郵貯スタンプ・じい散歩

日毎に選んだ街を散歩しながら、郵便局の窓口で貯金をし、局名のスタンプを押してもらう。歩く街の感じた事を紹介。

郵貯スタンプじい散歩

2009-08-28 23:53:55 | Weblog
 夕方から用事があるので、9時20分に家をで、バス停までの道に、
緑色のドングリが一杯落ちているが、一緒にアブラゼミが何匹も落ちて
いる。あれだけ鳴いていたのだから、一週間の寿命では致し方がないか
も知れないが、歩きながら可哀相な気になる。西武新宿線で本川越駅へ。
 駅前から、クレアモールをJR川越駅方面に歩くと、商店街も開店早
々だが、人通りは多い。駅前アトレに入ると1階に軽い飲食店が何軒も
あり、ビルとして入りやすそう。東口に抜けると、チョッと奥のローソン
の2階に橋本氏の店で、昔村さ来だった「食楽厨房・以心伝心」が、通
り抜け様と思っていたら、2階に電気が付いており、階段を上がってみた。
 山根店長に何年振りかで会い、暫く話す。6月までは良かったみたい
だが、(内の店も同じ)橋本氏の店に戻るまで、東松山のホテル内で店
をやっていた。との事。
 店の裏の方に、一局目の脇田局。今日は同じ川越でも歩いた事のない
場所を中心に。八幡通りを歩き、【川越八幡宮】へ参拝してみたら、
 人皇第六十八代、後一条天皇(1016~1036)長元3年(1030)甲斐守
源頼信の創祀と伝えられている。
 境内に若い女性が3人。写真を撮ったりして楽しそうだったが、彼女
達の目的は鳥居前の【縁結びの木】
 イチョウの神木で、平成明仁天皇がお生まれになった御年(昭和8年
12月23日生)川越八幡宮の氏子によって、男イチョウと女イチョウ
の二本を植樹したが、いつしかその二本の木は寄り添い合い、一本に結
ばれた事に由来する。
本殿左には通称”相撲稲荷”という【民部稲荷神社】が有り、足腰健康
の神様だそうで、こちらにも参拝する。
 裏通りに抜けて、又八幡通りに戻り、丸広百貨店の裏を通り新富町局。
そのまま通りを渡って歩くと、【鏡山酒造跡地】に。
 120年余りに渡って酒造を行っていた施設を、廃業後、マンション
に成りかけたのを市で買い取り、外形をそのまま残し、観光物産(明治
蔵)・イベント(大正蔵)・企業展示(昭和蔵)を備えた新たな観光施
設として暫定的にオープン。『NHK『つばさ展』開催中。物足りない。
 その先の”三光”というホテル内の温泉施設に、劇団・美鳳という劇
団が公演中。こんな施設が有ったなんて。
 その先を右折すると、左側に通称イチョウ神社という【出世稲荷神社】。
樹齢600年といわれる二本のイチョウの大木(幅2m)の奥に。
 今度は県道川越・坂戸・毛呂山線を歩き、松江町局に。
 そのまま歩いて、川越局。本局なのに場所も変だし、小さい。
 チョッと戻って、料理割烹旅館の佐久間旅館を右折し、川越の顔であ
る【蔵造りの町並み】の仲町で右折。暫く見物して歩く。古い建物を見
ているだけでも厭きないが、一人では話しも出来ないのは寂しい。
 蔵造りと同じ蔵の、元町局。直ぐの”札の辻”を左折し、暫く歩くと、
【菓子屋横丁】アイスキャンデーを一本買い、齧りながら歩く。
 高沢橋の手前を左折し、石原橋を渡りながら川の中の鯉にエサを。
一匹の亀が、新河岸川の中で翻弄されていた。
 月吉局の隣りの「セイムス」というドラッグストアーの裏から支流に
沿って通れるか分らない道を歩き、住民の方に聞きながら、東上線とJ
Rの線路を渡って川越西局へ。河岸街道まで戻り、五地蔵の所を左折し、
本川越方面に。稲穂も頭を垂れるようになり、JRと東武東上線の線路
を渡り、山村学園高校の前を抜け様と思ったら、壁に
  (祝)硬式テニス部。3年連続。
     バスケット部(6回目)の垂れ幕が張り出されていた。
 今日の予定の最後の六軒町局で予定数達成。
 東武東上線 川越市駅を通り越して西武線の本川越駅に。
4時間24分。8局。16,557歩の散歩。
 今日はこの時間で上がり、自宅に帰って孫を保育園に迎えに行って、
家まで連れて帰らなければ成らず、その後は店に。今日は中に入る。
自宅に戻ったら、25,023歩になっていた。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-27 23:26:48 | Weblog
 朝一番で、先月注文していた薄型テレビが届きました。
業者さんは置いていくだけで、機能の説明など一切なく、
”置いていかれてどうしよう?”という感じで、戸惑った。
夜には息子が見に来てくれると言っていたので、その時まで我慢。
取りあえずは見れるし、録画も一本だけ出来た。
 衣類の片付けをしたり、クリーニングに出しに行ったりしていたら
時間が進んでしまい、近場に行っていない郵便局がないので、
