NOSUMOOの犬死日記

日々のくだらない話と不思議な話が核
MAIL nosumoo@mail.goo.ne.jp

第592話 割れないガラスよりも割られないガラス

2014年06月17日 23時18分21秒 | なるほど心理・科学
ついには、妻が警察署に電話をした。



僕「これはだめだね」
妻「そうでしょう?頭に来るよね」



僕らが住むマンションの前には、割と大きな公園がある。

別段、それが目当てでここに住んでいるわけではないが、
我が子が生まれてからは、こういう環境も悪くはないと思っている。

小高い山や大きな木、遊具に広場、そして、野球場があり、
平日の学校が終わるころの時間や休日には多くの人でにぎわう。
また、夜には、どこから集まってくるのか、ランニングをする者までいる。



僕「確かに、これは迷惑な話だ」
妻「注意して、逆上されて殺されたら困るしね」



都会というほど中心部に位置していないのだが、
これほど多くのものが整った公園は珍しい。

しかし、ここが住宅街であるということが原因しているのか、
これほど多くの者に利用されているにもかかわらず、駐車場がないのだ。

そのため、休日には公園の外周にはびっしりと路上駐車の車が並ぶ。
特に、野球の試合がある日などは、まるで芋虫のような連なりができるほどだ。



妻の逆鱗に触れた決め手となったのは、
その公園の入り口に堂々と駐車した大ばか者がいたことで、
自分も含めた公園利用者が不利益をこうむったということらしい。



妻「あれじゃ、ベビーカー押して入れないじゃない」



僕の見ていた限りでも、近所の子どもだろうか、
自転車で公園内に進入を試みようとしたが、先ほど話した車が原因で危うく車にこするところだった。
妻としては、ぜひともこすってもらいたいくらいだったろう。



妻「まあ、駐車場もないし、百歩譲って路上駐車はいいとしても、入り口を塞ぐのはね」



そうこうしていると、赤いランプを点滅させたかわいらしい軽自動車が登場する。
僕としては、何だか逃げたくなる対象であるが、今度ばかりはその様子を興味深く見つめる。

その白黒の車は、そうして公園付近をうろうろすると、ついにはスピーカーから大きな声を発する。



「路上駐車されている車は移動させてください」



僕には、否応なしに切符を切ったくせに、何とも心優しい対応だ。
できれば、今すぐレッカー車を呼んで一台ずつ運んで行ってもらいたいくらいだ。

そして、そんなアナウンスの効力だったのかは知らないが、
ぱらぱらと車の持ち主が自分の車にやってくる。
これで一安心と思いきや、どうやら何かを話して、再び公園内へと去っていく。

地域の交番は、これだからだめなのだ。



そこへ、何ともいいタイミングで、今回の主犯(?)である
入り口前に駐車していた車の持ち主が車にやってくる。

何とも運がいいのか、運が悪いのか、

僕は、おもむろに窓ガラスをノックすると、
車の中からまだ30代であろう女性がドアを開ける。



僕「ここ、公園の入り口だから、移動させて」



向こうの女性は、まるで死刑でも宣告されたような顔で、うんとうなずく。

それはそうだ。
このときの僕の格好ときたら、黒いズボンに黒い長袖、黒いサングラスと
もしここにコナンがいれば、黒ずくめの男と勘違いをされ、麻酔銃が飛んできただろう。



妻「言ってきたの?」
僕「うん」
妻「それにしても、やっぱり、ないよね?」
僕「まあね。野球をやってるのだからマナーぐらいは守ってほしいもんだ」
妻「一台とまれば、いいんだと思ってとめていくのかな」
僕「それは、割れ窓理論だね」
妻「何それ?」



どうもこんばんは。
黒い男、nosumooです。

何とも長い導入ではあったが、とにかく、こういうわけで妻は憤慨している。
確かに、こうした問題は実際に自分が被害に遭って初めてわかるものも多い。

例えば、目の見えない人のために設置された点字ブロックだって、
僕らにはまるで関係のない話だ。

どこで途切れていようが、途中に障害物があろうが、
ほとんど気づかずに生活している。
しかし、みずからが盲目になれば、多くの困難が待ち構えている。

逆に、あの点字ブロックのせいで、
車椅子使用者やベビーカーに乗った赤ん坊の脳ががたがたと揺さぶられるという問題点ある。

みずからの問題として捉えられるかどうかで、世界はまた違って見えるのだ。



さて、今回はそんな社会風刺をしようということではなく、
妻の頭に疑問符をつけた割れ窓理論をご紹介しましょか。



  なるほど、車の窓ガラスをたたき割れってことだな?



いや、そういう話ではない。
これは、先ほどと繰り返しになるが、妻はきっとそれでも文句は言わないだろう。



この割れ窓理論というのは、アメリカのジョージさんという犯罪学者が提唱したものである。

ニューヨークのスラム街など、治安が悪い場所はどうして治安が悪いのかという話で、
結局のところ、割れた窓を放置しているからだという簡単な話だ。



  む?……全然わからんのだけど。



つまり、犯罪者というのは、目が行き届いているところは決して狙わない。
映画じゃあるまいし、鉄壁の金庫からお金を盗んでやろうとする者などいなく、
同じ大金であれば、鍵のかかっていない、誰の監視もない金庫からいただくのだ。

窓ガラスが割られているのに、それを放置するということは、
ここは、そうした治安維持がなされていない場所であると判別され、
次々と窓ガラスが割られ、犯罪が多発するということだ。



  赤信号、みんなで渡れば怖くないってやつ?



そのとおりだ。

一台の違法駐車があり、それを取り締まることがないために、もう一台が駐車する。
2台もとまっていて大丈夫なのだ、自分もとめてしまえというぐあいになり、
しまいには、先ほどのように、ぐるりと車が取り囲んでしまう。



さらに、集団心理の恐ろしいことは、
こうなってしまうと、法を犯した者に罪の意識が薄らいでしまうことだ。



「あいつもやっているのに自分だけが取り締まられるなんておかしい」
「いや、そもそも、こんなに大勢がとめているんだから、駐車場がないほうがおかしい」



こんな感じで自分を正当化してしまう。

もちろん、やっていることは極悪とまではいかずとも、よくないことである。
しかし、その認識をも覆してしまうほどなのだ。



さてさて、
この辺でいよいよ本題だ。

この割れ窓理論には続きがある。
こんな状態になった場合にどうやって解消するかということだ。

まず、一台でも路上駐車がいれば、即刻、取り締まる。たとえ、本件と関係がないものでもだ。
そして、警察など、治安維持を業務とする者が日々取り締まる。



一番初めに説明した割れた窓ガラスならば、
ガラスを取りかえるという割と簡単な方法で解消が可能だが、
今回のように、法を犯す場合には警察権力が必要となる。

現に、我がまち札幌の名所であるススキノの違法駐車は、
この徹底的とも言える日々のパトロールにより、違法駐車が激減した。
つまり、この解決策は、理論の話だけではなく、実証されているのだ。



では、僕の住むマンションの前の公園ではどうだろうか?



地域の交番というのは、残念ながら、そこまで暇ではないのだ。
いや、いつかに説明したとおり、暇を持て余しているのではあるが、
この公園にだけ張りついているわけにもいかないのは明白だ。



これが地域の問題の解決が難しいところなのである。



タイトルにあるように、割れないガラス(権力に頼った解決策)ではだめだ。
人、物、金とテレビで嫌というほど耳にするこれらは、
僕ら民間人には持ち得ない代物だ。



  じゃあ、どうするのさ?このまま、黙って見過ごすのかい?



うむ。
そこで、逆転の発想が必要となる。

たとえボールが当たって砕けてしまうような割れやすいガラスでも、
割られなけばいいはずだ。

つまり、「ここにとめるのはマナー違反だ」と本人に自覚してもらうのが一番いい。



  一体どういうこと?



僕らが何に罪悪感を感じるかということだ。

例えば、道端で歩きたばこをする者でも幼児の前では気を使ったり、
例えば、ごみをポイ捨てする者でも学校の前では控えたり、

特に共通してあるものではないが、人にはそれぞれ思うところはあるはずだ。



成功事例は幾つかある。

路上駐車がひどいところに植木鉢を置いたり、子どもが描いた両親の似顔絵を飾ったり、
ここの前にはとめないでおこうという心理がいい意味で働くのである。



さて、僕はどうしようか。

とりあえず、花束とワンカップでも置いて様子を見ようというのは、
それこそマナー違反なのだろうかね。
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第496話 揺らぎの緑

2011年02月05日 11時20分12秒 | なるほど心理・科学
私は人を殺さない。

そんなことをしても得がないもの。



ほら、君の周りを見てごらん。
誰かをやっつけただの、誰かを倒しただの、そんな漫画やゲームで溢れかえっているだろう?



僕は人を殺さない。

だって、それだけはやっちゃいけないって教わったから。



教わっただって?一体誰に?



僕らの性格や人格と呼ばれるみずからの意思や思考を形成する見えない自分は、
おおよそ自分たちが育ってきた環境によって左右されることが多い。



「殺人鬼の息子は生まれながらの殺人鬼」



こんな妄想はもう何十年も前の何の根拠もない不確かな言い分で、
今ではそんな論法を武器に世界へ渡れば、幼子を相手にするかのように大笑いが返ってくる



「殺人鬼として育てた子は殺人鬼」



一般的にはこんな理解でいいだろう
要するに、どんな健全な精神をお持ちの方だろうと、しっかりと丹念に教育をすれば、
その人は鬼にだって、悪魔にだってなり得るということだ。



さあて、それじゃ、皆さんはどうですかね



はぁ?何を言っているの?それってケンカでも売ってるの?
まさか俺が、私が、殺人鬼なわけないじゃんっ!!



でもさ、皆さんはこうしてしっかりと熱心に教育をされて、死刑制度には首を縦に振るんだろう?



いやいやいや、別に誰から教わったわけでもねーよ
そう、私たちは私たちがみずから考えてそう思うだけよ



そう、ここが一番の恐ろしいところで、
僕らにとっての正しい情報というものが至るところで改ざんされているのである。

それはまだ歴史のページをそれほども遡らない60数年前のこと。
僕らの住む日本という国は何とも愚かな行為に走り、世界を大混乱へと招いていった。



君たちがまだ小学生ならば、どんなに話が早かったかな。
中学校に入学し、高校を卒業し、大学生へとなった君にはもはや知る術もない。

君たちが受験だ、センターだとわめきながら必死に覚えた日本史は、
信じがたいことにまるで嘘っぱちの言葉で埋め尽くされているのだ



そのころの僕ら、いや、まだ生まれていないのだから、
僕らの両親や祖父母、曾祖父母はどんなにじっくりと優れた教育を施されたのだろうか?



え……っと、今と変わらないんじゃないの



人を殺せ。



えっ!?



