12/14(月)、赤穂浪士討入りの日です、そこで赤穂大石神社(兵庫県赤穂市)を掲載しました。
赤穂大石神社(あこうおおいしじんじゃ)
【鎮座地】〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋129 旧播磨国 赤穂郡
【御祭神】大石内蔵助良雄命を始め四十七義士命、中折の烈士萱野三平命
播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三侯
浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊九・カ丸の七武将
【例祭】 12月14日 義士追慕大祭
【旧社格等】県社(現別表神社)
【御由緒】
当社は明治天皇の宣旨を契機として明治三十三年、神社創立が公許せられ、まず大石邸長屋門の保存修理から始まって、義士を崇敬追慕する多くの方々からの浄財によって本殿以下社殿が竣工し、大正元年十一月、四十七義士を祀る神社としてご鎮座になった。
ご祭神は大石内蔵助良雄公以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖、本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してある。
境内は、赤穂城内三の丸曲輪のうち約五千坪、社殿や義士宝物殿のある上段地は家老の一人藤井又左衛門の邸址、拝殿前石段より神門迄の間、義士木像奉安殿、内蔵助銅像、大石邸庭園辺りが大石内蔵助の邸址である。
(平成祭データ)
兵庫県の西南端に位置する赤穂市にあります。播州赤穂駅から南に数百m、赤穂城跡公園の北に隣接、赤穂城三の丸跡に鎮座しています。境内には大石内蔵助邸跡もあります。
参道の鳥居から神門
参道の両側には、討入り姿・中国産黒大理石製の四十七義士石像が並んでいます。右は表門隊大石内蔵助以下23体、左は裏門隊大石主税以下24体です。
大石内蔵助の石像
矢頭右衛門七から、、堀部弥兵衛、片岡源五右衛門、原惣右衛門と続き最後、大石内蔵助です。
大石主税の石像寺坂吉右衛門を先頭に参道左側の最後は裏門の大石主税です。
東側の鳥居ですこちらが表参道でしょうか。
神門(義芳門)参道突き当たりは神門です。
昭和17年、神戸の湊川神社の神門を移築したものです。義士の忠芬義芳を千歳までも伝える意味で「義芳門」と呼ばれています。
義芳門
この門は東の楠公西の大石と称せられる我が国の二大忠臣義士のうち楠正成公をお祀りする神戸の湊川神社の神門であったのを昭和十七年移築したものである。
明治天皇の思召しで明治五年湊川神社が創立せられた時建てられた欅材入母屋造四脚門の豪快な門である。
幸い義士発祥の当地に移されていたため過る大東亜戦争の神戸大空襲にも焼失を免れ今日百余年を経てなお其の偉容を誇っている。
なおこの門は義士の忠芬義芳を千歳までも伝える意味で「義芳門」と称している。
(門前案内板より)
神門(義芳門)から参道
門の左右にえびすさま、大黒さまの大きな木像が鎮座しています。右扉には浅野家の家紋「違い鷹ノ羽紋」、左には大石家の「二つ巴紋」があります。
神門(義芳門)を入りしばらく進むと右に手水舎から木像奉安殿、大石邸庭園・長屋門と続き、左には宝物殿別館、正面一段上に社殿です。
拝殿
現在の社殿は平成十四年の義士討入り満三百年を記念し建立されました。
銅板葺き木造建築で吉野檜を使用、木の温かみをもつ荘厳華麗な入母屋正面千鳥軒唐破風造りです。
社殿全景拝殿から幣殿、本殿は瑞垣に囲まれています。
本殿
明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年11月、四十七義士命を祀る神社として鎮座されました。
本殿周囲の瑞垣には「忠臣蔵ものがたり」として絵馬型絵巻で忠臣蔵の名場面が説明文付で掲示されています。
刃傷松の廊下
元禄14年3月14日、江戸城松の廊下の刃傷の場面です。
吉良邸討入り
元禄15年12月14日の夜(今の時間で15日午前4時頃)大石内蔵助以下23名は表門から、大石主税以下24名は裏門から討入った場面です。
境内社合祀殿境内左奥にあります。
境内社合祀殿
国助稲荷社