 17時15分郵貯ナシで、野火止用水の鯉にエサをやりに歩こうと
何も持たずに家を出る。何も持たないので大股でスタスタ歩き、CV
でRITZを買い、それだけ持って歩く。
新所沢街道を歩き出すと、直ぐ左に【白山公園】。手前にも野球のグ
ランドを新しく整備した。湿地なので、直ぐに水浸しになっていたが。
久留米西団地とオザムの間を歩き、東久留米卸売市場・東京多摩青果
の前を抜けると【野火止用水】に。いつもここの橋の上から鯉にエサ
をやるのだが、何年振りかで行ってみたら、用水の上に木が鬱蒼と伸
び放題になっており、用水を見下ろす事も出来なくなっている。
仕方がないので、用水に沿って手前の道を歩くが、(昔は朝歩いてい
たコース)その道からも用水の水面が見えない位、ほったらかされて
いるのでは。石橋の所でやっと鯉が見えたので、一頻りエサを。
お麩だと軽くて川に落ちても気が付かない鯉が多いので、パンかビス
ケットの方が食いつきが良い。その後も用水に沿って歩くも、殆ど鯉
を見るチャンスがなかった。大分昔と違う。
【恩多野火止水車苑】が用水の向こう側に有り、暗くなり掛けていた
が入ってみた。学生のカップルが話しをしているだけで、水の流れ具
合も変ってしまい、鯉も1匹も見れない。どうしたんだろう?。
 暗くなってきて、新青梅街道に出る少し手前を左折し、勘を頼りに
歩いてみる。川の流れのない出水川に沿って住宅街を歩き、住民の方
に聞きながら歩く。柳窪に入ると、大きな家が多く(昔からの農家)
鬱蒼とした大木に囲まれており、人通りも殆どない。段々不安になっ
て来た時に、見覚えのある通りに出た。その場所の近くで、ブルーベ
リーの摘み取りをさせてくれる苑が有り、嫁が好きなので聞きに行っ
たが、事務所は閉まっており、同じ敷地のCVの従業員さんに聞きに
行った。明日、昼間電話で問い合わせてみよう。
石釜パン工房に寄ったら、19時前なのに殆ど残りが無い。19時閉
店だったか?。自宅着18時58分。
 1時間43分。10,522歩の散歩だった。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-27 00:20:13 | Weblog
 今日は、久し振りに実家へ長兄の話し相手に。
9時半、地下鉄丸の内線の茗荷谷で下車、小学生の頃から通いなれた、
窪町東公園を下りてマンションの部屋に。直ぐ上の兄が来て、一緒に
弁当を食べて交代するまで、兄に付き合う。トイレに連れて行ってか
ら家を出て、幼馴染の喫茶店で暫く話し、【都立大塚公園〉へ。
 何時もは素通りしていたが、今日は公園内をジックリ歩いてみた。
左奥の上の方に赤い鳥居が見えたので、行って見たら
【住好稲荷社】明治43年創建で、当社は松平家の下屋敷邸内社とし
て鎮座されしもので、久鳶作左衛門之を祀る。当地は澁澤栄一市長の
時、市の所有となり、社も残置され戦後は文京区の管理に移り、荒廃
せるも地元崇敬者相集い勧進し之を継承社の復興に努力し今日に至る。
 小学生の頃にはこんなお稲荷さんがあるとは知らなかった。
 公園の正面に雰囲気のある『露壇』(Terace)という様式が。
16~17世紀のイタリアでは、地中海に面した丘陵地帯に裕福な市
民のビラ(別荘)が多く造られ、そこでは斜面を階段状に造成した土
地にカスケード(水階段)やテラス(露壇)で結んだ庭を造り、下方
に広がる風景を庭の一部に取り入れる「借景」という独特の庭園様式
が発達し「イタリアルネッサンス式」又は「露壇式」と呼ばれている。
文京区の公園では他に元町公園にも同様のデザインが見られる。
この露壇は昭和3年に造られ、長い年月の間に老朽が進み、平成元年
(1989)開園当時の姿に復元されました。
 久し振りに見たら、スッキリした感じ。
その先に【大塚子育地蔵尊】
 大塚辻町(現大塚5丁目9番)路傍にそれぞれ三百年以前に往時の
里人が豊作を祈り、二世安楽の祈願をこめて奉造立して供養を続けら
れ、幾代かの世代に守られて今日に及んでいる。昭和20年不幸戦火
に被災し、その後大塚公園に移された。
 文字塔(1674年)地蔵(1665年)観音(1678年)大日如来(不明)
気が付かなかったが、結構色々ある。ただカラスが多くて・・・。
 都立大塚病院の前を通り、丸の内線新大塚駅の交差点で3時の時報
が向こう側の”大漁炭火焼「北海から来た男」”の正面の時計(札幌
時計台型)から聞こえた。そのままJR大塚駅方面に歩くと、今日は
【第37回大塚阿波踊り】で、南口駅前周辺が交通止め。
中学時代の友人に電話を入れ、何十年振りかで自宅を訪問。お母さん
も元気にされており、奥さんと3人で話しながらご馳走になり、5時
を過ぎたので、小林夫妻の行きつけの焼き鳥屋さんに飲みに。夫婦共
童顔なので、30年前の結婚当時とあまり変わりがない。(変人!)