人を殺せと教育されたのた。



皆さんも言葉ぐらいは知っているだろう。
第二次世界大戦が始まるほんの少し前のことだ。
日本はみずからの力を誇示しようと世界進出を試みた。

まるで世界に興味を示さなかった鎖国状態の間に、たった数隻の黒船に怖れ、慄き、
この世の終わりがやってきたと僕らが狂い叫んでから、まだ100年も経っていないころだ。

日本は日本という島国に飽き足らず、中国へと侵略を行った。



まあね、これはさまざまな歴史を見ても、別に日本に特化したことではない。
イギリスもフランスも、ドイツもスペインも、
名だたる先進国と称する国々はどこもかしもそうして自分たち以外の国へと攻め入るのだ


そんなときに、僕らで言う自衛隊だけでは事が足りなくなってくる。
すると、僕ら民間人までもが戦地に赴き、その手助けをしなくちゃあならないのだ。


しかし、僕らはただの民間人。
せんべい片手にぐうたらしながらテレビを見ていたんだもの。
一体、どうして森の中を駆けてみたり、銃を誰かに向けることができようか。



そこで行われるのが戦闘訓練だ。



いいか、日本人以外はみんな敵だ。もし出会ったら迷わず殺せ。
何の躊躇もするな。すぐに引き金を引いて、相手の命を奪うのだぞ!



僕らはそれでもポカンと口を開けたままだ。
だって、だって、実際やったことないしー、人なんか殺したくないってばよ。



ようし、それじゃあ、実践訓練するか。
そうして、訓練は行われる。
人に見立てた人形を置き、教官は両手を広げて僕ら言うのだ。



それにお前の持ってる剣で突いてみろ。



は、はあ……。えいっ。やあ。
これで、どーですかね。



うむ。それじゃあ、次はこいつに同じことをするんだ。
今度は教官がどこから連れてきたかわからない人を目の前に立たせる。



えっ。あの……、これって人ですよね?



だから何だ。さあ、早くやりなさい。



あの、人殺しですよね。いいんですかね。



やりなさい。



僕らの人格というのは、生まれながらの遺伝子をベースとしながら、
これまでの環境によって大きく左右される。

人を殺せと命じられ、やむなく殺した善人であっても、
それが正しい行為と諭されれば、僕らは笑って人を殺せるのだ



今の僕らと来たら、世界のあちこちで起こる紛争などに怖いわねえと言いながらお茶をすすり、
いやあ、日本に生まれてよかったとほくそ笑みながら、アジア諸国を卑下する。

尖閣諸島問題も竹島問題も日本人拉致事件も
今の僕らはすっかり過去のことは忘れて怒りを覚え、あんな奴らは死んでしまえと罵れる。



だって、あついら悪だもの。
日本の教科書にも俺らが悪さをしたなんて書いてないぞ?



情報というものは恐ろしい。
それは都合のいいように抹消され、加工され、つくり上げられるものだから。

たとえ炎のように揺らいでいる事実だとしても、
僕らの目に映るのは洗練された美しいほどの球体となる。

ねつ造にねつ造が繰り返され、ようやく本物がどこへも見つからなくなったところに生まれた僕らは、
椅子にもたれかかり、ジュースを片手に正しいとされる情報に踊らされる。

君の遺伝子にはしっかりと人を殺した遺伝子が残されていて、
今は死火山のように眠っているだけなのだ。



……でもさ、ホントのホントに人って殺しちゃいけないの?
いいじゃん、いなくたっていい奴って本当にいるんだよ?



そうしてもう一つだけ奥の扉を開いたときに、
本当の意味での倫理とは何かというものを考えられるんだろうなあ。



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第487話 振り返りSP

2011年01月20日 17時20分16秒 | なるほど心理・科学
さあて、自分探しの旅も変なところで中断せざるを得なくなったわけだが、
こういうものはゆっくりと進めていくのもいいでしょ。

どのみち、短期間で解決できるレベルではないからね。

さて、人間に二面性(多面性)があるかどうかというコメントから、思わぬ方向へと展開していった話である。
なかなか面倒な話となったが、これもまあ頭を悩ませるいい機会だと思ってね。



僕らが二面性という言葉を聞いたときに真っ先に感じるのは
ずる賢いとかいやらしいといったマイナス要素である。

あいつは、裏では結構適当なことを言っているが、先生の前ではいい子ぶったり、
あいつは、仲間うちではいい奴なんだが、どうにも表に出ると評判がよくないなどなど。

なんだか何事にも裏表なく真っ向勝負をしている者からすると羨ましくもあり、また、妬ましいと思うんじゃないかな。

しかし、その人にはその人なりの対応を心がける何とも器用な特徴とも言えるだろうし、
そういう意味では、一つの武器にもなったりする。
人によっても大きくと違ってくるのもおもしろいところである。



お前さあ、それぞれの奴に合わせて、何といい加減な奴だと罵られることもあるだろうし、
お前さあ、少しは裏表使って人と接した方がいいよと苦言を呈されることもあるだろう。



二面性(多面性)というのは、どうにもその場その場で得られる印象が違うものだが、
何ともすばらしい特殊能力だと言っていいものか、それとも、早目に治さなければいけない性質であるのか、
僕の焦点の当てどころとはおおよそこんなところだ。


さてさて、話はだんだんと小難しくはなってしまうが、
僕らは一体どうやって自分という人格を形成しているのか、こんなところに突っ込んでみましょか。

例えば、あなたって兄弟によく似ていらっしゃるとか、親そっくりだなどという言葉もよく耳にするよね。
大昔は、こうした特徴を遺伝ではないかという認識が強かった。
要するに、生まれながらにして持っている遺伝子により、性格が左右されるという結論だ。

しかし、こんな考えも精神医学が発達していく過程において、どうやら違ったようなだということがわかってきている。

僕のブログでもご紹介をしたように、
遺伝:環境=2:8ぐらいの割合で人格が形成されていく。

よく例に出されるのは、一卵性双生児、つまりは瓜二つの双子のことであるが、
同じ環境にいれば、骨格や体系、仕草や話し方、さらには好みまで似てくるという実例がある一方、
生まれた直後に引き離せば、まるで別人のように変貌を遂げるのだ。



いよいよ話が進んでいくわけだが、
それじゃあ、僕らの性格、つまりは人とのかかわりをどこで学んでいくのかという大詰めに参りましょ。

今までの様子から察するに、僕らの性格の大半は環境によって決定づけられる。
では、その環境というのは一体何ぞというと、主に幾つかに分かれていく。

まず、自分の性格の基礎となる部分、これは主に母親、父親など育児に携わった者から受け継がれる。
だからこそ、今まで性格とは遺伝により受け継がれているのではないかという考えがあったのだ。

しかし、僕らが接するのは何もそんな少数の特定された人間ばかりではない。

例えば、物心がつき始めれば幼稚園や保育所にでも通うだろうし、
それが終われば小学校、中学校、そして高校、遊び心があれば大学や専門学校などにも行くかもしれぬ。

こういったさまざまな人間関係を経て、性格というものが少しずつ形成されていく。



さてさて、こんな感じで二面性がどこでどのように形成されるかというポイントがおおよそつかめただろうかね。

しかしだ。
ここからがなかなか面白いところで、そんな特殊能力を意図的に使い分けているケースとそうでないケースがある。
つまり、他人に指摘をされて初めて気がつく自分の意外な一面って場合も大いにあり得る話なのだ。

以前にやった「涙」にしても、「無意識」についても、
どうやら僕らは他に類を見ない面白い能力があるにもかかわらず、実はそれを自覚していないことが多い。

これがいわゆる僕らの悩みの種の一つなのだ。
だって、僕らの体や性格のことなのだから、僕ら自身が一番わかっていてもよさそうなもんだ。
それだけに、僕らはこんな能力を少しだけ特異なものへと押し上げたのだ。



だって、意識していないんでしょう?
ということは、自分に全く別の人格がいるにもかかわらず気づけないってことだ。

少し会わなかった友人に変わった、変わったとうるさいくらいに言われる。
自分自身ではそんなつもりはないのに、もしかしていつの間にか自分が入れ替わっていたりするんじゃないか。



フロイトやユングが研究をしていたころはこんなことは知る由もなかった。
だからこそ、こんなことに興味を覚え、研究対象の一つとして熱を入れていたのだ。



さあて、また今週末からはくだらない話に戻りますか。
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第482話 嬉しくて、悲しくて、怖くて、驚いて。

2011年01月13日 00時00分01秒 | なるほど心理・科学
こんばんは、smooskyです。



呪いだとか、祟りだとか、そんなありもしない虚無の事象に
現実と空想の区別もつかないで、身勝手に怖れ慄き、その身を震わす。

僕らがただの元素の塊だというどうしようもない事実にすら目も向けず、
まるで神の与えたもうた奇跡の産物であるかのようにみずからの存在に陶酔する。

その身を燃やしてしまえば、そこに残るのはただの灰ばかりだ。
それでもなお、まるで道端の小石のように気にもくれず、未知なる可能性に憧れる。

この世の果てまでたどり着こうとも、特別な能力などはありはしない。
いや、むしろ、本来備わっていたすべての感覚をそぎ落としてきた結果が人間という悲しき集大成なのだ。

しかし、それでも僕は知っている。
僕らがそうして至高の存在としてこの世界に君臨するための
人間にのみ与えられた美しいほどに神秘な能力を。



僕はそれをナミダ(namida)と呼んでいる。



……あの、そろそろいいですかね



こんばんは、nosumooです。
どうにもまたまた手を動かすのも面倒臭くなった今日このごろで、
smooskyという人物もこんなときにこそ役に立つといったように前座を任せたわけだ

すると、どうだ?
ここぞとばかりに、また訳のわからぬ話をし出したところで、
僕もグタグダとしているわけにもいかなくなったということだ



……もう一人芝居は話がややこしくなるから、いいんだよっ



そうかい?
これでも僕は随分と助かっている。

皆さんの頭の構造は、誰に教えられるでもなく、きちんと空想ができるようになっている。
すると、こんな僕だって、きっと皆さんには皆さんなりの姿が浮かんでいるはずだ

もちろん、僕もひねくれ者のはしくれだし、
そういった頭の中の僕を打ち砕こうと努力をするわけで、
普段に使わない言葉で書きつづってみたり、こうして別の人格を立ち上げるのさ



だから、友人も少ないのだろうにさ?



まあ、そんな僕の事情は置いておいてさ。
さあて、いよいよ本題に移りましょか



皆さんは、最近、涙を流したことはありますかね?



