九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

来宮神社(静岡県熱海市)

2009-08-23 18:41:13 | 神社参拝ー中部
 来宮神社(静岡県熱海市)を掲載しました。

 来宮神社(きのみやじんじゃ)
<通称>来宮明神(きのみやみょうじん)
【鎮座地】〒413-0034 静岡県熱海市西山町43-1 旧伊豆国 賀茂郡
【御祭神】大己貴命 五十猛命 日本武命
【例祭】 月17日 祈年祭 7月14日 例大祭 7月15日 例大祭 7月16日 例大祭 11月23日 新穀感謝祭
【旧社格等】村社(現別表神社)
【御由緒】
来宮神社由緒沿革
祭神
 大己貴命(おゝなもちのみこと) 
 五十猛命(いたけるのみこと)  
 日本武命(やまとたけるのみこと)
由緒 沿革
 来宮神社は太古 大己貴命(別名大國主命)が海上遥か西方より諸神を率いて海を渡り伊豆の國の此の地に着かれるや気候温暖にして温泉湧出し 更に海山の幸にも恵まれているので此処に居を定められ当神社が其の跡地と伝えられている 当社及附近からは古代の土器が多数出土する
 人皇第十二代景行天皇の御代に御東征になられた日本武尊をおまつりし 第四十三代元明天皇の御世 和銅三年(約千二百有余年以前)に五十猛命をおまつりした 現代になってからは畏くも大正二年二月に 今上天皇には皇太子殿下の御時 御参拝に相成り幣帛料を御下賜下され 尚三笠宮 久迩宮 両殿下より金一封を賜り更に 三笠宮寛仁親王殿下には御榊を植樹
 伊勢神宮祭主北白川房子様より 来宮神社神額を御染筆くだされ畏き極みである
神徳
 伊豆の國には古代から来宮信仰が拡まっていたが 当社はその中でも最も著名にして諸願成就の神として広く神徳を慕われている 即ち御祭神の御事蹟にあやかり 殖産興業 温泉守護 縁結び 禁酒 交通安全 等を祈念する人々にて踵を絶たない
 はるはると尋ねて此こに来の宮の神さみしくも幾代へぬらん 
                        織田従四位侍従
 来宮は樹齢二千年の樟のもとに御國の栄へ永久に守らん
                        佐佐木信綱
大樟の由来
 此の大樟は 来ノ宮大神の寄代とされた御神木であって樹齢二千年を数え之を一周すると一年寿命が延びると伝えられている
 大正八年に文部省から國の天然記念物に指定された
  奉納 御鳳輦昭和亥子会 昭和五十二年七月吉日
    (拝殿左前石碑より)

 静岡県熱海市にあります。JR熱海駅から西に1.5km、JR伊東線、来宮駅から北に50mほどの西山町の鬱蒼とした鎮守の杜に鎮座しています。
 境内入口の鳥居の右に「楠坂」の石碑がありましたので、この坂は「楠坂」と呼ばれているようです。

 鳥居をくぐってすぐ、参道の左に注連縄の巻かれた大きな石(岩坐?)があります。なにかいわれがあるかと思いますが、由緒等不明です。

 境内社・来宮総社稲荷神社参道左、手水舎の隣にあります。

 第二大楠」と三峯神社参道右にあります。
手前の境内社・三峯神社(本家?と同様に社前に狛狼があります)に続いて「第二大楠」です。

 「第二大楠」 
 最初、これが天然記念物の大楠かと思いましたが、こちらは幹周945cm 樹高11m 樹齢300年以上の「第二大楠」です。
 幹は空洞になっていて、小祠が祀られています。

 忠魂碑参道右、「第二大楠」に続いてあります。希典書と読めます。

 境内社・来宮弁才天拝殿の右、巨岩の上にあります。

  拝殿 
 参道を進み、階段を上ると左に茶店(おやすみ処)から社務所、右は斎館、正面一段上に巨木に囲まれた社殿です。
 旧社格は村社ですが、社殿は荘厳で境内も広く何か不思議な感じです。

   拝殿の扁額
 神宮祭主 北白川房子謹書とありますので戦後のものと思われます。北白川房子様は明治天皇の第七皇女で北白川宮成久王の妃です。

 社殿全景と本殿 
和銅3年(710年)熱海沖で神像が網にかかり、麦こがしを供えたところ神託があり、当地に奉祀したのが創始と伝えられています。
 御祭神は大己貴命、五十猛命、日本武尊の三柱、伊豆地方に伝わる木ノ宮信仰の中心として全国44社のキノミヤ神社の総社とされています。