楽しく飲食させてもらい、9時過ぎに店を出て阿波踊りの最後を見て
帰ろうと思って会場を歩いていたら、同じ同級生のお姉さんとバッタ
リ!。(ピーマンを食べられる様になったのは、遊びに行った時に、
”ピーマンの肉詰め”を食べさせてもらってから)急遽喫茶店に入っ
て話したら、自分と同じく”郵貯廻り”をしているそうで、話しが盛
り上がった。
 朝家を出て、14時間。郵貯廻りはナシ。13,362歩の散歩に。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-25 23:50:04 | Weblog
 今日は、以前から行ってみようと思っていた水元公園に。
高田馬場から日暮里・北千住で乗り換え、千代田線の金町駅下車。
北口に出て、金町駅前通り商店街から昌明通りを歩くと、手の平で
包める位の大きさに育った、濃い緑色のミカンが一杯生っている木
が道に迫り出している。今期では初めて。
 第一病院の所から水戸街道を少し歩くと、【半田稲荷神社】が。
享保(1716~35)の頃には、麻疹・疱瘡・安産に霊験ありとして、
広く信仰され、「神泉遺構」は、かって湧泉井戸でした。現在は、
渇水し、敷石も荒廃していますが、井戸枠には今も注連縄掛けられ、
旧来の形状がよく保存されている。石柵の柱や袖石に刻まれている
のは、新富町大新をはじめとする寄進者達の名前で、なかには、当
時の市川団十郎・尾上菊五郎など、(写真の丸い遺構の奥の袖石に)
新富座の役者の名前も見え、当神社の繁栄を伝えている。
 東金町五局の前の通りを歩くと、【水元公園】にぶつかり、曲が
りくねった桜並木を少し歩いて、公園の中に。
「ごんぱち池」という池が有り、釣り人が二人。立て札をよく見た
ら、水生植物の黄色い小さな花を咲かせる”アサザ”という植物。
以前はあっちこっちの沼や池で見られたのが、今では都内でただ一
箇所の自生地になっており、
 一般公開は7月11日(土)~9月13日(日)
           午前9時~10時の一時間。
隣りの池に、東京都指定天然記念物の【オニバス】が二面。
 ハスとの違いは 葉:しわとトゲが有り、裏は赤紫色
         花:4cm程の赤紫の小さな花。
        果実:水中に楕円形の果実をつける。
  今日は、一個だけ咲いている花が見れた。
監視員さんと話していたら、テントの後ろに”ガマの穂”が大量に。
生け花に使われているのを見たが、実際に生えているのを見るのは
めずらしいと思う。昔の人は、”ガマの穂”を一週間位干してから
日を点けて、蚊取り線香の変わりにしていたそうだ。
 その先の端を渡ると、ハスが一杯。薄いピンクの花を付けて。
戻ってからもう一本の橋を渡ると、【葛飾区金魚展示場】に。
 色んな種類の金魚が飼育されていて、飼育員の方に聞いたら、
A池とB池の2種が有り、
 A池は、地下水をろ過して循環させ、成魚が入っており、
     種類が表示されている。
 B池は、地下水を流しているだけ。
 オランダシシガシラの小さな口が赤いらしく、口紅をつけている
様に見え、一番人気らしい。しゃがんで見たら、上唇がピンク。
11月から翌年の3月までの冬の期間は、酸素もエサもやらず、水
も循環させないので、自然に”藻”が付き、それを食べるだけ。
雨が降っても、雪が降っても、”ほったらかし”だそうだ。
 その先から【水元小合溜】になり、向こう側は埼玉県三郷市。
向かいの繁った木の上には”白鷺”が何羽も止まって(自分の巣)
歩いていると、ツクツクホウシの鳴き声ばかりが強く聞こえる。
レイクリフター(間欠式空気揚水筒)
 水を奇麗にしながら臭気の発生を防ぎ。
 藻類(アオコなど)の異常発生を防ぐ。
 溜池の深い所にも空気をいきわたらせ、魚が浮び上がって死ぬの
 を防ぐ。
投げ竿で鯉を狙う人が何人も。声を掛けたら、漁師の様なおじさん
が、以前釣った75cm位の鯉を携帯の待ち受けにしているのを見
せて貰った。(俺が立ち去っても、隣の人に見せていた)
【水元大橋】を渡り、その先は次回にとっておき、郵貯廻りに戻る。
 公園を抜けると、左に池が見え(内溜〉こちらは全員ヘラ狙い。
向う岸の盛の木に何羽かの”鷺”が。そこを離れて、一本住宅街に
入ったら、讃岐うどん「花もと」が。何故こんな場所に?
