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この川では

2009-08-23 | 自然観察(魚)
NPO法人「ゆめ・まち・ねっと」が主催されている冒険遊び場たごっこパークへ遊びに来ている子どもたちが川に飛び込んで遊んでいます。自由に自分たちで遊びまくっていていいなぁ、と思いながら見ていました。

最近「川に近づかないように!」というポスターが学校にも送られてきます。
まぁ、それが廊下に貼られているわけですが、それを見るたびに、ちょっとそれは違うんじゃないかなぁと思っていました。
まずは思いっきり水辺で遊ばせてみて、どこまでが大丈夫で、これを超えたら死ぬ危険があるぞと体験することが大事なんじゃないかと思うんですよね。もちろん大人がきちんと見守ってあげることが必要なんですけど。
その経験が少ないのが、水難事故の原因の1つにもなりうるんじゃないかなんて思ったりします。
個人的には、日本は川があって海に囲まれている割には、大人を含めて「水で遊ぶ、水に親しむ文化」が、他の島国と比べると成熟していないように思います。ヨットやカヌーのようなフネに乗っていると特に感じます。

でも、これだけ思いっきり水で遊んでいる子どもたちがいるのを見ていると、まだ大丈夫なのかなー、この子たちが親になった時にたぶん子どもたちにこの面白さを伝えてくれるんだろうなと思いました。
(このブログの趣旨から脱線しましたね。でも、カヌーで下ったら面白そうだなと思いました。川から見る街って結構いいんです)


午後に魚採りをしていた時に、この女の子と仲良くなりました。そして、採集や撮影を手伝ってくれました。この場をかりてお礼を言いたいと思います。ありがとうね。
(元気に川遊びをしていますが、泳ぎはちょっと苦手とのこと。今日は一緒に入れなくてごめんね。今度会った時は泳ぎの特訓を…しなくてもいいか・笑)

↓冒険遊び場たごっこパークのブログはこちら。
http://blog.goo.ne.jp/yumemachinet/

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4 コメント

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Unknown (たっちゃん@ゆめ・まち・ねっと)
2009-08-24 01:21:45
素敵な写真による紹介をありがとうございます。

遊びってほんと危険の範囲を知ることにつながると思います。

そしてご覧いただいたとおり、その危険の中で子どもたちはお互いの動きに気を配り、助け合ったりもしているんですよね。

ついでに言うと、環境教育活動ではないのに、流れてくるゴミをせっせと回収していたり。

でも、遊びはあくまでも遊び。

結果として、危険の境界線を覚えたり、協調性を身に付けたり、環境のことを考えたりということはあるでしょうけれど、ぼくらがそれを主導してしまわないようにと心掛けています。

僕らが主体になってしまったら、遊びではなくなってしまいますから。

僕らの最大の役割は、見てあげる、聞いてあげる係ですね。

ご覧になっていて、あっちでこっちで「たっちゃーん、見てて~」という子どもたちのセリフを聞いたことと思います。

そこで披露してくれるのは、背面平泳ぎとか太マッチョとかわけのわからない、どーでもいいようなことばかりなんですけどね。
そうなんですよね (NOZO)
2009-08-25 09:22:59
滝川なんかで水生生物の観察をしていると、何も言わないのに子どもたちがゴミを拾ってきたりします。
なにやら気が付いてしまうようですね。
自分は環境教育担当をやっていますが、特別に講師呼んだりしなくたって、これで十分じゃんって思ってみたり。

いろいろな場で子どもたちを見ていたり、特別支援や生徒指導に関わったりして思うのは、「どーでもいいようなこと」が大切なんだよなってことです。子どもは聞いてほしい、見てほしいですもんね。

自分が子どもの時のことを思い返すと、どーでもいいようなことが自分にとっては重要で、それを大人がろくに見てくれないと、なーんかもやもやするなんてことがありましたし、きちんと聴く姿勢をもってあげることを大事にしなきゃっていつも思っています。
…と思いつつも、つい忘れちゃうことも多々ありますが。
Unknown (たっちゃん@ゆめ・まち・ねっと)
2009-08-25 22:43:08
NOZOさんは特別支援にも関わっているんですね。

特別支援教育という言葉も何か本質を表現していないように思いますね。
特別に何をどうこうというよりは、個別に支援してあげる教育が目指すべきことなんじゃないかと思ったり、もっと言えば、一人の一人の子を個別に理解してあげる教育が最初の立ち位置なんじゃないかと思ったりします。
冒険遊び場たごっこパークは、子どもたちを支援する場所である前に、理解してあげられる場所でありたいと思っています。
まったくその通りで (NOZO)
2009-08-26 21:15:17
「特別支援教育」という言葉だけが一人歩きしていますが、結局は「個別の支援のために、その子の現実をどう理解し、学校や家庭や周りが何をしていくことができるか」なんだと思ってます。
それに個別の支援計画を立てるのも、発達障害の診断があるなしに関わらず、「困った感」を抱える子については、みんな立てるようにしていこうというものですし。

結局、理念は同じようなものじゃないのではないかなと思います。「場」が違うだけで。
学校という「場」がなじまなければ、他の場所を模索することだってしていきますし。

ただ、まだ始まったばかりで、理解が進んでいなかったり、うまく機能していなかったりするんですけどね。
難しいところです。頭ではわかっていても、なかなか動きがとれなかったりしますしね。

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