箱根神社(神奈川県箱根町)を掲載しました。
箱根神社(はこねじんじゃ)
<通称>箱根の権現さま(はこねのごんげんさま)
【鎮座地】〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1 旧相模国 足柄下郡
【御祭神】箱根大神 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 木花咲耶姫命
【例祭】 1月5日 芦ノ湖清祓式 8月1日 例大祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
【御由緒】
御祭神
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
箱根大神 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
例大祭 八月一日 湖水祭 7月三十一日
由緒
箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(二四〇〇有余年前)聖占仙人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良朝の初期(約一二〇〇年前)、萬巻上人は、ご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、佛教、とりわけ修験道と習合しました。平安朝初期、箱根路が開通しますと、往来の旅人は当社に道中安全を祈りました。
鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、ニ所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。
近世、官道としての箱根道が整備され、箱根宿や関所が設けられますと、東西交通の要(交通安全祈願所)として当神社の崇敬は益々盛んになり、庶民信仰の聖地へと変貌しました。
こうして天下の険箱根山を駕籠で往来する時代から、やがて自動車に変る近代日本へと移行しますが、その明治の初年には、神仏分離により関東総鎮守箱根権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治六年明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ大正・昭和の現代に至るまで、各皇族方の御参拝は相次いで行われました。
最近では、昭和五十五年、昭和天皇・皇太后両陛下の御親拝に続いて、翌五十六年、皇太子浩宮殿下も御参拝になりました。また、民間でも吉田茂元首相はじめ政財界人の参拝や年間二千万人を越える内外の観光客を迎えて、ご社頭は増々殷賑を加えているのも、箱根大神の御神威によるものであります。
(神社パンフレットより)
全国でも有数の観光地、神奈川県箱根にあります。駒ケ岳の南麓、芦ノ湖東の湖畔に鎮座しています。
矢立の杉境内入口に聳えています。
平安時代、征夷大将軍坂上田村麻呂、また陸奥守源頼義が出征に際して表矢を献納したと伝えられています。樹高35m、胸高周囲6m、樹齢約1200年(伝承)です。
参道
鳥居をくぐると90段の石段の参道です、両側に杉など巨木が茂っています。
曽我神社石段の中ほど左にあります。
荒木又右衛門、赤穂浪士とともに日本三大仇討ちの一つとして有名な曽我兄弟をお祀りする社です。
曽我神社の由来
一、御祭神 曽我十郎祐成之命
曽我五朗時致之命
一、例祭日 五月二十八日
一、由緒
曽我神社は元来箱根権現の稚児であった曽我五郎の霊を慰めるため「勝名荒神」として祭祀されたのが、その後箱根権現に心眼成就を祈念して見事仇討本懐を遂げた曽我兄弟の孝心を称えて、江戸初期の正保四年(一六四七)小田原城主稲葉美濃守正則が当地に石造の社殿を造営し、本社を建立した。
爾来祥月命日の五月二十八日に故実による傘焼の儀などの神事が行われ、今日に至るまで心眼成就の守護神として崇敬されている。
(社前案内板より抜粋)
神門石段を上ると朱の鳥居に続いて神門です。
神門から拝殿神門を入るとすぐに拝殿です。
拝殿