 水元局・南水元二局から葛飾清掃工場の隣りの水元中央公園から
工場の裏を廻ると、子供動物広場。ポニーに乗れるらしい。
 今日最後の予定だった、水元五局に寄り、最寄り駅を聞いたら、
「バスで亀有駅に出られます」といわれ、水元神社に参拝し、バス
で亀戸北口に着いたら、両津勘吉君の銅像に迎えられた。駅ビルの
下の立ち食いそばの「越後そば」のガラス面に、「吾唯足知」の丸
いマークが書かれていたのでビックリした。
 千代田線亀戸駅。5局。12,279歩の散歩。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-24 08:33:02 | Weblog
 今日は、岐阜の最終日。8月19日(水)朝9時ホテルスタート。
今日は、長良川を挟んでホテル側を廻る。長良校前局から、長良北町・
長良・福光・岐阜北・事務センター局・正木・早田・島・大福・尻毛・
西改田・西・西郷・方県・岐阜大学病院内・高見・三田洞・粟野・高富
・北野・厳美・加野・華陽・城南局から、東名のインターへ向けて走り、
名古屋市の一宮に入り、一宮北方局からJR東海道本線の木曽川駅前の
木曽川黒田局で15時45分。木曽川町に入った途端に「山内一豊まつ
り」の幟旗が何本も。局から野府川を渡り、線路を越えた黒田小学校の
敷地内に、岩倉織田氏の家老・山内盛豊(一豊の父)が城主を務め、同
氏退却後は織田信長・信雄などの支配下に置かれた【黒田城】跡があり、
局の直ぐ先には、その父と、一豊の兄(十郎)の墓がある【法連寺】が。
局の方に言われて、名鉄名古屋本線の線路際にある木曽川商工会と資料
館を尋ねる。
 何故か、今回のドライブ散歩では、
       郡上が(千代の生誕の地)。
       岐阜が(一豊と千代が結婚した地)。
最後に来た木曽川町が(一豊の幼少時代を過ごした地)。
 と、意識して来た訳でもないのに、山内一豊と千代に関係する地ばか
り通って来た様な感じがする。
 ここ二年、毎年岐阜を訪ねているが、まだ行きたい所が多く残ってお
り、歴史を感じさせる雰囲気を持った土地が多いせいか。京都や奈良と
は違った雰囲気ではあるが、また違う場所に行ってみようと思わせる。
 スタンドでガソリンを満タンにして、
   7時間。27局。走行距離99Kmのドライブに。

16時20分。東海北陸自動車道の一宮木曽川ICから高速に入る。  
17時28分。静岡県に入り、直ぐに右後方からの夕日を感じる浜名湖。
18時11分。先日の地震でただ一箇所だけ崩れ、通行止めになってい
  た現場を通過する。まだ工事をやっていたが、思ったほどの人数で
  はなかった。
19時05分。富士川SAで休憩。忘れていたお土産を買う。
19時25分。出発し、殆ど渋滞に巻き込まれる事もなく走り、
20時48分。東京料金所を通過。(ETC割引で8,250円が5,500円に)
21時40分。無事に自宅着。お疲れ様でした。
 4日間合計。1,149Km。76局のドライブ散歩でした。  

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-23 22:07:14 | Weblog
 昨日の続き。8月18日(火)岐阜。
昨日の夜は早目に寝たので、起きたのが6時。カーテンを開けたら、
真前に長良川が流れており、その上に金華山(岐阜城)が正面に見える。
そのまま地下の温泉に行き、腰湯でジックリ汗を流し、7時過ぎてから
朝食バイキング。和食を多品種・少量。部屋に戻り必要な物だけ持って
ホテルを車で出たのが、8時50分。
 先ず、目の前に聳えていた金華山(斉藤道三の国盗り物語の頃は、稲
葉山)に登ろうと麓の岐阜公園の駐車場に車を入れてロープウエーまで
歩いていく中、岐阜市制120周年記念事業の「岐阜公園イルミネーシ
ョン」という”市民手づくり真夏のファンタジー”のライトアップの装
置が”何だこれ!”という感じ。
 永禄10年(1567)9月18日に織田信長が岐阜に本拠を移した時、
下級武士である山内一豊も岐阜に移り、岐阜城下に居を構え、時をおか
ず千代を娶り、新婚生活を始めた。とロープウエー入口手前に看板が。
郡上は、千代が生まれ、岐阜に来たら、結婚。何故か付いて廻る。
 往復券(1,050円)を買い、切符を切ってもらったら、昔の切符切り鋏
を使っており、何気なく「珍しいですネ」と声を掛けてしまった。
9時半発。4分で山頂駅着。リス村を横目で見ながら山頂の岐阜城まで
後270m登らないと。階段が主体で、汗だくになりながら到着し、入
場料200円を払って入った途端に、何だこりゃ!!
