兵庫農漁村社会研究所

地域農業の研究、有機農業研究、都市と農村の交流、フォーラムの開催、国際交流など幅広く活動しています。

第97回ビレッジライフ懇話会

2009年06月13日 | お知らせ
村の生活を大切にしなければと考えている人
村の生活を始めたいと思っている人
村の生活のことを知りたい人
そんな人たちの集まり

1.日 時  6月27日(土):午後3時 ~ 5時
2.場 所  居酒屋「ぽんぽこりん」(TEL 078-333-1841)
           神戸市中央区中山手通1-7-19、平安ビル・地下1階
           JR・阪急三宮駅北約5分、北野坂「東京そば・正家」の裏通り
3.話 題  「農村体験交流から見えてきたこと、考えてきたこと」
4.講 師  木村民亮氏と仲間達(神戸シルバー大学院前期1年)
5.司 会 保田 茂氏(本所代表、神戸大学名誉教授)
6.会 費  500円(資料代を含む。但し、午後5時からの懇親会費は別途4千円です)
7.申 込  ファクスまたはメールでお申込下さい。その際、午後3時からの懇話会と午後5時からの懇親会の参加人数を区分してお知らせ下さい


-- ごはんを食べて、みんなの健康・地域の食料を守ろう!--
http://www.gokumi.com  
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兵庫農漁村社会研究所
651-0067 神戸市中央区神若通5-3-20-3F南
保田 茂 Shigeru Yasuda
TEL&FAX 078-241-4822
e-mail: yas_noken21@kcc.zaq.ne.jp
URL: http://blog.goo.ne.jp/nouken21
http://homepage3.nifty.com/hyogo-nougyoson/index.htm
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地産地消の現代的意義

2009年06月08日 | エッセイ
現在10歳の子どもが30歳になる20年後を考えて、現代社会でどのような暮らし方をしていくべきかを考えてみましょう。
 20年後の社会は、65歳以上の人口の割合が32%にもなる「超超高齢社会」を迎えています。生物界ではあり得ない高齢社会を、私たち日本人は世界に先駆けて迎えるわけです。またこれからの日本はマイナス成長で、日本人の平均的な給料は、減っていく時代になることが予想されます。
 食料自給率は、高度経済成長時代以降毎年下げてきました。現在農業を支えている農業者の平均年齢は70歳近いので、今の流れが変わらなければ農業の担い手がほとんどいなくなり、我が国は20年後には食べ物を失う国になる可能性があります。一方世界の人口は、20年後には80億になります。穀物在庫は既に限りなくゼロに近づきつつあり、買い占めが始まる段階に入っています。穀物は値上がりし石油も確実に高くなりますので、今のように世界から簡単に食料を買えない状況が予想されます。
 我が国の自給率が落ちてしまった原因は、日本で作られていない小麦で作られたパンを食べる習慣をつくってしまったからです。これによってアメリカの農村に、小麦が青々と茂り、日本の農村には雑草が茂り若者は寄りつかなくなりました。水田農業は、山や川、水路や井関を管理して水を守らないと維持できません。多くの村人によって水は守られており、農水省が進めるような大規模化による少数のエリート農家だけでは、日本の水・水田農業は守れないのです。私たちは、食べ物を作る人があって都市が成り立っていることを再認識しておく必要があります。
 今地球環境は着々と悪化の一途をたどっています。地球温暖化は着実に進み、20年後平均気温は2土上昇すると言われていますが、こうなるとコシヒカリなどでは花粉が育たなくなり、熱帯で育てている米を持ってこなくてはいけないかもしれません。
 一方食べる側の動きでは、昭和35年当時は、ご飯からとるカロリーは半分を占めていましたが、今は四分の一以下、畜産物・油から取るカロリーがほぼご飯と肩を並べています。三大栄養素の取り方をみると、タンパク質は少し取りすぎ、志望はかなり取りすぎ、たんすいかぶつ派かなり足りない、つまり畜産物・油の食べ過ぎ、ご飯の食べなさすぎの暮らしが日本で一般化しているわけです。肉を食べるということは、蛋白脂肪を取りすぎる暮らしに繋がり、メタボになり心筋梗塞や脳梗塞のような病気を起こしやすくなります。今日本で増えている4大病といわれる、癌、心筋梗塞、、脳梗塞、痴呆、は全て食べ方が原因であると思われます。これによって国民の医療費は33兆円まで増えていますが、医療費がこれ以上増えれば、子どもたちの幸せは決してありえません。医療費をこれ以上増やさない、寝たきりにならないという決意を私たちはすべきでしょう。また、栄養面ではカルシウムや鉄が不足して、子どもたちの骨や歯が弱くなったり、カルシウム不足が子どもたちを緊張させ、様々な事件を起こす原因となって生ます。
このような流れをつくったのは、まぎれもなく私たち自身です。私たちは、こんな暮らしを子どもたちに教え、それが孫の時代まで伝わりました。そして暮らしが、アメリカ農業を活性化させながら兵庫県の農業を台無しにし、そして私たちの健康まで台無しにしています。
 現在10歳の子どもは、20年後給料を減らしながら国内の食べ物を失い、外国の食料は高くて買えない、そして健康を失い、両手に余るお爺さんとお婆さんがいるとすれば、子どもたちはとてつもない苦労を強いられるのではあいでしょうか。
このような中で、子どもたちが幸せに暮らしていくためには、私たちは何を決意し、何を準備していく必要があるのかを考えると、子どもたちの重しにならない、健康であることが一番大切です。そのためにはミネラル豊富な良質かつ安全な食べ物が、地域で作られる社会をしっかりと築くことが大切です。きれいな空気や澄んだ水、魚が住める川や海など、きれいな環境を残しておくことも、健康に生きるうえで大切です。そういう社会を、20年後をめざして今からつくっていくことです。
 以上のことから、いかに地産地消が大切かがわかると思います。さらに、地産地消は、ガソリンをガンガンたいて遠隔地より物を運ぶスタイルを見直すという環境の観点からも重要です。そして、日本の食文化である地場の米、大豆、菜っ葉、海草などによるご飯と味噌汁を基本とした食事を見直すことが私たちの健康にも、地域農業を守るためにも、さらには、20年後の子どもたちの幸せのためにも重要となります。
本日は、生産・消費の立場にある協同組合のリーダーの方が共に集い、お互いを知り、そして現代社会の矛盾を知り、それを克服していく動きをつくろうとしていることは大変意義あることです。是非明日から実践していただきたいと思います。

   ‘09.3.24  兵庫県協同組合連絡協議会主催 2008協同組合研究・交流会での講演

第96回ビレッジライフ懇話会のご案内

2009年05月06日 | お知らせ
村の生活を大切にしなければと考えている人
村で生活を始めたいと思っている人
村の生活のことを知りたい人
そんな人たちの集まり