御祭神は、瓊々杵尊・木花咲哉姫命・彦火々出見尊の三柱(総称して箱根大神)本年御鎮座1252年を迎える古社です。
人皇第五代孝昭天皇の御代(2400年余前)、聖占仙人が箱根山の駒ケ岳の主峰神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における修験者たちの一大霊場でした。
奈良朝の初期(約1200年前)萬巻上人は、ご神託によりこの地に里宮を建て、箱根権現と称されるようになりました。明治の神仏分離により箱根神社と改称されました。
九頭龍神社新宮 社殿右にあります。
九頭龍神社の由来
一、御祭神 九頭龍大神
一、例大祭 4月二十九日
一、湖水祭 七月三十一日
一、由緒 湖水祭の由来
当神社は、湖水祭に因んで建立された新宮であります。本宮は芦ノ湖の湖心近く御鎮座されてゐる『九頭龍神社』であります。この地に御分霊を奉遷し、鎮祭されました由縁は、古くから湖水祭・庭上の儀が執り行われてきた祭場でありますから、これを継承発展させるとともに、お詣りしやすいやうにと願ひ、平成庚辰の年を卜して建立されたものであります。
この湖水祭は、奈良時代の天平宝字元年(七五七年)、萬巻上人が湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏し、湖の主・龍神として鎮斎されたのに始まります。爾来、連綿として龍神湖水の祭が継承され、執行されてゐますが、これは、箱根神社創建の由来を物語る大切な祭典(八月一日の例祭)の宵宮祭として行はれてをります。
この祭典はまづ神前に御供と神酒を献じて祝詞を奏し、神楽を舞ひ、祈願をこめたのち、御供を唐櫃に納めて捧持し、行列を整えて湖畔へと向ひます。岸辺で小舟にのりかへ、御供船、楽船、お伴船の順で進発しますが、しかし湖上の大鳥居前から先は、宮司が唯一人ゆく御供船のみが湖心に漕ぎ出してゆき、神秘の神事(御供の献納)を行ふ一社伝来の特殊神事であります。
(社前案内板より抜粋)
神門から参道
神門を出ると鳥居の両脇のシャクナゲが見ごろで綺麗でした。
社殿全景
神門から、拝殿、本殿と続いています。本殿は垣の中で全容は見られません。
神楽殿神門前境内左端にあります。
続いて左奥は社務所になっています。
安産杉神門前境内右端にあります。
子授け・安産祈願の神木、源頼朝の妻北条正子も祈願して頼家・実朝を無事出産しました。
安産杉の由来
この大杉は、古代山岳信仰の名残りをとどめる幸運の栄木です。遠い神代の昔、高天原から光臨された皇孫瓊瓊杵尊が、この地上で初めて出会った容色婉女な木花咲耶姫命(富士山の神様)と結婚して、日継の皇子 彦火火出見尊が誕生されたといふ神話に由来します。
箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしてゐますが、この木は古代祭祀の象徴たる 神籬(栄木)として崇めてきたものです。これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するやうになりました。かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行れるようになったといわれます。
かうしたことから、境内にある矢立の杉や夫婦和合の槇と共に「霊妙な三杉」の一つに数へられてゐますが、今日でも当神社の安産守は霊験灼かだと信仰されてゐます。
(現地案内板より)
参道新緑が大変綺麗でした。秋の紅葉も見たいものです。
北参道入口の鳥居社殿の裏山(北側)からの参道入口の鳥居です。
カーナビがこの鳥居附近で案内を終了してしまい、鳥居をくぐってしばらく参道を進みましたが、鬱蒼とした森で境内らしきは見当たらず、引き返しました。
どうも、このカーナビは裏口が好きなようです。
万巻上人奥津城(墓)北参道入口の鳥居をくぐってすぐにあります。
箱根神社と駒岳・神山を結ぶ直線上に位置します。
平和の鳥居境内入口の鳥居(第四鳥居)を出てまっすぐ進むと芦ノ湖上にあります。
昭和27年建立、昭和39年吉田茂元首相揮毫の「平和」の扁額が掲げられ以来、「平和の鳥居」と呼ばれています。
芦ノ湖観光船乗り場からの景観です。
