NOSUMOOの犬死日記

日々のくだらない話と不思議な話が核
MAIL nosumoo@mail.goo.ne.jp

第513話 煙草とコーヒーと映画と休日

2011年04月30日 12時03分30秒 | 日記
お休みと言えば?



そう、お休みと言えば、ありったけの煙草とコーヒーを用意して、
ふかふかのソファにブランケットを持ち込んで、
地球防衛軍でも北斗無双でもなく、映画鑑賞がよろし。



いやね、こんな天気のいい休日だというのに、まずは出社というのが残念な限りだ。
本来は、こういった休日を楽しむために働いていたはずなのに、
いつの間にか、せっかくの休日までもが汚染されがちだ。



ほら、見てみなさいよ。
イギリスでは王子様が結婚したそうだね。

お相手は何と貴族でも王族でもないただの一般市民だよ。
何かな、そろそろ僕にも童話検証でシンデレラに手をつけろと言わんばかりの情勢だ。
焦らずともやるさ、安心してくだされ。



そうして、そんな大結婚式のおかげで都市機能が完全にまひしたとか、
莫大な経済のマイナス効果があるとかで、人の結婚式にまで非難を浴びせるのだ。



まあね、イギリスって国は一度行ったけれど、とてもおそろしいところだったよ。
あれは国民性というもんなのかね、適当に適当を重ね合わせてできている地域だ。
僕が行ったときには、平日の通勤時間にいきなり地下鉄が運転をとりやめた。

理由はよくわからない。
とにかく面倒くさかったのか、出勤する市民たちも「またかよ……」とつぶやく程度で、
怒りの文句一つもなく、方々へと散らばっていくのだ。

それが今回の大震災のように、停電しましたというのであれば納得も行くのだろうが、
イギリスという国、そこが僕らの住む日本とは違っている。

本当に些細なことでもやる気を失う。
この前などは、雪が3センチ積もったとかでお店のシャッターを閉め出すというのだ。
ああ、午後の紅茶がおいしいことだ。



さてさて、余計な話で大いに脱線はしたが、
休日の楽しみと言えば、やっぱり娯楽がいいでしょね。

何ともばからしい話ではあるが、もう何百回と往復を繰り返している自分専用の本棚に向かい、
これまた呆れた挙動ではあるが、もう何十回と読破している漫画を読みあさる。

大抵の人間は一度読めば、あるいは数回見れば二度と手をつけることはあるまい。
しかし、そこが僕のしつこいところだ。
何でもよみがえるさというようにム○カ大佐モードに入ると、目が……というぐあいなのさ。



……と、こんな非生産的な話はここまでにして、
いよいよ本題である映画の話だ。

しかし、最近の映画というのはどうにもこうにも、
年なのかねと思う気持ちもあるが、どうしてもネタ切れの感は否めない。

レンタルショップに足を運んで、ジロジロと新作コーナーを見てはいるものの、
ぼんやりと通り過ぎ、いつの間にか旧作コーナーへとたどり着く。

そうして、あいうえお順にずらりと並んだ棚を見て、
これも見たや、これも見たやとつぶやきながら、気になる作品を手に取る。



僕はもともと映画好きだし、元某レンタルショップで働いていたこともあり、映画には少しばかり詳しい。
いいレンタルショップとは、お勧めコーナーの仕上がりで決まる。

あたかも有名どころを並べる店はだめだ。
やはり、何ぞこれというもので、しかも良作であるということが必須条件である。

よく見かける風景ではあるが、有名俳優が出ていれば数本以上の入荷がされ、棚にはズラリと同じ作品が並ぶ。
時がたつにつれ、傷ものを廃棄していき、旧作棚に移るころには10本以上もあったものが片手で足りるくらいの数になり、
さらに時がたてば、日本の狭過ぎる土地事情も絡み、わずか1本だけということもある。

最後の複数本から1本限りにする作業というのは意外と難しくて、
作品一つ一つの売り上げを見て、53で割るのだ。
どうして53かというと、1年間が53週ほどであり、
いわゆる1週間レンタルをしても、十分に回転するかどうかを見極めるのだ。



そして、その日、僕は久しぶりに落胆の気持ちを隠し切れずにため息を吐いた。



「こんな名作がたったの1本だなんて……」



僕はこの作品に大きく心を揺さぶられ、
初めて見たときには、エンドロールが終わって数十分がたっても、画面の前から離れることができなかった。



友人が言う。



「俺は小説派ですね。頭の中で登場人物とか、風景とかを想像できるから」
「しかも、誰一人として思い描いている顔って違うと思うんですよ」
「言い回し一つ一つにいちいち感動できるし」



僕は言う。



「僕は映画派だね。このシーンを、この角度からってのが見られたら鳥肌が立つ」
「言葉が要らない。この表情にすべてが詰まっている」
「BGM一つでここまで景色を違って見せられるのかって」



今、僕が手に取っている作品とは、まさにそんな僕が思う映画のよさが詰め込まれた映画だ。
これまでの価値観、先入観、固定観念などという言葉が崩れ去り、身震いがとまらない。
持っていた煙草の灰が灰皿へと行かぬまま、ポロリと太ももに落ちるのを見て、
ようやく我に返ることへと成功した。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第512話 Webの上にも3年目

2011年04月29日 11時22分32秒 | 日記
ついにバカになった4月も終わり、いよいよ憂鬱な5月病へ……、


はて、これって前にもやりましたかね?


そうだ、時間というのは何とも残酷で、年がたつにつれてだんだんと早くなり、


……う~む、これもやったような気がするね




ゴールデンウイーク突入があるからシルバーウイークあり、
それじゃあ、いっそのこと、ブロンズウイークもつくってしまえばいいのだと
これから仕事をしようとパソコンのをつけた僕が言う。


しかしだね、ゴールド、シルバー、ブロンズってのはさ、
輝かしい成績を与えられた者に与えられるしるしだろう?

実はふと考えると、なんちゃらウイークの前って、それほど忙しくもないんだよね
つまりだ、ひゅっと入ってすぅーっと抜ける。

頑張った分のご褒美なんて到底思えないただの連休なのだから、
ゴールド、ゴールダー、ゴールデストウイークって名前にすればいいんじゃないのかね……



あっ、どうもこんにちは、nosumooです



まだ桜すら咲いていない我がまち札幌のきょうこのごろですがね、
気温が1ケタなんで、長袖パジャマがお似合いなわけです。

それでも、僕は何とも愚かなことに窓を全開で寝てしまうのだ。
何でかって?
そりゃあ、布団の中でぬくぬくと生きてる感じを味わいたいからさ。



さてさて、ところで、ふと気がついたんだけれど、
何だかんだで僕のブログも丸2年が過ぎたらしい

人間で言えば、ようやく言葉もある程度話せるようになり、
人懐っこくかわいらしい時期だろうね。

しかし、僕と来たら、いまだに無意味な言葉を並べながら、
コミュニケーションなんて横文字とは全く無縁の世界にいるのだ。



成長が見られない……




そりゃあ、2年もこんなところでピーピー言って、少なからずコメントもいただいて、
3年目の朝となれば、ようし、やってみようかなと腕まくりぐらいするのが一般的だ。
それがこの寒さだもの、ユニクロの無地の長袖は先まで伸ばして震えますよね?



