我が母親の父のことである。
亡くなって十数年が経過。
生きておれば90代半ばになるのか。
祖母は90代前半。元気である。
祖父は当時の人としては体躯がよく、身長180cm近くで私より(172cm)高かった。
明治時代生まれの祖父は頑固一徹、言い出したら聞かない超亭主関白。
そんな気質が多い時代の人の代表でもあるのだが。
現在の安芸太田町(旧加計町)で生まれたそんな祖父が幼少の頃である。
家は代々農家。
曽祖父は置かれている自分の農業環境発展による先行きを憂いていた。
当時はブラジル移民の話が大々的に喧伝。
曽祖父も、もっと大きくしたいということでブラジル移民への挙手を。
祖父は幼すぎたのか、一人親戚に預けられて孤独の身に。
所謂置いてけぼりである。
それから幾星霜、曽祖父は移民事業に失敗し帰国。
裸一貫から再出発。
が、多額の借金を背負う。ブラジルでの借金もあったようである。
それを見てきた祖父は借金を背負い、一家の隆盛を担ってきた。
土地を買い戻し、借金も返済。その土地で知られる人となった。
母が生まれた頃は、かなり羽振りが良かったようだ。
加計町では鯉の養殖が盛んで、祖父もそれに着手して成功。
当時の草分け的存在の一人のようで、それなりに知られているようだ。
当時の話は母や祖母から聞いた話ではあるが、祖父の生き様には敬服するのである。
また、姿・行動・言動からもそのオーラはあった。
私が子どもの頃である。
私はカワイイ孫である筈だ。にもかかわらず小遣いはほとんど貰ったことはない。
それは従兄弟達も同じ。
お年玉もチビッとである。他の友達が500~1000円貰っていたのが、祖父は100円である。
祖父曰く「子どもに大金は不必要!お金を手に入れる大切さを知らなくてはいけない!」
バイトして苦労して小遣いを稼ぐようになるまで「ジイチャンはホンマにケチなんぢゃけー」なんてボヤいていたことを思い出す。
私が30代前半の頃に自分の家(建て売りではあるが)を持った。
入居前にジイチャンがその家を見に来た。
岩倉温泉に保養に行くので連れて行ってくれと。ついでにその家に寄るからと。
当時、ジイチャンは足も悪くなってきており杖が必要だった。また、車の乗り降りにも支えないと中々乗り降りできない状況だった。
にも関わらず、2階も見たいと。大変な中を時間を掛けて上へ。
家中を隅から隅まで見て回った。
母と私の顔を見ながら満足そうな顔をしていたのが印象的だった。
忘れられない光景だ。
後日、祖母から聞いたのだが孫の中で一番早く持ち家を持ったのが私らしい。
(正確には私の弟もほぼ同時期に家を持ったのだが)
しかも、私の母は祖父から見ればかわいい娘でもある。
また、当時は父が亡くなっており、私はまだ独身だったということもある。
その子ども(孫だが)がいち早く家を持ったという事実と行為・努力が嬉しかったとのことらしい。
そんな祖父の命日を、まもなく迎える。
亡くなって十数年が経過。
生きておれば90代半ばになるのか。
祖母は90代前半。元気である。
祖父は当時の人としては体躯がよく、身長180cm近くで私より(172cm)高かった。
明治時代生まれの祖父は頑固一徹、言い出したら聞かない超亭主関白。
そんな気質が多い時代の人の代表でもあるのだが。
現在の安芸太田町(旧加計町)で生まれたそんな祖父が幼少の頃である。
家は代々農家。
曽祖父は置かれている自分の農業環境発展による先行きを憂いていた。
当時はブラジル移民の話が大々的に喧伝。
曽祖父も、もっと大きくしたいということでブラジル移民への挙手を。
祖父は幼すぎたのか、一人親戚に預けられて孤独の身に。
所謂置いてけぼりである。
それから幾星霜、曽祖父は移民事業に失敗し帰国。
裸一貫から再出発。
が、多額の借金を背負う。ブラジルでの借金もあったようである。
それを見てきた祖父は借金を背負い、一家の隆盛を担ってきた。
土地を買い戻し、借金も返済。その土地で知られる人となった。
母が生まれた頃は、かなり羽振りが良かったようだ。
加計町では鯉の養殖が盛んで、祖父もそれに着手して成功。
当時の草分け的存在の一人のようで、それなりに知られているようだ。
当時の話は母や祖母から聞いた話ではあるが、祖父の生き様には敬服するのである。
また、姿・行動・言動からもそのオーラはあった。
私が子どもの頃である。
私はカワイイ孫である筈だ。にもかかわらず小遣いはほとんど貰ったことはない。
それは従兄弟達も同じ。
お年玉もチビッとである。他の友達が500~1000円貰っていたのが、祖父は100円である。
祖父曰く「子どもに大金は不必要!お金を手に入れる大切さを知らなくてはいけない!」
バイトして苦労して小遣いを稼ぐようになるまで「ジイチャンはホンマにケチなんぢゃけー」なんてボヤいていたことを思い出す。
私が30代前半の頃に自分の家(建て売りではあるが)を持った。
入居前にジイチャンがその家を見に来た。
岩倉温泉に保養に行くので連れて行ってくれと。ついでにその家に寄るからと。
当時、ジイチャンは足も悪くなってきており杖が必要だった。また、車の乗り降りにも支えないと中々乗り降りできない状況だった。
にも関わらず、2階も見たいと。大変な中を時間を掛けて上へ。
家中を隅から隅まで見て回った。
母と私の顔を見ながら満足そうな顔をしていたのが印象的だった。
忘れられない光景だ。
後日、祖母から聞いたのだが孫の中で一番早く持ち家を持ったのが私らしい。
(正確には私の弟もほぼ同時期に家を持ったのだが)
しかも、私の母は祖父から見ればかわいい娘でもある。
また、当時は父が亡くなっており、私はまだ独身だったということもある。
その子ども(孫だが)がいち早く家を持ったという事実と行為・努力が嬉しかったとのことらしい。
そんな祖父の命日を、まもなく迎える。
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