鷲原八幡宮(島根県津和野町)を掲載しました。
鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)
【鎮座地】〒699-5613 島根県鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 旧石見国 鹿足郡
【御祭神】譽田別尊 息長足姫尊 玉依姫命
(配祀)天於受女命 大山祇命 宇迦能魂命 菅原道眞 佐陀比古命
大己貴命 水波乃女命 新田義興 國常立命 加具土命 素盞嗚命
蛭子命 吉見頼行
【例祭】4月13日 春季大祭 4月第2日曜日 春季大祭 11月20日前の日曜日 秋季大祭
【旧社格等】村社(楼門内由緒掲示板に明治6年村社とあります。社域、社殿の規模から疑問です。)
【御由緒】
鷲原八幡宮略由緒
祭神 主神合神左記の通りであります
主神 譽田別命 玉依姫命 息長足姫命
合神 国常立命 素盞嗚命 天於受女神 水波女命 事大主命 佐陀比古神
大国主命 迦具土命 宇迦能魂命 小彦名命 大山祇命 菅原道真公
蛭子神 新田義興公 吉見頼行公
此のお宮の起元は約一千年の昔、天暦年間に郷士山根六左衛門と云う人が 宇佐八幡宮を勧請した時にはじまります。
更に弘安五年の秋、中国西藩の旗頭を拝命して能登の国から西下し 石見国木部木曽野(今の津和野町木部)に仮の居を定めた吉見三河守頼行公が鶴ケ岡八幡宮を勧請せられました。
社殿が木曽野から此の地に移されて改築せられたのは三本松城(津和野城の事)が完成した 嘉慶元年(一三八七年)吉見頼直公(頼行公の嫡子)の時代であります。
この広大な流鏑馬の馬場は当時鶴ケ岡のそれに模して構築せられたものです。
爾来三本松城の守護神として吉見、坂崎、亀井歴代領主の崇敬厚く、亀井氏の時代には藩中の三大社と稱されされる神社の中の最高位に置かれておりました。
他の二社は祇園社(今の弥栄神社)と武霊社(今の津和野神社)であります。
流鏑馬の馬場は日本で唯一つ原形を留めて居る貴重な文化財であります。又日本で初めて公園と云う名詞が用いられたのは此の鷲原公園で 天保三年に奉納された額に書いてあります。
社宝は数多く所蔵されてあります。社殿の石彫唐獅子は藩の彫刻家大島松渓の名作、本殿の左平地には藩の画家三浦紫畹の梅の画碑があり、その上の丘には樹齢一千年を越える大杉(周囲八、七米)が天高くそびえております。
(境内由緒掲示板より)
山陰の小京都、津和野にあります。中心部の津和野町役場から津和野川沿いに県道13号線を西に2Km鷲原地区に鎮座。県道沿いに流鏑馬馬場があり、この馬場の西端に参道が北に向かって続いています。社前の津和野川を渡ると道の駅「津和野温泉なごみの里」があり、流鏑馬神事当日(4/13)はここに駐車するようにとの案内がありました。
参道の鳥居朱塗りの両部鳥居です。
鳥居をくぐると左に手水舎、右に社務所がありましたが、開いてなくご朱印は遠慮しました。
楼門珍しい茅葺の原型を保っています。
楼門の扁額
茅葺の楼門屋根桜が茅葺の屋根に似合います。
楼門から拝殿
拝殿には太鼓橋で接続されています、一般の参拝は楼門内で行います。
拝殿から本殿
楼門から拝殿、幣殿、本殿は直線状に地形を活かした階段に配置されています。朱塗りの社殿は県指定文化財です。
本殿創始は天暦年間(947~956)に郷士山根六左衛門と云う人が 宇佐八幡宮を勧請した時にはじまります。
現在の社殿は永禄11年(1568)吉見氏11代正頼の時代に改築され、その後幾度か修築を経て今日に至っています。
社殿全景