天気が良ければ写真右上に富士山の雄姿が拝めるようですが、生憎の天気で残念でした。
箱根神社(はこねじんじゃ)
<通称>箱根の権現さま(はこねのごんげんさま)
【鎮座地】〒250-0522 神奈川県足柄下郡箱根町元箱根80-1 旧相模国 足柄下郡
【御祭神】箱根大神 瓊瓊杵尊 彦火火出見尊 木花咲耶姫命
【例祭】 1月5日 芦ノ湖清祓式 8月1日 例大祭
【旧社格等】国幣小社(現別表神社)
【御由緒】
御祭神
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)
箱根大神 彦火火出見尊(ひこほほでみのみこと)
木花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)
例大祭 八月一日 湖水祭 7月三十一日
由緒
箱根神社は、古来、関東総鎮守箱根大権現と尊崇されてきた名社で、交通安全・心願成就・開運厄除に御神徳の高い運開きの神様として信仰されています。
当社は、人皇第五代孝昭天皇の御代(二四〇〇有余年前)聖占仙人が箱根山の駒ケ岳より、同主峰の神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における山岳信仰の一大霊場となりました。
奈良朝の初期(約一二〇〇年前)、萬巻上人は、ご神託により現在の地に里宮を建て、箱根三所権現と称え奉り、佛教、とりわけ修験道と習合しました。平安朝初期、箱根路が開通しますと、往来の旅人は当社に道中安全を祈りました。
鎌倉期、源頼朝は深く当社を信仰し、ニ所詣(当社と伊豆山権現参詣)の風儀を生み、執権北条氏や戦国武将の徳川家康等、武家による崇敬の篤いお社として栄えました。
近世、官道としての箱根道が整備され、箱根宿や関所が設けられますと、東西交通の要(交通安全祈願所)として当神社の崇敬は益々盛んになり、庶民信仰の聖地へと変貌しました。
こうして天下の険箱根山を駕籠で往来する時代から、やがて自動車に変る近代日本へと移行しますが、その明治の初年には、神仏分離により関東総鎮守箱根権現は、箱根神社と改称されました。爾来、明治六年明治天皇・昭憲皇太后両陛下の御参拝をはじめ大正・昭和の現代に至るまで、各皇族方の御参拝は相次いで行われました。
最近では、昭和五十五年、昭和天皇・皇太后両陛下の御親拝に続いて、翌五十六年、皇太子浩宮殿下も御参拝になりました。また、民間でも吉田茂元首相はじめ政財界人の参拝や年間二千万人を越える内外の観光客を迎えて、ご社頭は増々殷賑を加えているのも、箱根大神の御神威によるものであります。
(神社パンフレットより)
全国でも有数の観光地、神奈川県箱根にあります。駒ケ岳の南麓、芦ノ湖東の湖畔に鎮座しています。
矢立の杉境内入口に聳えています。
平安時代、征夷大将軍坂上田村麻呂、また陸奥守源頼義が出征に際して表矢を献納したと伝えられています。樹高35m、胸高周囲6m、樹齢約1200年(伝承)です。
参道
鳥居をくぐると90段の石段の参道です、両側に杉など巨木が茂っています。
曽我神社石段の中ほど左にあります。
荒木又右衛門、赤穂浪士とともに日本三大仇討ちの一つとして有名な曽我兄弟をお祀りする社です。
曽我神社の由来
一、御祭神 曽我十郎祐成之命
曽我五朗時致之命
一、例祭日 五月二十八日
一、由緒
曽我神社は元来箱根権現の稚児であった曽我五郎の霊を慰めるため「勝名荒神」として祭祀されたのが、その後箱根権現に心眼成就を祈念して見事仇討本懐を遂げた曽我兄弟の孝心を称えて、江戸初期の正保四年(一六四七)小田原城主稲葉美濃守正則が当地に石造の社殿を造営し、本社を建立した。
爾来祥月命日の五月二十八日に故実による傘焼の儀などの神事が行われ、今日に至るまで心眼成就の守護神として崇敬されている。
(社前案内板より抜粋)
神門石段を上ると朱の鳥居に続いて神門です。
神門から拝殿神門を入るとすぐに拝殿です。
拝殿
御祭神は、瓊々杵尊・木花咲哉姫命・彦火々出見尊の三柱(総称して箱根大神)本年御鎮座1252年を迎える古社です。
人皇第五代孝昭天皇の御代(2400年余前)、聖占仙人が箱根山の駒ケ岳の主峰神山を神体山としてお祀りされて以来、関東における修験者たちの一大霊場でした。