本当は喜ぶべきこの新しい門出を
一体何ミリグラムのニコチンを摂取すればクリアできると言うのだろう。



そこでだ。



……ひとまず、3本目の煙草に火をつけよう



やるべきことを整理しようか。



丸2年と言うのだから、要するに誕生会だよね。
ろうそくを画面に突っ込むわけにはいかぬので、リボンぐらいは巻いておこうか。

クラッカーなぞ後始末が大変なだけだ。
起動音をマックスにしておこう。

ウェブ上ではこの楽しさってのをアピールしづらいもんだからね、
とりあえず、パソコンの前のいすに向かって僕がスキップしながら飛び込んでくるってのはどうかな?




……あっ



友人の誕生日忘れてたや


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第511話 世界が轟く先読み検索

2011年04月27日 17時36分22秒 | 日記
新しい朝が来た 希望の朝~


これはですね、日本全国どこでも共通、恐らくすべての日本人が通り過ぎた過去、
俗に言うラジオ体操の歌でございまする

しかしさ、新しい朝が来たということはさておき、
「希望の朝」とは一体どういう意味だろね。

だってさ、例えばそれが何か特別な日、誕生日や結婚式など、そういう催しが開催されるのであればわかる。
ただ、僕らがこれを聞く早朝というのは、至って変わらぬ日常であり、
もしかすると、嫌で嫌でたまらない日もあるわけだ

それが1フレーズ目で希望の朝だっと言われてもさ、イマイチしっくりと来ないのだよね



こんな表現って伝わるかしらね。
とりあえず、時を数時間ほどさかのぼって僕の朝が来たところを見てみましょ



目を覚ますと、まるでつい先ほど眠りについたかのようなだるさ、
顔を動かすたびにズキンと走る頭部右側面。
両足は不可解にもしびれており、強引にもベッドから体を起こすと、
コンタクトをつけるまでは盲目に近い状態で徘徊を行う


これがだれもが想像し得る希望の朝だろうか……



いや、それはそれはまるで虹色に輝くような光が窓から差し込み、
ぱちりと目を覚まし、大きく背伸びをする。
部屋を出るとコトコトと聞こえるコーヒーメーカーの音と炒め物だろうか、香ばしい匂い



これって幻想かね。
というわけで、希望の朝なんか何年たっても来ないで過ごすnosumooです、こんにちは



でもさ、話は戻るけれど、子どものころって希望があった気がするよ。
そもそも今みたいに家でゲームに明け暮れる日々ではないし、
夜9時となったら布団に入って、あすは何して遊ぼうかと考えていたこともあったのだ。

それが今では睡眠薬でも飲まない限り寝つけない体となり、
できることなら朝なんか来ないでおくれと祈るのだ。

一体どこで道を間違えたのか、それとも初めからこういう仕組みになっているのか、
まあ、今さらこんなことをぼやいたところで始まらぬ。
一、二の三ですべてを忘れてしまおうか



さて、いよいよ世間ではゴールデンウイークに突入とあってか、
皆さんの心もどこか上の空というもんだ

もちろん、みんながみんな、予定でぎっしり埋まっていることはないのだろう。
いつも以上に自室を封鎖し、死ぬまで寝てやろうという魂胆をお持ちの方だって少なくはないはずだ。



だって、ゴールデンウイークだぜ?人ごみで嫌になるだけさ!
家族サービスだから嫌々さ、逆に職場の方が落ちついたりするんだよね……。
えっ、私?そりゃあ実家に帰るのよ。だって、親の顔見ないと心配でしょう。



こんな強がりも今のうちに済ませておかないとね。
僕かい、僕は有無を言わさず仕事なのだ、何も聞かなかったことにしておくれ。



さてさて、話は戻るけれどね、
希望の朝はよしとして、希望の昼、希望の夜ってのはないのかね。



はぁ?何だよ、そこまで戻るのかいっ



ああ、そりゃあ、謎が残っているうちは片づけが必要だろう。

とにかくさ、僕には希望の朝はなかったけれど、一日というのは何ともうれしいことに、朝以外にも昼と夜がある。
そうするとだ、3分の1の純情な感情……ではなく、希望は失ったが、
まだ3分の2の希望が残されていることになる。



……あの、ここで夕方もあるから4分の1だとか、深夜も入れろとか、
深~い突っ込みは要らないよ、ばかばかしい話がさらにばかばかしくなるからね



そこでだ。
新しい朝というのは、先ほどおおよそ想像がついたわけだ。
次に想像すべきは、希望の昼だ。
皆さん、何か思いつきますかね。



う~ん、希望の昼って言ったらなあ、例えば、給食で好物が出たとか
あれじゃない?天気のいい日に屋上で日向ぼっこよ。
いや、希望と言うくらいだもの、素敵な男性とばったり……



まあ、昼というのはイベント的にはなかなか難しい。
日本人であれば、学校にいるか、会社にいるか、
もちろん夜に仕事をしなくちゃいけない人はいるかもしれないが、大抵は拘束状態にある。

つまり、僕らの希望と言えば、解放されるということくらいかね。
まあ、これは皆さんのご想像にお任せしますよ。



さて、案外さらっと通り抜け、きっと希望の昼すら僕にはないだろうということがおわかりの皆さんだ。
続いて、希望の夜を見てみましょ



夜は簡単だ、うまい飯、うまい酒、かわいい女……
何言っているのよ、自宅でくつろぎグダグタとテレビを、そして……
わかってないな、君たち。そりゃあパソコンでネットサーフィ……あれっこれっていつものことか?