う~ん、そう言えば、この間、お母さんに怒られて泣きそうにはなったな
あっ、大好きなあの人に告白されたの、思わず声を出して泣いちゃった



うむうむ、皆さんもほどよい日常生活を送っている様子で。

涙を流すと言えば、
例えば、素敵な出来事が起きて、うれし泣きしたり、
例えば、悲しい事件に巻き込まれ、わんわんと泣いたり、

僕はというと、この間の「千と千尋の神隠し」でポロリときたものだから、
こんなテーマもいいかなってことを思いついたんだよ



……随分とまたどうしようもないことで思いついたもんだね



まあ、smoosky流の導入部はイマイチわかりづらいところはあったけれど、
僕らは僕らのことをかなり高く評価していることは間違いない

しかし、この世界のトップの位置する僕ら人間様なわけだが、
実のところ、身体能力はと問われると、さほど驚くべき数値を残しているというわけではない


かけっこをしたって、チーターはおろか、犬にだって負けそうだし、
力比べはどうかと言っても、ゴリラはもちろん、パンダにだって勝てそうにはない。

視力ならと考えみても、猛禽類と呼ばれるワシやタカにお手上げだし、
嗅覚や聴覚だって、随分とお粗末なもんだ



つまり、人間ってほかの動物よりもかなり劣っているにもかかわらず、
それでいて僕らが一番だと言い張るのだ

そんな僕らが夢見るのは、ウルトラでスーパーな超能力で、
唯一無二の存在だって証を探しているわけなんだよ



ちょいとお待ちを。
皆さん、もう少し身近なところを探してみましょ

人間にだって、ほかの生き物には真似のできない
たった一つのスペシャルでハイパーな特殊能力があるじゃないっ!!



僕はそれをナミダ(namida)と呼んでいる



……あれっ!?また振り出しに戻っちゃったかな

とにかく、皆さん、そうなんですよぅ。
ほかの動物たちとは違って僕らは涙を流せるんです!



さて、ここでお勉強の時間だ。この「なみだ」というのは、漢字で書くとさんずいに「戻る」と書く。
これはね、目を乾かさないように常に水分を補充していて、
それをまた目の中に吸収しているからなのさっ!

だから、水が出て、また目の中に戻るから「涙」というわけだ



これは生理現象の一つであり、特段、僕ら人間様に限ってというわけではない。
要するに、ここからが僕らのミラクルでプレシャスな能力だ。

目から出る水分だが、これがポロリ、ポロリと頬を伝う。
これって、一体どういうことだろね



だってさ、目の渇きに潤いをというのであれば、自然と行えそうなものだ。
でも、僕らが涙を流すとき、つまり泣くときってそういうわけじゃあないよね?

嬉しかったり、悲しかったり、
恐ろしかったり、面白かったり、

僕らは意図的に……と言ったら語弊があるかもしれぬが、
そんな生理的な事象とは別物で涙を流せるのだ。



最近では、動物だって漫画の中では涙を流すシーンがあるけれど、
実際の世界ではそんなことは起こりはしない

犬も猫も、兎も狸も、馬も牛も、
この世の人間を除くありとあらゆる生き物すべては涙を流さない。

これは人間にのみ許された最大の特徴であり、
僕らが唯一無二の存在であるというしるしでもあるのだ



確かに、そうかもだけど、それじゃあ、一体私ってどうして涙が出るの?
うん、そうだ、泣いていいことなんかないぞっ!!



そうなのだ。
しかし、こればっかりはいくらの僕でもサッパリわかりゃんね。

一般的なと言ったら失礼かもしれぬが、
感情の高ぶりがそうして形になるというのは随分と特異なのだ。

もちろん、犬だって嬉しくておしっこをすることもあるが、目からは水はこぼれ落ちない。

僕ら人間はというと、嬉しくておしっこをしてしまうことはないかもしれないが、
怖さのあまりにおしっこが出てしまうことはある。

要するに、この水を出すという行為にはかなり特別な意味があるのだ。
これがわかっただけでもよしとしようよ



あとは、皆さんのメルヘンでロマンチックなご想像にお任せしましょ




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第464話 上る階段は一つまで!

2010年12月17日 01時17分57秒 | なるほど心理・科学
……年末というのはどうにも忙しい

これにはきっとわけがあって、
忙しい人と忙しくない人の間に極めて大きな差があるからだ。

もう年末だし、ゆっくりしておかないとという人と
もう年末かよ、全然作業が終わらないよという人と

そんな温度差に相対性理論のような緩やかな時間のズレができているに違いないっ



……あっ、こんばんは、nosumooです



いやあ、1週間というのは何とも早くて、
昨日に書いたブログがいつの間にか昨日じゃなくなっている

皆さんの時間では、恐らく2~3日ほどがたっているのだろうが、
僕の中ではまだ1日くらいしか進んでいない。



えっ!?nosumooって宇宙でもいるわけ?
それとも日が落ち切らない南極にでも……?



いやいや、ちゃんと日本国に在籍してますよ。
別世界に行ったり来たりはしているけれどね



さて、余談はこんな感じで締めくくってしまって、
早速、本日のテーマを見ていきましょか



僕は3階建てのマンションの2階に住んでいる。
だが、1階は車庫だから、2階に位置しながら1階の住人というよくわからない状態だ。

木造建築らしく、物音がすばらしい。
叫び声は言うまでもなく筒抜けであるが、こちらが少しでも静かにしようものなら、
話し声ですら聞こえてしまう

もちろん、僕には黒ずくめ級のやましい話なぞはないわけで、
どこに漏れてしまおうが、殺されることはあるまい

そして、当然のことだが、僕は割と静かなのだ。
もちろん、365日まるでしんと静まり返っているわけではないが、360日ほどは静かだ。
何せ友人が少ないし、そもそもひとり暮らしでうるさくなりようがない



しかし、上の階の住人はどうやら違うらしいっ



夜中の0時を回ると、ドスッ、ドスッという足音から始まり、
ドタドタドタドタッと部屋じゅうを走り回る
1時過ぎには掃除機の音がして、3時ごろには歌声が聞こえる(かなり高音域だ)


別段、僕はこんな騒音に悩まされていて、
ここで苦情を言ってやろうという気はこれっぽっちもない

もしそんなことがあるのであれば、カレーでも担いで、
「あの……、つくり過ぎたんで、よかった食べませんか」と
怒鳴り込むのが先だろう。

僕は僕なりに結構こんな環境を楽しんでいたりして、
明日はどんな感じかなあと眠れぬ夜を過ごすわけだ……



……なんか、聞いていると全然主題に入りそうにもないけれど、
あの、これって本編でいいんでしよすね



ああ、そうだよ。上る階段は一つまでだからね



つ、つまり、2階にいるから階段を1回しか上がらないとか、
3階には行かないとか、そういう意思表示ってことなのかっ



……い、いやあ、まさか、何日もあけて……じゃない、
昨日から練りに練ったお話がそんなわけあるはずもない

要するにだ、上る階段はは一つまででいい、これが言いたいわけだ



だから、2階に部屋があるからだろっ



う~む、どうやら僕と皆さんの間には1階分くらいの認識のズレがあるようで、
そう、まるでそれは相対性……とか、もういいですよね

要するに、第一印象(ファースト・インプレッション)で人は決まるってことだ



そりゃあ、昔々、まだそう遠くない昔は携帯電話もなければ、インターネットもない。
そんなときに言う第一印象というのは、ぱっとした見た目ってことで済んだのだ。

だから、第一印象は見た目、第二印象は内面という決まりがある。



でも、今の時代、こんな当たり前だった常識さえも簡単に崩されているはずだ

メールやミクシー、ツイッターにSNNと
とりあえず、見た目は適当な写真でも貼りつけておいて、会話からの出会いが始まる。

こいつは何だか雰囲気がよさそうだ
こいつは言葉の端々にトゲがある。嫌な感じだ



こんな感じで、第一に第二印象を得てから、あとは……。
まあ、会いたい方は会いに行くのだろうし、そのままってこともあるだろう。

僕もまさにこんな感じだ。
同じマンションに住む住人同士ではあるが、顔なぞ一切合わせたこともない。
あるのはこういった物音くらいで、よほどパワフルな人なのか、それともサスケ会場にでもなっているのか。。。


僕は「超」がつくほどの人見知りだ。
間違ってもいきなりばったりと会った人にきさくなジョークなぞは言わないし、
だれかの影に隠れて、こっそりと様子を探る程度だ

この間に、この人はどんなだろと想像こそするが、
あの……の一言さえも出てこない。

僕の第一印象は決まってここからスタートする。

見た目に騙されて、ちょっとグロテスクな食べ物は口にも入れようとしないし、
見た目に惑わされて、センスのない映画チラシは題名すら頭に入らない。

化粧の濃い人には半径5メートル以内には近づかないし、
子どもは皆純粋にかわいいと言いたい。



しかし、今の世の中、こんな第一印象はどこかで待機しているらしい



きっと僕のブログを見ても、
nosumooはガリガリのいかにも死にそうなメガネをかけた……、
いいや、nosumooはブクブクと太ったフーフー言ってる大食漢なオタクで……、
はたまた、nosumooは麻薬中毒者のように目が完全に飛んでいる……、


なぞとさぞかし曖昧な外見の第二印象を持っていることだろう
しかし、それでいて、そんな妄想から抜け出そうとはしない。
詰まるところ、皆さんもきっと僕のように階段は一つまでしか登らないのではないかね



……まあ、そもそもネットの向こうだもの。一体どんな奴を想像しようが勝手だろうさ。
本当は会いたいんですっ、でも、会いたくても相手とは途方もない距離があるんですっ!



どういう理由があるにせよ、かくかくしかじかで今の世の中では、
疲れ切った皆さんの体には2階へ上がる気持ちが薄れてきている。


ただねえ、第二印象もまだまだ捨てたもんじゃない。
……ん?いや、僕の言うのは外見ってことだ。



例えば、太った内科医は信用できん。だって、自己管理できていないのに人に言えるのか?
例えば、目のよい眼科医は信用できん。だって、見えない苦労を知らないだろう?
例えば、ひ弱そうな体育教師は信用できん。だって、それじゃあ骨折っちゃうだろう?
例えば、美人な女性は信じられない。だって、幾度となく男性を誘惑したのだろう?



なんてね。
まあ、外見だろうが内面だろうが構わないが、意外に僕らはそれ以上に突っ込むことはない。
しかし、案外そうでもないこともあるはずだ。

太った名医だっているだろうし、目がよくてもすぐれた眼科医はいそうだ。
ひ弱でもきちんとコーチができる指導員がいたり、性格のよい美人もいるはずだ。


まあ、こんなくだらないことを考えるよりも、
僕は早々に切り上げて、運動会会場へと階段を上るとするか……。


いや、行かないけれどね
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第463話 暗示に甘んじ安心する廃人

2010年12月13日 20時04分28秒 | なるほど心理・科学
どうもこんばんは、ドクターnosumooです

今夜の僕ときたら、やぶ医者になって、みんなの悩みを解決しようって企画で、
部屋の隅っこでお悩みのあなたっ、
ぜひ、我が診療所に診察に来るがよろし



ん??何々、一体何の診療科目かって聞いてますかね
う~ん、そだな、何にしようかしら



……おい、真面目にやりなさいよ



いやいや、僕は至って大真面目なのだ。



そう……なの?それじゃあ、診察してもらいましょーか。
あのですね、私、最近、おなかが痛くて。どうにかならないでしょうか。



うむ、それなら銀のベンザ……じゃなくて、
こんにゃくゼリーを食べるとよろし。
食前に1~2個、味は何でも構わない。



……ほら、みろっやっぱり不真面目じゃあないかっ



と、ここまで来るとだんだん皆さんもわけのわからぬ僕の挙動にイラついてくるはずだが、
逆に、はは~ん、さてはあれだなと勘繰っている方もいるだろう。

そう、きょうのテーマは、まさにタイトルどおりで、
「暗示」でどんな効果が得られるかってものだ


よく病は気からって言葉を聞くだろう?