1.日 時  5月23日(土):午後3時 ~ 5時
2.場 所  居酒屋「ぽんぽこりん」(TEL 078-333-1841)
       神戸市中央区中山手通1-7-19、平安ビル・地下1階
       JR・阪急三宮駅北約5分、北野坂「東京そば・正家」の裏通り
3.話 題  「食の安全行政の現実と課題」   
4.講 師  村上和典氏(兵庫県生活衛生課長)
5.司 会 保田 茂氏(本所代表、神戸大学名誉教授)
6.会 費  500円(資料代を含む。但し、午後5時からの懇親会費は別途4千円です)
7.申 込  ファクスまたはメールでお申込下さい。その際、午後3時からの懇話会と午後5時からの懇親会の参加人数を区分してお知らせ下さい

次回予告  6月27日(土)午後3時、場所も同じ。
      テーマ:「農村・都市交流のあり方を考える」
           -農業体験交流を通してー
      講 師:木村民亮氏と仲間達(神戸シルバー大学院前期1年)
                    

ごはんを食べて、みんなの健康・地域の食料を守ろう!
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兵庫農漁村社会研究所
651-0067 神戸市中央区神若通5-3-20-3F南
保田 茂 Shigeru Yasuda
TEL&FAX 078-241-4822
e-mail: yas_noken21@kcc.zaq.ne.jp

兵庫農漁村社会研究所設立10周年を迎えて 

2009年04月26日 | エッセイ
 神戸大学農学部の定年は63歳である。還暦を目前にすれば、定年後の人生を否が応でも考えざるを得ない。ならば、少しでも元気なうちにライフワークに取りかかった方がいい。
周囲から非科学的と批判されながらも、有機農業を世に広めるべく研究を続けてきた経緯から、定年前の私には、胸に温めてきた三つの夢があった。有機農業研究が立派な科学であることを世に示したい。そのために有機農業学会を設立し、新たな科学運動を展開する。有機農業をもっと広く社会に定着できるようにするため、活動の領域を広げ、時代にあった仕組みを構築する。そして、自前の研究所を設立することであった。いずれ崩壊・縮小することが避けられない工業文明に、翻弄され続ける歴史ある兵庫県の村々を、有機農業を軸とした、言い換えれば良質・安全な食料と美しい環境を鍵とした地域づくりを進めたい。こんな夢である。
さいわいにも、仕事を通じて長くお付き合いを重ねてきた友人・知人達に励まされ、10年前の私の誕生日にあわせ、設立記念会を開催していただいた。まるで昨日のように、その日の感激を思い出す。
この間、皆様のご期待に十分応えられるような活動が出来たかどうか怪しいが、主催行事として、年2回の「地域農政フォーラム」と毎月1回の「ビレッジライフ懇話会」を欠かさず開催してきた。地域農政フォーラムは今夏で16回を迎え、ビレッジライフ懇話会は今秋の9月で100回目を迎えることが出来そうである。
お陰で、今ではある程度、行事の存在が世に知られ、多くのご参加をいただける行事となっているが、活動を始めた頃は、誰も知らない研究所の行事だけに、ほとんど参加者はなく、友人・知人に支えられての活動であった。あらためて、ご支援くださった多くの方々に心から感謝申し上げたいと思う。
地域づくりでは、温泉町(現新温泉町)、豊岡市、大屋町(現養父市)、市島町(現丹波市)、篠山町(現篠山市)、黒田庄町(現西脇市)、神河町、三田市、宝塚市、但馬県民局、西播磨県民局、阪神北県民局、神戸県民局でささやかなお手伝いをさせていただいた。口先だけの参加であって、地域づくりに如何ほどに貢献できたか誠に心もとないが、私には記憶に残るいい勉強をさせていただいた。温かくご指導くださった関係の皆様には深く感謝する次第である
最近は、食育に係る活動が増えている。県教育委員会も極めて積極的であり、食育実践プログラムに沿った食育が県下の小中学校で熱心に進められている。それら食育実践校を要請に応じ、順次訪問を重ねている。また、かまどを持ち込んで子ども達に本物のごはんの味を教えるゴーゴーご組のごはん塾の活動にも参加している。こうした学校・園行事のお手伝いをしていて、食育が地域づくりに如何に大切かを、子ども達の反応を見ながら、あらためて強く感じているところである。
まだまだ、当初に計画した研究所活動が出来ているとは思えないが、何としても兵庫県の村々がかつてのような賑わいを取り戻すことが出来るよう、食と環境を通して人々の暮らしが豊かさをますよう、さらに精進を重ねていきたいと思う。10周年を迎え、これまでお世話になった多くの方々に心から感謝申し上げるとともに、今後とも変わらぬご交誼、ご鞭撻を心からお願い申し上げる次第である。

この10年間、本当に有難うございました。そして、今後とも何卒よろしくお願いいたします。

平成21年4月24日

大切にしたいおにぎり文化

2009年04月26日 | エッセイ
 早いもので、多くの生命が奪われた大地震から、はや、7年が過ぎてしまった。あの時、研究室で徹夜の仕事をし、仮眠をしていた直後のことであった。いまだ経験したこともない巨大な揺れに身体を飛ばされ、勢いあまって机の下に潜り込むことになったが、それがさいわいして、書棚が倒れ、積み重なる狭い部屋の中で九死に一生を得たのであった。
 粉雪の舞う、寒い朝であった。やがて、疲れた身体をひきずるようにして多くの被災者の方々が坂道を上って農学部にこられ、近くの小学校にはもはや入れないので、こちらに避難させてほしいとのこと。大急ぎで会議室の机やいすを整理して解放し、さいわい、電気は早く回復していたので暖房を入れ休んでもらうことにした。
 寒空の下で風邪をひいた高齢者の方も多く、天国に来た思いと喜んでいただいたが、食べ物も飲み水もなく、まさに名ばかりの避難所でしかなかった。夜、おなかが空いたと泣く子供の声もあったがいかんともし難く、ようやく、次の日のお昼過ぎ、対策本部を通して初のおにぎりが届けられた。“1人2個づつですよ”と声をかけ、順番に配給するのであったが、そのおにぎりには梅干しと塩昆布が包んであり、疲れた身体にその塩味はひとしおおいしく感じられるのであった。熱いおにぎりを必死で握ってくださったに違いない各地の善意ある方々に、心から感謝しつつ、みな涙する思いでそのおにぎりを頂戴したのである。
 その時、災害に際して都市はあまりにもろく、瞬時にして多くの人たちが食べ物と飲み水を失い、飢えと渇きを癒すには農村の善意にすがるしかないことを痛感させられるとともに、災害大国日本にあって、おにぎり文化を大切に守っていくことの重要性をいやというほど教えられたのであった。はや喉元過ぎればの感がする昨今であるが、あの日のことを思い返し、世界に誇るおにぎり文化を次世代にしっかりと伝えていきたいものだ。
平成14年2月19日 神戸新聞