境内はゆったりと広く、楼門から本殿まで地形を活かしたレイアウトになっています。
楼門から参道
流鏑馬馬場
島根県指定文化財
鷲原八幡宮流鏑馬(やぶさめ)馬場
この流鏑馬馬場は、永禄11年(1566)吉見氏により鶴ケ丘八幡宮が勧請された際に、その馬場に倣ったものといわれている。
馬場は、参道に対して直角に交わり、南北の長さ138間(約251m)、中央部の幅15間(約27.3m)の長方形となっている。東部外側一帯緩斜面となっており、ここに藩主はじめ藩士が臨席した。
南西北の三方には高さ数尺の堤で囲まれており、さらに長方形内に南北に走る一条の中堤があり、長円形状の舗道を形作っている。
中堤には、東に面して設けられた三ヶ所の的場がある。的場は舗道より1尺5寸(約0.45m)余りの高さがあり、それぞれ底辺20尺(6m)から40尺(12.1m)の幅で弧線を描き窪形に作られ背面は堤より4尺(1.2m)程の高さがある。
この流鏑馬馬場は、鶴ケ丘八幡宮の馬場に倣ったものと伝えながら、地形の制約を受けて八幡宮に対し横馬場となっていることが特徴である。また、現在みる史跡は、県道開設の折、西側堤が若干切り崩されてはいるものの、そのほかは当時の遺構をそのまま残している、日本でも唯一のものである。
例年、4月の第2日曜日にはこの馬場において、流鏑馬神事(津和野町指定無形民族文化財)が行われる。
島根県教育委員会
津和野町教育委員会
(馬場入り口案内板より)
今年の流鏑馬神事は4/13(日)に行われましたが、天気予報で当日は雨でしたので練習風景を期待して前日に参拝しました。
期待通り練習風景に出会えました。
木馬にまたがり練習です
続いて馬場を歩行から早足、全速など数周馴らし走行をしていよいよ弓を引く練習が始まりました。
みごと第一の的に命中です
こちらは第二の的です
外人さんや女性の射手の方も
鷲原八幡宮(わしはらはちまんぐう)
【鎮座地】〒699-5613 島根県鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 旧石見国 鹿足郡
【御祭神】譽田別尊 息長足姫尊 玉依姫命
(配祀)天於受女命 大山祇命 宇迦能魂命 菅原道眞 佐陀比古命
大己貴命 水波乃女命 新田義興 國常立命 加具土命 素盞嗚命
蛭子命 吉見頼行
【例祭】4月13日 春季大祭 4月第2日曜日 春季大祭 11月20日前の日曜日 秋季大祭
【旧社格等】村社(楼門内由緒掲示板に明治6年村社とあります。社域、社殿の規模から疑問です。)
【御由緒】
鷲原八幡宮略由緒
祭神 主神合神左記の通りであります
主神 譽田別命 玉依姫命 息長足姫命
合神 国常立命 素盞嗚命 天於受女神 水波女命 事大主命 佐陀比古神
大国主命 迦具土命 宇迦能魂命 小彦名命 大山祇命 菅原道真公
蛭子神 新田義興公 吉見頼行公
此のお宮の起元は約一千年の昔、天暦年間に郷士山根六左衛門と云う人が 宇佐八幡宮を勧請した時にはじまります。
更に弘安五年の秋、中国西藩の旗頭を拝命して能登の国から西下し 石見国木部木曽野(今の津和野町木部)に仮の居を定めた吉見三河守頼行公が鶴ケ岡八幡宮を勧請せられました。
社殿が木曽野から此の地に移されて改築せられたのは三本松城(津和野城の事)が完成した 嘉慶元年(一三八七年)吉見頼直公(頼行公の嫡子)の時代であります。
この広大な流鏑馬の馬場は当時鶴ケ岡のそれに模して構築せられたものです。
爾来三本松城の守護神として吉見、坂崎、亀井歴代領主の崇敬厚く、亀井氏の時代には藩中の三大社と稱されされる神社の中の最高位に置かれておりました。
