九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

彌彦神社(新潟県弥彦村)

2010-06-18 13:15:11 | 神社参拝ー中部
 彌彦神社(新潟県弥彦村)を掲載しました。

  彌彦神社(やひこじんじゃ)
<通称>おやひこさま(おやひこさま)
【鎮座地】〒959-0323 新潟県西蒲原郡弥彦村大字弥彦2887-2 旧越後国 蒲原郡
【御祭神】天香山命
【例祭】 2月1日 例祭 2月2日 例祭
【旧社格等】国幣中社 (現別表神社)
   越後國一の宮
   式内社 越後國蒲原郡 伊夜比古神社 名神大
【御由緒】
 越後一宮 名神大社 彌彦神社 
  祭神 天香山命(亦の御名 高倉下命 手繰彦命)
 御祭神は天照大御神の御曾孫で天孫御降臨に供奉して降り紀州熊野に住み神武天皇御東迁の時霊剣を奉りて大功をたて、後北辺鎮護国土開発の勅命を奉じて越路に降られ、住民を導き、農耕漁業を始め諸産業を教え、地方文化産業の基を開かれた大祖神である。
 されば夙く衆人その徳を仰いでこの地に社を創建し崇敬の誠を捧げた古社であり、遠く万葉集には彌彦の神をたゝえ、平安期の初め神験の顕著により名神の列に加わり神階を授けられ、延喜式に名神大社と記す、鎌倉幕府三千貫の社領を寄せ、上杉謙信神助を祈り、徳川氏また五百石の朱印地を奉る。
 明治四年国幣中社に列し、皇室を始め衆庶の崇敬極めて篤く明治十一年明治天皇が、昭和四十七年には天皇・皇后両陛下又昭和五十六年皇太子・同妃両殿下が御参拝になる。
 昭和二十二年宗教法人となり神社本庁に属する。

     定
 一、車馬を乗入れる事
 一、木竹を伐る事
 一、魚鳥を捕る事
右條々境内に於いて禁止する。
  (社頭由緒掲示板より)

 新潟県のほぼ中央部の日本海側に位置し、新潟市の南に隣接する弥彦村にあります。日本でも有数の穀倉地帯、越後平野の中央に聳える弥彦山の東麓、JR弥彦駅の北西数百mの鬱蒼とした森に鎮座しています。東に弥彦競輪場が隣接しています。

  一の鳥居から参道
 鳥居をくぐると御手洗川に架かる趣のある白い欄干の石橋を渡ります。さらに鬱蒼とした樹木に覆われた参道が続きます。

  神橋「玉の橋」
 参道の石橋の左奥に室町時代の境内古絵図にも描かれている、神様の渡る橋「玉の橋」があります。手前は川の両岸から階段ががあり名前のとおり御手洗場となっています。

 明治天皇行在所跡参道の途中にあります。
標柱に「明治11年、北陸東海御巡幸の際9月15日、この地にあった祠官五十嵐盛厚宅を行在所とせらる」とあります。

 二の鳥居東参道との交差点を左折すると二の鳥居です。
左に手水舎、右に旧本殿跡から、さらに奥に2mの志田大太刀、大鉄鉢などの国の重要文化財などを収蔵する宝物殿があります。

 御神木・椎の木二の鳥居の右手前、旧本殿跡のそばにあります。

  御神木
 此の椎の木は御祭神が携えられた椎の杖を地中に挿し、「もし此の地が自分の住むべき土地ならば繁茂せよ」と仰せられたところ、やがて芽を出し根を生じて大木となり、天下に異変があれば即ち奇端を現わすと伝えられている。
 明治末年の大火に焼けて太い幹だけが残ったが、たちまち新芽を吹き出して元の姿となった。
  (現地案内板より)

  参道から隋神門
 数段の階段を上り、二の鳥居をくぐると更に鬱蒼とした巨木に覆われた参道の突き当りに隋神門が見えます。
 参道右に神馬舎があります。中には動かない神馬がいました。