いまこそ“ごはん”を見直すとき

2009年04月26日 | エッセイ
最初に、平成18年度・幼児の健康的な生活習慣推進事業(兵庫県阪神南県民局)による、幼児の食生活に関するアンケート調査の結果の一部を紹介してみたい。尼崎市内四か所、西宮市内四か所、芦屋市内二か所、合計十か所の幼稚園並びに保育所に通う幼児の保護者615人の協力を得て実施されたアンケートで、(1)「朝、よく食べる主食」、(2)「朝、よく食べるおかず(2種類)」の二つの設問にしぼって紹介することにする。結果は以下のようである。

(1)朝よく食べる主食 (2)朝よく食べるおかず(2種類)
ごはん   217(35%) たまご      273(27%)
菓子パン   100(16)  魚      20〈2〉
食パン   238(39)  納豆      72〈7〉
めん類    1      ハム・ソーセージ 306〈30〉
菓子類    0      サラダ      52〈5〉
その他    0      野菜料理      29〈3〉
食べない    2      その他      175〈17〉
不明・無記入  57(9) 食べない      85〈8〉
合計   615(100) 合計      1012〈100〉

つまり、大都市圏に育つ幼児の半数以上が、朝に主食として食パンや菓子パンを、副食として卵料理やハム・ソーセージを頻繁に食べる食育を両親から習っている。こうした暮らし方は、兵庫県にとどまらず、ほぼ全国的に見られることであろう。食習慣は児童期の7歳~9歳頃には完成すると言われるから、これからの日本の子ども達の大半は、否、日本人の大半が朝はパン類を常食とし、卵やハム・ソーセージをせっせと食べる暮らしを続けるに違いない。いずれも、油脂類が多く、かつ輸入食材に大きく依存した暮らしを意味する。
しかし、この何気ない暮らし方にこそ、いま話題となっているメタボリック・シンドローム(内臓脂肪症候群)の原因が潜んでいるばかりでなく、日本の食料自給率低下の大きな原因があることを知る。我が国でパン類を常食とする人が増えれば増えるほど、間違いなくアメリカの麦畑は広く青々と生い茂り、かたや日本の田んぼにまた、青々と雑草が生い茂り、村々から若者が姿を消していくのである。かくして、多くの家庭に見られる、朝にパン類を常食とする食育の結果は、将来、子ども達を健康問題と食料問題(価格高騰や食料危機)という生命の問題に、かなり高い確率で直面させることになるであろう。
すでに、穀物の国際価格は猛スピードで上昇を続けている。食料危機が迫りつつある予兆とも言える。したがって、いつまでも、輸入食材が安く手に入る時代は終わったと考えねばならない。子ども達にも、日本の風土に適応し、栽培しやすく、かつ健康に最も良いお米、つまり、ごはんをしっかり食べる食育を施し、大きく変転する国際情勢の中で、生命の問題に難渋することなく、安心して暮らせる暮らし方を身につけさせてやりたいと心から願っている。

学校における食育の考え方と進め方

2009年04月26日 | エッセイ
1.はじめに
兵庫県教育委員会の方針により、兵庫県下すべての小中学校では、この4月(2007年)から食育という新たな教育課題に意欲的に取り組んでいただいている。この日に備えて、2005年に県教委に「食育のあり方検討委員会」が設置され、同時に食育推進モデル校6校が指定され、さらに2006年には4校が追加され、学校給食の有無、単独校方式かセンター方式かの違い、学校栄養職員の配置の有無等を勘案し、それぞれに該当する学校を指定して事情の異なる学校ごとにどのような食育が可能かについて研究が行われた。その成果は「教職員用手引書―学校における食育実践プログラム」としてまとめられ、県下すべての小中学校に配布され、それを基礎資料としながら学校現場で食育が進められつつある。
もちろん、あらたな教育課題だけに教育現場には戸惑いも大きい。これまでにも多くの教育課題があり、環境教育や道徳教育に力を入れてきた学校等、多忙な先生方に新たな教育課題を受け入れる余裕がないところもある。したがって、画一的に進めるのではなく、出来るところから取り組むという方針に基づき、この4月から新しく栄養教諭が配置された学校を食育実践校として51校を指定し、さらに実践研究を重ねながら、平行してそれぞれの学校でも可能な範囲で食育に取り組んでいただいているところである。

2.学校における食育の考え方
学校における食育は、子ども達の豊かな人間形成を目指して進められるはずであり、したがって、食育基本法に謳われているように、多面的・総合的にとらえる必要がある。そこで、学校における食育においては六つの教育目標を定め、すべての教科を通して、すべての先生方の協力の下に取り組むことが望ましいのではないかと考えている。六つの目標とは以下の通りである。もちろん、この六つの目標は食育だけで果たし得るわけではなく、多くの教育実践とともにその一部を担うことになる。
① 豊かな人間性を育む
② 生活能力を高める
③ 地域の食文化を継承する
④ 健康に生きる知恵を磨く
⑤ 環境の大切さを学ぶ
⑥ 食料自給力を守る
第一の人間形成にかかわる目標は生命の大切さを学ぶことにある。食べものはすべて生命ある存在である。その生命を戴いて人間は生きている。多くの生命に生かされていることに感謝し、生命を大切にする心をしっかりと養いたい。第二の生活能力も多面的な概念であるが、ここでは、自分でごはんが炊ける力を小学生時代に身につけさせてやって欲しいと願っている。私は学校訪問をするたびに、小学校1年生でご飯が炊けるようにしてやって欲しいと勧めている。炊飯器時代であれば、目盛りを見ないで水加減が出来る力こそ能力というべきで、白米と水は1:1で炊けることを理解すれば、一合枡と別に同量の器を用意してやれば、1年生でも炊けるようになる筈である。自分で炊いたご飯は美味しく食べられるに違いないし、家庭内で責任ある家事が分担できれば、子どもは責任感を自覚し、大きく成長するに違いない。第三の食文化の継承とは、先人の地域に生きる知恵を学び、どのように継承していくかを考えることにある。私たちは石油文明に安住しているが、この生活がいつまでも続けられるはずはない。石油文明に無縁であった先人の地域の暮らし方をしっかり学び、伝統的な食の技術や知恵を継承していく努力が求められている。
第四の健康に生きる知恵も極めて多面的概念であるが、ここでは、健康に生きる食べ方を学ぶことを意図している。むろん、健康は食べ物の選択だけが決定要因ではなく、環境の良し悪しや運動の過不足、あるいは心の持ち方も関与している。しかし、最近、子ども達にも広がりつつある生活習慣病は日頃の食生活に深く関係している。したがって、食生活のあり方をしっかり学ぶことは極めて大事な目標となる。第六の環境視点は、コウノトリの野生復帰を頭に描いていただくとよく理解できるかと思う。兵庫県では特別天然記念物のコウノトリの人工孵化に成功し、次なる段階の野生復帰事業に取り組んでいる。この成功の鍵は農業現場で使われる農薬を如何に少なくすることが出来るかにかかっている。現地の豊岡市では有機農業を中心としたコウノトリ育む農法によるお米作りが進められているが、今後、多くの県民の協力、なかんずくコウノトリと共生できる食べ方を県民が選択してくれるかどうかが鍵を握っている。最後の食料自給力のことは、多くの説明を要しないと思うが、我が国の食料自給力は確実に低下し、現在の39%の自給率(カロリーベース)はおよそ39年後に0%になる可能性がある。毎年、1%ずつ自給率は低下し続けているからである。その頃、世界の人口は生存限界近くに増加し、異常気象の常態化や石油価格の暴騰等もあり得るとすれば、我が国の食料自給力を守る暮らし、とりわけ、ご飯をしっかり食べる習慣を子ども達に身につけさせてやることが何にもまして大切となる。