 「鉄筋コンクリート3階建、エレベーター・エスカレーターなし」
という感じ、一番上まで行き、外に出ると360度見渡せるのは良いが、
雰囲気と言う物がなく非常に残念。二度と上がらないと思う。
 昨日と今日、二日続けてお城に登り、登る時はまだ良いが、下りがキ
ツイ。フクラハギの前側(後ろの筋肉でなく)の筋肉がやられてしまう。
下りの時間まで10分位あったので、リス園(200円)に入ってみる。
皮手袋を渡され、係りの人が粉の様なエサを乗せてくれ、一杯いるリス
に向って手を差し伸べると、パイプを伝って、手袋の上に手を乗せて、
なめる様な格好でエサを食べてくれた。
 駐車場を出て、郵貯廻りを開始。岐阜公園の向かい辺りを昔「井ノ口」
(井川の口)と呼び、「百曲り通り」と「七曲り通り」がメインストリ
ート。材木町局から、鵜飼観覧船のりばのある河原町を通り、この辺り
もゆっくり歩くと良い。井ノ口に戻り、夜、地元の若い人に聞いても知
らなかった【ぎふ大仏】へ。
 大仏は、200年程前(そんなに古くはないが)二代に渡る住職が各
地を托鉢し、38年の歳月を費やした後完成した。竹を編んで和紙の経
文を貼り、金箔で仕上げられた”乾漆大仏”というそうで、日本一の大
きさ。丁度、地元のケーブルテレビの若いスタッフが4人で中継してい
たので、邪魔にならない様にお参りしたが、近すぎてマジに見上げない
といけない状態。このお寺正法寺は檀家がなく、以前は拝観料(現在2
00円)も取っておらず、住職も居ないので、管理者だけだったそうで、
外から見ると3階建の木造だが、痛みが激しく、朱色は完全に剥げた。
もっと宣伝して、整備し直したら良くなると思う。
 直ぐそばの七曲り通りに、智将として名高い竹中半兵衛の屋敷跡でも
有り、巳百(キハク)住職の招きで芭蕉が1ヶ月間滞在した事でも有名な
お寺で、奥には三光稲荷がある【妙照寺】。
 その向かいには、斉藤道三が京都から初めて岐阜に入った時に世話に
なり、その後道三の供養塔も有り、道三以降三代の菩提寺の【常在寺】。
 この後、郵貯廻りに。米屋町・今小町・御杉・西野・神田・若宮・徹
明・真砂・都通・千手堂・問屋町・中央局・梅林・岩戸・曙・北長森・
南長森から手力局に行ったら、隣に赤い鳥居が有り、局の方に聞いたら
ちょっと行った所に有名な神社【手力雄神社】が有ると言うので行って
見る。神社自体は新しく立て直された様で、テレビ等で見た事のある、
花火の太い筒を、腰の所で抱えて、火の粉だらけになりながら花火を上
げる事により男になる。多分、境内の広い空き地がある場所で花火をす
るのでは。ここだったのか!という感じ。
 領下・加納八幡・城東・岐南・加納上本町でタイムアップ。
7時間。24局。51Km。
 ホテルに戻り、部屋のシャワーを浴びて着替え、名鉄岐阜駅前で藤沢
酒店の会長と待ち合わせ、昔の村さ来新岐阜駅前店に岸山オーナーを訪
ねるも、当日オーナーの休みの日。藤沢氏も「前以て連絡しておけば良
かった」と言っていたが、店の人からも連絡が取れなかったので、店で
食べて外に出、「60年以上やっている面白い店がある」というので見
に行く。3階建ての【水谷】という店で、60年を越える期間、同じ場
所で営業。土地も買い、ビルも建てた。藤沢氏の話では、飲み物に酎ハ
イとか、生ビールもなく、日本酒の燗の付け方に特徴があるらしい。
冬と夏では燗の温度が全く違うらしい。女将に聞いたら、70~80度
位で、酒燗器は酒を壊してしまうので使わないとの事。
 おやじばかりかと思っていたが、ビールケースを重ねた上にベニヤの
板をのせて、丸パイプ椅子に座って、普通の道路で飲み食いしているの
は、違反になるのでは。目こぼしされているのか。隣にも二人の学生さ
んが飲んでおり、気にいったので、お酒を一杯づつ奢ったら、お返しに
枝豆と鰻の肝串二本を逆に差し入れられてしまった。東京に遊びに来る
時には連絡くれる様に、名刺を渡す。(奢っちゃる)
 今日一日の歩数:13,264歩。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-23 15:18:22 | Weblog
 昨日の続き。8月17日(月)8時20分。
街中の散歩(昨日書いた)より戻り、スタンドでバッテリーのチェッ
クをしてもらい、「暫くは大丈夫でしょう」というので、ガソリンを
入れ、車で夜中に照明で浮き上がって見えた【郡上城】に。
 宮ヶ瀬橋を渡り、さっき歩いた本町から城下町プラザの先を右折し、
直ぐに左折すると、お城への登り口に。(登り下りは一方通行)
途中から道が狭くなり、切り返さないと擦ってしまう位の感じで、慎
重に。天守閣の下の駐車場に置いて歩くと、郡上市内が一望出来る。
 永禄二年(1559)山内一豊の妻となった千代の父の遠藤盛数がこの
地に城を築き、初代城主となった。(それで、昨晩町を歩いている時
に、新橋の袂に有る大垣共立銀行の正面に、『山内一豊の妻、千代の
生まれた里』の垂れ幕が付いていた。明治維新で廃城となったが、昭
和8年、旧跡に木造の模擬天守閣が作られ、三層の立派な天守だと思
う。天守からは360度見渡せ、気分が爽快になった。下りきる少し
手前の広場に、一豊と千代が馬を引いている銅像が。
 下りたのが9時10分。郡上八幡局から。郡上市内の局を廻るにも、
真中で、四方に道が有るのでどちらかを選ばなければならず、高山か
ら富山方面に向う”せせらぎ街道”を選ぶ。(国道472号)
 八幡小野局からナビが付いていないと探せない様な有穂簡易局に着
いて、局の中に入ったら、映画のポスターが貼って有り、処理しても
らう間に、女性の局長さん?が、「奥田瑛二監督で、先日亡くなった
緒方ケン主演の「長い散歩道」という映画の撮影にこの局が使われた