宇迦乃御魂をご祭神とする国助稲荷は失せ物、落し物を見つけるに霊験あらたかと信仰を集めている
淡嶋社
和歌山加太に鎮座の淡嶋明神を勧請したもので特に婦人の諸病に霊験あらたかと信仰され毎月三、十三、二十三の縁日には婦人の参詣が多い
例祭は十月三日
恵美寿宮
商売繁昌の神 毎年一月十日に商売繁昌・社運隆昌を祈願する祭典が行われる
尚、以前の社殿は市内田町に移築
天満宮
学問・書遺上達の神 毎年七月二十五日の天神祭りには奉納の献書をボンポリに吊るし、多くの参拝者で賑わう
山鹿社
山鹿流兵学の創始者山鹿素行命を祀っており、その影響にてやがて四十七義士が生まれたと言われている
八田社
塩田の守護神 赤穂塩田の大地主、八田四郎右衛門が安芸の宮島から厳島大明神を勧請してお祀りした社
忠魂社
もとは赤穂霊社、旧制赤穂中学枚出身者で大東亜戦争に散華した尽忠護国の英霊を祀ったのが始まりで旧赤穂町出身の明治以降の英霊を併せ祀っている
(社前案内板より)
義士宝物殿社殿左にあります。
采配、呼子鳥笛等討入りの遺品を展示、湊川神社の宝物館として大正の初め建設されたもの、戦後当地に移築されています。
大石邸庭園神門(義芳門)を入ってすぐ右手にあります。
内蔵助一家が戯れ遊んだ池泉観賞式 回遊式の江戸初期の古庭園です。内蔵助手植え松、遺愛の枝垂桜、ゆかりの牡丹など大石邸庭園七景が楽しめます。
大石稲荷神社大石邸庭園にあります。
元禄7年大石内蔵助が主君長矩に従い備中松山城請取りに際し、その大任を祈願するため笠間より勧請したものです。
大石邸長屋門
主君の刃傷、切腹を知らせる早かごの到着した正門・長屋門です。中に早かごが復元されて展示されています。その他、大石家の日常が再現されて当時の生活が偲ばれます。
赤穂城跡公園赤穂城・本丸門
赤穂城は浅野家初代藩主浅野内匠頭長直(刃傷をした長矩の祖父)が13ヶ年の歳月を費やして寛文元年(1661)に竣工しました。
公園内の赤穂城の本丸・御殿跡には本の丸御殿の基礎が復元されていて、当時の御殿の間取りなどの案内板が随所に設置されています。赤穂城跡公園は日本の歴史公園100選に選定されています。
人形供養祭
参道右駐車場では丁度人形供養祭が行われていました。境内社の淡島神社の祭礼と思われます、およそ一万体の雛人形、さつき人形などが供養されたとのことです。
赤穂大石神社(あこうおおいしじんじゃ)
【鎮座地】〒678-0235 兵庫県赤穂市上仮屋129 旧播磨国 赤穂郡
【御祭神】大石内蔵助良雄命を始め四十七義士命、中折の烈士萱野三平命
播州赤穂城主浅野内匠頭長直・采女正長友・内匠頭長矩の三侯
浅野家断絶後の藩主森家の可成・長可・忠政・可隆・蘭丸・坊九・カ丸の七武将
【例祭】 12月14日 義士追慕大祭
【旧社格等】県社(現別表神社)
【御由緒】
当社は明治天皇の宣旨を契機として明治三十三年、神社創立が公許せられ、まず大石邸長屋門の保存修理から始まって、義士を崇敬追慕する多くの方々からの浄財によって本殿以下社殿が竣工し、大正元年十一月、四十七義士を祀る神社としてご鎮座になった。
ご祭神は大石内蔵助良雄公以下四十七義士命と中折の烈士萱野三平命を主神とし、浅野長直・長友・長矩の三代の城主と、その後の藩主森家の先祖、本能寺の変に散った森蘭丸ら七代の武将を合祀してある。
境内は、赤穂城内三の丸曲輪のうち約五千坪、社殿や義士宝物殿のある上段地は家老の一人藤井又左衛門の邸址、拝殿前石段より神門迄の間、義士木像奉安殿、内蔵助銅像、大石邸庭園辺りが大石内蔵助の邸址である。
(平成祭データ)
兵庫県の西南端に位置する赤穂市にあります。播州赤穂駅から南に数百m、赤穂城跡公園の北に隣接、赤穂城三の丸跡に鎮座しています。境内には大石内蔵助邸跡もあります。
参道の鳥居から神門
参道の両側には、討入り姿・中国産黒大理石製の四十七義士石像が並んでいます。右は表門隊大石内蔵助以下23体、左は裏門隊大石主税以下24体です。
大石内蔵助の石像
矢頭右衛門七から、、堀部弥兵衛、片岡源五右衛門、原惣右衛門と続き最後、大石内蔵助です。
大石主税の石像寺坂吉右衛門を先頭に参道左側の最後は裏門の大石主税です。
東側の鳥居ですこちらが表参道でしょうか。
神門(義芳門)参道突き当たりは神門です。