 隋神門紀元2600年記念事業として昭和15年建設されたものです。
社殿のある境内は隋神門から回廊に囲まれています。

  隋神門から拝殿
 隋神門を入ると、玉砂利を敷き詰められた広い境内です。正面に弥彦山を背後に荘厳な拝殿です。

 拝殿現在の御社殿は明治45年火災により焼失したため大正5年に造営されたものです。直近では平成の大修営事業として本殿、拝殿等の屋根葺替工事などが行われ、平成13年竣工しています。

 拝殿 
拝殿は入母屋造、向拝、裳階付き銅板葺の風格のある壮麗な造りです。
 写真中央は奥宮・御神廟の鎮座する弥彦山山頂、右に弥彦山ロープウエイの山上駅が見られます。

 本殿本殿は透かし塀の瑞垣の中にあります。
三間社流造拝付、回縁高欄、脇障子を具え、銅板葺き、平成の大修営事業で屋根の葺替も完了して9年目、彫金の金具類も眩く輝いています。

 御祭神天香山命は天照大御神の御曾孫で、高倉下命の別名もあり紀州熊野で霊剣を奉り神武天皇東征に功を立てた後、勅命により越後に赴任し、農業、漁業、製塩などを伝えて越後の基礎を築いたとされています。

 拝殿から隋神門直ぐ隣に授与所があり、ご朱印もここでいただけます。

 隋神門から参道正面に二の鳥居が見られます。

 境内摂末社入口の鳥居隋神門を出て階段を降りると、参道左奥にある、主祭神・天香山命の後嗣の神々などを祀る境内摂末社8社の入口の鳥居です。
 鳥居をくぐると一段高い位置に境内摂末社8社が並んであり、入口に神門があります。

 境内摂社左から武呉神社(第1嗣・天五田根命)、草薙神社(第3嗣・天戸國命)、今山神社(第4嗣・建筒草命)です。

 境内社左から摂社・乙子神社(第6嗣・建諸隅命)、末社・二十二所神社(伊勢大御神 石清水八幡宮 加茂大明神など22社)、末社・八所神社(香取大明神 熱田大明神 香嶋大明神など8社)今山神社と乙子神社の間には摂社・勝神社(第5嗣・建田背命)があります。

 境内末社・十柱神社摂社群の右端にあります。
御祭神は社名のとおり、大穴牟遲命 彌都波能賣神 速秋津日子神 速秋津日女神 阿須波神 波比岐神 大山祇神 大地主神 埴山姫神 草野姫神の10柱の神が合祀されています。

 十柱神社 重要文化財
入母屋造・単層・茅葺
間口二間半・奥行三間
大穴牟遅命の外明治六年信濃川分水工事中止の際同工事のため民部省土木司の石湊に創建せる神社祭神を祀る。
 本社殿は元禄七年長岡藩主牧野氏が和霊のために奉建せるものにて、蟇股虹梁等に桃山時代の手法が見られる。
 (現地案内板より)

 舞殿・楽舎二の鳥居をくぐって参道右にあります。
舞殿と楽舎は渡り廊下で接続されています。国の重要無形民俗文化財に指定されている、大大神楽などが行われます。"

 石油蒸留釜二の鳥居、手水舎の斜め前にあります。

 石油蒸留釜
明治十七年頃、田代虎次郎(新潟出身)により考案された、わが国初の石油精製装置である。
二十石蒸留釜とも称され、原油を締め切った釜に入れ、下から熱し原油から蒸発するガスをパイプで水中を通して冷やし、液体にする簡単なもの。わが国では二基しか現存しない。
 奉納 日本石油加工(株) 柏崎工場
               (平成十三年三月)
 (現地案内板より) 

 大鳥居当社より東に2.5km、弥彦村役場の近く、弥彦山を望む県道29号線にあります。昭和57年、上越新幹線開通を記念して建立されました。高さ30.16m、扁額は畳12枚分の大きさがあります。
 
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