そうで、相当前の話しを楽しそうに。ただ、局の前に有る郵便ポスト
に緒方さんが郵便を入れに来るシーンだそうだが、昔のポストなら良
かったのに、ポストだけ新しくなっていたのがどうも気になるらしい。
 川を渡り返して、国道472に戻り、もう少し奥の明宝局に。
この先は、去年来た所だと思うので、郡上に戻り掛けに道の駅に立ち
寄ったら、何故か東京大田区の馬込にある萬福寺の境内で見た梶原源
太景季の愛馬「磨墨(スルスミ)」の銅像が騎馬武者を乗せて、広い駐車
場に「磨墨の里公園」として見えたので、観光案内所に聞きにいった
ら、馬産地名方(ミョウガタ)村気良の産と語り伝えられ、轡も残ってお
り、郡上踊り”春駒”の一節にも
「郡上は馬どこあの磨墨の名馬だしたも気良の里」と唄われている。
どこで繋がっているか分らない。
一度郡上まで戻り、今度は岐阜に向けて、国道156号線を行く事に。
相生・美並・洲原・美濃長瀬で美濃市に入り、”うだつのあがる町
美濃郵便局”の後に下牧・上牧・大矢田・藍見と廻って、”うだつの
あがる町”を見て廻る。徳島の脇町の”うだつ”は本当に立派だが、
こちらのは、昔ながらの木造のいい雰囲気を持った街並みが、かなり
広い範囲で展開されており、見応えがある。今日は天気が良すぎて、
見て廻るのには良いと思うが、時間がないので、又今度機会を作って
見に来よう。
 中有知・下有知・関小瀬・小金田・関山田から岐阜市に入り、各務原
局で16時。  
    7時間。  159Km。  25局。のドライブ。
 中学時代の友人が予約してくれていた、岐阜グランドホテルに16時
25分に着き、早速ホテル内の温泉に入って汗を流し、部屋でゆっくり
してから、18時に奥君とホテル内の「吉祥」で飲むも、彼が中学を卒
業して岐阜(中津川)へ帰り、中央大学に入って、東京に出て来た時の
体育祭に、死んだ妻を連れて行った事が有り、それがきっかけと思って
いたらしく、恩を着せられたが、そのまま、そのまま。
歳のせいか、弱くなったみたいで、一人で酔って、1時間半位で帰って
いった。
 部屋に戻り、もう一度温泉に入って早目に寝る。(昨日寝不足の為)

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-22 11:09:14 | Weblog
 8月17日(月)朝、6時に深夜移ってきたローソンの駐車場で目を
醒まし、車のエンジンを掛けてみて、動くのを確認して、市内を散歩。
 長良川に沿って歩き出したら、川に沿って走る長良川鉄道の一両編成
の茶褐色の電車(美濃太田行)が通った。(玩具みたい)
 長良川に注ぐ吉田川の岸辺に沿って上流(市内)方面に歩き出す。既
に鮎釣りの方が何人か川に入って釣りを。水量も多く、川の脇には用水
路が有り、勢い良く流れている。
 川岸にはテントを張っている方も何人か下り、観光客か釣り客か。
宮ヶ瀬橋の手前の川中に、大型の”サギ”が。名前が分らないのが残念。
川辺の階段を登り、宮ヶ瀬橋を渡ると、昨晩徹夜踊りをしていた本町の
通りに出、漢方薬(肉桂玉)の「桜間見屋」の手前に、
『宗祇水』の表示。(添付写真参照)
 郡上八幡のシンボル(史跡・名水百選)で、室町時代の古今伝授の古
事を伝える湧水。
本町を通り越して、【古い町並み(職人町・鍛冶屋町)】
 大正時代の大火以降に防火の為の袖壁と紅柄格子の大正時代の街並み
で、両側の家の前を流れる奇麗な北町用水が生活に役にたっており、女
性の話だと、用水路には家の前ごとに板を差し込める様な溝が掘られて
おり、板を差し込む事により、用水を止めて、火事の際には消防自動車
がつく前に、皆で火事を消してしまうらしい。(何回も有った)
【郡上八幡博覧館】の写真を撮り、柳町通りに。何故か真宗大谷派(親
鸞聖人)のお寺が多い。
用水を利用した雰囲気作りがされており、歩いているだけでホッとする。
 吉田川の新橋を渡る時、欄干の上に若い人が立って、下を見つめてお
り、一緒にいた人と話していると思ったら飛び込んだ。ビックリ!!。
よく、テレビで子供が橋の欄干に登って飛び込むのを見た事はあったが。 
 新橋を渡り、左の記念館の裏側に【いがわこみち】という短い用水が。
寛文年間に出来たらしく、地元住民により大切に管理され、今も生活に
利用されており、沢山のアマゴ・イワナ・マス等の淡水魚と大きな鯉が
泳いでいる。エサの箱は置いてあるが(有料)エサが切れており、残念。
 戻りがけに新町を歩いていて、昨晩見た、新町の魚寅(うなぎ他)の
生簀の中の鯉。色々な場所で鯉も見たが、5匹いる鯉の頭に全て”コブ”
が有り、胴が物凄く太い。こんなの見た事ない。
 町の人は用水の網のフタを手で開けて、長い柄杓で奇麗な水を汲んで、
花に掛けたり、道路に撒き水をしたりして、生活に密着している。
 初めて来た町だが、【どこを歩いても水の流れる音の聞こえる町】
   とり合えず、2時間20分。9,063歩の散歩。
 郵貯廻りは、この次。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-21 11:08:59 | Weblog
 かなり書いた時点で、変な電話が有り、切ってからボタンを押し間違
えたら、全て消えてしまった。情けない・・・・・。気を取り直して。
 16日から岐阜に行って来ました。(19日まで)
12時45分。自宅を満タンにした車でスタート。
 新青梅街道から四面道で環八に入った途端に”渋滞”に巻き込まれる。
13時53分。用賀着。   
14時。東京料金所をETC通過。
 小田原ICの手前の下り坂で正面に富士山が。曇っているが、雲の上か
 ら頭を覘かせて、「気をつけて行けヨ」と言ってくれている様に感じ。
 お盆の最終日なのに、上りもスムーズに走っており、渋滞のピークは?
