ちっちゃな石と、つくしんぼと、カツオブシと。

長女こいし、次女つくしのだるだる感満載漫才万歳な成長記録デス。つくしは長期入院→年1受診。カツオブシの里親になりました。

小児がんで入院するということ~気持ちも経済的にも苦しくなる~

2018年06月10日 | 患児の家族として思うこと

子どもが長期入院すると、予定外のお金がかかります。
「小児慢性特定疾患」での医療費助成が受けられますが、
その他生活にかかるお金は、当たり前ですが誰も補助してくれません。

運が悪かったんだから、仕方がない。
もっと困っている人はたくさんいるのは重々承知で
とりあえず、何にお金がかかるのか、書いてみます。

病院までの交通費:
治療できる病院は限られています。近くのお医者さんで治せればいいのにな。
我が家は車で1時間弱の距離の病院に入院しまして…
毎日病院通い(片道20Km強)。
しかも主人も仕事帰りに毎日顔を見に寄ってくれまして。
主人の職場と病院も同じくらいの距離があり、ガソリン代が結構かかりました。

病院の駐車場も、入院付き添い者は駐車無料券が頂けたのでありがたかったですが、
現在はどうやら有料らしいです。毎日毎日だとすごい金額になるでしょう。
もちろんお土地柄、車での移動が便利で…なぜ有料になったのか(( ;∀;))

付き添いの食費:
付き添いの分は出ませんので、病院の売店などで購入していました。
病院によっては、注文すれば患者さんと同じごはんが食べられるようですが、
そんなシステムではなく…
そして子どもが病院食に飽きたり、治療中に食べ物の好みが変わったりすると、
食べやすいものを買ったりせねばならず…これまた余計な出費。
ステロイドが入っているときの食欲魔人な時期は、ローカロリーの補食を準備してました。

テレビ:
入院していたころは、1日いくら、でTVを貸し出ししてくれていましたので、
ずーっとTVをつけっぱなしにできましたが、
現在はテレビカードを導入しているようです。
せめて小児病棟(しかもカーテン隔離中は)は安く見られるようにしてもらえないと、本人の気持ちが持たない。
大人は我慢できますが、子どもはね…
そしてTVなんて見てる暇あるのかと思われるでしょうが、意外と元気なんでね…
検査とかがない日は、たいていやることがなくて暇なんですよ……
よほど強い薬を入れていない限り、点滴の管があるだけで、あとは普通の生活をしているんです。

付き添いのベッド・リネン:
泊まり込んでいたときは、借りていました。
TVとベッドで1日1000円弱でしたが、1か月にすると3万円弱です…



こんなの大した事ないと思われるかもしれませんが、入院しなければ、かからないお金です。
数週間なら何とかなるかもしれませんが、なにせ1年間程度入院ですから…結構な金額です。

このへんを助けるシステムはできないのかなー。あるけど知らないだけなのかな?
やっぱり保険に入っておくことなのかしら…

子どもが病気になり、精神的に苦しいところへ、更に経済的にも苦しくなり、また精神的に追い詰められる…
「こういうスタイルで看病したい」という希望が叶うよう、経済的支援があるといいのになぁ。甘いか。
経済的に苦しいから、子どもに会いに行けない…のは、辛い。

※“がんの子どもを守る会”には、助成があるのですが、
所得が一定未満、150㎞以上離れた病院が条件だったりと、なかなかにハードルが高いのです。





治療を終えての備忘録

2013年05月23日 | 患児の家族として思うこと

治療についてのまとめ


*病名告知は辛かった。今でも病名を聞くと鳥肌が立ちそうになる。
 受容……できているようで、きっとまだできていない。

*「白血病」には何種類もの型がある。
 骨髄性・リンパ性、その中でも急性・慢性……
 そして同じ急性リンパ性でも白血病細胞のクセ?(遺伝子や染色体の異常)によって治りやすさが違う。

*治療は「プロトコル」という綿密な治療計画に沿って行われる。
 (どの時期にどの抗がん剤を入れる等が決められている)
 白血病細胞の詳しい検査結果から治りやすさが判断され、治療の強度が変わる。
 それぞれの治りやすさに見合った治療計画が選択される。

*まずは血液や骨髄から白血病細胞が見えなくなる「寛解」を目指す。
 寛解してもまだ身体の中に隠れて潜んでいる白血病細胞が暴れないようにタイミングを図って叩いていくイメージ?? 