3.食育の進め方
先にも述べたように、学校における食育はそれぞれの学校の実情に応じて多面的・総合的に行われるべきで、したがって、一部の先生だけに任されるような課題ではない。実は学校における食育は以前から取り組まれてきたことで、学校給食の時間で学校栄養職員が関わり、教科でも単元によって食生活や健康、あるいは農業の記述があり、総合的な学習の時間を利用してお米作りに取り組む例も多く、学校における食育はかなりの歴史を重ねている。しかし、これまでは、先生方の個人的力量に委ねられ、学校が組織として取り組んできたわけではなかった。
食育の時代の進め方は、これまでの取り組みを反省し、学校全体として組織的、計画的、かつ継続的に取り組むという点が大きな特徴となっている。そのため、兵庫県では校務分掌として食育担当を定め、組織的に進めるために食育推進委員会を設置していただくことにしている。その上で、計画的に取り組むため、学校全体の食育計画、教科ごとのプログラム作り、学年ごとの年次計画等も策定していただき、先生方の異動があっても学校全体の食育が支障なく進められるような工夫をも講じていただいているのである。
今年度から栄養教諭の配置がはじまり、一部に、食育は栄養教諭に任せればいいとの声も聞くが、食育には六つの教育目標があり、栄養教諭が一人で担える教育課題では決してない。とくに給食センターに勤務する栄養教諭は、学校に常駐しているわけではなく、一人で多面的内容を有する食育を担うことは物理的にも不可能である。栄養教諭はあくまでも食育のコーディネーター役にとどまるべきであり、同時に、授業担当の先生方と対等な関係の中で、更に研鑽を積み、よりよい食育の授業に取り組んでいただくことを期待している。学校栄養職員にあっても、まったく同様に考えるべきであろう。

4.おわりに
兵庫県の学校における意欲的な食育実践はいま始まったところであり、まだ、その成果を論ずる時期ではない。さいわい、県教育委員会では食育を積極的に推進すべく、指定校の研究発表会を利用した研修機会の提供、食育課題だけを取り上げた管理職研修、栄養職員研修等をたびたび開催するなど啓発に努めている。数年後、兵庫県下の子ども達は、全員がご飯を炊ける能力を身につけ、朝にしっかりご飯を食べて元気に学校に通い、学力をさらに向上させるとともに、家事の分担を通して責任感ある子どもとして成長してくれることを夢見ているところである。
平成19年11月

食育の時代

2009年04月26日 | エッセイ
2005年7月に「食育基本法」が制定されて以降、食育にかかわる活動が全国的に盛んになってきた。食を軽んじる風潮の強いわが国にあって、誠に画期的なことといってよい。裏を返して言えば、食を軽んじてきたことのつけが、ゆがんだ食習慣に伴う子どもの生活習慣病の増加等、さまざまに深刻な社会問題を生んできたからでもある。
兵庫県教育委員会では、いち早く2005年4月から学校における食育のあり方を研究するため、「学校における食育のあり方検討会」を県教委内に発足させるとともに、食育研究モデル校を、学校給食の有無、栄養職員の配置の有無等を勘案しながら初年度6校、次年度4校を追加して指定し、多くの先生方のご協力の基に学校における食育のあり方について研究していただいた。その研究成果は「学校における食育プログラム」として、2007年3月に県教委の手でまとめられ、県下すべての小中学校に配布され、先生方の食育の参考資料に供された。そのことは多くの先生方にはすでに周知のことと思う。
さらに、2007年4月からは、県下すべての小中学校で食育に取り組む方針が打ち出され、新しく栄養教諭の任用が始まるに伴い、県下51校が食育実践校として指定され、「学校における食育プログラム」を参考としながら、学校における食育の取り組みが精力的に行われ、その成果の一端が公開授業や報告会で示され、多くの関係者の認識を新たにすることとなった。
この間、県教委主催による食育に関する学校管理者研修会、食育担当者研修会等が毎年開催され、新しく取り組むことになった学校における食育は、今後、他の教科と同じく継続的に行われる必要があること、しかし、食育の授業が特別に用意されるわけではないため、学校全体で組織的かつ計画的に取り組む必要がある旨の説明があり、食育推進委員会に類する推進主体を設けること、ならびに教科に倣って食育カリキュラムを作成し、実施することが望ましいとの方針が示されたのであった。
実は、食育は今に始まったことではなく、明確に認識もしくは位置づけされてはこなかったが、以前から給食の時間を通して栄養職員は食育にかかわってきたし、授業にあっても家庭科や保健体育はいうまでもなく、理科や社会、あるいは道徳や総合の学習の時間を通して食に関する教育はなされてきたのであった。ただ、これまでの授業実践は、ややもすれば先生方の個人的力量に委ねられ、学校全体の取り組みにはなっていなかったといってよい。その点を反省し、かつ食育基本法の精神を踏まえ、学校全体として組織的、計画的かつ継続的に取り組むことが、今まさに始められつつある食育の、これまでと異なる大きな特徴といってよい。
ところで、食育基本法を仔細に読み、かつ制定の背景を探るとき、食育という言葉には六つの目標が意図されていることが分かる。したがって、この六つの目標を学校における食育カリキュラムにうまく盛り込んでいただくことが大切かと考えている。その六つの目標とは以下のようである。
1.豊かな人間性を育む---生命に生かされている自分、感謝と祈りの気持ちを大切に。
2.生活能力を高める---ご飯を自分で炊き、朝食をしっかり食べる生活を実践する。
3.食文化を継承する---先達の知恵から安全に、かつ飢えをもたらさない暮らし方を学ぶ。
4.健康に生きる知恵を磨く---生活習慣病を予防する食習慣を子どもの時から身につける。
5.環境の大切さを知る---環境の保全こそが安全・安定な食べものの基礎であることを知る。
6.食料自給力を高める---世界人口や石油事情から地域の食料を大切にする必要を学ぶ。
順番に少しく説明を加えると、1に関していえば、食べ物はいうまでもなく生命そのものであり、私たちの生命は食べものという多くの生命によって生かされている。これら生命に対する感謝と祈りの気持ちを大切にしながら、子ども達の豊かな人間性を育むようにしたい。2は朝食を抜いて登校する子どもが少なくない現状を踏まえ、炊飯器時代であれば、練習すればご飯くらい子どもでも簡単に炊けるはずであり、お米を磨ぎ、水加減をしてご飯を炊く生活実践を小学生時代から身につけさせたい。3は、脱石油時代を見通し、先達の知恵から、安全かつ飢えをもたらさない暮らし方を学び、石油に大きく依存しなくても暮らせる地域の資源や文化を大切にしたい。
4は、子ども達の間にも生活習慣病が増加しつつある現状を踏まえ、ゆがんだ食習慣を正し、お米を中心にした日本型の食生活を身につけさせるようにしたい。5は、公害の歴史を紐解けば、環境汚染が深刻な健康被害を生んできたことを知る。また、旱魃や洪水も飢餓を生む大きな原因であることも世界的によく知られている。つまり、環境の保全こそが食料の安全と安定の基礎であることを理解させたい。6は、食料自給率が世界的に見て極めて低い日本の現状を踏まえ、世界人口の増加、石油価格の高騰、異常気象の頻発等を考慮するとき、将来の飢えを招かないためには国内・地域の食料を中心にした暮らしが大切であることをしっかり学ばせたい。
以上のような六つの目標が食育という二文字に意図されていることを先生方に理解していただき、だからこそ、学校における食育は、いろいろな教科や総合の学習の時間で取り組むことが可能であり、当然、学校全体で組織的、かつ計画的に取り組んでいただく必要があるともいえるのである。勿論、授業の中で食育がなされるとしても、教科が有する教育目標が正しく追求された上での食育であることは当然でもある。
世はまさに食育の時代となり、健康福祉関係や農林水産業関係の諸機関も食育を標榜し、各地で熱心に活動を展開している。その一環として学校に対する働きかけも盛んになっているかと思う。協力関係は大切にしたいが、それら諸機関は食育の六つの目標を必ずしも正しく理解していない場合もあり得る。たとえば、農業体験は極めて大事な教育実践であるが、その体験が生命の大切さを知ることに主眼があるのか、地域の食文化を知る狙いがあるのか、漫然と体験するのではなく、六つ食育目標を整理して取り組めば、さらに有効な教育実践になるのではないかと思われる。
お忙しい先生方には、恐縮の至りではあるが、子ども達の未来のために食育は欠かせない課題となっている。先生方のご理解とご協力を心からお願い申し上げる次第である。
平成20年