ああ、頭痛い、頭痛いと熱心に思えば、頭が痛くなるし、
痛いの、痛いの、飛んでけ~とやると、痛みがすっと引いたりする。



そんな馬鹿なっ!痛いものは痛いぞ、急には治らないんだぞっ



と迷信じみた話を否定する皆さんもちょっとくらいは思い当たる節があるはずだ。

例えば、実は、人の体の中には寄生虫がいて、
今でも君のおなかの中でうようよと動いてるんだよ
どうだい、感じないかい?ほら、時々、おなかの中が意味もなくくるんってなるだろう?

こんなふうに君に言い聞かせると、君はおなかが気になって、気になってしょうがない。
しまいには、何の変哲もないおなかがくるんってなって、
ああっ!本当におなかに何かいるわって泣き出す人だっているかもしれぬ



実は、暗示っていうのは、とても強力な力を持っている。
少しオカルトめいた話だと思う方も多いが、そんなことはない。
きちんと科学的に証明されているのだ



ちなみに、僕のケースだ

僕はこの前、あまりの具合の悪さと精神異常から医師に睡眠薬を要求した。
もちろん、ただそれだけをもらうと不審がられ、また来るようにと言われるくらいは想像ができる。
だから、ぐあいが悪いというオマケをつけて診察されに行くというのだ。

そうすると、もらえる薬は何も睡眠薬だけってことにはならない。
痛みどめとか、風邪薬とかさまざまな薬が余計にもらえる。

僕は、家に帰ると、その他の余計な薬をよそへと放り投げる、
睡眠薬だけを机の上に置いて、日々を過ごしてきた。

……のはずだった。

しかし、ふと薬品名がいつも見てたのと違うことに気づく。
あれれ~、おかしいなあとコナン君ほどの驚きを見せつつ、ペロリと舐める。


これはっ、青酸カリ……じゃないや。
ただの風邪薬でした


要するに、僕は睡眠薬だ、睡眠薬だと思って毎日飲んでいたのはただの風邪薬で、
風邪がよくなるわけでもなく、なんだか眠れていたのだ



まあ……、こういうのを、プラシーボ効果というのだけれど、
こんな長~い導入でよろしいかね



つまりだ。

本当はそんな効果かあるわけでもないんだけれど、
本人がそう信じて疑わないことで、そういった作用をみずからの体内で起こしてしまう。

暗示と一言で言ってしまえば、胡散臭いと毛嫌いされるが、
プラシーボ効果なんていういかにもって名称だとみんなも納得してくれるだろう??



うむ。nosumooの要らぬ導入部分がなければ、もっとわかりやすかった



まあ、そう言うなよ。
それで、このプラシーボ効果なのだが、ほかにはどんな事例があるだろうかね。

僕の知っている範囲では、風邪薬と聞かされ、毎日ラムネを飲んでいたとか、
頭痛薬と信じ込まされ、腹痛薬を飲まされたなんてのだ



正直、そんなことで治るもんかと声を大にして言いたいわけだが、
案外、それがそうでもない。



ああ、やっぱり薬の力ってすごいんだね
何だかんだで効き目はあるのだ。



さて、それでこのプラシーボ効果とは、何ともすばらしい発想だが、
いいことばかりとは限らない

最初にご説明したように、おなかに虫が棲んでいるなんて言えば、
具合が悪くなったりもするのだ。
薬で言うところの副作用、これもまた当然起こってくる。



しかし、人間ってのは単純だなあ。
そんな信じるだけて、フリスクが抗がん剤にもなり得るなんて……



うむ。
そこが人体のとてもおもしろいところ。

僕らのそういった感情を含めた事象のすべてをつかさどっているのは脳であり、
逆に言えば、脳がうまく機能しないと僕らは何にもできないのだ



おなかがいっぱいなんていう満足感も脳から指令が送り込まれる。
これがなければ、いつまでたっても満腹にはならないし、
逆に、空腹だと思うこともなく、餓死だってできる。



とりあえず、今はそんな難しい話よりも、
今度こそ見つけ出した睡眠薬でゆっくりと眠ろうと思う。



……あっ、これってどっちだったろうかね
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第446話 ウミガメのスープ 2

2010年11月20日 21時02分05秒 | なるほど心理・科学
いやあ、きのう、睡眠薬を飲んで寝たら、
物すごい遅刻をしてしまった

僕はもともとどんな病気にかかっても、薬を飲まずにやってきたわけで、
そういった効き目が人よりもかなり強いということがわかっている。

なぜ薬を飲まないかってところだが、
体の中に抗体をつくりたくないからだ。

いざというときに効かないってのは困るだろう?

だから、皆さんもなるべくは抗生物質はやめた方がよろし



さてさて、それでは、昨日の続きと参りましょ



海で遭難した男がどうして首を吊ったのか?



こんな疑問が投げかけられたわけだが、
あれだけ前振りをしておいたんだ。

皆さんだって、おおよそ理解はついているだろう



要するに、島に打ち上げられたときに食べたスープ、
これが一応の原因であり、彼はこのために自殺を図った。



もう引っ張らなくてもいいよね



つまり、最初に死んだ男がいただろう?
彼の肉を使ってウミガメのスープをつくったのだ。

もちろん、本当にウミガメなんかを捕まえたわけじゃあない。
しかし、彼の肉だと言えば、口にするかはわからない。

生きるためとは言え、誰にだって良心くらいは残っているだろう。
だから、彼は嘘をついた。



これはウミガメのスープだと。



そして、陸に戻り、本当のウミガメのスープを口にして、
あのとき自分が食べたものが一体何であるかを知った。

だから、彼はその罪悪感により自殺したのだっ






……というのがおおよそ皆さんに伝わっている結末であろう




何それ?であろうって?
これ以外に何かあるか?



いや、話としては大体は理解できるし、
いいオチと言えば、まあそうかなって感じでもある

しかし、何だか当たり前すぎやしないかなあ。。。



そもそも僕らは、人間である前に動物であり、
エネルギーを得るために何かを殺さなければ生きてはいけない。

それがウミガメだったのか、それとも人だったのか、
人であれば、自分は殺人をしたのと変わらない。
殺人はいけないことだから、ショックが大きい。
たったそれだけでこの男は自殺なんかを図るだろうかねぇ



……なんじゃあ、そりゃあ
やっぱり人は殺しちゃいけないだろうに。



これは「僕らは世界の頂点に立っている」なんかでいろいろと言ってきたことで、
別段、人が人を殺しはいけないなんてルールがないことは明白だ。
そうなれば、食べたって特に困ることもない。



ここで、少し話を戻してみよう

「ウミガメのスープ」というお話が僕らに伝えたいこととは一体何なのか。



……う~ん、やっぱりどんな状態でも人は殺しちゃいけないってことなんじゃない??
いや、死ぬ運命というのがあって、どうしても逆らえないようになっているとか??



そう考えたときに、僕は一つの疑問をいつも持ってしまう。



彼はなぜ自殺を図ったのか?



いや、何だか話がループしているように思えるけれど、
どう頭をひねってみても、これ以外に疑問と呼べそうなことはない。

そして、先ほど言ったように、
自分が人の肉を食べてしまったという罪悪感から自殺まで図るとはどうしても思えないのだ。



だから、僕は、逆だと思った。



人がみずから死を選ぶというのだ。
それなりの理由がある。



死ぬというのだもの、それが他に類するものがないほど大きなことだろう。
生きていくのがつらいとか、生きる希望がないだとか、そんな程度のことではない。

なぜなら、そういった類のものは、ほんの小さなことで大きく変化するからである。

つらかった毎日も環境が変われば、感じ方も変わる。
希望がなくとも、何かのきっかけで見つかることもある。

もちろん、いつそうなるかはわからない。
明日からも知れないし、1年後、いや、10年後からもしれない。

そうなれば、その両者を天秤にかければ、どちらに傾くかははっきりしているのだ。



つまり、この男がどうして死を選ばなければならなかったか。
それは今後一生つきまとう、決して消えないものであるからじゃないかと推察したのだ。



これからどんなおいしい料理を食べようとも、
世界に点在する珍しい食べ物を口にしようとも、



人の肉にはかなわない。

あのおいしさを味わってしまった。

決して触れてはならない禁断の果実。



だからこそ、今日まで人殺しがかたく禁じられ、
誰もがそれに触れられないようにしているのかもしれないとぼんやりと考える。

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第445話 ウミガメのスープ 1

2010年11月19日 21時27分06秒 | なるほど心理・科学
さてさて、いろいろと言い足りなかったことや争点が大いにあったが、
これにてカチカチ山を降りることになる


登っていくまでは大変だったが、何だか降りていくのは随分と速いもので、
一体何を言いたかったのかすら、イマイチ飲みこめていない自分も実はいたりするのだ



それじゃあ、無理にやらなければよかったのでは?
混乱を招くだけなら、今からでもなかったことにしてやんよ



ふむ。
ありがたいお心遣いではあるものの、僕にとっては通らねばならぬ道であったのだ。

誰の要望でもなく始まった第5期のnosumooの犬死日記ではあり、
そのスタートからして意味不明な話が多かったはずだ。

全くデタラメなジャンルと話の内容で、というのはいつものことではあるが、
今回ばかりはきちんとした意図がある。



要するに、これですべての役者は揃ったのだ



はぁ
全く意味がわからないが、きちんと説明してくれよ。



まずは、「名探偵コナン」だ。
真実を追求するということが主題である。

次に、「ワンピース」だ。
魅力ある海の物語だったね。

そして、「カチカチ山」だ。
これは少しわかりづらいが、報復と……。



と?



カニバリズム



カニ!?
カニならもう既にやっただうろさ。あのさるかに合戦だかねぇ



いやいや、カニはカニでも、チョッキン、チョッキンのカニではない
カニバリズムというのは、宗教礼儀の一種である。



出たっ宗教は嫌だ、胡散臭いし、気持ち悪いっ



まあまあ、僕もこのカチカチ山をご紹介したときには割とサラリと流してはみたものの、
日本の昔話にしては珍しい描写であるのだ。



まあ、いいや、とりあえず話を聞こうか



ありがたき幸せ

さて、カニバリズムとは一体何なのか?

これはカチカチ山の割と最初のところに出てきたところ。
狸がおじいさんに捕まり、おじいさんがいなくなった隙に。


そうだったね、あばあさんを叩き伏せて、あばあさん汁をつくったのだ


人は動物の中でも随分と理解力のある動物で、
言葉を話し、文化を持つことができる。

そんな中で、僕らは殺し合いはしようとも、
決して共食いをすることはない。



うぅ、また気持ちの悪い話だね
でも、共食いなんかカラスくらいではないか?