奈良朝の初期(約1200年前)萬巻上人は、ご神託によりこの地に里宮を建て、箱根権現と称されるようになりました。明治の神仏分離により箱根神社と改称されました。
九頭龍神社新宮 社殿右にあります。
九頭龍神社の由来
一、御祭神 九頭龍大神
一、例大祭 4月二十九日
一、湖水祭 七月三十一日
一、由緒 湖水祭の由来
当神社は、湖水祭に因んで建立された新宮であります。本宮は芦ノ湖の湖心近く御鎮座されてゐる『九頭龍神社』であります。この地に御分霊を奉遷し、鎮祭されました由縁は、古くから湖水祭・庭上の儀が執り行われてきた祭場でありますから、これを継承発展させるとともに、お詣りしやすいやうにと願ひ、平成庚辰の年を卜して建立されたものであります。
この湖水祭は、奈良時代の天平宝字元年(七五七年)、萬巻上人が湖に棲む『九頭の毒龍』を調伏し、湖の主・龍神として鎮斎されたのに始まります。爾来、連綿として龍神湖水の祭が継承され、執行されてゐますが、これは、箱根神社創建の由来を物語る大切な祭典(八月一日の例祭)の宵宮祭として行はれてをります。
この祭典はまづ神前に御供と神酒を献じて祝詞を奏し、神楽を舞ひ、祈願をこめたのち、御供を唐櫃に納めて捧持し、行列を整えて湖畔へと向ひます。岸辺で小舟にのりかへ、御供船、楽船、お伴船の順で進発しますが、しかし湖上の大鳥居前から先は、宮司が唯一人ゆく御供船のみが湖心に漕ぎ出してゆき、神秘の神事(御供の献納)を行ふ一社伝来の特殊神事であります。
(社前案内板より抜粋)
神門から参道
神門を出ると鳥居の両脇のシャクナゲが見ごろで綺麗でした。
社殿全景
神門から、拝殿、本殿と続いています。本殿は垣の中で全容は見られません。
神楽殿神門前境内左端にあります。
続いて左奥は社務所になっています。
安産杉神門前境内右端にあります。
子授け・安産祈願の神木、源頼朝の妻北条正子も祈願して頼家・実朝を無事出産しました。
安産杉の由来
この大杉は、古代山岳信仰の名残りをとどめる幸運の栄木です。遠い神代の昔、高天原から光臨された皇孫瓊瓊杵尊が、この地上で初めて出会った容色婉女な木花咲耶姫命(富士山の神様)と結婚して、日継の皇子 彦火火出見尊が誕生されたといふ神話に由来します。
箱根神社はこの皇祖三神をおまつりしてゐますが、この木は古代祭祀の象徴たる 神籬(栄木)として崇めてきたものです。これがいつの頃よりか里人は、この大樹を健全な母胎の象徴とみなし、子孫繁栄を祈る子授け安産の杉と敬仰するやうになりました。かつて鎌倉に幕府を興した源頼朝は、特に当神社を崇敬しましたが、その御台所政子の安産を祈願して實朝(三代将軍)が無事誕生しました。爾来武家庶民の間にもこの風習が広く行れるようになったといわれます。
かうしたことから、境内にある矢立の杉や夫婦和合の槇と共に「霊妙な三杉」の一つに数へられてゐますが、今日でも当神社の安産守は霊験灼かだと信仰されてゐます。
(現地案内板より)
参道新緑が大変綺麗でした。秋の紅葉も見たいものです。
北参道入口の鳥居社殿の裏山(北側)からの参道入口の鳥居です。
カーナビがこの鳥居附近で案内を終了してしまい、鳥居をくぐってしばらく参道を進みましたが、鬱蒼とした森で境内らしきは見当たらず、引き返しました。
どうも、このカーナビは裏口が好きなようです。
万巻上人奥津城(墓)北参道入口の鳥居をくぐってすぐにあります。
箱根神社と駒岳・神山を結ぶ直線上に位置します。
平和の鳥居境内入口の鳥居(第四鳥居)を出てまっすぐ進むと芦ノ湖上にあります。
昭和27年建立、昭和39年吉田茂元首相揮毫の「平和」の扁額が掲げられ以来、「平和の鳥居」と呼ばれています。
芦ノ湖観光船乗り場からの景観です。
天気が良ければ写真右上に富士山の雄姿が拝めるようですが、生憎の天気で残念でした。
次回は、九頭龍神社の本宮に参拝したいのですが、芦ノ湖から舟で渡っていくのと、陸からとではご利益は違うのでしょうか?言い伝えなどあったら教えてください。あと参拝するにあたっての良いとされる事を教えて頂けますか?
ご覧のとおり、拙ブログは個人の参拝記録です。掲載の各神社、関連団体等一切関係ありません。
お尋ねの件、各神社にお問い合わせください。