夜というのは魅力が多い
子ども時代だって、きっと子どもは早く寝なさいと言われ、強制的にシャットダウンをさせられたはずだ。
僕ら子どもには味わわせてもらえない魅惑のオトナタイムがあるはずと疑った日々が懐かしいだろう。



……しかしだ
残念ながら、ここのブログの常連さんなら気がついてくれただろう。
僕はお酒は飲めないし、余り食欲もないのだ。
人とのコミュニケーション不足で、外に出て、見知らぬ人と話をすることもなければ、
テレビすらほとんどつけることがない。



おまえ……、大丈夫か



どこからかこんなささやき声が聞こえてきそうではあるが、
大丈夫、このとおり、僕も何とか日々を過ごしているのだ。
そう、たとえ希望はなくともね。



……はい、はい



いやね、こんな朝昼夜に希望のない僕でも、最近、うれしいことが二つも起きた。
長くはなったが、本日はそのご紹介というわけだったのだ。
グダグタとした前振り、許してくだされ。



それは、とある取引先へと電話をかけたときのこと。

僕   「私は○○○のnosumooと言います」
受付嬢「お疲れさまです



もう既に社会に羽ばたいている皆様ならどこが間違えているのかがわかることだろう。
通常、この「お疲れさまです」というのは身内に対して発する言葉で、
取引先である僕にかけるとするならば、「いつもお世話になっております」などの決まり文句だ。
まあね、単純な間違いだったにせよ、一瞬会話が和んだことは言うまでもない。



もう一つは、つい先日の昼休みに起きた事件だ。

僕  「坊や」
坊や「なしたんですか?」
僕  「莫大な事件が起きたっ」
坊や「マジっすか?」
僕  「Googleってあるでしょう」
坊や「はい」
僕  「n、o、s、u……」
坊や「……」
僕  「m、ほらっ」
坊や「おっ」
僕  「『nosumoo』って出るんだよね~」
坊や「すげー」
僕  「ついに世界が追いついたかな」



どうやらGoogleとmsnでしか先読み検索ができない。
しかし、「nosum」まで打つと「nsoumoo」が出るのだ。

さすがはGoogleだと喜ぶ半面、
こんな単語が検索される世の中って大丈夫なのかという不安も拭えないのが事実である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第510話 心が折れそうでも、ピョコンと飛び跳ねる思考 2

2011年04月22日 19時46分15秒 | 日記
車の傷は確かに残ったけれど、僕の心には大きな傷は残っていない。
はたから見れば、せっかくの新車に傷がついたと大騒ぎをしてもいいはずのところだ。
しかし、肝心の僕と来たら、そうして皆の期待どおりにはしゃごうとする気持ちが一向にあらわれない。

それは至って単純で、
この世界に存在するありとあらゆる物はいつかは壊れ、朽ち果てるからだ。
何の障害もなく生きるのが難しいのと同じように、
さまざまな障壁にぶつかりながら時を刻むのだ。

今回は、それが少しだけ早かったということと、
みずからの過ちではないということだけであり、
もう少し突っ込んで言えば、そうした危険をはらんだ場所へと車を置き去りにした僕の責任でもある。



シンプルな考え方をすれば、
それじゃあ、二度と開けた駐車場なんかにはとめない。
いいや、駐車場どころか、公道すら走らない。ってか、エンジンだってかけるもんか。
こんなふうにみずからの行動に規制をかける。



ちょっと待て、その発想はおかしくないか



一瞬だってそうしてふと思った皆さんにもこんな経験くらいはありそうだ



食当たりを起こすから、食べない。
裏切られるのが怖いから、信じない。
死ぬのが怖いから、寝ない。



危険があるのはわかっている。
だけど、それらをすべて否定したところで、待っているのは自分の小さな部屋とパソコンくらいなものだ。

いいじゃないか、傷くらい。
だれかにハンマーでたたき割られなかっただけでもよしなのだ



坊や「それより、警察には届けておいた方がよさそうですね」
僕  「ほう」



携帯電話で僕と同じような被害に遭った関連サイトを見ながら坊やがつぶやいた。



坊や「届け出なかったら、重大犯罪にかかわっていると疑われるらしいですよ」
僕  「それはまずいね」
坊や「ただ、事情聴取されて、何だか自分が犯罪者みたいな気分にされるって」
僕  「それはなれているから大丈夫だ」
坊や「でも、結局、泣き寝入りってのがオチですね」
僕  「そうだろうね」



さて、ここでようやく僕の車の被害を言葉で表現してみようか



確認された傷というのは、車のバンパー(前の突き出している部分)である。
そこを右方向か、左方向からかはわからないが、勢いよく擦った跡が残っており、
それと同時に、犯人の唯一の物的証拠とも言うべき、赤い塗料が線状に付着しているのだ。



ここからわかる犯人の行動とは以下のとおりだ



恐らく、駐車場に停車している僕の車の前を横切ったらしい。
そうして、僕の車の前方が犯人の車の左右どちらかの面と接触したのだ。
犯人は、そのまま僕の車の前方に車体をこすりながら逃走し、
その後、にやにやしながら、後の祭り状態の車に僕が乗り込み、立ち去ったはずだ。



もう一つわかることがある。
犯人は、車が接触したことに気がつかなかった、
あるいは気がついていたにもかかわらず、強引に通り抜けようとしたのだ。

バンパーとは車体部分の中でも割と柔らかい材質でできている。
それが全くへこまずに、傷だけがついているということは、衝撃もわずかだっただろう。
また、傷口が途中でとまっておらず、抜け切った線であることから、
途中で思いとどまったということがなかったのだ。



素朴な僕の考察をよそに、事態は着々と進んでいく。
何とも馬鹿正直な僕は、会社近くの交番へといそいそと向かったわけだ

すると、何やら既に先客がいるようで、
お巡りさんは、どっしりと構えながらも恐縮する年配の女性と対峙をしている。



僕  「あの、済みません」
警官「どーしたの?」
僕  「車ぶつけられてしまって」
警官「今、対応中だから、30分ぐらい待ってて」



まるで吐き捨てるようにそう言い放った警官とぽかんと口をあけた僕
がらんとした交番内では、エコーでもかかったかのような空気の振動がこだまするばかりだ。
とにかく、待てというのだ、待つしかない。



同僚「どーでした?」
僕  「30分くらい待ってだって」
同僚「結構混んでいるんですか?」
僕  「1人しかいなかったよ」



税金でサラリーをもらっているとは思えないほどの対応の悪さだが、
まあ、こんな者も中にはいるのだろうと、煙草に火をつけ、ぼんやりとする



案の定、30分もかからないで、警官が僕の車の窓ガラスをノックする。
来いというのだ、よっこらせと重たい腰を上げる。



警官「それで、事故起こしたって?」
僕  「いや、ぶつけられたんですよ」
警官「どこで?」
僕  「わからないですね」
警官「わからないって、それはないでしょ」
僕  「いや、見たら傷がついていたんです」
警官「それで、犯人を見つけろってこと?」
僕  「いやいや、一応、届け出だけはしておこうかと」
警官「それにしても、どこか思い当たるところ言ってもらわないと」
僕  「駐車場ですかね」
警官「駐車場って、それ、どこの」
僕  「わからないですね」
警官「だから~。とにかく行ったところでいいから」
僕  「えーっと……」