14時38分。静岡県に入る。
 富士市に入る手前から、右に茶畑、左の奥に海が見える。
 沼津ICを通ると、1年半前に妻との最後の旅行で下りたインターなの
 で、河津桜を思い出す。
 ”下り 牧之原ー袋井 渋滞10km”の表示。
 富士川の手前で急にストップ。追突しそうになり、後部座席の荷物が
 すっ飛んで来た。慌てて、バックミラーで後方に注意した。
 上りも渋滞に。
 富士川を渡り、油井の手前から左に凪いでいる海を見ながら走るのは
 気持ちが良い。奥に伊豆半島が霞んで見える。
15時50分。牧之原SAの手前で渋滞しだし、SAに逃げて少し休憩。
16時15分。戻った途端に”渋滞”に巻き込まれ、ダラダラ走ってい
 るので、周りの車のプレートを見てみたら、殆どが西に帰る車で、関
 東の車は少なく、まだ帰省中?
 小笠PAから普通に走り出し、黄色く色づいた稲穂が気持ち良さそう。
 袋井ICの500m位手前で再度ストップ。事故や工事の為でもなく、
 抜けてみて、”何の渋滞だったの?”という感じ。
16時57分。天竜川を渡る。川幅は広いが、流れは浅くて少ない。
 三方原PAの先に『速度低下 渋滞原因』の表示が。以前テレビで解説
 していた事か。高速では”ゆっくり走ろう”だと渋滞になる。
 浜松西・館山寺ICの手前で又、ストップ。ここから事故渋滞?。
 自家用車で浜松西より先に行くのは20何年振り。
18時10分。右に浜名湖が見え出し、直ぐに湖の真中を浜名湖の夕景
 を見ながら走る。(ホテルの前の湖で腰まで使って二人の釣り人が。)
18時17分。浜名湖SAの手前で又、ストップ。
18時26分。愛知県に入る。
19じ15分。名古屋市に近い、東郷PAでトイレ・仮眠。
20時10分。東郷PA発で一宮ICより東海北陸自動車道(飛騨・白川・
 五箇山から富山県の砺波に)
21時20分。郡上八幡ICで下りる。
 料金がETCと休日割引で8,800円が1,750円に。
12時25分。郡上八幡市内の長良川に注ぐ吉田川沿いの栄パーキングに。 
     【444Kmのドライブに】
 直ぐに駐車場の方に聞いたら、今日の宿を探すも、「無理だと思う」
が当ってみたらと、郡上八幡ガイドマップと郡上おどり会場案内図を。
 交通整理の方にもお聞きして、宿や、民宿を訪ねてみたが無理。
今町辺りまでは、あまり人も居ないし、店もなく、囃子の音も聞こえな
いので、「やってるのか」と聞いてみたら、「今日は本町で踊ってる」
との話し。新町位から、夜店も出ており、年寄は居らず、殆どが若い人
ばかりなのは何故?。郡上八幡旧庁舎記念館前に本部が設置されており、
そこは年寄りばかり、新橋を渡る時に吉田川を覘いたら、岩場に小さな
電気で化粧して、見る人を楽しませていた。
 新橋を渡った左に、「食品サンプルの創始者・岩崎龍三の生家」の看
板。向かいの旅館から出て来た家族連れに宿の事を聞いたら、お母さん
らしい方が、「この裏に善光寺というお寺が有り、ゴロ寝かも知れない
が、庫裏に泊れるかも」と言われ、行ってみた。
 郡上八幡城の登り口に有る【善光寺】に行くと、『日本まんまんなか
釈迦三尊 臍の堂』という表示。(本州の臍の表示は群馬の渋川に有る)
尋ねたが、おばあちゃんが出て来てくれ、「予約の方で一杯で、すでに
布団も全部ひかれているし、嫁が出ているので」という事で諦める。
 踊の会場を聞いたら、直ぐそばなので行って見る。城下町プラザから
大手町を通り、【郡上おどり像】の角を左に曲がると本町。
 第一印象が”エ!こんなもの?”という感じ。
会場が暗く、衣装はバラバラで私服が多く、歌もテープが流れている様
に思え、踊っている方に邪魔にならない様に歩いて行くと、狭い通りを
輪になって踊っており、歌もテープではなく、そこだけ明るく小さい屋
台が1台。男の人がマイクを握って歌っていた。踊では、履いている下
駄のかかとをアスファルトにカンカンぶつけながらの音が気にいった。
踊りの種類も多いのだろうが、踊っている人は楽しそうで、毎年参加し
ている人も多いらしい。踊りの規模も、踊る町によって違うらしく、
 お盆の13~16日は『徹夜おどり』で新町~橋本町が一番凄い。
一度駐車場に戻り、駐車場の方に「泊る処、やっぱり無理でした」と話
