九州神社紀行-ブログ

北九州近郊を中心に神社および周辺風景の撮影日記です。

大鳥大社(大阪府堺市)

2009-09-13 15:24:59 | 神社参拝ー近畿
 大鳥大社(大阪府堺市)を掲載しました。

 大鳥大社(おおとりたいしゃ)
<通称>大鳥さん(おおとりさん)
【鎮座地】〒593-8328 大阪府堺市西区鳳北町1-1-2 旧和泉国 大鳥郡
【御祭神】日本武尊 大鳥連祖神
【例祭】 8月13日 例大祭
【旧社格等】旧官幣大社(現別表神社)
      和泉國一宮
      式内社 和泉國大鳥郡 大鳥神社 名神大 月次新嘗
【御由緒】
  大鳥神社
 祭神は日本武尊と大鳥連祖神の二柱であり、和泉国一の宮にあたる延喜式名神大社であり、同じく式内社の大鳥北浜神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥浜神社と併せて、大鳥五社明神と呼んでいる。
 当社の本殿は、わが国神社建築史上、大社造りにつぐ古い様式で、大鳥造りと呼ばれている妻入り神社建築は、出雲の大社造・大鳥造・住吉造と発展して来たものであるが、当社本殿は明治38年に焼失し、同42年に古式どおり造営されたものである。
 神域は千種森といわれ、樹木が密生し、うっそうとしている。奉祀の時一夜にして種々の樹木がはえたという伝説をもっている。
 当社は文武の神として、古来より武家の信仰が厚く、平清盛・重盛父子も平治元年(1159)熊野参詣の途中当社に参拝し、清盛は「かいこぞよ、帰りはてなば飛びかけり、育み立てよ大鳥の神」と一首よんだ。富岡鉄斎(当社大宮司)の筆になる歌碑が現存している。
   堺市
 (参道案内板より)

 大阪府の中南部に位置する堺市にあります。JR阪和線「鳳駅」の北、およそ500m「千種の森」と呼ばれる鬱蒼とした森に囲まれて鎮座しています。

 解体工事中の社号標
 昭和43年建立の社号標です。参拝時、丁度解体工事中でした、大鳥居の真正面にありましたが現在は右に移設されているようです。

 鳥居から参道
鳥居をくぐると両側に寄進者名の刻まれた石垣と綺麗に整備された石畳の参道が続きます。鳥居のそばの石垣に御大典記念とありますので、平成元年から二年頃整備されたものかと思います。

 御祭神・日本武尊像参道途中で迎えてくれています。

  手水舎とクスノキ
 手水舎の前に平成元年、堺市指定の保存樹のクスノキが聳えています。

 参道から拝殿
左は手水舎、正面に柱が八角に削られた白木の鳥居(八角鳥居)から社殿のある境内です。

 参道の鳥居から拝殿
鳥居をくぐると左に授与所がありご朱印はここでいただけます。

 拝殿 
 御祭神は明治4年(1871年)官社列格の際、大鳥連祖神一柱とされましたが、昭和32年主祭神を日本武尊として二柱に増祀されました。

 日本武尊が東征の帰途、伊勢の熊褒野で薨じた後白鳥と化し、大和国琴引原、河内国古市と巡り最後に此の地に留まられたので社を創建、これが当社の起源と伝えられています。
 御祭神大鳥連祖神は天の岩戸の時、祝詞を唱えた天児屋根命の子孫とされ大鳥氏の祖先神です。

 社殿全景拝殿から神門、本殿と続きます。
当社と同じ式内社の大鳥北浜神社・大鳥美波比神社・大鳥井瀬神社・大鳥浜神社と併せて、大鳥五社明神と呼ばれています。

 
 本殿 
当社の本殿は、神社建築が大社造りから住吉造りに移る過渡期の建築様式で、大鳥造りと呼ばれています。
 現在の本殿は明治38年 に焼失し、同42年(1909年)に古式どおり造営されたものです。
 本殿は神門から高いすかし塀の瑞垣に囲まれて全容は見られません。

 拝殿から参道八角鳥居前で車のお祓いが行われていました。
写真右(西)は一の鳥居、左(東)に行くと摂社・大鳥美波比神社から裏参道です。

 境内摂社・大鳥美波比神社参道突き当りにあります。
御祭神は天照大神、(配祀)菅原道眞、大鳥五社明神の一社です。

  境内社・織姫神社大鳥美波比神社側にあります。
 御祭神は火鎭大神、宗像大神、稻荷大神、織姫大神、扁額にも「火鎭大神 宗像大神 稻荷大神 織姫大神」とあります。

 参道から一の鳥居
参道両側の「千種の森」には奉祀の時一夜にして種々の樹木が繁茂したという伝説があります。
 
コメント    この記事についてブログを書く
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 伊豆山神社(静岡県熱海市) | トップ | 建部大社(滋賀県大津市) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

神社参拝ー近畿」カテゴリの最新記事