何ともぶっきらぼうな態度ではあるが、僕はそんなものはなれっこであり、
むしろ笑いをこらえるのに必死だったほどだ。
恐らく、大抵の皆さんであれば、ここらで嫌になるほどだろうが、
話は最後まで見届けるのが大事なもんだ。



警官「それじゃあ、何、前をこすられたの?」
僕  「はい、きょうたまたま見つけて。気がついたら、そういう状況ですよ」
警官「…………う~ん」



体格のいい、どちらかというとふくよか過ぎる警官は、その大きなおなか……ではなく、
多い経験から一つの答えを手繰り寄せるように唸り声を上げると、口元を少しだけ上げながら声を発した。



警官「あっ、それっ、当て逃げだね(キーは♯3程度)



いや、知っているんだって、それは。
というか、何なのだ、その名探偵を気取った様子は。

車の前面をこすられていることから一体どうしてその他の接触事故を想像できる?
まさか、僕の車のタイヤは左右に切りかえが可能で、
カニさんにでもなったように、横に移動できる超ハイテクな乗り物だとでも言うのだろうか。
そんな未来の車に乗った僕が縦横無尽……じゃない横無尽に動き回り、傷をつけたとでも……



僕  「ええ、それは知っています」
警官「それじゃあ、見せてもらおうか」



こうして、写真を数枚撮ると、
何かあったら連絡するから、ただし、同じ区内じゃないと、捜査はできないよと告げられ、
僕はその場を去ったのであった。


さてさて、
しかし、こんなぐあいのだらだらとした会話をしている最中、
不幸にもまた1人のかわいそうなお客様がやってきたのであった



え?そいつはどうしたかって



警官「今、対応中だから、○○署に行ってくれない?」
来客者「そこがだれもいなくてここに来たんですけど……」
警官「あっ、そうなの。……それじゃあ、30分待ってて」



このまちの治安は、30分間隔で守られているのだ
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第509話 心が折れそうでも、ピョコンと飛び跳ねる思考 1

2011年04月19日 20時15分35秒 | 日記
坊や「……nosumooさん?」
僕  「ん?」



この春、僕にはさまざまな出会いがあった。

役職が変わり、漢字ばかりの長ったらしい名刺を片手に、
まだほのかに残る真新しい繊維の匂いのする車に乗り、
いまだ知らぬ土地を目指して北海道じゅうを駆け巡った。



新しいパートナーとの出会いは、まだ雪解けの忙しい4月上旬だ。
それから指を折り曲げ、ようやく両手では足りなくなったころに、
走行距離が1,000キロメートルを超えた。

北海道は広いというものの、いまだにそれを実感できる表現が見当たらずにいた僕が
思わず噴き出してしまうほどに痛感した一瞬であった。



僕「1,000キロメートルと言ったら、直線距離で札幌-東京間だからね」



日本という国は何ともわかりやすく存在している。
東京を拠点に北に1,000キロで北海道、南西に1,000キロで九州、
さらに、そこからもう1,000キロで沖縄諸島の最南端だ。

単純に考えれば、3,000キロを走れば日本を通過するということで、
もう3,000キロ走れば1往復と言ったところだ。
まあ、直線距離で考えればの話だし、そんな行動に深い意味はない。



それでは、この2週間足らずで1,000キロというのをもっとわかりやすく言うことにしようか。



家から片道5キロ(これだけでもうんざりするがね)の会社まで、
1日1往復と考えると1日の走行距離は10キロメートルだ。

つまり、簡単に割り算をすると、そんな大記録を打ち立てるのに100日かかることになる。
100日というと、約3カ月なわけだ。



納車がいつだ?……4月4日だから……2週間、
僕はどこへと向かうのだろう。




坊や「……nosumooさん?」
僕  「ん?」
坊や「前、こすられてますよ」
僕  「へ?」



4月中旬の北海道といったら、ようやくポカポカと日が差し込み、
ああ、ついに春も訪れたのだねと随分と気持ちがほがらかになる。
まだ、桜は咲いてはいないけれど、この新しい季節に皆の顔にも笑みがこぼれる。



僕は坊やを連れて、取引先へと顔を出しに行く。
新年度のごあいさつといったところだ。

移動時間と目的地までの距離を頭の片隅で処理しながらも、
片手に煙草、片手のハンドルと忙しく両手を動かしながらも、
助手席に座る坊やとの会話に花を咲かせる。

一通りスケジュールをこなした僕が少し早目の昼食をと飲食店へと向かう。
特段、豪勢な食事ではないが、それでも空腹な僕らを随分と満たしてくれるひとときだ。



僕  「これは払っておくよ」
坊や「マジっすか!ありがとうございます」
僕  「いいって」
坊や「これは出世払いで」



毎回のお馴染みの会話でも、僕らはいつだって笑っていられるのだ。



そうして、会計を済ませた僕らは、
次なる目的地へと走り出すため、そのときをじっと待つ僕の車へと戻っていく。



……が、



坊や「……nosumooさん?」
僕  「ん?」
坊や「前、こすられてますよ」
僕  「へ?」
坊や「見てください。塗料までついてますよ」
僕  「あらっ、ホントだ」




駐車場にひっそりと待機していた僕の車の前面には、
僕の車ではない色とまるでゾンビでもひきずったような跡がしっかりと残っているのだ。



坊や「これは終わってますね……」
僕  「当てられたか」



へこみこそなかったけれど、見事なまでにこすられた跡がついている。
あれ?そういえば、納車が4月4日で……?



坊や「完全に当て逃げっすね」
僕  「終わった……」
坊や「実は乗る前から何かついてんなとは思ったんですよね」
僕  「え?」
坊や「まさか、こんなひでぇことになってるとは」



僕も僕なのだ。
毎日、毎日、顔を洗いながら鏡を見るように、車の様子を見ていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。

しかし、坊やに指摘されるまで全く気がつかなかったし、
正直、いつからこの傷がついていたかも定かではない。



これが走っている最中にどーんと来たのなら別だ。
うぉい、うぉいと言いながら車から降りて、相手へ詰め寄ったかもしれぬ。

それが僕が不在のときに、キーッとこすって、やべっと思い、さっと逃げ出して、
ぼけっとした僕が戻り、ひょいと車に飛び乗り、すーっと走り出したのだ。



まあ、逃げた方だって、まさか僕の帰りを待って、当てました、済みませんなんて言うはずもない。
いや、善良なる市民ならばきっとそうしたのだろうが、そんな市民はこの国にはわずか数%もいないのだろう。



いろいろと考えたけれど、こんな状況から犯人が特定できるわけもないし、
当てられ損の泣き寝入りというのが一般的だ。
いつもは人と別の道を行く僕だけれど、こんなときはそうした皆さんのお仲間入りというわけだ。



しかしだ。
こうして、悲惨な事件が起こったというのに、僕と言うのは何とものんきというか、抜けているというか、
周りで騒いでくれる同僚を横目に、自分の中の自分と対峙をしてみる。



……ん?