*プロトコルは世界共通ではなく、日本でも数通り、海外のものもある。
 主治医から提案されるものの他、別のプロトコルを選択することも可能だが、
 医学的知識がないとほぼ不可能と思われる。

*治療はプロトコルに沿って粛々と進められていく印象。
 週に3回の採血の結果次第で時には輸血、時には隔離(個室やベッドから出られない)。
 基準値(主に白血球の数)をクリアすれば次の治療へと移っていく。
 クリアできなければ治療は延期。
 決められた時期にマルク(骨髄穿刺)を行い、白血病細胞がいないかを調べる。

*治療は必ずしも順調にいくとは限らず、お薬にアレルギー反応を起こしたり、感染症にかかったりと気が抜けない。
 更に治療も後半になってくると骨髄がへばってくるのでなかなか造血されず、どんどん治療が延期になったりする。

*長い入院期間(わが家は1年1ヶ月)だが外泊や一時退院もあり、自宅で過ごす時間も持てる。

*治療中は感染症にかかりやすいので刺し身等の生物禁。(主治医と相談)

*つくしに使ったプロトコルでは退院後、「維持療法」という自宅で生活しながら抗がん剤の服薬治療を行った。(維持療法で点滴治療をするプロトコルもあるもよう)

*維持療法中の復園・復学は可能。(本人の免疫の状態を見て決める)

*維持療法中も感染症にかかりやすいので手洗い・うがい・マスクは必須。
 周りの理解や協力が得られると心強い。

*退院しても身体がへろへろになっていて体力なしなので無理はさせない。

*治療が終了してもその影響が「晩期障害」として現れることがある。
 つくしは治療終了後のMRIで白質脳症が認められた。
 今後生活に支障があるかもしれないし、ないかもしれない、と言われている。まだわからない。
 (同じ治療をして、白質脳症があっても日常生活に支障ない人も多くいるらしい)
 神経線維がつながるように、たくさん回路ができるように頭使わせればいいのかしら…?

*治療終了後5年経過すると「治癒」といわれる。
 治癒しても20歳までは少なくとも年1回は小児科に受診。




嬉しかった言葉、傷ついた言葉

2013年04月14日 | 患児の家族として思うこと

子どもの病気が発覚して入院生活を強いられ落ち込む日々。
そんな中、かけていただいた言葉の中で嬉しかったものをご紹介します。


「私にできることがあったら遠慮なく言って!買い物とか、(病院の売店だけでは飽きるだろうから)お弁当作るとか!」
同じ保育園のママからも
「こいしちゃんのお迎えとか、預かったりもできるからね」
ものすごく心強かったし、ありがたかったです。
ありがとう。
そして実際に遠いところ足を運んで度々ランチ&トークに付き合ってくれたりもしてもらいました。
お弁当作ってきてくれたことも。
ホントに嬉しかったです。

「産休取ったと思って待ってますから」
職場の方に頂いた言葉。もったいなくて涙出そうでした。
迷惑かけてるのに、待っててくれたから頑張れました。
結局1年もお休みさせていただいて、復職したら仕事ができなくなっていて…恩返しできてない!!
だから今年度はお役に立てるようがんばろうと思います。
(いや、昨年度も頑張ったんだけど、仕事をこなすだけが精一杯だった…)


逆に…悲しかった言葉は…

心ない(なにげなくても)一言。

「白血病の原因て母親の飲酒歴や喫煙歴も関係するし、遺伝するものもあるんだって」
たとえ原因が私にあったとしても、他人(親族であっても)に原因を探られたくないし言われたくないです。一応こんな私でも傷つきます。

「どうしてそんな病気にかかったの?」
それはね、私が一番知りたいです。
今の医学ではまだわからない。様々な要因が重なって起こるようだ、と主治医の先生からは聞いています。
誰のせいでもないんです。そして誰しも起こりうることなんです。