JAS制度の拡充強化と国民の認識度のギャップ 

2009年04月26日 | エッセイ
JAS法は長い歴史があり、その間、高度経済成長に伴って、誠に多様な食品が市場に氾濫するようになったから、JAS法に基づく品質表示や規格基準が何度となく、新しく制定され、あるいは改正されたりしてきた。
 とりわけ、1999年のJAS法の大幅改正により、全ての飲食料品を品質表示基準の対象にするとともに、全ての生鮮食品に原産地表示を義務づけること、有機食品の表示制度を創設すること、国際化と規制緩和に対応して規格制度の見直しを進めること等おしすすめられ、その上、食管法の廃止に伴い米穀の表示がJAS法に移管され、さらには遺伝子操作食品の安全性が問題となって、その表示ルールが作られ、BSE問題にからんで偽装表示が常態化していることが明らかになり、表示違反に対する罰則規定がうたわれるとともに、牛肉のトレーサビリティ制度が新しく導入されるなど、実に多くの表示基準が新しく制定され、また、定期的な規格見直し方針に基づき、多くの規格が廃止もしくは改定されるなど、この5年間はまさにJAS法が農林水産省の最重要な法律に位置づけされてきた期間であったといえる。
 一方、BSE問題が契機となって食の安全が大きな政治課題となり、急遽、内閣府に食品安全委員会が設置され、農林水産省内部においても食品の安全行政を推進する態勢が整備されることになった。まず、農林水産省にとって最重要な外局であった食糧庁を廃止し、新たに消費・安全局を設置するとともに、地方農政局にいても消費・安全部を設け、表示制度の拡充、強化を図るとともに表示が正しくなされているかを監視する人員を大幅に増員したのである。これまで、JAS法は農林水産省が管轄する法律の中では食管法や農地法に比して重要度はそれほど高くなかったが、いまや最重要な法律になったといえる。
 このほかに、食品衛生法にもとづく食品添加物表示や栄養表示あるいはアレルギー表示など、国民の健康管理に資するための表示も次第に充実されようとしており、消費者にとっては表示の氾濫と映っても言い過ぎではないような状況が生まれている。
もちろん、食品の品質基準や規格基準は、消費者が市場で氾濫する食品を購入しようとする際に商品の特性を知る上で欠かせない情報であり、対象品目が増えたり、表示項目が増えたりすることはそれだけ情報がきめ細かになったといえるのであり、望ましいことには違いない。しかし、表示基準や規格基準が詳細になり、表示項目が増えることは、それだけ消費者がその情報をしっかりと学習することが求められていることをも意味する。だが、現実には食品の容器や包装に表示されている細かな情報が何処まで消費者に理解されているのかという疑問が残る。日々忙しい生活を送っている消費者が容器・包装に記載されている細かな文字で表現された多くの情報を十分に読みこなしているとはとても思えない、それ以上に疑問を感じるのは、基準を制定することは望ましいこととして、その内容をどのように消費者に伝えるシステムが整備されているのかという点である。
 消費者だけでない。これまで容器・包装に封入され、主として企業が生産する食品にのみ表示基準が適用されていた時代と異なり、原産地表示など多数の流通業者が遵守すべき基準、有機商品表示やトレーサビリティ表示などさらに多くの生産農家が遵守すべき基準が増えつつあるが、多数の流通業者や生産農家に対する周知のシステムもまた全く整備されていないといってよい。
 これまでの表示基準や規格基準の制定や改定に関する周知の方法は、国から都道府県担当者への説明、都道府県から市町村担当者への説明のほか、一歩で国や都道府県から業界や農協に対する指導が行われ周知が図られてきた。容器・包装に封入された食品は、大抵、業界に加盟した企業によって生産されているから、生産サイドにはそのような方法では比較的周知されやすかった。ただ、消費者にはリーダー層にまでは周知されても、一般の消費者には理解されにくいという現実はあった。とわいえ、容器・包装に封入された食品が表示対象の場合の問題は比較的少なかったと言える。しかし、極めて多数の流通業者、高齢者し、新しい状況になじみにくい生産農家あるいは未組織の新規就農者が遵守すべき表示基準が多くなれば、生産サイドの周知の方法もそれなりの工夫が講じられねばならないはずである。
 消費者組織のまた大きく変わりつつある。既存の消費者組織は生協も含めて次第に組織率が低下し、高齢化と実働メンバーの減少を余儀なくされており、未組織の消費者が増加しつつある。また、若年世代の消費者は食品表示に対してそれほど高い関心を示さず、せっかくの表示制度が意味を失いつつある。いうならば、JAS制度の拡充強化と国民の認識度とのギャップはあまりに大きいといわねばならない。
したがって、このギャップを如何に埋めるかが、これからの制度運用の成功の鍵を握っている。そのためには、これまでの周知の方法だけではよしとせず、今の時代にあった周知のシステムをどのように構築するかの再検討がまずなされなければならない。その上で、多様な周知方法が採用される必要があるし、意欲的な担当者の育成もまた求められなければならない。
 農林水産省は先にも述べたようにBSE問題を契機に機構改革を断行して消費・安全局を設置し、かつての品質課を表示・規格課に衣替えするとともに人員を増やし、課内に1室、12班、2専門官を配して食の安全行政を担当することになった。班の構成は多様な表示規格を制改定することと、規格遵守を監視することの大きく二つの分野を担当することとしているようである。それぞれに重要な分野には違いないが、表示規格を制改定し、それを監視する前に、生産者や消費者に対する啓発こそがこの制度を生かす上でより重要ではないかと考えている。つまり、啓発班のような担当を設け、制度の拡充強化と国民の認識度とのギャップを埋めることを専らとする担当者の設置ならびにそれに伴う予算措置が図られるべきではないかと思うのである。当然、全国の地方農政局に配置された2000名余に及ぶ監視担当者と予算についても、かなりの部分を国民的啓発のために動員してもらいたいと思っている。
 むろん、国民日々の生活に深く関係する食費品の表示制度について、これまで以上に有効な周知の具体的な方法が導入されるべきであることはいうまでもない。そのためには、学校教育や社会教育との連携、様々な生産者組織、消費者組織との情報交換、さらには各種認定機関とのタイアップなど多様な方法が考えられる。そして、こうした啓発活動に最も大きな役割を果たすべき機関がJAS協会ではないかと信じている。JAS制度の拡充強化と国民の認識度とのギャップが日増しに小さくなるよう格段のご尽力を協会に期待したい。
JAS情報平成14年5月号