何か引っかかる。



何だったろうか。



いや、待って。



そう、あれだ。



あれに違いない。



4月4日 親しい友から新しい友へ



まだそれほど遠い過去でもない、わずか2週間ほど前のことだ。

新しくやってきた友と握手をし、早速、乗り込んだあの日、
僕はみずからの口で小さなフラグを立てていた。



nosumoo

いやあ、ありがとうございます。
本当はね、僕の車は○○の××でと言いたいところだけれどね、こんなところで公表したら、いつかどこかから体当たりでもされそうなので、やめます。



まさか……、まさかね……。
こんな細々とやっているブログのコメントで、そんな喜劇があるはずもない。

ふとしたことからこんな書き込みを見つけ、
「体当たりされそうなので」→「体当たりしてくれ」と変換処理を行い、
あなたのそのギャグ、きちんと拾いましたよみたいになっちゃたんだろうかね。



それならばだ。そう、それならば、
きちんと「あなたの車見つけました。体当たりしておきました」くらいのメッセージは残してほしいよなあ。



まあ、傷は残っているんだけれどね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第508話 心がボキンと折れたらチャリンとする思考 2

2011年04月17日 12時01分50秒 | 真面目な社会
「恵まれない子のために愛の手をっ



募金というのは、お金を集めるってことだ。
まあ、そのままの意味だけれどね。
どうしてお金が必要かっていうと、お金がないからか、自分が蓄えている以上に必要だってこと。



話は変わり、この間、僕は長年つき合ってきた車を手放し、新しい車とあいさつを交わしたわけだが、
「これと交換ね」「はい、どーぞ」というようにすんなりといくものではない。

「これにしようか」「それじゃあ○○百万円で」というように、
いまだ握ったことのないような莫大なお金を請求される。



もちろん、僕にだって幾らかの貯金はあるさ。
しかし、通帳を何度眺めたところでゼロが足りないのは言うまでもない。
足りないのに買わなければならない、そうしていそいそと銀行へと足を運んだわけだ



僕 「新しく車を買いたいんだけれどね」
店員「そうですか。それではローンを」
僕 「ええ、その手続きをお願いします」



自分の店でローンを組んでもらえるという喜びか、
店員は少し浮足立ちながらも書類の用意を始めるわけだ。



ちなみにだっ
まだローンなんか組んでいない皆さんのために、少しだけわかりやすい説明をしましょ



このとき、どうして銀行員がウキウキしたか。
それはお金を貸すからだ。

では、どうしてお金を貸すと喜ばしいのか。
答えは簡単で、ただでは貸さないからだ。

例えば、100円を借りたとしたら、返すときには110円で返せと言うものだ。
これは貸す側が「あなたお金ないんでしょ。私が貸すから、返すときに少し気持ちを込めてよ」ということで、
金利なるものをつけてくる。


は・じ・め・てのア○ムとか、ご利用は計画的にのア○フルとか、
ああいうところも同じことで、銀行よりも少しだけその「気持ち」を多くしなければならない。

銀行はその「気持ち」が少ない分、借りるときにいろいろな審査がついてくる。
だって、借りたはいいけとれど、返せないとなると困っちゃうだろう




さてさて、小難しい話はここまでだ
そうして、僕はしぶしぶ銀行でローンを組んだわけだが、そのとき、心底思った。

僕が街頭に立ち、「車買いたいので、お金ください」なんて募金活動をしたら、
心優しい皆さんだもの、幾らか入れてくれないかしらね



きのうに続き、ここまで黙ってたけどさ、あんたの思考、どうかしてるよ
何で、あんたのためにお金やらねばならんのじゃっ



というように、ようやく皆さんも乗り出したところで、どうもおはよう、nosumooです
春らしくない寒い休日だ、皆さんも風邪なんか引かぬようにね。



さて、僕の思考はひとまず置いて、もう一度ゆっくりと現実を見つめ直してみましょ



今回の大震災のためか、至るところに設置された募金箱だ。
奇特な方を何名か見たが、封筒に数万円も入れてもってくるということもある。
はたまた、何軒もの店でお金を入れたという経験くらいなら皆さんにだってありそうだ。

しかし、実のところ、そんな心清らかな皆さんは、
そのずーっと前の時点で国へとお金を寄附している。
もちろん、募金箱に入れる額の何十倍ほどのお金だ


逆に、そんな心美しい皆さんは、きっとこれまでの募金箱はスルーしてきたはずだ。
コンビニのカウンターの横に設置された物悲しい募金箱は一体何のためかも思い出せないほどにかすんでいる。



……まあね、たしか、盲導犬だったか、車いすだったか、
変な話、ホントに使われているのかもわからないしね



では、逆にもらう側を見てみましょ。

僕は仕事で車を買いたい。困っている。お金がない。だれか愛の手でも差し伸べてくれないかしらね。
ある人は足が不自由だ。車いすはかなりの金額になる。足が動かないから働けない。困った。
ある人は地震で家をなくした。体は丈夫だが、泊まるところがない。避難所で寝るか。
ある人はもともと心臓が弱い。移植しなければ助からない。アメリカに行かなきゃ……。



困っている人は何らかの理由で困っていて、まあ、僕の場合は外して構わないがね
やはりというか、自分の力ではどうしようもできない額が必要なのだ。

それだからこそ、皆さんの力を必要としているのだが、
どうにも僕らときたら、そのときの気分次第でチャリンとするらしい。



最も不可思議なのは著名人たちの行動だ。
いやね、もともとそういう活動に積極果敢な人たちだったら納得はいくだろう。
しかし、ここぞと言わんばかりに、これまた見たこともないような額をボキン……じゃなくてチャリンするのだ。