「うちの子も(白血病に)なったらどうしよう……」
どうしようって、かかっちまったらしょうがないでしょうよ。治療頑張るしかないわな。


あとは…よく医療関係者(私は医療関連職なので)からいただく言葉なんですが。

「病気はギフト」
そんな贈り物、いりませんから。のしつけてお返しします。と言いたくなる。
病気になっちゃダメ、障がいがあっちゃダメだとは思わないけど決して贈り物ではない。
色々と制限が出てきますからね…。何もない健康な人よりも生きにくいのは事実でしょう。
たしかに病気にならなきゃわからなかったこともたくさんありますけど、
決して「病気になってよかった」とは今は到底思えません。
自分から「ギフト」だと言えるくらい強い当事者ならいいですが、私は弱いです。

「越えられない試練はない」
そうかもしれないけど、仕方ないから越えようと頑張るしかないだけ。
病気=試練っていうのも、なんか違和感があります。


「人生は長さじゃないから」
そうですね、わかります。ええ、わかりますけど………。ねえ…。


「一緒にがんばろう」という寄り添ってもらうスタンスが一番嬉しくてありがたいんだと思います。

もちろん悲しかった言葉も闘病仲間に言われるのはまったく問題なしです。
おかしなものですね。


働くお母さんへ~介護休業と介護給付金

2012年11月11日 | 患児の家族として思うこと

お金の話ばかりですが。
私の失敗談をひとつ。

子どもが入院してすぐにお休みを取りたいと事務に申し出たところ
(このとき私は介護休業制度を知りませんでした)
職場の就業規則上「休職」という形になり、無給だけど(私の場合は)10ヶ月取得できます…と言われ、無給でもお休みがいただければ、と承諾しました。

ところがネットを通じて知り合った方々のアドバイスもあり、
どうやら「介護休業制度」が利用できるのでは?と疑問が湧き…
色々調べて再度事務に問い合わせたところ、

「労務に聞いたら、完全看護の病院では介護休業は取得できないと言われたから申請していない。取れないと思う。」

と言われてしまいました。

いやいや、でもですよ?
人道的に考えて、2歳やそこらの子どもを放置しておくっていかがなものでしょうか。
“完全看護”と言ってもマンツーマンじゃないし。
まだ食事やおむつなど一人ではできないし、ナースコールだって押せない。
私が休業して介護をすることは療育上必要なことではないのでしょうか??

と粘ってみたら、ハローワークに問い合わせてくれることになりました。

そこで初めて同じような境遇の方に許可が下りていることがわかり、申請していただけることになりました。

ただ…この時点で既に入院から6ヶ月が経過しており、私の収入は半年間ゼロ。

介護休業給付金は、

休業開始時賃金日額(※)×支給日数×40%
(※=休業開始時賃金日額とは原則として、介護休業開始前6ヶ月間の賃金を180日で割った額です。賃金月額には上限があります。)

で計算されるため、介護休業開始前6ヶ月間の賃金のない私は、お金を受け取れません。

結局職場の就業規則上の「休業」を10ヶ月間、その後「介護休業」を90日取得して、仕事に復帰しました。
最初から介護休業制度が利用できたら経済的に楽になったと思います。3ヶ月間は。

わが家の場合、最初の治療は結構順調だったので休業10ヶ月の間に退院して、その後自宅療養3ヶ月で保育園と職場に同時復帰と計算していましたが、骨髄回復がかなり遅く治療が延び延びで…
その期間に退院するのがやっとな状態でした。
もちろん退院後すぐには保育園には通えないので、3ヶ月ほど主人の両親に預けて仕事に復帰。
もし両親の助けがなければ、退職しなければなりませんでした。


働く母を社会的に救ってくれる制度があればいいのに、と思います。
長期病児休暇みたいなものがあればな。(もちろん主治医の意見書付きで)
お金はなくていいけど戻る場所は保証してほしい。
それと病児介護のための時間短縮勤務を制度的に認めてもらえるとありがたい。
(授乳のための時間短縮勤務的な感じで、当然その時間は無給)
もちろん子どもには代えられないけど仕事も自分の一部なので。
仕事を辞めるとなると社会的に抹消された気がしてとてもやりきれません。
母であることが第一。でも一社会人でもある。
待っててくれる同僚がいたから乗り切れました。職場復帰は私の心の支えになっていました。