食品に対する価値評価軸の転換

2009年04月26日 | エッセイ
1 はじめに
 消費者が生活財の価値観をどのように評価するか、いいかえれば、消費者が生活財を繰り返し購入する際の意志決定に関与する要素は何かといえば、目前の価値と経験知としての品質、生産者のメッセージとしての表示並びに生産者への信用の4つの要素が関与している。
 かつては価値が唯一といっていいほどに大きな決定要素であったが、経済成長にともなう消費者の生活水準の向上と、一方での生産技術の革新による生活財の多様化と品質の変化が進行し、次第に価格のみではなく、生活財の品質が問われるようになる。やがて表示や生産者に対する信用がより重視されるようになってもきた。
 繰り返し購入する頻度が少ない自動車や電気製品のような耐久消費財でもその傾向が認められるが、衣料品や薬品のように比較的購入頻度が高い生活財は一層その傾向は強く、なかでも最も購入頻度が高く、かつ直接的に健康に関与する食品はまさにその傾向を示している。つまり、そのときどきの時代を反映した価値評価軸の転換が見られるのである。
 この転換にはいくつかのプロセスがあり、1960年頃の経済成長の初期段階では、生産性格差を要因とする価格高騰が大きな問題となり、やがて色合いや形等の外観の善し悪し、次いで、美味性などの品質が重視され、最近では、安全性という食品本来的価値に評価軸が移り、オーガニック食品(有機食品)が大きな話題となるに至っている。
 そこで、最近、市場において評価を高めている有機食品について、いいかえれば、食品の価値評価軸の新たな転換の実態と背景について述べてみたい。

2 有機食品の誕生とその後の展開
 有機食品が、最近、食品市場の大きな関心事になっているが、実はその誕生の歴史は相当に古い。
 いまから28年前の1971年10月に日本有機農業研究会が設立されたが、その時にはじめて有機農業なる言葉で表現される思想と運動が我が国に誕生したのであった。やがて共感の我が全国に波紋を描くように広がり、まず山形県高畠町有機農業研究会及び兵庫県有機農業研究会が1973年の秋に東西に相次いで誕生し、1974年に有吉佐和子氏が新聞紙上に「複合汚染」という題の小説を連載し、複合汚染社会(公害社会)を克服する有力な方向に有機農業があることを描写されたため、その影響もあって1975年には、ほぼ全国に有機農業の取り組みが広がったのであった。とわいえ、新しい思想と運動を社会が直ちに受け入れたわけではなく、一般市場も全く評価しなかったため、意識ある生産者と消費者が直接に取引関係を取り結ぶ産消提携という世界に類のない独特の運動形態が組織され、各地に定着していったのである。この1975年には有機農業で生産された農産物を有機農産物と称する提案もあり(当時、農林中金研究センター主任研究員、荷見武敬氏)、以来、その言葉が一般的に用いられるようになったことから、少し表現は異なるものの有機食品という概念は相当古いといえる。
 有機農業とは堆肥等で良質の土を作り、同じ場所に同じ作物を繰り返し作るようなことは避けて作物を健全に生育させ、可能な限り環境や生命に負荷を与える化学肥料や農薬には依存しない農業のことである。
 1970年代に有機農業が提唱されるようになった背景には当時深刻な公害事件があった。当時、水俣病やPCB中毒事件あるいは四日市ぜんそくなど経済成長の影の部分として存在していた深刻な公害事件が世に明らかとなり、環境や食べ物の汚染がいかに深刻な人体被害を引き起こすかを多くの国民が知るところとなった。とりわけ、1969年に牛乳から農薬のBHCが検出されて大騒ぎになり、その翌年の1970年には母乳から残留農薬が検出され、しかも、乳児の体力からみて残留量は限界に近いといった小児科医のコメントまで紹介されるに及んで、消費者の間に一挙に食品の安全性に対する関心が高くなっていった。
 こうした状況のなかで、一楽照雄氏(故人、当時、協同組合経営研究所理事長)らが中心となって、食べ物の汚染を招くような農業は改善すべきとして、1971年に日本有機農業研究会を設立されたのであった。
 しかし、当時は、経済効率重視に多くの人が色濃く染まっていた頃であり、有機農業という考え方は簡単には社会には受け入れられず、時代錯誤も甚だしいとの批判を受けながらの運動であった。それでも、産消提携の運動のなかで有機農業においても相当の生産力が得られることが明らかになるとともに、一方で、大量に輸入される農産物にポストハーベスト農薬が残留していることなどが明らかになるにつれ、食べ物の安全性に対する関心と有機農業に対する期待が次第に高まり、一部の市民の間で取り組まれてきた産消提携は生協の活動に影響を与え、共同購入だけでなく、生協店舗においても有機食品が販売されるようになる。
 やがて百貨店やスーパー等の量販店も顧客の心を掴むべき新たな商品製作としてコーナーを設けて有機食品を販売するようになり、いまでは、食品加工メーカーも付加価値商品として熱心に有機食品の開発に取り組んでおり、豆腐や漬け物の類から子どものお菓子にまで有機表示がされる時代になった。また消費者の間で有機食品が評判になるにつれ、輸入業者もまた有機食品の輸入に力を入れ始め、コーヒーやジュース等に有機表示をした輸入食品もかなり市場に出回るようになっている。
 オーガニックという英語が食品業界で初めて使われたのは、1995年の頃であるが、とくに1997年にわが国の大手商社がアメリカの有機農業認証期間OCIA(米国有機農産物改良協会)の認定を受けた米国産有機米をオーガニック・ライスとして販売しようとしたことがオーガニックという言葉を有名にしたのであった。