 社殿全景社殿は拝殿から本殿まで連結された権現造りに見えます。

 御神木・大楠 
本殿左奥にあります。
樹齢2000年以上、周囲23.9m、樹高約25m、本州一位(全国二位)の巨樹、昭和8年2月28日文部省指定天然記念物です。
 此の大楠は来ノ宮大神の寄代とされた御神木で之を一周すると一年寿命が延びると伝えられています。

  

 『大樟(大楠)』
天然記念物
文部大臣指定
 昭和八年二月二十八日
   樹令  二千年
   周囲  二〇米
   高さ  二〇米
 由緒(いわれ)
大古には我国では現代の様な家屋はなく文字もなく言葉ばかりの時代が長く続いていました。其頃此の社の森には七本の楠や椎の木、細葉の大木、羊朶(しだ)類等が自生していて昼なを暗く大地を覆っていました。ところが今から約百二十余年前の嘉永年間と云ふ年に熱海村に大網(おおあみ)事件と云ふ(流刑者(しまながし)迄出した)全村挙げての大事件が勃発(ぼっぱつ)し其の訴訟費(そしょうひ)など捻(ねん)出するため、五本の大楠は伐(き)られてしまったのです。現在残されている其の中の一本の此の大楠をも伐ろうとして樵夫(きこり)が大鋸(のこぎり)を幹に当てようとしたところ忽然として白髪の老人が現れ両手を拡げて此れを遮(さえ)ぎる様な姿になると忽(たちまち)大鋸は手元から音をたてて二つに折れ同時に白髪の老人の姿は消へてしまつたのです。此れは神のお諭(さとし)であるとして村人等は大楠を伐る事を中止してしまいました。此の木が即ち現在ある御神木であります。此の大楠へ古代には「神の魂(みたま)にお降(さがり)を願ひ」いわゆる神の依代(よりしろ)として此の御神木の中に宿る神の魂(みたま)と人々は対面していたのであります。斯(か)くて二千年の長い間世の天変地異(てんぺんちい)を経て現代に至りました。
 此の大楠を人に例へれば世の中の有らゆるものを知り盡くしてござる大古老(だいころう)とでも申しましようか、然るに二千年を経(へ)ても尚樹勢は少しも衰へず、根は深く大地に食い込み巨岩を抱きかかへ、幹は巌石の様相を呈し内に溢(あふ)るる生気はますます、旺(さかん)にして枝葉は毎日西に東に伸(の)びゆき未来永劫(えいごう)生き拔こうとする生命力の強靱(きょうじん)さには恐ろしきものさへ感じとれます。
 右の様な次第でありますので大楠は「不老長生」「無病息災(むびょうそくさい)」の象徴とされているのです。それ故に二千年の大楠の長寿に肖(あやか)ろうとする願ひからか、此れを一廻りすると「一年寿命が延びる」、又「願ひ事」のある人はそれが必ず叶うと云い伝えられて来ました。
今の世に大楠の様に長命で然(しか)も厳然として物に動ぜず、ひたすら正しく生きる道に徹(てっ)する事が出来たならば何と幸せなことでありましょう。
 世の貴顯紳士を始め国の内外から訪ねて来られる方々は毎日後を絶ちません。
  (現地案内板より)

   参道
 大楠など鬱蒼とした巨樹に覆われ、ほの暗く清清しい雰囲気の参道です。

  参道から新幹線
 当社のすぐ前に東海道新幹線の高架が見えます。写真右は新丹那トンネルから大阪方面、左は東京方面です。
 
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3 コメント

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懐かしいです (うえ)
2009-10-04 14:07:09
この近くの小学校に通ってました。^^
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ご来訪ありがとうございます。 (noyama)
2009-10-05 07:19:49
 うえ 様

貴兄のブログ「熱海散策。(私的熱海観光ガイド)」なかなかバラエティで楽しく、拝見しました。

 >この近くの小学校に通ってました。^^
当社の北に隣接する、熱海一小でしょうか。

 今後とも宜しくお願いいたします。
返信する
いい神社ですね (ネット観光)
2015-04-04 17:37:04
遠くからお邪魔します、いやすばらしい神社ですね、昔から歴史があって今でもこんな感じで奉っているんですね。

すばらしい神社です、本当に
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