たら、「ここで寝ていけば」と言われ、「良いんですか?そうさせても
らいます。」と一安心し、車に戻ってから、室内灯だけ点けて、今日の
流れを書き出していたら、大変な事をしてしまった。
 室内灯が、段々暗くなってきて、気がついて慌ててエンジンを回した
が、手遅れ。バッテリーが上がってしまった。
JAFに電話を入れると、「1時間位掛かります」との返事。充分です。
 落ち着く為に、もう一度踊りの会場に見に行くが、見ていても気にな
って駐車場に戻り、幸い涼しかったので、車内で過ごす。
 その間も、駐車場には車の出入が有り、若いカップルが2時を過ぎて
も入ってきた。1時間以上過ぎても何の連絡もないので、催促の電話を
入れたら、「前の呼び出しに時間が掛かり、美濃から廻りますので、後
1時間位掛かりそうなのでお待ち下さい」
2時26分。JAF到着。繋いで作動。直ぐに終了した。バッテリーの調子
を見てもらったら「心配だったら、長良川に沿った交差点にエネオスが
有るので、開店まで、隣りのローソンの駐車場にいたら如何です」と教
えてくれたので、3時にローソンの駐車場に移る(店に了解を取り)
3時20分。やっと車内で仮眠。

郵貯スタンプ・じい散歩

2009-08-13 22:26:39 | Weblog
 今日は、長男の次女(孫)の6歳の誕生日。
郵貯スタンプはお休み。
午前中に長男から電話が入り、12時に自宅まで車で迎えに行く。
出て来た碧は車に乗るのにマスクをして来て、「車の独特の臭いがいや」
らしい。大泉学園の OZ STUDIO CITY の「T・ジョイ大泉」で”ポケモ
ン”の映画を見に。距離が短かったので酔わなくて良かった。
その後にするゲームの説明役で長男が付いて来たが、テレビでも何でも
今までに”ポケモン”を見た事がなく、見たいとも思わなかったので、
気が進まなかったが、”おじいちゃん”としては致し方がない。
キップを買ってから、まだ時間が有ったので、長男に連れられて、向か
いの LIVIN の4階のレジの前に3台並んでいる”ポケモンバトル0”
をしたかったらしく、開いていたので楽しそうに。後ろに立って見てい
たが、全く何をしているのか分らず、終わるまで他の売場を見て廻って
いた。13時10分から映画「09ポケットモンスター」を見る。
 出だしから寝てしまい、途中で起きて見ていたが、内容が分らなかっ
た。お客さんは小学年の子供連れが圧倒的で、ゲーム機持参で見ていた。
見終わってから、昼食がまだだったので、麺が好きな孫の為に、1階の
「ピエトロ・コルテ」というイタリアンレストランに。去年と比べて、
良く食べる様になったし、スピードも早くなった。
 肉は好きではないが、ベーコンは好き。
 タラコ自体は好きではないが、たらこスパゲッテイは好き。
 トウモロコシは好きではないが、ポップコーンは好き。など。
自分も村さ来に入る35歳まで、食べず嫌いがひどく、他人の事は言え
る筋合いのものではないが、好きな物があれば大丈夫だろう。
食事が終わってから、再度 LIVIN の4階に移り、本当にゲームをやら
される雰囲気になってきた。一回自分でやってから、孫と二人での対決。
お父さんが「ジジに強いのを先に渡して、碧はその後残った中から選ん
でやりなさい」といわれ、3枚の丸いポーカーの時の様なチップを登録
してからのスタートに。タイミングを計ってランプ部分を叩く事に寄り
戦うらしい。それぞれ代表同士の戦いがあって、勝敗が判定されるが、
譲ってくれたチップが良かったので、”ジジの勝”で終わったが、何が
勝ったのか全く分らず、見様見真似でやってみただけ。勝ちを譲られた
様で、あまり良い気持ちでもない。
 同じフロアーで「北海道展」をやっていたので、チョッと見て歩き、
碧が「おいしい」と言った海苔を買ってお土産に。
 駐車場に行く途中の1階の「31アイスクリーム」で孫は二種類の、
”雪だるま”を食べていた。自宅まで送り、息子が「お茶でも飲んで
行く?」と聞いてきたが、18時近い時間だったので、「夕飯食べて行
く?」と聞かれれば、そうしたかも知れないが、中途半端な時間に寄っ
たら・・・と思い、断って一人で帰宅。
 63歳まで”ポケモン”とは全く付き合いがなかったので、(ゲーム
も含め)緊張したりしてしまった。帰宅時、4,780歩。