ちょっと待ちなされ
その前からずーっと苦しんでいる方々は大勢いて、どうして今なのだという疑問が浮かんでくるのは当然だ。



……とまあ、これまでの一連の流れを見てくると、何だかこんがらがってくる。
ただ、何かしら一つの糸口が見つかってきた気がしないでもない。



要するに、自分の納得のいくお金であれば、皆さんはたとえ赤の他人でもホイホイと出すってことだ



僕らが税金を支払うのが嫌な理由、それは至極簡単なもので、
一体何に使われるかがわからない上に、その後にどうなったかがわからないからだ。


例えば、今回のように、地震で苦しんでいる人へという明確な目的があれば、
たとえお札だろうが、札束であろうが、バサリと行けるのだ。




……でもさ、臓器移植とかだったら、オレも納得するけどな
そうそう、盲導犬だって、私は納得できるわ



こんな返答はきっとあるはずだ。
しかし、それらとの違いは実は、僕らの目の前に存在する。



それが世にも恐ろしいメディアコントロールというものだ



僕らは知らず知らずか、知っているのか、
テレビをつけたり、インターネットを開いたり、そういったところで情報を入手する。

もちろん、井戸端会議や友人同士のお茶会だってあり得るだろうが、
その発端というのはメディアであることが多い



恐らく、あれだけ散々報道すれば、どんな情報にうとい人だって、嫌というほど耳にするはずだ。
心臓移植をしなければならない人のニュースがわずか5分だとして、
今回の地震はその数千倍ほどの時間が費やされる。



もう勝負は明白だ。



別に、理由なんてどうでもいい。
とにかく僕の車の件もメディアにお願いすれば、きっと数億円くらいは集まるだろう。



これって冗談じゃないよ
それほどまでに情報というものは力を持っているってことなのだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第507話 心がボキンと折れたらチャリンとする思考 1

2011年04月16日 17時38分14秒 | 真面目な社会
つい最近、ふと思い立ったようにDVDレンタルショップに行き、
ふらふらしながらたどり着いたアニメコーナーだ。

目の前に並ぶかわいらしいキャラクターたちを一通り吟味すると、
僕はそうして一匹の憎らしい豚が描かれたパッケージを取り上げた。



「紅の豚



いやいや、いいかげんにしろって話なんだよね
だって、僕はこの映画を数十回、いや百回以上は閲覧し、
ストーリーはおろか、セリフだって事細かに言えるくらいなのだ。

しかし、人間というのは、まあ、僕だけかもしれないけれど、何とも愚かなもので、
それほどまでに見ているのに、いや、それほど見ているからこそなのか、
よりによって、この作品を選び出した。

「おぉ!テンバー」で活躍したハーマイオニーもさることながら、
この作品にエントリーされている役者たちは何ともすばらしい方たちばかりだ

一人一人にしっかりとした役が与えられ、
性格を含めて全く違った個性がぶつかり合い、うっとりするようなハーマイオー……、
じゃなくて、ハーモニーを形成するのだ



そうして時間は刻々と過ぎ、エンドロールが流れ始めたときに
4回目の涙を流した僕は、時には昔の話をしようと言わんばかりに改めてつぶやいた。



「やっぱりフィオはかわいいよなぁ~



こんにちは、nosumooです
そろそろ雪解けも一段落し、車道にはまるで暴走族のようにチャリンコが滑走する季節だ。

恐らく、本州の、それも南の地域にお住まいの方には想像もつかない現実だろうけれど、
北海道というのは、雪が降る。
まったくもって、遺憾である

そうして、その冬の季節というのは、もちろんのこと自転車なぞでは走行が不可能である。
いやね、僕だってまだ若かりしころには、何とも無謀にも激走を試みたころはあるさ。

しかし、それはまだ心も体も初々しい青春時代の大馬鹿者気取りのもので、
今となっては、そんな行為がいかに危険かを理解するようになったのだ。

まあ、そうしてその他の動物たちと一緒に冬をぬくぬくと越した自転車たちが、この春、一斉に姿をあらわす。
春の風物詩みたいなもので、老若男女問わず、髪をなびかせながら、清々しくね



さてさて、そんな自転車暴走族の話はよしとして、
先ほどのお話に戻りましょか。
要するに、何のことはなく、スタジオジブリの「紅の豚」を見たのだ

お転婆娘が好みのタイプであれば、もちろんこの映画に登場するフィオだってその権利はありそうだ。
正直、この年になると、きれいで落ちつきのあるマダム・ジーナに恋でもして、
ハリウッドを目指しつつも大統領になるぞ宣言でもしてみましょうかというのが筋ではある。

だってね、結局、フラレて心がボキンと折れるのだ、敬遠したいのは当然の帰結だ。
それに、あまり人づき合いを得意としていない僕にとっては、
ぐだぐだする僕を強引にでも引っ張っていってもらわないとなあという気がするわけだ。



なーんてさ、僕のくだらない趣味嗜好のお話かなんて思っちゃったかな。
そりゃあね、こんな感じで文字を書き連ねればそういう方向に向かうだろう。

ただ、僕のきょう書きたかったこと、
それは導入の部分の、それもかなり初めの方に出てくることなのだ



というわけで、改めまして、こんばんは
実は、書き始めたのはおやつの時間ごろだけれど、もう夕方になっちゃったのだ、許してほしい。



さて、僕がそんな映画に魅了されている最中も、
日本の半分はまだまだグラグラと足元がおぼつかないらしいね。

いやあ、これは別にあんな大災害に無関心だなんていうことじゃあないよ。
ただ、それは被災された皆様だけに限らず、どうやらお国のてっぺんだって同じ状態だということさ。

それにだよ、別に僕は自分で偽善ぶるつもりは毛頭ないけれどね、
きちんと義援金だって、至るところに設置されている募金箱にせっせと入れているのだ。



というわけで、ようやくと本題の義援金に移りましょ



……あの、ここまでずっと黙って聞いていたけどさ、我慢はしてたけどさ、
本当に申しわけないんだけど、上の話、要らなくね



まあ、そう言わないでくだされ。
これでも、いろいろと工夫をしている最中なのだ。



そうそう、その日も僕はレンタルDVDショップに行き、カウンターをきちんとすり抜けたわけだが、
何とそこにはきちんと義援金をよろしくというぐあいで、小さな箱が設置されている。

僕はウキウキした足取りでお店を出ると、
映画を見ながら煙草を吸いたくなる衝動にかられ、コンビニへと向かう。

するとどうだ。
もちろん、そこのカウンターにも被災された方々へというフレーズで小さな箱が置かれている。

要するに、どこもかしこも至るところで募金が行われているわけで、
いよいよ日本人というのは何とも面倒な人たちだなあと思わされてしまったというわけだ



どういうこと
困っている人を助けたい気持ちのどこが面倒なのさ



例えば、僕らは、時々、税金と称したお金を国に預けるわけだ。
本当はね、払いたくはないのだけれど、それがこの国で生きる条件であるということで、
まあ、やむなく支払っている。

もちろん、今回の大地震だって、きちんと国では予算を充て、復興に力を入れるわけだ。
そのときに使うお金というのは、議員や官僚のボケッツマネーではなく、僕らの税金であり、
変な話、僕らがこうしてせっせと募金をしなくたって、お金は僕らからきちんと収集されているということだ。



