第43代紫組要領次第

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気合いニューディール

2011-12-19 22:06:24 | Weblog
例えば、「言い訳Maybe」とか「大声ダイヤモンド」とか「涙サプライズ」とか、そういうタイトルの曲が流行るように、「日本語+カタカナ語」というのはなかなか勝手が良い。何をする上での勝手がいいのかよく分からないけれど兎に角勝手がいいのである。

そんな話を以前日記に書いた気がするし、そのうえで、友人の結婚式を踏まえて「結婚レイディエーション」とか、刻一刻と変わる夕焼けの色を「夕焼けグラデーション」とか書いて一人で悦に入っていた気がする。

さて、今回は「気合いニューディール」という言葉を思いついた。思いついたというか、ある人と話している内に自然と心に湧いた一つの決意、いや、決意というと格好良すぎる、自分で自分を頑張らせるために思いついた、苦悩の果てにやぶれかぶれに思いついたスローガンである。

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昨日、昨日と書くと忘れてしまう、ちゃんと2011年12月18日、と書いておこう、12月18日の仕事の合間に、看護婦さんと話していた。いつもの職場である。この看護婦さんは今の職場で唯一の20代で僕と歳が近いこととか、職場に入った時期がほぼ同じだったこととか、美人さんであることとか(笑)、まあそういうもろもろの理由で、親しくしていた。

親しくはしていたのだが、どうも彼氏ができてしまったようで、それ以降はあまり親しくはしていなかった。彼氏が厳しい人らしく、ほかの男と連絡を取ったりしていると、キレるらしいのだ。そのため、二人が付き合い始めてしまって以降、あまり男性と話さなくなった。当然僕とも話さなくなった。用事があって何度かメールしたことがあったのだが、その際は「そいつを殴りに職場まで行ってやるぜ!」などと同居している彼女にまじでいきり立ったことがあるらしく、それを彼女が必死でなだめるという、まあなんていうか、勢い満々の彼氏らしい。。。話がそれた。

さて、彼女は助産師である。助産師は女性しかなれないので、助産婦と書いたほうがイメージがつかみやすいかもしれない。

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大学院の研究テーマは何にするか決めているわけではないが、医師不足にどう取り組むべきか、といった研究をちょっとやってみたいと思っている。医師数を増やせばいい、とか、医師不足地域の手当を増すとか、医師が抜けていく診療科の報酬を増せばいい、みたいな、そういう、なんていうか、資源じゃぶじゃぶ使う系の政策じゃなくて、できれば誰もがハッピーになるような、すでにある資源を有効活用して、より効率的になるようなそんな手助けができればいいと考えている。

とはいえ、修士課程であるし、コアコースで高得点を取ることがその後のステップを切り開くために至上命題であるからにして、研究自体は「我が国の医療をどうすっぺか」みたいな大風呂敷なテーマにはしたくない。そういうのは中二に任せておけばよい。二年間でそこそこ面白くて、一通りまとまりそうで、うまくいったらどっかに売ることができそうなネタ、そんなことを考えたうえでの適度なバランスをとったテーマ設定がいいと思っている。

そこで僕が思いついたのは助産師の有効活用を測るにはどうしたらいいかという研究である。医療のちょびっとマージナルなネタを扱ってみるあたり、医者なのに医者メインでやっていない僕にぴったりではないか。。。また話がそれた。

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そう。書きたいのは、気合ニューディール。

勤務の合間の立ち話であるが、彼女のお産に対する決意のようなものがよく伝わってきた。


彼女はいわゆる勉強ができる優秀な人ではない。話していても表現が洗練されているわけではない。よく就活とかでドヤ顔しているような立派なエピソードを語れるわけでもない。単純な言葉で単純なことを語るだけである。ただ、強烈な決意と想いが、あらゆるこぎれいなエピソードよりも、強く伝わってきた。全身から出る、(そうだ、この気合はこの前友人の結婚式で友人から放射状に延びる銀色の光線が見えたのであるが、そのレイディエーション現象に似ているな)、気合いが大いに刺激になった。

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「刺激」などと言えば格好いいのであるが、僕は刺激を受けるほど純粋ではなかった。正直ショックだった。彼我の差を、つまり、僕がここ半年間でただただ、入試の勉強をしたり、職場と自宅の往復をして生活費を稼いでいるだけで疲れてしまい、あまり自分の想いだとかそういうものを振り返ることもなく自転車操業をして生きたことがなんだかあほらしく思えたのだ。僕はそんな余裕のない人間だったのか、と。確かに頑張ってはきたが、そもそも、その程度の頑張りで疲れるような人間だったのかと。いや、こんなこと書くとキモイ体育会系の人のようで嫌だな。ちょっとこの段落は、この辺で切り上げる。

帰宅の電車内ではなんだか、茫然自失して、ああ僕の人生はいつからこうなったのか、いつから気合が失われて、前に進むことを諦めたのか、いつから「まあそこそこでいっかー」みたいなめんどくくさがり屋になってしまったのか、そうしてなによりもショックだったのは、そういう自分を振り返った時に「ああ、残念だ」とも思うことなく、「まーしっかたないよねー」とか本気で思ってしまい、深く考えることをめんどくさがるようになっていた。そこに何とも言えない、不思議な虚しさを覚えたのである。そして、同時に、あと5年もすればこのような虚しさも覚えないようになるだろうな、と人生の終わりを宣告されたような心持になったのである。いろいろに飽きてしまったのかもしれない。

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それを踏まえた「気合いニューディール」である。最初に述べたように、これは決意でもなんでもない。敢えて言うならやぶれかぶれのスローガン。言い換えるなら、怠惰に流れていく自分を叱咤するための「言い訳」のようなものだ。




追伸。
最後に一つだけ付け加えて今夜の日記を締めることにする。
僕の学部の6年間は消耗するだけで得るものがない不毛な戦いという風にまとめることができるのだが、たった一つだけ、思い出に残っていることがある。それは出産に幾度か立ち会った時のことである。これは涙が流れる感動的なものであった。最近は加齢によって涙腺が緩んだし、それなりに経験が増えたことによる共感力の増大から、感動もので涙を流すことが増えた。しかし、当時の僕は感動で涙を流すほど豊かな心を持っていなかった。にもかかわらず、分娩のシーンは動物としての自分のハートをぐいとわしづかみにして感動を呼び起こしたのである。あの不毛で辛い6年間で、美しい記憶として残っているのは分娩だけである。

彼女のような気合いの入った分娩サービス供給者をサポートするような、
分娩を需要する若い人が、医師不足だとかそういうことを気にせずに生みたい時に生みたい場所で埋めるような、
そういうことに近づく何かを修論では書いてみたい。

が、はて、このテーマでうまくいくだろうか。その辺は、研究手法とともに、ちゃんと検討したい。想いだけで突き進んで道が開けるほど、修士→海外留学、の審査の壁は低くないはずだ。

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