まあ、共食いなんてのはあまり想像もしたくはない光景だし、
小説の中だけにとどめておきたい事象でもある。

しかし、このカニバリズムというのは、
そうして人が人の肉を食べることで、特別な力を得られると信じている人たちの思想を言うのだ。



うーん、なんかあまり先を読み進めたくない内容だ
しかし、そんなことは忘れて、いよいよ本題に移ろうか。


タイトルにあるとおり、今回は「ウミガメのスープ」だ。



おいおい、ウサギにタヌキにカニにカメ。
動物園の話だったら大歓迎なんだけど……どうせ違うんだろう



もしかしたら、このタイトルを聞いてもサッパリって方もいるだろうし、
あぁ……それ、知ってる……なんて、内心ビクビクしている人もいるだろう。

もちろん、僕のことだ。

知っている人にも、知らない人にもわかりやすい説明を心がけよう



あるとき、大海原を航海している船が大嵐に遭い、沈没してしまった。
乗っていた船員たちは、何とか脱出を試みようとボートに体を投げ込んだ。

息絶え絶えの中、薄れていく意識。
自分は、ここで死んでしまうのだと皆が諦めの境地にいた。



しかし、そんな暗闇から意識を取り戻したのはわずか1日足らずのことであった。
運がよかったのか知らないが、どうやら近くの小島に流されてきたようだ。

辺りを見回すと、同じように流れ着いた船員がもう2人。
自分を含めて3人がこの島に流れついていた。

倒れている2人に声をかけると、どうやら息があったらしく、
間もなく2人は意識を取り戻した。

無事に命を取りとめたことに3人は喜び合ったものの、
周りは限りなく続く水平線で、船の一つも、いや動くもの一つありはしなかった。

3人は島の探索を試みたが、木を切るような道具もなく、
船をつくっての脱出が無理であることがわかり、絶望に伏した。

いや、それよりもこの島には誰一人、いや動物一匹もいなく、
木の実すらもなっていない全くの無人島であった。



3人は、ただただ通りすがる船を待つばかりであったが、
一向に目の前の海を通り過ぎるものはなかった。

体力の限界と空腹にさいなまれ、日に日に3人は衰弱していった。

せっかく永らえた命であるにもかかわらず、
3人はどうすることもできず、ただ死を待つばかり。

もういつ誰が弱り果て死んでいってもおかしくない状況だった。



そして、自分も既に限界が近づいたそのとき、
1人の船員が言った。


「あいつが死んでしまった」


もう驚くことはなかった。
いや、その気力がなかったのだ。

そして、自分ももうすぐ後を追う。
だからこそ、彼の死に嘆き、涙すら出なかったのだろう。


それからも船が通ることはなく、
ついには自分にも死期が近いことを悟る。

もうだめだと思ったそのとき、
生き残った船員が何とも表現できない様子でこちらに近づいてきた。



「そこでウミガメを捕まえた……。今からこれでスープをつくってやる。何とかそれで耐え凌ごう」



もう何日も物を食べてはおらず、
夢中になり、それをたいらげた。

そして、次の日、幸運にも船が通りがかり、2人は何とか陸へと帰ることができたのだった。



こんな事件から早数十年、自分は運がよかったと思いながらも、
あのとき食べたウミガメのスープの味が忘れられなかった。

ほとんど餓死状態であったせいか、とてもおいしく感じられ、
今でもあの味が脳裏に鮮明に蘇る。

そして、あの味をもう一度味わってみたい。
そんな気持ちが彼を突き動かした。

ある一流レストランへと足を運び、
男はウミガメのスープを注文する。

出てきたスープは湯気が立ち上り、いい匂いが彼の鼻を突いた。
そして、スプーンいっぱいのスープを口へと運んだ。



「……違う」



男は驚いた様子でそう呟いた。

これはウミガメのスープじゃない。
あのとき食べたものとは全く別のものだ。

もう一度スープをすする。
しかし、彼の思い描いたものとは似ても似つかない味であった。



何もあのとき食べた味を忘れてしまったわけではない。
今でもはっきりと記憶している。

あの味を……。




しかし、男はあることに気付いてしまった。
本当ならば気付かなければよかったのかもしれない。



翌日、男は首を吊った。







……さて、いかがでしたでしょうか。
ここでの疑問はただ一つ。



「男はなぜ自殺を図ったのか」



はて、一体何でだろうね
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第400話 あなたの未来

2010年09月20日 16時43分46秒 | なるほど心理・科学
そろそろ幕引きの準備をしているきょうこのごろである



やめるにしても、全く何もしないというわけではなくて、
今まで書いたもののおかしなところを直す作業が続くわけだ。

恐らく、待ち望んでできたてほやほやのものを読んでいる皆さんは、
あれっ?なんかうまく読めないななんてことがあるはずだ。

しかし、数時間もして更新ボタンをクリックするときちんと直されていたり、
何時間待ってもいまだに直っていない箇所もある


別に下書きをしているわけではないし、
結構なスピードで書いているせいか、誤植が多い

それをこうしてお休み期間中にさくさくと手直しするのが僕の新たな暇つぶしだ。
もしかしたら、更新されたと勘違いを引き起こして、前に書かれたものをもう一度読んでしまったという方もいるかもしれないね

それでも新鮮に楽しんでいただければ幸いだし、
これ読んだことあるような……と疑心暗鬼に陥るのも皆さんにとっての一興かな。



さて、ようやくたどり着いたね。
400話目のお話はこれから来る未来についてだ



あれっ?それって最近やりませんでしたかね?
あの……やっちゃいけない未来とか言う何ともおもしろくない話を。



いや、あれとは少しだけ趣が違うから安心なされ。
しかし、中身のおもしろさは保証しませんので、そのあたりはご注意願いたい。



あるとき、日本のどこかが小学生を対象にアンケートを行ったそうだ。



こんなことは別に珍しくも何ともない話で、
皆さんだって忘れているかもしれないが、担任の先生に配られたわけのわからないプリントにせっせと向かっていた時期があったはずだ。



おもしろいのはこの回答だ。



どういう質問項目だったかは忘れてしまったが、
小学生の8割以上が、「人間は死んでも生き返る」と回答したらしい


ほう……、何とも夢のある話ね。
いやいや、時代錯誤な話だことだ。どうせどこかにカラクリがあるんだろう?


何もそんな難しい話はなしで、
アンケート自体はここ数年のものらしい。



理由は至って簡単で、
「きのうテレビで見た人は死んでしまったのに、きょうは別な番組にいた
というものが多いらしい。

何ともばからしいと思う人が多いだろうね。
あの人たちは役者さんでね、本当に死んでいるわけではないのよと
お母さんは教えてあげている絵も容易に想像ができる

そうして画面の前で、そんなことはあるもんかと思う人もいるだろうが、
テレビの影響というのは案外強くて、昔、アメリカでも同じような話があった。



自分はスーパーマンだと思い込んで、首に布を巻いて、ビルの屋上から飛び降りた子どもがいた。

まあ、本人は飛び降りたというよりも飛び上がったのだろうが、
もちろん、スーパーマンなどになっていたわけではなく、
重力の力を借りて、まっさかさまに落下した



僕らが幼いころだって、本気でかめはめ波を出せると信じて疑わない者もいたし、
世界のどこかには超能力を使えて、スプーンをぐにゃりと曲げられると思っている人もいる。

案外、いまだに過去に戻れるなんてばかげた話を本気で考えていたり、
だれかの未来を予知できる占い師を信じている人も多いだろう。



さて、話を少し戻してみようか

確かに人は生き返ることなどはできなくて、
もしそんな事実があるとすれば、テレビの向こうのつくりものの世界のこと。

僕らがどうしてそんな話はインチキだと言えるかという、
現に生き返ったゾンビを見たことがないからだと皆さんは答えるかもしれないね。


それじゃあ、見たこともないものって信じちゃいけないの?
だってあなたも占いとか予知とか信じているんでしょう?
という疑問が浮かんでくる。


確かに、僕の祖父も祖母も生き返りはしなかったが、
世界のどこかには生き返っている人がいるかもしれない。
僕らが知らないだけで、実はそんな技術があるかもしれない。


僕らは大人になっても子どもと何ら変わらないくせに、
子どものことは子どもっぽいとばかにするのが得意のようだ



子どもは子どもで自分なりの考えを持っていて、
時々、情報量の不足により、明らかな間違いを起こすことだってあるだろう。

しかし、思考のほとんどを純粋な想像力に任せている分、
随分と柔軟な思考と多くの疑問と閃きを持ち合わせている



逆に、年をより多く取ってくると、そういった情報のすべてが頭に入り、
何が正しいかを取捨選択できるようになる。

本来、正しいものなんていうカテゴリーをつくってしまってはいけないのだが、
社会というところはそういう窮屈なところで、意味のないものが必要となる



僕らは年代によって、立場によって人知れず役割を持っている。



誰かが疑問を呈し、誰かが悩み、誰かが答え、誰かがそれを伝えていく。
誰かが法を犯し、誰かが秩序をつくり、
誰かが今を変えようとし、誰かが過去を守る。



そうして未来はつくられる



「人は死んでも生き返るらしい」

横目でほくそ笑んでいる君と、何にもわかっていないなとばかにしている君と、
一生懸命それが誤りだと教える君と、いいんだよ、君の自由な発想のままでと言う君と、

さあ、君は一体どこに当てはまるだろうかね
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第398話 先人たちが考えた無茶な未来 7

2010年09月18日 20時33分06秒 | なるほど心理・科学
どうも、冤罪を免れたnosumooです

まあ、もし向こうが言ってきても、
僕のことだ、相手に何も言わせずに立ち去ることができただろうがね。
しかし、できれば事を大きくはしたくないのが心情っもんだ。



さてさて、
いよいよこちらは残り3話となりまして、
ようやく終わったかと思う人もいれば、もう終わってしまうのかと思う人、
それぞれがいることだろう


考えてみれば、400話というのは物すごい数で、
わずか500日足らずなのだから、その苦労がおおよそわかるでしょ。


子どももいなければペットもいない。
こうしてグタグダと話をするだけで、何と400回もやってきたのだから、
僕という人間はよほどの暇人だとわかる


そして、もう一つのページでは、いよいよ新しい小説をアップしようというわけで、
暇な時間はずっとパソコンの前にいるという僕の日常生活があらわになってしまった。



まあ、それでも少しは表にも出るのだ。
いい方だろうか。



というわけで、きょうは未来の話をしておきましょか


もうこんなバカげた企画を7話もやっているのだ。
おおよそこの趣旨も理解はされてきたころだろう。


まだ僕らがパソコンのパの字も考え出していないころ、
それでも僕らは何百年後、いや何千年後の未来を空想してきた。

そこは、ありとあらゆるハイテク機器が用意され、
僕らの生活は、それはそれは豊かになっているはずだ



しかし、あくまで空想なだけで、現実味を帯びているかなどは別問題だ。
現に空飛ぶ車などは不要物であったことは以前にお伝えしたとおり。

きちんとした物事の捉え方ができれば、こんな間違った未来には行きつかないのだが、
何せ今の技術ではそれを証明できないのだもの、
やっぱり空想の域を飛び越えることはできない