昭和17年、神戸の湊川神社の神門を移築したものです。義士の忠芬義芳を千歳までも伝える意味で「義芳門」と呼ばれています。
義芳門
この門は東の楠公西の大石と称せられる我が国の二大忠臣義士のうち楠正成公をお祀りする神戸の湊川神社の神門であったのを昭和十七年移築したものである。
明治天皇の思召しで明治五年湊川神社が創立せられた時建てられた欅材入母屋造四脚門の豪快な門である。
幸い義士発祥の当地に移されていたため過る大東亜戦争の神戸大空襲にも焼失を免れ今日百余年を経てなお其の偉容を誇っている。
なおこの門は義士の忠芬義芳を千歳までも伝える意味で「義芳門」と称している。
(門前案内板より)
神門(義芳門)から参道
門の左右にえびすさま、大黒さまの大きな木像が鎮座しています。右扉には浅野家の家紋「違い鷹ノ羽紋」、左には大石家の「二つ巴紋」があります。
神門(義芳門)を入りしばらく進むと右に手水舎から木像奉安殿、大石邸庭園・長屋門と続き、左には宝物殿別館、正面一段上に社殿です。
拝殿
現在の社殿は平成十四年の義士討入り満三百年を記念し建立されました。
銅板葺き木造建築で吉野檜を使用、木の温かみをもつ荘厳華麗な入母屋正面千鳥軒唐破風造りです。
社殿全景拝殿から幣殿、本殿は瑞垣に囲まれています。
本殿
明治天皇の宣旨を契機として明治33年神社創立が公許せられ、大正元年11月、四十七義士命を祀る神社として鎮座されました。
本殿周囲の瑞垣には「忠臣蔵ものがたり」として絵馬型絵巻で忠臣蔵の名場面が説明文付で掲示されています。
刃傷松の廊下
元禄14年3月14日、江戸城松の廊下の刃傷の場面です。
吉良邸討入り
元禄15年12月14日の夜(今の時間で15日午前4時頃)大石内蔵助以下23名は表門から、大石主税以下24名は裏門から討入った場面です。
境内社合祀殿境内左奥にあります。
境内社合祀殿
国助稲荷社
宇迦乃御魂をご祭神とする国助稲荷は失せ物、落し物を見つけるに霊験あらたかと信仰を集めている
淡嶋社
和歌山加太に鎮座の淡嶋明神を勧請したもので特に婦人の諸病に霊験あらたかと信仰され毎月三、十三、二十三の縁日には婦人の参詣が多い
例祭は十月三日
恵美寿宮
商売繁昌の神 毎年一月十日に商売繁昌・社運隆昌を祈願する祭典が行われる
尚、以前の社殿は市内田町に移築
天満宮
学問・書遺上達の神 毎年七月二十五日の天神祭りには奉納の献書をボンポリに吊るし、多くの参拝者で賑わう
山鹿社
山鹿流兵学の創始者山鹿素行命を祀っており、その影響にてやがて四十七義士が生まれたと言われている
八田社
塩田の守護神 赤穂塩田の大地主、八田四郎右衛門が安芸の宮島から厳島大明神を勧請してお祀りした社
忠魂社
もとは赤穂霊社、旧制赤穂中学枚出身者で大東亜戦争に散華した尽忠護国の英霊を祀ったのが始まりで旧赤穂町出身の明治以降の英霊を併せ祀っている
(社前案内板より)
義士宝物殿社殿左にあります。
采配、呼子鳥笛等討入りの遺品を展示、湊川神社の宝物館として大正の初め建設されたもの、戦後当地に移築されています。
大石邸庭園神門(義芳門)を入ってすぐ右手にあります。
内蔵助一家が戯れ遊んだ池泉観賞式 回遊式の江戸初期の古庭園です。内蔵助手植え松、遺愛の枝垂桜、ゆかりの牡丹など大石邸庭園七景が楽しめます。
大石稲荷神社大石邸庭園にあります。
元禄7年大石内蔵助が主君長矩に従い備中松山城請取りに際し、その大任を祈願するため笠間より勧請したものです。
大石邸長屋門
主君の刃傷、切腹を知らせる早かごの到着した正門・長屋門です。中に早かごが復元されて展示されています。その他、大石家の日常が再現されて当時の生活が偲ばれます。
赤穂城跡公園赤穂城・本丸門
赤穂城は浅野家初代藩主浅野内匠頭長直(刃傷をした長矩の祖父)が13ヶ年の歳月を費やして寛文元年(1661)に竣工しました。
公園内の赤穂城の本丸・御殿跡には本の丸御殿の基礎が復元されていて、当時の御殿の間取りなどの案内板が随所に設置されています。赤穂城跡公園は日本の歴史公園100選に選定されています。
人形供養祭
参道右駐車場では丁度人形供養祭が行われていました。境内社の淡島神社の祭礼と思われます、およそ一万体の雛人形、さつき人形などが供養されたとのことです。
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