だから、いいじゃんよ、お金はないよりあった方がいいんだしさ。
別にあり過ぎて困るものじゃないでしょーに



もちろん、そんな理屈を否定する気はない。
恐らく、国で確保できる予算なんてたかが知れているし、それ以上に莫大な財源を必要としているのは確かだ。



しかしね。



案外、皆さん、素直でいらっしゃる。



どういうこと



だってさ、税金だと言われれば、払いたくない、やり過ごしたい、なかったことにしたい。
でも、募金となれば、だれから強制されるでもなく、チャリンと入れられるわけだ。

現に、僕はさまざまなお店に出入りをしたが、お金の入っていない募金箱は見当たらない。
まあ、額には多少の違いはあるけれどね、どんなに少ないなあと思って見ていても、
逆さにして勘定すれば、相当な額が集まっているのだ



疑問はまだある。
ふだんは素通りしてしまう赤い羽根募金などはどこかへ追いやられ、
とりあえず、地震の被災者には1,000円くらい出してやろうか。

なんてことだ。



さてさて、一体どうしたものかね
無駄な話のせいか、事の重大さか、とにかくこの話は久しぶりに続きが書けそうだ。
あしたは日曜日だし、じっくり煙草を吹かしながらもう一悩みも悪くはないよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第506話 おぉ!テンバー!

2011年04月11日 16時52分18秒 | 日記
同僚「nosumooさんの好きな女性のタイプってわかりづらいですよね」
僕  そうかな。結構はっきりしているんだけれどね
同僚「どんな子がいいんですか」
僕 「う~ん、元気な子がいいね
同僚「元気な子……ですか」
僕 「表現が難しいなあ、活発というか、はきはきしているというか……、そう、おてんばな感じ」



夜、眠ろうと思い目を瞑る。
電気は消して、カーテンを閉め、真っ暗で静寂な部屋の中で、さらに目を閉じるのだから、
そこがどれほど暗闇に包まれている世界であるのかと時々恐ろしく思う。

しかし、実際はそんなことはなくて、
そんな真っ暗な部屋の中で目を閉じれば、そこには無限の空想の世界が広がっている。
瞼(まぶた)の裏には暗闇とは対象的な色鮮やかな景色が広がり、
しんとした部屋にもかかわらず、さまざまな声が頭の中に響くのだ。



???「ちょっと、聞いているの



その日の僕も布団を口元までかぶると、皆さんと同じようにそうして空想にふける。
そんな物語の最初の1ページは決まって何となく頭に浮かんだことが多い。

「きょうは絶対にあんなことやこんなことを思い浮かべてやるんだいっ

そうして意を決し、ベッドに潜り込む奇特な方たちもいるかもしれないが、大抵は違う。
いやね、そんな皆さんをけなしているわけじゃあないんだよ。
それはそれですばらしい才能であるし、僕だってできればそこまで気を配りたいもんだ。

「さて、寝るか。ああ、布団がいい感じに冷えているね。こりゃあ気持ちいいや。ああ、あしたどうようかな。あれっ、目覚まし時計かけたっけな。何時に起きればいいんだろう。ってか、肩痛いな。あっ、足つりそう……。ところで、目覚ましかけたんだったかな」

要するに、こんなくだらない事柄が溢れ出すように頭をかすめては消え、
そんなこんなで大きく深呼吸でもしながら、ようやくゆっくりと空想の世界へといざなわれる。



ハーマイオニー「ねえハリー、聞いているの



皆さんもご存じのハリーポッターという映画に出てくるハーマイオーである
なぜ頭に浮かんだかって?
そんなものは知らないよ。それは先ほど言ったとおりだからね。

とにかく、そうして目を閉じた瞬間、ハーマイオニーがハリーをしかりつけているところだったのだ。



さて、皆さん、ごあいさつが遅くなりましたが、こんにちは
何だかよくわからない導入部分だったかもしれないが、一体何を伝えたかったかおわかりでしょかね。



えっ?だから、nosumooはハーマイオニーが好きだとか



ということになるのが通常の思考なのだ、安心していい。
しかし、僕の思考回路は変なところで屈折しているらしいのだ。
いけないところはまだあって、それをうまく口にすることができない点だ。

これまでの人生の中では、こうして理解を得られず何度となく相手を怒らせたことがあるがね、
僕もそんなことはとっくにわかっていて、そういうことはもう気にしないように……



いいから、早く進みなさいよっ



あっ、はい

それでね、自分の好きな女性のタイプを突然聞かれたわけだ。
僕はテレビを見ない時点で、どの芸能人が好きかと言われなかっただけまだマシで、
僕もそんな何気ない質問にもかかわらず、しっかりと頭をひねってみたのだ。

そうしてようやく出た言葉があれだ。
そう、「おてんば」というこれまた懐かしい響きのするもの

しかし、僕もその言葉を口にしてしまったわけだが、
どういう様子を言い表す言葉なのか、そこがイマイチ表現できずに固まってしまったのだ。


言葉というのは、生まれは消えていくもので、その消え方というのが自然消滅というか、
みんなが使わなくなったら、そうですか、それじゃあ、さようならというぐあいに消えていく。
そうして、この「おてんば」という言葉もいつの間にか僕らの前から姿を消した。




確かに、おてんばなんて最近聞かないねえ



うむ。
昔、ドラゴンクエストⅣでは、おてんば王女アリーナなる人物も存在したわけだが、
今となっては、「おてんば娘」なんてどこに行ったって聞きやしないじゃないのさ。



僕 「その、何ていうかな、元気があるというか」
同僚「おてんば……
僕 「天真爛漫という言葉とも近いが、ぴたりと当てはまるわけでもないね」



恐らく、この「おてんば」が使われなくなったのは、言い表す人がいなくなったせいだ。
そして、それは僕の好きなタイプも存在しないということも同時にあらわしている。

というわけで、少し残念な気がするが、このまま謎ばかりをふやすのもよくない。
やっぱり辞書を引いてみる以外にはなさそうだ



【おてんば(お転婆)】
恥じらいなくはしゃぎ回ること、またその様子、人物を言う。



おぉ
何と的確に表現したものだと僕もついつい辞書には感心してしまう。

しかもだ。
何とこの「お転婆」とは、元はオランダ語のontembear(オンテンバール)がなまったものらしいのだ。
要するに、カステラと一緒で、数百年も前に生まれた言葉ということだね。

さて、事前の調べ物がここで一段落すると、
そうして、改めて自分の理想の女性像を思い浮かべ、比較検証の作業へと移るわけだ。



……う~ん



確かに、何となくだが、ぼんやりと見えてきたものがある。
そもそも僕には恥じらうということがない。
何かを恥じるということは、自分への自信を一つ失うということだ。

できない自分、わからない自分を認めなければ、次へのアプローチもできない。
そのまま土に埋もれていてもいいかもしれないが、世界に飛び出さなければわからないこともある。
きっと、それは僕に失うものが何もないから、努力を必要とせずに容易に行えるのだろう。



