業道路沿いにこちらのお店はありました。お店の名は「エル特急」にちなんだもの。
昭和60年前後に開業し、2008年夏まで営業しておりました。
後方は産業道路、手前側は鰐川です。喫水域のため、潮風もくるため川沿いは傷みが激しい。
奥側は厨房部分ですが、水を使う部分のため特に痛みが激しくなっています。
私、学生時代は国鉄職員(車両検査掛)OBのお宅に居候していた事があるのですが、
「食堂車は水を使うので通常の車両よりも痛みが激しい」
「鉄板を切り取って溶接したりして直した」
「JRになる直前に食堂車が廃止にない、払い下げられたが、厨房機器や客室もあり、100V電源で
動くので払い下げ車両としては人気があった」
というお話を聞いたことが。
いまの車両はモノコックやステンレスが多いですから、鉄板を切ったり溶接したりなんて修理は難しいでしょう。
この食堂車も修理をしようとした事はあるそうですが、特に屋根まわりの鉄板が非常に薄くなっており、
すでに修理が不可能な状態とのことでした。
また、店主も当時すでに70歳を超えており、車両の寿命と店主の体力の問題もあって閉店したようです。
車両銘盤。食堂車としての活躍より、鹿嶋にきてからのほうが長かったのです。
幾度となく塗り重ねられた塗装。車体番号も。北陸線で活躍していた車両だそうです。
さっそく店内へ。
厨房横の通路を通って食堂へ。ここも現役そのまま
車内はほぼ現役当時のまま
ハンドルでクルクル回すブラインドも現役でした。
場所柄、鹿島臨海工業地帯に出入りするドライバーさんが多く、ごはんもボリュームたっぷりなガテン系メニューでした
ティッシュもエル特急。店主はもともと食堂車で勤務された経験もあったそうです。
時、鰐川からの折風にゆられ車体もゆったりと揺れます。
車窓を走るクルマを眺めますと、揺れとあいまってホントに列車に乗っている気分が。
線路もきちんとひかれておりました。
以上、鹿嶋市内にあったレトロ食堂車「食堂エル」のご紹介でした。
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今現存していれば、まさにお宝級の車両ですね。
残して欲しかったですねぇ。
「現役当時の原型をとどめていた食堂車」であったと思います。
最盛期は全国に何か所もあったようですが、
殆ど残っていないようですね。