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【中学歴史教科書8社を比べる】261 ⒅ 日朝関係(戦後)の描き方 56 <ⅵ 現在の課題:在日朝鮮人 :ある永住韓国人のブログから見えること -5->

2017年08月04日 | 社会・文化・文明

ⅱ 現在の「差別」の実態を調べる -13-  ⅱ-2 在留韓国・朝鮮人はどう思っているのか? 

ⅱ-2-2 ある在留韓国人(特別永住者:3世/関西学院大学社会学部教授のブログから見えること -5- 

 以下の記事はすべて、<「金明秀の公式ブログ」:Whoso is not expressly included>の内容に基づいている。※引用は「青字」で示す。

 

<1> <差別は客観的に定義できるか>より引用 3/3-3  ※全文を(3つ→)4つに分けて検討している。

 前回260は、金氏が「差別定義3例」の問題として挙げている3点うち、「第二」について考えた。まったくちがう見解だった。私のまとめは《「集団の非対称性」は、定義に使えるほどはっきりした要素(要件)ではない。/差別行為の根本原因は「差別心」だから、定義が”とてもむずかしい”とか、あるいは”できない”と言われている。ヒトの内心はとても複雑(怪奇?)で、はかりしれない…》

 では「三」についてはどうだろうか?

 

「第三は、ある社会的カテゴリーに所属していることによって不当に被害が生じていることを訴えようとすると、被差別者はその社会的カテゴリーの存在を前提にしなければならない、という問題。

 被差別者がその社会的カテゴリーを納得して自ら引き受けている場合はいいのですが、そうでない場合は悲劇です。いやいや押し付けられたカテゴリーそのものが差別と感じられるのに、反差別を訴えるためにはそのカテゴリーの実在に立脚しなければならない。二重に拘束されてしまうのです。あえて具体例は挙げませんが。 」

 

●在留韓国人という「具体例」を挙げて考える  ※上記の金氏の文章中の「ある社会的カテゴリー」の代わりに「在留韓国人」を代入して考える。

 

a.「在留韓国人に所属していることによって不当に被害が生じていることを訴えようとすると、被差別者はその在留韓国人の存在を前提にしなければならない、という問題。」

 ※問題はない。「在留韓国人」という社会的カテゴリーに属していることは、”民族の誇り”ではあっても、なんら恥じることではない。「日本人」も同じこと。

 

b.「被差別者がその在留韓国人(であること)を納得して自ら引き受けている場合はいいのですが、そうでない場合は悲劇です。」

 ※問題はない。在留韓国人であることは「悲劇」ではないと思う。「日本人」も同じこと。

 

c.「いやいや押し付けられた「在留韓国人」そのものが差別と感じられるのに、反差別を訴えるためには「在留韓国人」の実在に立脚しなければならない。」

 ※1 公的な(※完璧に論理的で”感情”はまったく関係ない)用語に「差別」を感じる・・・金氏はそうなのでしょうが、同胞の人々はどう思っているのだろうか?

 ※2 在留韓国人は実在していて、神様でも否定できない。「日本人」も「在韓日本人」も同じこと。

 

 この具体化(代入処理)によって、次のことが推理できる。

・金氏は、「在留韓国人」という言葉は「差別用語」だと感じている。

・金氏は、「在留韓国人」という「社会的カテゴリー」に属していることは「悲劇」だと思っている。

 ~だから「あえて具体例は挙げ」なかったのでしょうか?~

 

 何度でも言いたい・・・「韓国人」も、「朝鮮人」「日本人」「中国人」「台湾人」「フィリピン人」…も、差別用語(=差別するための用語)ではなく、区別・分類するための言葉だし、どの国民・出身だろうと自分が〇〇人であることに歴史的・伝統的誇りを持ったほうがいいに決まっている。”ご先祖様”との深い深い関係なのだから。

 歴史的に、あるいは現代における異なる集団間の「傾向(≒割合)」として、《差別行為の多発傾向》が認められるにしても、それは決して「集団全体の意思」ではないことは明らか。
(※1 集団は「法や文化:習慣」はもっているが、「意思」はもたない。)(※2 一般論として「傾向」については「対策」が必要なことも明らか。)

 

 《西欧文明によるグローバル化が(いやおうなく)進展した現代社会》では、少なくとも”先進国”においては、①それなりに「個人」が尊重され、②それなりの「人権思想」「人権意識」がある程度共有されているようです。

 だから、《誤解や反発や感情的対立をまねきやすい、集団間の関係の傾向》を強調するのではなく、《人それぞれの内心にある「差別意識」「差別心」》を問題にしたほうがいいのではないでしょうか。

 

~3/3-4(終)につづく~

<全リンク⇒ <「⒅ 日朝関係(戦後)の描き方」の後半 248249250251252253254255256257258259260・261・ 


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