3 食品に対する価値観の転換
 高度経済成長の初期、時代で言えば1960年頃、3種の神器にたとえられる高額な生活財が自転車やラジオ、ミシンから白黒テレビ、電気洗濯機及び電気冷蔵庫に取って代わられようとする時、国民の多くは次第に増加していく所得に将来の夢を膨らませながら、あれも欲しい、これも欲しい生活を送っていた。
 そのようなとき、食品に対する価値評価の基軸はもっぱら価格、端的にいえば安い食品であった。1961年に生産者の期待を受けて農業基本法が制定されたが、その新たな法律の本音の目的は生産者の期待と裏腹に農業の生産性を高め、安い農産物を大量に市場に供給することにあったのである。
 1964年に東京オリンピックを華やかに開催し、新幹線を世界で初めて走らせるなどして経済成長の成果を世界に披瀝したわが国は、1966年から5年にわたる長期のいざなぎ景気を過ごし、3C時代(3種の神器がカラーテレビ、カー、クーラーと英語表記で頭文字にCのつく高額商品に取って代わられる時代)といわれる本格的な豊かな時代を作り上げられていく。
 所得も増えれば高額商品の購入も可能になるわけで、食品の評価軸は外観の美しさやおいしさに比重が移り、芸術品と見まごうごときのきれいなリンゴや、米でコシヒカリが有名となり、やがてそれが当たり前の価値基準になっていった。しかし、そうした外観重視の食品づくりは、実は大量の化学肥料や農薬を不可欠とし、生産者の健康被害や環境の破壊ならびに食品の汚染を招くものであったが、それでも、国民の多数の価値観は便利で豊かな生活を享受すること、環境や健康より経済効率重視が支配的であった。
 1970年はわが国の思想転換の画期でもあった。公害社会の下で、お金を得ても海を汚せば自由に海水浴もできないし、安心して魚も食べられなくなることを、空気を汚染して健康を害すれば何のための経済成長なのかということを反省するにいたるのである。
 とはいうものの、1986年から突如としてわき起こったバブル景気に、再び経済効率重視が頭もたげ、われがちにと投機に走り、円高も急激に進行して内外格差が顕著になれば、輸入業者は競って海外の商品を輸入し、輸入食品もまたバブル期のわずかな5年に倍増する有様であった。
 かくして、再び豊かさと便利さを追い求めることとなったが、1986年に小麦やレモンを始めほとんどの輸入農産物にポストハーベスト農薬(収穫後に貯蔵性を高めるためなどのために行われる農薬処理)の残留が明らかとなり、新たな食の不安に直面することになったのであった。

4 食品の本来的価値を求めて
 バブル景気はまさに水の泡のごとく、あっと言う間にはじけて大きなやけどを負った人が続出した。世代の交代もあって同じ過ちを繰り返すのが人の業であるが、傷を負ってようやく目を覚ますことにもなった。落ち着いて少し世の先を見通せば、地球環境は危機に瀕して異常気象などで私たちの生活を攪乱し、高齢社会に日々を重ねれば老後の生活に不安がないわけではない。すでに体力や健康に自信を失いかけている自分を見つめるとき、これからの生きざまをいろいろと思うことになる。考えてみれば、食べ物は単に食欲を満たすだけの物質ではない。肉体の一部となって生命と健康を支える貴重な生命財である。ならば、食品とは安全で栄養に富んだ食べ物こそもっとも高い価値が与えられるべきという結論になる。いま、ようやくにして食品の本質的価値に目覚め、食品の価値評価軸を重視しつつ環境と生命との調和におくべきとする人々が増えつつある時代になったといえる。こうした価値観が多くの人たちに共有され、社会の大勢となるとき、地域の環境と人々の健康の修復は着実に一歩前進することになるに違いない。
平成11年6月「生活の設計」

有機農業の4つの理想

2009年04月26日 | エッセイ
またかと思うほどに食の安全問題は尽きることがない。食べ物づくりの基本が間違っているからであろう。その結果、有機農業に対する評価もすっかり変わってきた。1973年に兵庫県有機農業研究会を遠慮がちに設立したときには、周囲から変わり者扱いさてたものだが、いまでは有機農業は正義を語る言葉でさえある。
 有機農業とは農薬や化学肥料など、食の安全にマイナスの影響を与えそうな化学物質を原則用いず、堆肥を用いて土の力を高め作物を育てる農業のことであり、食の安全の実現を第1の理想としている。幾多の公害病を通して、食の安全が損なわれれば、その最大の被害者は次の世代であることを学べば、評価は変わるのは当然でもある。
 しかし、それだけを理想としているわけではない。環境の保全もまた大切な有機農業の理想である。環境は人間だけのものでは決してあり得ず、農薬によってコウノトリを絶滅させるような愚を繰り返してはならないからである。
 そしてまた、食べ物の永続的な生産を実現することも狙いとしている。化学肥料は一時の生産力を高めるが、やがて土の力を疲弊させ、ついには食べ物生産を不安定にしてしまう。土の力を重視する有機農業は、一時の生産力を求めず永続性を理想とする。人間が生き続ける限り食べ物もまた必要だからである。
 こうした理想は、しかし、生産者だけが孤独に努力するだけでは実現は困難である。理想の実現には相当のコストがかかるが、市場経済の下では、このコストが報われることはほとんどない。したがって、市場システムと異なる、生産者の努力に対する消費者の直接的な支援が欠かせない。そのモデルが県下にたくさんある産消提携と呼ばれる協同組織である。そこでは生産者と消費者がお互いの生命を委託しあう関係を築いているが、この関係こそが理想を実現させ得る基本である。
 市場経済の中に多様な生命の委託システムの輪を広げること、これもまた有機農業の大切な理想なのである。                  平成14年4月8日 神戸新聞