空飛ぶ車だって、1台限りであれば、もてはやされること間違いなしだが、
だれもが使うようになっては意味のないものとなり果てる。



とは言うものの、僕らは少しずつではあるが未来に歩き出しているし、
ドラえもんが生まれた2112年だって、あながち遠くはなくなった。

僕があと70数年生きて、100歳になるころには
もしかしたらドラえもんの原型なるものができているやもしれぬ


ああ、未来が待ち遠しいや



まあ、こんなところで導入部分はいいだろう。
早速、本題に移りましょ



タイトルのとおり、昔の人が考えた未来ってのはなかなかにして実現するのが難しい。
しかし、実のところ、あのころでは考えられなかったことが
もう既に実現しているものもある。


例えば、携帯電話なんていうものは100年前などは考えられなかっただろう。
だって、線がついていれば何となくは理解できようものの、
全く独立した物体に外部から電波を受信したり、発信したりするというのだ。


ほかにも今流行りの3Dテレビだって、おかしな話だ。
昔は変てこなメガネをつけて遊んでいた時代もあったが、
恐らくあと数十年でそれすらもなくなることだろう。



昔に考えた、
こんなものがあれば便利だな、こういうことができればおもしろい、
こんなことが日々実現されようとしている

こんな発展途上の時代に生まれた僕らはそうして驚きの毎日で過ごし、
早く完成させてほしいと願う気持ちも一層強くはなる。



しかし、



実は実現可能ではあるけれど、既にやめてしまった科学技術もたくさんある。

理由は、大体はわかるだろうが、
倫理的な問題ということだ。



以前にも話したとおり、クローン技術は恐らくこれ以上ないぐらいに進歩して、
もう人間1体くらいはつくれるほどの技術を隠し持っている。

しかし、これを堂々とできないのは、
生命に対する道徳的な議論が追いついていないからだ。



もう実現はできるけど、やっちゃいけない未来、
つまり、ヤッチャーが僕の周りには存在しているのだっ



……あの、そういうアホみたいなのはもういいんで、
先に進んでくださいよ



ああ、済まないね
例えば、ドラえもんの秘密道具を見てみることにしようか。

好きなところに時間をかけないで一瞬でいける道具、
「どこでもドア」がある。


仮にだ。
君がこのどこでもドアを持っていたとしようか。
それで、自分の好きなときに、好きなタイミングで好きな人に会いに行く。


恐らく、君の友人はこう言うだろう。

「お前、人のプライバシーを考えろよ!」



はたまた、悪用する者も多くいるだろう。
なんたって、自由にどこへでも行けるのだからね。

銀行強盗だって金庫のカギは不要になるし、
密室殺人なんてことも起きなくなる。


「犯人はどこでもドアから出入りしたのだっ!!」
と言ったところで、解決は困難極まりない。
そもそもアリバイなんかは消滅する。だって、一瞬だものね


それに間違い方を誤ってしまうものもいるだろう。

何を思ったのか深海に行ってみたいとドアを開ければ、
自分どころか、そのまちすらも水没させかねない。

宇宙空間などへ行きでもしたら、
全人類が酸欠状態でフラフラだ



のび太君は、結局のところ、しずかちゃんのお風呂以外には興味がないが、
それでもしずかちゃんはよく黙っていられるもんだ。

もし僕がシャワーをしてるい間に、
やあ!と言いながら、突然ドアから出てきたら、
きっとキン肉バスターどころで済まさない。



ところで、君が欲しい秘密道具って一体何かな?


……空気砲だって??
それって今でもあるじゃあないかっ!!



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第397話 それでも僕はやってないって僕なら言うね。

2010年09月18日 04時29分33秒 | なるほど心理・科学
昨日、夜ごはんを買いたくて、家の近くのコンビニに向けて歩き出した。
もう8時近くであり、あたりは真っ暗だ。

ふと前方に目を向けると、若い女性が歩いている。
別に顔を確認したわけではないが、身につけているものや髪の毛などから恐らくと判断した程度。

コンビニまでは1本道で僕はその後ろをぴたりとついていく以外にない。
でも、それも何だか気まずいし、
向こうだって夜中に僕みたいな奴が後ろにいれば怖くなったりもするもんだ。

仕方なく、すこし足早に歩くと、その人を追い抜いた。

ところが、どうやらその人もコンビニに入ってきたようだ。
目的地が同じとはまたさらに気まずくなる。

僕がコーヒー牛乳とおにぎりと少しのおかずを両手に抱えてレジの方へ向かうと、
その女性はもう既に並んでいる。

しかし、その女性の前にもお客が1人いて、
どうやら彼女もレジ待ちのようだ。

僕がそうして両手いっぱいに商品を抱えながら、彼女の後ろに再びつこうとすると、
店員が恐ろしいほどのスピードでやってきてこう言った。


「2番目にお待ちのお客様、こちらへどうぞ」


すると、女性はそれって私じゃん?みたいに思ったのか、周りも確認せずに動き出す。



ムニュッ


事もあろうに僕と接触し、
またそれが不運なことに彼女のお尻に当たってしまったようだ。

彼女は、一瞬はっとなり、僕を凝視する。
何をとち狂ったのか、まさか痴漢とでも言おうとしたのだろうか。

彼女はレジを打ってもらっている最中も僕の方をチラチラと見てくるが、
僕は見える範囲ぎりぎりの視界に保ちながら、様子を伺う。

もちろん、レジは彼女の方が早かったのだが、
どういうわけだか、彼女は自動ドアの前から動かず、
黙ったまま、まだこちらを見つめている。

僕はおつりをもらうと、それをあっさりと無視してスルーしたわけだ。



そこで僕が考えたこと。


一、僕を痴漢だと思い、呼びとめようとした。
一、ぶつかってきたことに対し、謝ろうとした。
一、実は僕がすっかり忘れているだけで、知り合いだった。


恐らく、真ん中はないだろうな(笑)

次に、最後のやつだが、これもないだろう。
もしそうなら、何かしら声をかけてくれてもいいもんだ。

となると、やっぱり痴漢だとでも言おうとしたのだろうか。



少し前に、「それでもボクはやっていない」という映画が上映され、話題を呼んだ。
見た方もいるだろうし、見ていなくても中身くらいは知っていよう。

要するに、痴漢の冤罪(えんざい)で捕まった人の人生を描いた映画だ。

皆さんの中には東京でラッシュ時に電車に乗ったことのある人はいるかな。
もしかしたら、そんな関東圏に住んでいて、毎日がそんなのってこともあるだろうね。

いやいや、満員電車は東京だけではないぞ、札幌だって、大阪だってすごいんだ。
なんて思う人もいるはずだ。



そんな満員電車の中というのは地獄絵図そのもので、
持っていたバッグが人と人に挟まれて宙に浮いてしまうくらいなのだ。
何とも恐ろしいことだ。

そして、そういう中で痴漢は起きる。

触りたくないけれど、手が触れてしまったんだよ的な言い逃れでもしようとしたのか、
それとももうそんなドキドキ感をとっくのとうに忘れてしまって大胆になったのか、
とにかく異性の体を触るという犯罪だ。


よく言われるのが女性だろうが、もしかしたら世の中には男性を触る女性もいるかもしれぬ。
一応、ここでは区別せずに両方があるとしておこうか。


さて、そんな痴漢行為は立派な犯罪だが、
そんな被害者の思い違いで冤罪というものは起きてしまう。

一度、警察署にでも行ってしまえば、
もうこんなことするなよなんて言って帰されるわけはない。

お前やったんだな、早く吐けと精神が崩壊するまで言いくるめられ、
嘘でもいいからもうやったと言ってしまい、早く家に帰してくれと思ってしまう。



一度、そんな痴漢行為の汚名を着せられれば、
ふだんどおりの日常に戻ることはかなわない。

クビを宣告され、住んでいるところは追い出され、引っ越しを余儀なくされる。
自分のうわさが届かないところまで逃げたとしても、再就職はもちろん厳しい。

面接では、

「君、前科あるんだ。一体何をしたの?」
「痴漢です」

その場での一発レッドカードすらあり得る展開だ。



さて、ここで僕のケースに戻ってみよう。

彼女が何も言わずにいたからよかったものを
もしあそこで「キャーーーーーー、痴漢です」と叫んだ場合、
僕は一体どうすべきだっただろうか。



僕はそうしてレジを待っている間にそんなことをひたすらに考えていた。
アホかと思うが、これは大切なことで、先ほど述べたとおり、人生がかかっている。



僕「君のお尻はほかの人よりも優れた価値があるのかい?それがなければ触る意味がない」



こんなことではだめだっ!!
触る意思はあるってことを暗に含んでいる。



僕「君の汚いお尻など、だれが触るものか」



これは……どうだ?
しかし、相手に逆上されてしまってもいささか厄介かもしれぬ。



僕「WHAT???」



顔が濃い事を利用して外国人でも装ってみるか?
それでも、根本の問題が解決しないではないかっ!



そうして、僕が考えた最善の策は……。



僕の手に持っている商品をすべて差し出す。
それを袋から取り出してもらい、両手に抱えてもらう。
(もちろん、片手でも構わないが、それだけのものは物理的に不可能だ)



僕「その状態で、手のひらで君のお尻を触れるかい?」



結局、誤解を解くには相手に状況を理解してもらうのが一番だろう。

痴漢の被害に遭った被害者諸君は痴漢行為に気をつけるとともに、
必ず第三者の証言をもとに行動しよう。


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第380話 とある真夏のでんじろう 3

2010年08月15日 18時31分01秒 | なるほど心理・科学
そう言えば、うっかり忘れていたことがあった

少し前に、扇風機一つでいかに部屋の中を涼しくするかってことを書いたね。
もちろん、実践していただいた方は、驚異の性能にさぞ驚いたことだろう。
しかし、何だかあまり変わらないなあという方もいるんじゃないかなって思ってさ

この裏技というか、置き方をして効果が出る場合は、
室温と気温に差があるときなのだ

だから、外の気温も部屋の中と同じくらいでは、あまり意味がない。
もちろん、部屋の中を空気が通り抜けるということはあるだろうが、
決して涼しくなるというわけでもないのだ

それと、頭の回転が速い皆さんのことだ。
それならこれの方がいいのではないかと新しく発案した方もいるだろうね。


扇風機を窓の近くに置いて部屋の中に向けたら、どうなんだ??ってこと。


うむ。
実は、これもなかなかいい案で、やってみて大成功だった人も多いはずだ。


へえ、みんなも何だかいろいろと考えているのね
私は言うとおりにやるだけだもの。


実は、この程度のことならば、僕らは小学校や中学校で習ったものだから、
少しだけ昔の記憶を呼び戻せば誰にだって簡単に思いつくものだ。

ハイテク機械に頼ってばかりで、どんな理屈になっているかを考えもしないと、
僕らはどんどんと頭が固くなってしまう。

しかし、もしもそういったことを細かく覚えていれば、
こんなことのほかにもいろいろと工夫ができることだってある。

というわけで、そういう硬くなった頭の皆さんも、ゼリーのような頭の皆さんも、
もうちょっとだけ扇風機……、いや、空気の流れについて考えてみましょ

ここで、もっとほかにもと手を伸ばしていくと、
もういいよ、それは詳しく知りたい人だけがやればいいさと投げ出してしまうかもしれぬ。
とりあえずは、空気の流れだけをよく見ていこうかな



まず、皆さんにはこんな経験はないだろうか?