他の二社は祇園社(今の弥栄神社)と武霊社(今の津和野神社)であります。
流鏑馬の馬場は日本で唯一つ原形を留めて居る貴重な文化財であります。又日本で初めて公園と云う名詞が用いられたのは此の鷲原公園で 天保三年に奉納された額に書いてあります。
社宝は数多く所蔵されてあります。社殿の石彫唐獅子は藩の彫刻家大島松渓の名作、本殿の左平地には藩の画家三浦紫畹の梅の画碑があり、その上の丘には樹齢一千年を越える大杉(周囲八、七米)が天高くそびえております。
(境内由緒掲示板より)
山陰の小京都、津和野にあります。中心部の津和野町役場から津和野川沿いに県道13号線を西に2Km鷲原地区に鎮座。県道沿いに流鏑馬馬場があり、この馬場の西端に参道が北に向かって続いています。社前の津和野川を渡ると道の駅「津和野温泉なごみの里」があり、流鏑馬神事当日(4/13)はここに駐車するようにとの案内がありました。
参道の鳥居朱塗りの両部鳥居です。
鳥居をくぐると左に手水舎、右に社務所がありましたが、開いてなくご朱印は遠慮しました。
楼門珍しい茅葺の原型を保っています。
楼門の扁額
茅葺の楼門屋根桜が茅葺の屋根に似合います。
楼門から拝殿
拝殿には太鼓橋で接続されています、一般の参拝は楼門内で行います。
拝殿から本殿
楼門から拝殿、幣殿、本殿は直線状に地形を活かした階段に配置されています。朱塗りの社殿は県指定文化財です。
本殿創始は天暦年間(947~956)に郷士山根六左衛門と云う人が 宇佐八幡宮を勧請した時にはじまります。
現在の社殿は永禄11年(1568)吉見氏11代正頼の時代に改築され、その後幾度か修築を経て今日に至っています。
社殿全景
境内はゆったりと広く、楼門から本殿まで地形を活かしたレイアウトになっています。
楼門から参道
流鏑馬馬場
島根県指定文化財
鷲原八幡宮流鏑馬(やぶさめ)馬場
この流鏑馬馬場は、永禄11年(1566)吉見氏により鶴ケ丘八幡宮が勧請された際に、その馬場に倣ったものといわれている。
馬場は、参道に対して直角に交わり、南北の長さ138間(約251m)、中央部の幅15間(約27.3m)の長方形となっている。東部外側一帯緩斜面となっており、ここに藩主はじめ藩士が臨席した。
南西北の三方には高さ数尺の堤で囲まれており、さらに長方形内に南北に走る一条の中堤があり、長円形状の舗道を形作っている。
中堤には、東に面して設けられた三ヶ所の的場がある。的場は舗道より1尺5寸(約0.45m)余りの高さがあり、それぞれ底辺20尺(6m)から40尺(12.1m)の幅で弧線を描き窪形に作られ背面は堤より4尺(1.2m)程の高さがある。
この流鏑馬馬場は、鶴ケ丘八幡宮の馬場に倣ったものと伝えながら、地形の制約を受けて八幡宮に対し横馬場となっていることが特徴である。また、現在みる史跡は、県道開設の折、西側堤が若干切り崩されてはいるものの、そのほかは当時の遺構をそのまま残している、日本でも唯一のものである。
例年、4月の第2日曜日にはこの馬場において、流鏑馬神事(津和野町指定無形民族文化財)が行われる。
島根県教育委員会
津和野町教育委員会
(馬場入り口案内板より)
今年の流鏑馬神事は4/13(日)に行われましたが、天気予報で当日は雨でしたので練習風景を期待して前日に参拝しました。
期待通り練習風景に出会えました。
木馬にまたがり練習です
続いて馬場を歩行から早足、全速など数周馴らし走行をしていよいよ弓を引く練習が始まりました。
みごと第一の的に命中です
こちらは第二の的です
外人さんや女性の射手の方も
射手の表情アップが見たかった感じです。