石より重い人間

2009年04月26日 | エッセイ
明日香の石舞台や大阪城の石垣に見られるように、人は古来より百トンを超す巨石をも動かしてきた。僅か50キロの体重でさえ、その人の心を動かすことはなかなか難しい。世の中で最も動かし難いのは人間であるといってよい。ために、長く世の支配者は、暴力や抑圧などのムチを用い、時には利益というアメをふりまき、人の心を動かそうとしてきたのであった。
 最近の政治世相をみるにつけ、人を動かす手段は昔とあまり変わりがないことを知らされる。とわいえ、昔ほど露骨にムチやアメを振るうわけにはいかず、今は教育という方法がもっぱら用いられる。学校教育はいうに及ばず、社会教育や企業教育など実に多様な教育機会が生涯にわたって用意されているのも、人は簡単には動かないからでもある。
 こうした教育機会の一つに大学教育がある。今、この大学教育に再編の嵐が吹き巻いている。知られているように、2004年から独立法人化される方針になっていて、一挙にはいかないにしても、将来的には、すべての国立大学は私立大学と同じように自ら収入を図りながら教育と研究を行うことになっている。大学経営のノウハウを持たない国立大学の教師が、うまく大学を切り盛りできるかという点で気がかりではあるが、それ以上に心配なのは教師に対する評価の方法である。
 今盛んに産学共同がいわれ、世に即効的に役立つ研究が重視されようとし、反面、大学が担ってきた批判の学問の追究が軽視されそうな雰囲気だが、その事態が進めば、まさに大学はアメに群がる集団に陥りかねない。激動・変転する今後の社会に対応できる、弾力に富んだ若者は育たなくなってしまう。人は石より動かし難いことを肝に銘じ、目先の利益だけでなく、21世紀を洞察できる発想の富んだ若者の育成を担う大学教育こそが重要ではないかと考え、去り行く大学の行く末を案じている。
平成14年4月23日 神戸新聞

雪の下の棚田

2009年04月26日 | エッセイ
今冬は正月から厳しい寒波に見舞われ、私の故郷でもある但馬のスキー場は華やいだスキーヤーの声で賑わっている。年老いた地元の人だけでなく、じっと寒さに耐えている冬山の樹々も、久しぶりの若者の声に、弾んだ気分になっているに違いない。
 これら但馬のスキー場の多くは、もともとは但馬牛の夏の放牧場であったもので、人が遊ぶために山を丸坊主にしたのではなかった。放牧場の周辺には先人の汗の結晶である沢山の棚田があり、さらにはその麓には村があったから、田んぼの水を守るためにも、大雨の備えのためにも、あまりに広く山の樹を切るわけにはいかなかったのである。いまは、棚田の多くはすでに久しく田植えもなされず放置され、但馬牛の放牧もなくなれば、スキー場と化したススキの原は、農業や災害の備えに対する配慮を欠いたまま拡大していく。
 そのスキー場と谷を挟んで向かいの山腹にある村を、昨春、久しぶりに訪ねる機会があった。村を守る協同の力が今なお粘り強く維持されているかどうかを尋ねるためである。山腹の村とはいえ、そこは、村の規模に比して棚田が多く、但馬牛の血統をしっかり守ってきた村であり、かなり裕福な村であった。
 古くからの知己を訪ね、話は大いに弾んだが、彼もすっかり年老い、かって見事な但馬牛が飼われていた、太い柱の玄関を入ったすぐの土間の一角は、小綺麗な部屋に変わっており、村のさらに高台にあった沢山の棚田はすべて草木が生い茂っていた。所々には灌木も生え始めていたし、そこここに、鹿の糞が見え、猪が泥遊びをした窪みもあった。もはや、山腹には協同の力で田んぼと水を守ることができなくなっていたのである。
 華やいだスキーヤーの声を遠くに聞きながら、雪の下にいま静かに眠っている沢山の棚田は、きっと、遊びではなく、額に汗して耕す若者の来訪を、心底、待ち望んでいることであろう。
平成14年2月1日 神戸新聞

都市と農村が交流することの重要性

2009年04月26日 | エッセイ
阪神・淡路大震災には、兵庫県内一円の農村から大量の食料と水が緊急かつ継続的に供給された。災害大国・日本では、震災を機に危機管理の一貫として都市と農村が交流することの重要性が認識されるようになった。
都市と農村の交流は1980年代以降、注目され始めた。都市住民は豊かな自然に触れ、伝統的な農村文化に接して心の安らぎを得ることに意義を求めた。一方、農村側は、農産物や特産物の売上げ増による地域活性化を追求した。
 もう一つ重要なのは危機管理の意義。そのモデルが、有機農業運動を担う消費者と生産者の提携だ。単に安全な食品を購入するだけでなく、特定の消費者が責任を持って生産者を支える仕組み。顔が見える関係にあるからこそ、災害時に素早い救援が可能になる。
ただ、モノと金だけに多くを期待、あるいは最重要視する関係では、、交流の継続さえ困難だろう。有機農業運動のように、生産と生活の一部をお互いに共有することが、双方にとって継続性のある交流となる。
17年1月7日神戸新聞

人間の肉質

2009年04月26日 | エッセイ
昨年秋から続いているBSE(牛海綿状脳症、狂牛病)問題は、食べ物に関わる制度や品質管理の在り方に多くの教訓を私たちに与えてくれた。一つを取り上げると、私たちが毎日いただく食べ物はすべからく生き物であり、生き物にはそれぞれ固有の生き方があって、逸脱すると病気になってしまうという教訓である。それは、動物(家畜)だけでなく、植物(野菜)にも共通する真実というべきであろう。
牛は草食動物であって肉骨粉などは決してたべることはなかった。にもかかわらず、人間の都合により共食いにも似た生き方を強いられ、その結果があの牛の病気であったのである。つまりは、肉質の良し悪しはエサによって決まると言うことでもある。
 コウベビーフを産する兵庫県下には沢山の但馬牛が飼育されている。この牛たちは比較的ゆっくりと育てられ、共食いするような育て方はまず見られない。それでも、エサの中で多く必要とする稲わらがコンバインの普及によって手に入り難くなっており、ときには輸入稲わらが与えられていることがある。そのような僅かなエサの変化が肉質に微妙に影響を与えるという。多分、牛にも身土不二の原理がはたらいているからだろう。難しい話ではない。身近な土地で育つ本来の食べ物を、季節に合わせて新鮮なうちに食べることが身体に一番いいという生き方の原理であり、それは全ての生き物に共通しているようだ。
 本来のエサではない輸入肉骨粉を無理やり与えられ、哀れにも病気になってしまった牛たちもかわいそうであるが、牛の肉質を盛んに気にする人間は、自分が与える食べ物によって育つ子供の肉質の善し悪しについて滅多に気にすることはない。身土不二の生活の原理から遠くかけ離れ、輸入され加工された食べ物を、毎日与えられている、我が国の子供たちの肉質は相当悪くなっているに違いない。牛だけが可哀そうではないのである。
14年3月22日 神戸新聞