夏になり、扇風機を押し入れからダンボールのまま取り出すと、
暑い中、汗だくになりながらせっせと組み立てる

そうして、扇風機完全体になったところで、いざスイッチを押すと、
あるぇ~?なんか全然風が来ないねぇ一体どうしたことだろ?



こんなこと。



扇風機を組み立てたことがある人ならわかると思うが、
扇風機の羽根には表裏があるのだ。
これを逆につけてしまうとこんな恐怖体験が楽しめる構造となっている


さて、それでは、暑いだろうが、
少しの間だけ、君の横で回っている扇風機をとめてみましょか。
そうして、じっくりと羽根を観察してみよう。

すると、何やら羽根が何枚かついており、
どれもこれも傾いているのがおわかりになるだろうか。



あっ、ホントだ。少しだけ傾いているね



そうして、今度は再びスイッチを入れてみようか。
いきなり強にすると、見づらいだろうから、弱で行こうか。
それに首を回すのも危険なので、今回はやめておこう。



うん、回ったよ。回転してる



それじゃあ、またスイッチを切ってみよう。
そして、またつけてみる。今度は中でも、強でも構わない。



うん、とまったり、回ったりしてる。



ここで、一つだけ気づくことがあるはずだ。
何と君の家の扇風機は従順で、絶対に反対に回ったりはしない。
回転する方向はいつも一緒で、何ともかわいらしいだろう?

先ほど、羽根を逆につけてしまうと、こういう理屈で裏側から風が来てしまうのだ。



……ちょっと、いきなり結論過ぎて、よくわからんな



前にも空気の流れは説明したね。
ある漫画で風圧について詳しくやったのを覚えているだろうかね。

空気の移動というのは、黙っていて、いきなり起きるものではない。
もちろん、地球は回っているし、気圧の変化はあるのだから、
お外では空気は常に移動している。

しかし、家の中では、各部屋の気温にはそれほど差はないし、
ましてや家がぐるぐると回っているわけでもないので、空気の移動は起こり得ない。



それでは、扇風機を発動させるとなぜ風が来るかってことだ



それは、さっき君が見た羽根の傾きにポイントがある。
羽根が回転すると、そこにあった空気が押し出される。



どこに押し出されるか?



傾きがあるので、前方やや中央よりに押し出される。
そうして、押し出された分だけ、扇風機の羽根の前の空気が少なくなるから、
後方から空気がそこに流れ込む。

ここまで説明すると、実は家の中にもそれに似たものが幾つか見つかるはずだ。



……扇風機みたいなもの、もしかして、あれかな?



うむ。
換気扇だ。

換気扇のスイッチを押すと、コンロの周りの空気が見事に吸い込まれ、
それがどこに行くかはそれぞれの家によって違いそうだが、
結局のところ、家の外まで吐き出される。



こんなふうに、僕らの生活の中にはさまざまな科学が潜んでいて、
僕の生活を快適にしてくれている。

でも、どうしてそうなっているのかってところを置き去りにすると、
それらを失ったときの代償が物すごく大きくなってしまうのだ



スイッチが聞かなくなっただけで故障と言い、新しいものを買いかえる。
もしかしたら、コンセントが抜けているだけってこともあったり、
中の配線が切れていただけってこともあるのだ。

昔は、それを分解し、中身を見ながら各自で直したり、
それがかなわなければ、別の何かを代用品として当てることだってあった。

僕らの頭の中には、
押し入れの奥にある中身のわからない段ボールのように
大事なものがたくさんあるようだね。


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第378話 とある真夏のでんじろう 2

2010年08月13日 00時38分16秒 | なるほど心理・科学
こんばんは、nosumooです

昨日はあんなにくだらない話をして、
こんな夜中にどういうことだと言うのかい?


仕方ないのだ、涼しくなるのを待つのも仕事のうちさ。


いやいや、きょうはかなり涼しかったよ。
それに、もう暑いとか、そういうのよりも台風がね


確かにおっしゃるとおりで。
どうにもここ数日は雨と風に悩まされそうだね。


しかし、つい数日前までは地獄のような気温だったことは忘れてはあるまいな?

そうして、余計なことは言わずにさっと話を戻すと、
そんな暑い日にカレーなんぞをつくったのだ。


僕の家は一人用の安いマンションで、熱がこもってしまう。
だから、夜になったからと言って涼しくなるわけではない。

もちろん、外に出れば、それなりにひんやりとはしている。
しかし、家の中は、カレーによるものかは定かではないが、
どんよりと暑さが残ってしまったではないかっ


窓を全開にしても、安いマンションでは風通りは最悪で、
一向に涼しい風が入ってくるわけでもない


それじゃあ、扇風機があるじゃないかと言っても、
少しでも風が当たらない時間が続けば、
もう汗がたらりと流れる始末


僕は暑さにはめっぽう強いのだけれども、
さすがにこんな状態には困ってしまうこともあるのだ。



……さて、どうしたものかね



はーん、なるほどね。
それで、でんじろう先生の登場ということですかね?



うむ、まさにそのとおり。

室温は30℃を超えており、外の気温は20度前後だ。
窓は二つあるものの、風がないので、外からの涼しい空気は全く入ってこない。
おまけに、部屋にあるのは扇風機一つだけ。


密室殺人よりも難解なこの状態ではあるが、
この材料を駆使して何とか部屋を涼しくしようじゃあないか



……あの~、それはさすがに無理だと思いますけど



まあ、そう言わないの。
何のための科学だと言うのだっ!!



いや、扇風機は科学とはもう呼べない時代じゃないの



いやいや、あれこそまさに科学力の結晶とも言うべき代物だ。

……さて、こんな言い合いをするとまた室温が上がりそうだね。
早速、頭をひねってみましょ



まず、使えそうなものはというか、そもそも一つしかないが、
扇風機をどうにかしてみようか。

これは自分に当て続けるということも考えられるが、
それは体に悪いし、部屋の空気が冷たくなる効果はないのだし、
あまり意味はないね


う~ん、わからん
もういいや、でんじろう先生、教えてくだされ。


ふひ

では、少しの間考えて、僕のとった行動とは次のうち一体どれでしょうか??


①扇風機を天井に向けた。
②扇風機を壁の隅っこに向けた。
③扇風機を外に向けた。
④扇風機をしまった。



……むう、何かどれもこれも大して意味がなさそうな。
扇風機をしまったってのは除外していいよね。
いや、むしろ、この選択肢があるくらいだから、怪しくね?


皆さん、大いに悩まれているのではないかとも思うし、
もしかしたら、既に答えを知っていて、実践している人もいるかもしれぬ


わかったっ!!
①の扇風機を天井に向けただ



さて、どうしてでせう?



たしか、暑いものは下に、冷たいものは上に行くんじゃなかった??
だから、上の空気を循環させればいいんじゃないの??



う~ん、おしいね

実のところ、それは全くの逆なのだ。

冷たい空気は下に、暖かい空気は上に溜まる。
もし、それをして空気が混ざりあえば、余計に暖かくなるやもしれない



なんだよ、どこがおしいんだよ



発想はすばらしいよ。

だから、暑いところに住んでいる人はベッドよりも布団がいいし、2階よりも1階がいい。
逆に、寒いところに住んでいれば、ベッドがいい

しかし、今は空調設備がついている家がほとんどだからね



さて、正解はというと、③の扇風機を外に向けるでした



えっ……何で??



これはちょっとした説明をしましょか。

例えば、ある暖かい部屋があったとする。そこには満杯の空気がたまっている。
もう一つ、その横に涼しい部屋があったとする。そこにも満杯の空気がある。

この部屋の壁に窓くらいの穴をあけた。

でも、お互いに空気が満杯なのだから、
風が起きるほどの空気の移動は起こらないよね?


逆に宇宙空間なんかだと、
ロケット内は空気がいっぱいで、宇宙空間は空気が何もないだろう。
そんな中で扉を開けてしまえば、ロケット内にある空気が外へと流れ出てしまう。

よく漫画や映画で、そうしてビューと風が吹いて飛び出してしまうシーンなんかがないかな?

よく飛行機が飛んでいる間にドアをあけて、飛び出してしまうシーンがあるが、
あれは何もすごい速さで飛んでいるからではない。

上空は気圧が低い、つまり空気が少ないからこんな現象が起きてしまうのだね。



……まあ、それはわかったけど、それとこれとはどう関係があるの?



だから、扇風機を窓の外に向けて、部屋の空気を外に押し出すんだよ。
そうすると、部屋の空気はだんだんと少なくなる。
しかし、もう一つ窓があいていて、実は少なくなった分だけ空気が入ってくるのだ



実は、これは意外なところでみんなも体験ができるはずだ。

家からだれかが出ていこうとして、玄関のドアをあけたときに、
心なしかすーっと部屋の中を風が通り抜けたりする。


これは、ドアが開かれたときに、
ドアの外側にある空気が前に押し出されてしまう。

そこに玄関からの空気が流れ込むわけで、
さらに、少なくなった玄関の空気を埋め合わせようと廊下の空気が流れ込み、
また、少なくなった廊下の空気を埋め合わせようとリビングの空気が流れ込み、

これがわずか一瞬のうちに起こって、風が通り抜けたように感じるのだ


そうして、きのうから僕は窓の外に扇風機を向け、
部屋の温度をかなり下げることに成功し、安らかな眠りを手に入れたとさ



なるほど、それはすごいね。
私も実践してみようかしら……って、もうかなり涼しいんですけど



どうしてあと1週間くらい前に言ってくれなかったのっ



うむ、記憶というのは必要なときに出てくることが極めて少ないのだ。
大変に申し訳ないことだが、皆さんは来年にでも試してくださいな。

あっ、そのころにはもう忘れてしまっているかもね




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第377話 とある真夏のでんじろう

2010年08月11日 23時14分02秒 | なるほど心理・科学
まずは、小話から(笑)

昔の先輩が教えてくれたお話で、興味深いものを思い出した。
思い出したら、忘れないうちに書いておくのが一番いいだろう。

というわけで、しばしの間、お付き合いを


先輩とは、大学生のころ知り合った人で、
よくくだらない話をしていた。


その人は、田舎から札幌に出てきたのだ。(札幌も田舎だということはこの際いいだろう)
それで、話は恋愛についてになった。


先輩「田舎だから、デートするところがないの


何でも自分のいたところはとても小さなまちで、
まちじゅうのみんなが顔見知りというほどのところだそうだ。

だから、道を歩いていても、
すれ違う人は、皆、自分のことを知っていたし、こちらも相手がだれだかわかるという構図だ。

どこかの店にいけば、その店員までもが知った顔で、
うかうかお外で手もつなげなかったらしい。


僕  「それじゃあ、デートにはどこに行くんですか?」


こんな僕の問いに、彼女はきっぱりとこう言った。


先輩「山


それも、ご当地観光のパンフレットに載るような場所ではないし、
聞く限りでは、遊歩道すらあったかどうか。

誰かに見られたくない一心で出した答えが山なのだ



そのことを思い出し、ふと笑いがこみ上げてくるものの、
なぜだか僕の頭を悩ませたのは、もっと別の場所だった。



「デートの行き先は?」


この問いに、もし「海です」と答えていたなら、
もう少しはこの笑いも薄まっただろうに。

海も山も同じ自然界だというのに、
どうして山だけこんなにも地位が低いのだ?