職場の休業も…それぞれの就業規則によっても違うのでしょうけれど、
公務員は年度が変われば新たに休業を申請できるそうで、羨ましい限りです。
私の職場は次の休業はいつ取れるのか(どうなったらリセットなのか)怖くてまだ確認できていません。
1年も休ませて頂いた身。肩身が狭くて。雇用保険やなにかは職場が負担してくれてますからねぇ。
鈍感力で乗り切るしかないかな。


☆お仕事をなさっていて、お子さんが長期入院をされる方は「介護休業制度」が使えるかもしれません。(管轄のハローワークによっても違うのでしょうか…)

☆短い期間であれば、子の看護休暇制度(小学校就学前の子を養育する労働者は、申し出ることにより、1年に5日まで、病気・けがをした子の看護のために、休暇を取得できる)が取得できます。



働くお母さんへ~子どもの医療保険加入をおすすめします

2012年11月11日 | 患児の家族として思うこと

☆子どもの医療保険☆

私はフルタイムワーカーです。

子どもが大病を患って(しかもこんな長期間)入院するなんて、夢にも思っていませんでした。

入院後、私の生活は大きく変わりました。
1ヶ月半、寛解導入療法という最初の抗がん剤治療(強い治療)のときは、病院に寝泊まりして24時間付き添いました。
付き添いのため、お仕事はお休みしなければなりませんでした。

そして無事に寛解を迎えて病状的にも安定、観察室から出たので、夜は子どもが寝たら帰ることにしました。
仕事への復帰も考えましたが、次女はまだ病院に慣れておらず、もう少し様子を見ようと思いました。

私の職場は「休業」を10ヶ月認めてくださったのと、
「介護休業制度」を90日利用してなんとか退職はせずに乗り切りました。
技術職なので辞めろとも言われず…ありがたいことです。
ただ、この期間の収入は、当然「ゼロ」です。

時間短縮で1日4-5時間の勤務にできないかと相談してみましたけれど、
その場合は一度退職してパート契約になる、との答え。
当然と言えば当然ですが…現実は厳しいですね。(それほど必要とされていないからかなぁ…)
病院から職場が離れているのも仕事に戻れない一因でした。(車で片道1時間)

頑張れば朝4時起きして家事をこなし、病院に向かい…7時半ごろ病院を出て出勤。
帰りは直で病院に向かい、寝るまで付き添い、ってこともありえたんでしょうけど。
そうしてきている方もたくさんいらっしゃるんでしょうけど。
距離や時間のロスも大きく、面会と仕事の両立は体力的にも精神的にもかなりきつく、私にはできないと思いました。
1週間くらいなら頑張れるけど、いつ終わるかわからない入院生活。たまに外泊もするイレギュラーさ。
仕事にはとても戻りにくい環境でした。

幸いなことに子どもたちには県民共済の保険をかけていましたので随分助かりましたが、
家のローンも抱えていて経済的にかなりキツかったです。

自分の月収分確保できるような保険を確保しておくか、
自分の年収分の貯蓄をしておかないとダメなんですね…。

小学校に上がれば、院内学級に行ったり日中のスケジュールもあるので
ある程度の治療の目処がつけば仕事に戻っていたかもしれませんが、
次女はまだ2歳だったので置いて仕事に行く気になれませんでした。
病棟に保育施設もなく、忙しいナースが合間を縫って遊んでくれる感じでしたので…
そして次女は骨髄の回復がとても遅く、カーテン隔離ばっかりだったので…ちょっとかわいそうで。

一年間もお休みをくれた職場にも感謝をしながら…
(産休取ったと思って待ってます!という同僚の一言が何より嬉しかった~)
この“休職する”という選択は正しかったと思っています。


ただ子どもが小学生に上がるまでは自分の月収相当の入院保険をかけておいたほうがよかったかもと思います。
経済的な心配をしなくてもいいので。
(小学生に上がっていても1年休職したかもしれませんがね…)

そして。

1年後、復職すると、
自分が体力無しになっていました。そして頭も回らない…
復職して半年経った今も、前ほどのスピードでお仕事が回せません。

…年だな。