
亀山神社(広島県呉市)をフォトギャラリー(山口、本州)に掲載しました。
当社は、かつて軍港都市として栄え、戦艦大和を建造した造船所のある呉市の呉湾を一望に見晴らすJR呉駅から東に2kmほどの高台に鎮座されています。

主祭神
帯中津日子命 タラシナカツヒコノミコト (十四代仲哀天皇)
息長帯日売命 オキナガタラヒメノミコト (神功皇后)
品陀和気命 ホンダワケノミコト (十五代応神天皇)
創建
時代は不詳、天武天皇御宇(六七二-八六)白鳳八年、豊後国姫島より安芸国安芸郡栃原村甲手山に天降り、
さらに呉宮原村字亀山(現在の入船山記念館の所)の地への御鎮座は文武天皇大宝三年(703)八月中旬と伝えられている。
当社は宇佐神宮、国東半島沖の姫島を結んだ延長線上にあります。
社号の変遷
大屋津日売神社:大屋津日売とは、家屋・木の神の名で、この地域の中心産業が
木に関わる産業であった事の表れと言えよう。
鈴音宮 :参拝者や神楽の鈴の音が絶えないお宮、の意
日売島神社 :大分県姫島の神が天武天皇白鳳八年(679)栃原村甲手山に
天降り給ひ、後、亀山にご遷座との古伝あり。
大帯日売神社 :大帯日売は神功皇后の別名
八幡宮 :9世紀以降か?
皇城宮 :寛政11年(799)に奉献、現存の燈篭にこの社号が残る。
亀山神社 :明治維新以降、呉鎮守府設置の折、入船山より明治二三年五月現在地に移転。
昭和16年10月 :村社より県社に昇格。
昭和20年7月2日 :早暁戦災により焼失。
昭和30年㋄12日 :再建。
昭和32年 :別表神社として登載される。
三間社流造、銅板葺の本殿
本殿(流造)・幣殿(両下造)・拝殿(入母屋造) が一体となった権現造りの社殿
今は海上自衛隊潜水艦基地になっている呉軍港
当社は、かつて軍港都市として栄え、戦艦大和を建造した造船所のある呉市の呉湾を一望に見晴らすJR呉駅から東に2kmほどの高台に鎮座されています。


主祭神
帯中津日子命 タラシナカツヒコノミコト (十四代仲哀天皇)
息長帯日売命 オキナガタラヒメノミコト (神功皇后)
品陀和気命 ホンダワケノミコト (十五代応神天皇)
創建
時代は不詳、天武天皇御宇(六七二-八六)白鳳八年、豊後国姫島より安芸国安芸郡栃原村甲手山に天降り、
さらに呉宮原村字亀山(現在の入船山記念館の所)の地への御鎮座は文武天皇大宝三年(703)八月中旬と伝えられている。
当社は宇佐神宮、国東半島沖の姫島を結んだ延長線上にあります。
社号の変遷
大屋津日売神社:大屋津日売とは、家屋・木の神の名で、この地域の中心産業が
木に関わる産業であった事の表れと言えよう。
鈴音宮 :参拝者や神楽の鈴の音が絶えないお宮、の意
日売島神社 :大分県姫島の神が天武天皇白鳳八年(679)栃原村甲手山に
天降り給ひ、後、亀山にご遷座との古伝あり。
大帯日売神社 :大帯日売は神功皇后の別名
八幡宮 :9世紀以降か?
皇城宮 :寛政11年(799)に奉献、現存の燈篭にこの社号が残る。
亀山神社 :明治維新以降、呉鎮守府設置の折、入船山より明治二三年五月現在地に移転。
昭和16年10月 :村社より県社に昇格。
昭和20年7月2日 :早暁戦災により焼失。
昭和30年㋄12日 :再建。
昭和32年 :別表神社として登載される。

本殿(流造)・幣殿(両下造)・拝殿(入母屋造) が一体となった権現造りの社殿

今は海上自衛隊潜水艦基地になっている呉軍港

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