ハーマイオニー「ちょっとハリー



劇中の彼女がああして見せる姿はお転婆とは少しは違うのかもしれないが、
こうして国境を越えても、共感できる性格であるということだけはわかる。

もちろん、彼女が容姿端麗であったというのは起因しているのだろうけれど、
あの役づくりも大いに関係があると踏んでいるのは僕だけだろうかね。



映画やアニメ、漫画や小説など、
これら空想の世界に住む女性には多く存在するお転婆さんは、

「こういうものにしか存在しないようなキャラ」

なんて一言で隅へと追いやられてしまうのだろう。
でも、俯瞰して見ている女性陣にだって、やっぱり理想の男性像というものはあるのだ



結局、そんな理想は瞼の裏にペーストするくらいが関の山で、
もう少しだけリアルな世界で僕らは楽しくやっていくのだね。

そうそう、もう春だしね。
一歩くらい外に出たっていいじゃないかっ



なんて、頭で言い聞かせながら、
会社の飲み会のときに古びれたジーンズとトレーナー1枚で参加した僕が言うのだ。
そろそろ桜も咲かざるを得ない。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

第505話 親しい友から新しい友へ

2011年04月04日 17時52分56秒 | 日記
もうすぐ春ですね~恋をしてみませんか

皆さん、お久しぶりです。nosumooです
4月になりまして、一層春めいてきたこのごろ、皆さんもそろそろお外に一歩踏み出したかな。



この春というのは、何とも不思議な季節であり、
心がウキウキ、ワクワク、ドキドキするというもんだ

なぜ、この春に限ってこんな感情が心の中で踊り始めるかというと、
皆さんもご存じとおり、変わり目の季節だからである。



4月というのは、僕らの人生では気分を新しくし、物事の始まりを感じさせる。
入学式であったり、入社であったりと
寒々しい季節に心地よい風を送り込むかのように、僕らの環境も少しの変化を遂げるのだ。


そうだ、私も4月から高校生になるんだった
ああ、俺もようやく大学生か
学校っていいよね、私なんか働かなきゃいけないんだよ



とまあ、こんな感じで、それぞれがそれぞれの環境にうまく適応できるかどうかを心配し、
その半面、新生活への期待でそわそわしているころでしょうにね。



別に1年だけ学年が上がっただけで、大して変わらねーよ
ってか、もう3年生か、卒業嫌だな~
おまえら気楽でいいな、おれなんかいつもと変わらず仕事漬けだよ


……なんて、こんな様子で、そわそわする皆さんをよそに余り変わらない人生を嘆いている方もいるのだろうね。



さてさて、僕はというと、環境面では目立った変化はないにしろ、
今まで僕とともに行動をしていたものへと別れを告げて、きょうから新しいパートナーができた

そりゃあね、僕のもとへと寄り添ってからはまだ数年程度だが、
ここまで走ってきた道というのは長く険しいものであった

僕としても、そんな寂しい別れは嫌だと思うが、こればかりはどうしようもない問題で、
ばらばらになるよりは早目にさよならをした方が向こうにとっても幸せなのだ。



そう。

そして僕は、きょう、今までのお礼とばかりに汚されたその体をきれいにしてあげて、
夕日の彼方に走り去っていったその姿を目に焼きつけ、今に至るのだ。



……はて、その、何ていうか、ちょっと感動しようと思ったんだけど、何か変じゃないの
そのさ、「体を洗う」ってのはどういうこと?何で、別れ際に体を洗うのさ



いや、ドロドロのままではかわいそうじゃないか。



いやいや、何で体がドロドロなのさ。
まさか、その子は建設業関係とか、そんなことか?



いや、建設業も何も、車くらい最後はきれいに洗って格好いい姿で走り去ってほしいじゃないか。



……



ははあ、皆さんは何か途方もない勘違いをされたかな。
簡単に説明するとだ。
新しい車を買い、きょうそれが届いたというわけだ。



何と間際らしいやつだ



まあ、ひねくれているのはもともとだし、皆さんだってそれをわかってここに来ているのだろう。
それとも、最初からわかっていたとにやりとしているころかな。

とにかく、もう結構な距離を走ったもので、営業の方からこれ以上だと下取りできなくなりますと言われていたのだ。
それは困る、下取りをしていただかないと次の車が買えないじゃないかと言ったもので、
それでは、新車をどーぞとパンフレットを差し出されたというのがことの発端だ。



そりゃあ、車が新しくなるというのは別に悪いことではない。
ただ、僕というのは、変化するということに少しの努力が必要な人間なのだ。

心機一転という文字のとおり、
何かが変わるというときには、少なからず転ぶほどの衝撃を受けることになる。

例えて言うなら、しんと静まり返った洗面器の水を新しくするには波が立ってしまうのと一緒だ。
それがどうしても嫌で変わらぬ日常を繰り返すわけだが、
そうしているうちに、その衝撃そのものを拒むようになる。
本来、そういったインパクトとは必要なもので、避けて通るべきではないものであるがね。

今の世の中は本当に便利で、転ぶことから回避できるときたものだから、
自室にこもってパソコンをおもちゃにする人たちが大勢いるのだ。



さて、話は少し戻そうか
とにかく、そんなこんなで、きょうから僕も新しい仲間とともに道を走っていくわけだが、
今までの恩を返すようにと洗車をしに行った。

もちろん、そんなことは僕がやらずとも引き取られた先でピカピカに磨いてくれるわけだが、
それでは誠意が全くないのだ。ありがとうという言葉だけではなく、態度もきちんと表明したい。



店員「いらっしゃいませ」
僕「洗車をお願いします。中もきれいにしてくだされ」
店員「かしこまりました」



数時間後



店員「いらっしゃいませ」
僕「先ほど洗車を頼んだんだけれどね」
店員「こちらになります」
僕「随分きれいになったもんだ」
店員「あの……」
僕「何かな」
店員「実は、車内を清掃していたら、いろいろと床に落ちていて」
僕「ああ、済まないね」
店員「それらをダッシュボードに入れておきました」
僕「ありがとう」



僕は丁寧に店員にあいさつをすると、早速、車に乗り込んだ。
最敬礼でもするかのように深々と頭を下げた店員を横目に、僕はすっーと走り出す。
そして、先ほど言われたことを思い出し、ダッシュボードをパカリ。



僕「えっ



そこには、いろいろという言葉では済まされないほどの大量のライターと
100円玉と50円玉が1枚ずつ、それに自宅のカギ。



ある意味、どんな遺跡後よりも発掘率の高い場所であった。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする