九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

金鑚神社(埼玉県神川町)

2009-07-05 20:33:04 | 神社参拝ー関東
 金鑚神社(埼玉県神川町)を掲載しました。

 金鑚神社(かなさなじんじゃ)
<通称>二宮様(にのみやさま)
【鎮座地】〒367-0233 埼玉県児玉郡神川町大字二ノ宮750 旧武蔵国 児玉郡
【御祭神】天照大神 素盞嗚尊 (配祀)日本武尊
【例祭】 4月15日 例祭
【旧社格等】官幣中社 (現別表神社)
      武蔵國二の宮
      式内社 武蔵國兒玉郡 金佐奈神社 名神大
【御由緒】
  金鑚神社(かなさなじんじゃ)
     所在地 児玉郡神川村二の宮
 金鑚神社は、旧官幣中社で、延喜式神名帳にも名を残す古社である。むかしは武蔵国二の宮とも称された。地名の二の宮はこれによっている。
 社伝によれば、日本武尊が東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命より賜った火打石を御霊代として、この地の御室山(御岳山)に奉納し、天照大神と素盞嗚命を祀ったのが始まりとされている。
 鎌倉時代には、武蔵七党の一つ、児玉党の尊信が厚く、近郷二十二カ村の総鎮守として祀られていた。江戸時代には徳川幕府から御朱印三〇石を賜り、別当の一乗院とともに栄えた。
 境内には、国指定重要文化財の多宝塔や、平安時代の後期、源義家が奥州出兵のため戦勝祈願を当社にしたときのものという伝説の遺跡”駒つなぎ石””旗杉””義家橋”などがある。
 なお、この神社にはとくに本殿をおかず、背後の山全体を御神体としている。旧官・国幣社の中で本殿がないのはここのほか、全国でも大神神社(奈良県)と諏訪神社(長野県)だけである。
 昭和五十九年三月  神川町
  (境内案内板より)

 埼玉県の北西部に位置する児玉郡神川町にあります。JR八高線児玉駅の西5Kmの二の宮、国道462号線沿いに一の鳥居です。
 右に「武蔵二之宮 金鑚神社」の社号標、裏に「昭和五十八年十二月吉日 明治神宮 権宮司 副島廣之 謹書」とあります。

 二の鳥居川に沿った新緑の美しい参道を進むと二の鳥居です。
左に折れ川を渡ると「金鑚清流公園」になっていて季節の花々が楽しめるようです。

 多宝塔二の鳥居から直進すると、左に駐車場とトイレ、右手丘の上にあります。国重要文化財、柿(こけら)葺、高さ 13.5mです。
 平成20年11月、屋根の葺替え工事が行われています。

  金鑚神社多宝塔
     所在地 児玉郡神川村二の宮
 金鑚神社の境内にあるこの多宝塔は、三間四面のこけら葺き、宝塔(円筒形の塔身)に腰屋根がつけられた二重の塔婆である。
 天文三年(一五三四)に阿保郷丹荘(あぼごうたんしょう)の豪族である阿保弾正全隆(あぼだんじょうぜんりゅう)が寄進したもので、真柱に「天文三甲午八月晦日、大檀那安保弾正全隆」の墨書銘がある。
 この塔は、建立時代の明確な本県有数の古建築であるとともに、阿保氏に係わる遺構であることも注目される。塔婆建築の少ない埼玉県としては貴重な建造物であり、国指定の重要文化財となっている。
  昭和五十九年三月    神川町
  (参道案内板より)

  参道から境内入口の鳥居
 社務所の前に一対の大きな灯篭、朱の欄干の義家橋を渡ると社殿のある境内入口の鳥居です。義家橋は平安時代後期、奥州「前九年の役」追悼出陣の時、源頼義・義家が戦勝祈願してこの橋を架けたと伝えられています。

  鳥居から境内
 鳥居をくぐってすぐ右に樹齢600年以上・幹周り1.8mの椿古木、左に手水舎、正面突き当りに神楽殿です。

 拝殿神楽殿から右に折れると階段の上に切妻流造の拝殿です。
賽銭箱に本年1月15日の御筒粥神事の結果?が掲示してありました。
  
 日本武尊東征の帰途、伊勢神宮で伯母の倭姫命から賜った火鑚金(火打石)を御霊代として、御室ヶ嶽に天照大神と素盞嗚命を祀ったのが創祀と伝えられています。

 拝殿から祝詞舎中門と瑞垣 
 瑞垣内に本殿はありません。背後の山全体を御神体とする古代神道の名残を留める、奈良の大神神社、長野の諏訪大社同様、本殿を持たない神社です。
 御祭神・日本武尊は欽明天皇2年(540年)配祀されています。
旧官幣中社で、武蔵国二の宮と称されました。地名の二の宮はこれによっています。

 境内左、御嶽山登山道入口に、芭蕉の句碑と鏡岩・句碑の丘の石碑があります。

  境内社境内左奥にあります。
左右の2社一体の社に挟まれる形で長屋形式の社(15社?)です。

 日本武尊の石像
御嶽山登山道を進むと、鏡岩方面と蓮池方面への分岐点にあります。可愛い日本武尊です。

  御嶽山登山道
 鏡岩への登山道は綺麗に整備された階段が続きます、右手は句碑の丘と称し、多くの句碑が並んでいます。

 道祖神登山道の左側には多くの仲良く睦ましいカップルの道祖神が奉納されています。

 鏡岩境内からおよそ400m上った処にあります。

  御嶽の鏡岩
   昭和三十一年七月十九日 国指定特別天然記念物
 御嶽の鏡岩は、約一億年前に関東平野と関東山地の境にある八王子構造線ができた時の岩断層活動のすべり面である。岩面の大きさは、高さ約四メートル、幅約九メートルと大きく、北向きで約三十度の傾斜をなしている。岩質は赤鉄石英片岩で、赤褐色に光る岩面は、強い摩擦力により磨かれて光沢を帯び、表面には岩がずれた方向に生じるさく痕がみられる。岩面の大きさや、断層の方向がわかることか
ら地質学的に貴重な露頭となっている。
 鏡岩は古くから人々に知られていたようであり、江戸時代に記された『遊歴雑記』には、鏡岩に向えば「人影顔面の皺まで明細にうつりて、恰も姿見の明鏡にむかふがごとし」とあり、『甲子夜話』にも同様の記述がある。また、鏡岩がある御嶽山の一帯は、中世の山城である御嶽城跡が所在することでも知られているが、鏡岩が敵の目標となることから、城の防備のため松明でいぶしたので赤褐色になった
という伝説や、高崎城(群馬県)が落城した時には火災の炎が映ったとも伝えられている。このように鏡のように物の姿を映すということから、鏡岩といわれるようになった。
 平成九年三月 神川町教育委員会
 (現地案内板より)

 石仏群鏡岩からさらに階段を150m上った広場にあります。
 江戸時代に巡礼されました。およそ100体あるとのこと。

 奥宮石仏群から狭い急な岩場を上ると360度見渡せる展望台です。
 この中央に当社奥宮の石祠です。到着した時に先客が一人、数人で一杯になるくらいの狭い岩場です、挨拶もそこそこに下山されました。

御嶽山展望台からの景観秩父方面の展望です。
 外輪山のように標高千数百mの山々が連なるのが見られます。
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