えっ!?だって、海はきれいだし、デートって感じでしょ?



山だって、きれいじゃないか!!
しかし、どこか閉鎖的な感じは拭えないのかもしれないね



さてさて、余談はここまでにしておいて、
いよいよ本題に移りましょ。

ああ、本当にどうでもいい余談だったな。



いきなりだが、僕の母は体が弱い。
正確には弱かったのだが、今もそれほど強いとは言えない。

僕が子どものころは入院をしていた時期が多かった。
そういう意味で、僕は既に小さいうちから一通りの家事をこなすようになっていた。

だから、今、こうしてひとりで暮らしていても、
さほど困った事情に巡り合ったことはないし、
ましてや何かをさぼったこともない

部屋の掃除洗濯はもちろんだし、
暇があるたびに自分のパジャマとパンツのアイロンをかけるのだ。

もし、だれかがお金を望むほどに稼いでくれたとするならば、
専業主婦でもいいかと思うこともある。



そうして、きのう、そんな暑い最中にカレーをつくったとさ



大学時代から、僕は友人を自分の家に招待することが多く、
決まって泊まりがけになる。

そうすると、夜食やら朝ごはんやらはすべて僕がつくる。

友人Sにはさまざまな料理をたべさせたが、
いつもおいしい、おいしいと言って食べてくれる。

お世辞もあるだろうが、自分で食べてみて、まずいなあと思ったことはあまり記憶にない。



そうして、きのう、30度を超える気温の中でカレーをつくったとさ。



あの……わかったんで、そろそろ続きに進んでもらえませんかね



うむ。
ではでは、始めましょ。


このカレーというのは、今更言うまでもないが、僕のお気に入りの食べ物で、
何といっても、工夫のしどころがあるのが最大の魅力だ。

僕ら庶民はまず高級な材料などは買うことができない。
それにもかかわらず、安価な品々でカレー店と何ら変わらない味を楽しめるのだから、すばらしい。



……お店って、いき過ぎじゃないか??
それじゃあ、お店開きなよ。



まあまあ、それで、僕は何ともばからしいことに、
その一部始終をしっかりと記憶したので、皆さんもどうぞお試しあれ



nosumooのカレー教室
(2~3人前)


まず、包丁とまな板を用意すること。
これは基本中の基本だ。

次に、
玉ねぎ1個(大き目のがよろし)
人参1本(これも大き目が望まし)
をみじん切りする。


次に、まな板を洗う。
裏返して、しばしの一服。


さて、そこで若鶏のもも肉を適量(これは好きな分だけいれればよろし)
ざくざくと好きな大きさに切る。


お鍋を用意して、火をつける。
すると、バターを適量(計っていないから知らん)
入れてから、切ったお肉を入れてみる。


弱火でじっくりと火を通すと、
その中にみじん切りにしてしまった玉ねぎ、人参を入れる。
それを弱火でじっくりと炒める。

するとこうなる↓



こうなったら、もうお湯を入れる。
入れるとこうなる↓




あくはすべて取り除き、ぐつぐつと煮る。
とこうなる↓



こうなったら、こうなる↓



そうしたら、食べる。
こうなる↓(写真をとるのを忘れて、食べかけ)





早いっ早いっ
過程が全然わからんぞ!?


そうか?
カレーはみんなこんなもんだ。


しかし、これでは閲覧者の方に試しにつくっていただけない気がするので、
しばし解説をしましょ。


まず、玉ねぎのみじん切りは玉ねぎの持つジューシーなうまみを引き出すためだ。
恐らく、みじん切りを入れ、炒めていくとじゅるじゅると汁が出てくるはず。
これがお肉に染み込み、いい感じに柔らかくなる。

ちなみに、玉ねぎはぐちゃぐちゃになるまで炒めること。
中途半端は何事もいけないのだ。
(玉ねぎがなくて淋しい人は、この時点でさらに追加をしてもおk)

そうして、お水を入れてから煮込む過程で玉ねぎは消えてなくなる。
ほとんどが溶けてしまうが、これでルーを入れなくても塩コショウでスープとしても召し上がることが可能だ。

ルーを入れてからは、牛乳、お味噌、はちみつなどを適量入れる。
人によってはチョコレートを溶かす人もいるが、味にコクが出るらしい。


これにて完成で、
書いてみると意外と簡単だが、実においしいのだ。



……あれっ!?
ちょっと待ってくれ



何か問題でもあるかしら??



あの、タイトルってでんじろうとか何とか。
カテゴリーも科学だし、見当違いじゃないの?



何と、これは余談に次ぐ余談なのだ。
本当におそろしいでんじろう……じゃなくてデンジャラスな事件はここから起きる



あのさぁ、前から言おうと思ってたけど、
親父ギャグが何とも痛いね……
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第362話 トラ!トラ!ウマ? 2

2010年06月29日 00時43分22秒 | なるほど心理・科学
最近はどうも日が照り続けて、
気温は人を殺せてしまうほど上昇している。

我が家はというと、冷房設備が備わっているわけもなく、
ただひたすらに我慢をする以外にはない

しかし、ありがたいことに
札幌では熱帯夜と言えるほどに夜も気温が高いわけではなくて、
涼しげな空気が漂う。

さらにありがたいことに、
今の僕は非常に忙しく、家に帰るのは日付が変わってからなので、
ますます涼しい気持ちになれる。

帰宅してのコーヒー牛乳が何ともおしいこと


あっ、済みませぬ。
僕はあまりお酒を好まない。

というか、病に伏してからは禁止されているのだ。
どちらにせよ、酔っぱらうことはもう二度とないだろう。



さてさて、それでは前回の続きといきましょか

トラウマについてお話しをするつもりが、
なんだかんだで戦争の話になってしまった



おいおい、こりゃあもうタイトルを変えた方がよさそうだ



なあんて思ったりした?
まさか、それならもうとっくの昔に変えているさ。



さて、それじゃあ、いよいよの本題だ。


前回にお話ししたとおり、
「トラウマ」って言葉が普及され、みんなが日常会話で使われ出したのはつい最近だ。

こう言うと語弊があるだろうか?

いやいや、もっと前から使ったしっ



そうだね。言葉自体はそれほど新しいものじゃあない。
でも、意味を間違えて使っているのは最近だという話だ。


実は、これには裏話があって、「鬱」という言葉がはやり出してから、
「トラウマ」がはやり出した。

「鬱」という言葉も実のところ、かなり昔からあった言葉だが、
みんなに広く普及され、間違った使い方が広まったのは最近だ。



……もう混乱するから、早く本題に入りなさいっ



は、はひ


さて、まずは、鬱から考えてみようか。

鬱っていう言葉からぴんと来るのは「憂鬱(ゆううつ)」じゃないか?
要するに、気分がすぐれないってことだ

言葉も似ているし、漢字だって同じ文字をあてはめるが、
これは全くの別物なのだ


これを僕らはいつの間にか、「鬱=憂鬱」ととらえてしまい、
誤った認識につながってしまっている。



へえ……。ちなみにどこが違うの?



うむ

憂鬱というのは、気分の状態をあらわす言葉だ。
これには何の根拠もなければ、症状も多種多様なんだよね。

だから、嫌なことがあって落ち込むときは憂鬱でおk


それじゃあ、鬱ってのは一体どんな状態なのかというと、
説明がかなり面倒くさいが、体内の異常状態である。


簡単に言えば、憂鬱は気持ちの持ちようで幾らでも変化させられるが、
鬱はそういったことにはならない。要するに自分の力で変容できない。


うまいかどうかはわからないが、
心が折れるなんて言い方もあるだろう?

これは実際に心臓がポッキリと折れて、くちゃっとなるわけじゃない。
気分が落ち込むということだ。

要するに、鬱ってのその表現どおり、心臓部がタパンと折れること言う。




……つまり、つまりっ!!
鬱は病気ってことでしょ



まあ、「病気」と言っていいかはわからない。
前にも話したが、これは特性と言うものだ。


すぐに眠くなる人やのんきな人を病気とは言わないだろう?
それと一緒で、鬱も個性の一つとしてとらえるのが最近の考え方だ



さて、それじゃあ次にトラウマだ


最近、皆さんが使うこの「トラウマ」も同じことで、
嫌な気持ちになるという気分の状態をあらわしているようだね


「このゲームはトラウマだ」は、
「このゲームは嫌な気分になった」と同義だ。


正確には、


「このゲームは嫌な気分になったのを覚えている」ということだ。



じゃあ、実際には、トラウマのホントの意味は一体どういうことか。

これは医療の本や心理学の本でも読めばすぐにわかると思うが、
わかりやすく言うと、先ほどの「鬱」と一緒だ。

そう、無意識下で起きる現象だ。


無意識ってのは、意識しないでという意味だから、
「なぜかわからないが」が頭についてくる。

先ほどの例でいえば、


「このゲームを見るとなぜか知らないが嫌な気分になる」というのがトラウマに当たる。


つまり、ああ、これは覚えている
という時点でそれは既にトラウマではないのさ



ほほう……、とりあえず、それはわかった。
さあ、さあ!!それで前回の戦争の話とどうつながるって



ぬう、わかっているよ


まあ、本当の意味はさておいて、
僕らがすぐにトラウマだ、トラウマだと簡単に口にするのは
絶対的な経験不足が起因している。


例えば、明日、朝起きて君の家族が全員死んでいたとしよう。
目の前で血まみれになって倒れる家族がいたとしよう。



君ならどうする?



発狂して、走り回って、頭もどこかおかしくなったりするんだろう?
いや、僕だってそうならないとは言い切れない。
きっと僕もみんなと同じだ。


僕らは誰かが死ぬ、自分の身近な人が死ぬことを
どこか画面の向こうの映画の話だなんて思いこんでいやしないかい?
愛する人が傷つけられることが架空の話だなんて決めつけてやしないかい?


殴られたり、蹴飛ばされたり、
陰口をたたかれたり、周りから無視されたり、
叱られたり、罵られたり、


そんなことは自分とは無関係の世界で起きていて、
自分の周りには見えないバリアが張っていて、
年中無休に君を守っているなんて空想さ。



戦時中の精神を賛美するつもりはないし、
それがすぐれた心の持ちようだとも思わない。

ただ、今の僕らは簡単に心が折れ、トラウマになるのは、
さあて、一体どういったロジックだろう



それはクーラーの利いた部屋で閉じこもって考えるには
ちょっと難しいのかもしれないね。
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