NOSUMOOの犬死日記

日々のくだらない話と不思議な話が核
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第304話 幽霊なんて怖くないんだからねっ!!(後編)

2010年03月22日 18時32分46秒 | 心霊検証
きょうは春分の日じゃあないか。
なのに、僕はどうして仕事をしているのだろう

なあに、仕事が忙しいのはありがたいことだろう。
そもそも週休2日で働けるところなど役所くらいなものだ。



とグダグダと言っても始まらない



とりあえず、これを書き終えると再び1週間ほどのお休み。
うむ、小説の方はようやく最後の分岐点に到達し、
これから終点に向かうところだ。

そうして、僕も皆さんにならって春休みをいただいたら、
また軽やかな足取りで出発だ

北海道の桜は5月が見頃ということで、
4月は恐らくまだ緑もないことだろう。


新学期には似つかわしくない風景だが、
それもいいさ。



さて、いよいよ後編に突入しましょか



要するに、世に出回っている幽霊の類はそのほとんどが作り物だ。
これはとても残念な話で、本物を探して歩く皆さんはさぞがっくりしたことだろう


しかし、それと同時にどうしても幽霊が嫌いな人は
ほんの少しだけほっとしたかもしれない。


世の中なんてそんなもので、
誰しもが等しく望むなどは存在しない。

このどっちつかずの状態がすべてを正しく機能させる唯一の術だからね



さて、それでは幽霊がいるという観点に立って、いざ検証しましょ



えっもういないでいいよぅ



まあまあ、いいんだよ、別に。
いても怖くなければ問題がない。

だって、サンタクロースがこの世に存在しないとわかっても、
できればいてほしいと願いたいものだ。

それで、どこにでもいる普通のおじ様たちが、
派手な格好でひげを生やして、いないのならなってやろうと言う始末だ

同じいないにしても、
その存在が僕らに何らかの利益を生んでくれるならば許し、
恐怖を与えるのならば避けたい。



そんなわがまま通りませんっ(キリッ



いいものも悪いものも一緒。
とにかくいてくれた方が助かるのだ



さて、それでは、なりすまし幽霊……というか、
僕らが思い描いている幽霊を整理しよう

とにかく、僕はその呪いのビデオというのを嫌というほど見てきた。

もちろん、友人がそういう話が大好きだというのもあるが、
それ以前に中身が凝っていて面白いのだ。

そんな話が実際にあったわけではないが、
実際にあったら怖いんだろう、君たちは??

そんな話が盛りだくさん



でも、そのせいで、製作者は大きな勘違いをしてくれたっ



昔は、さりげなく、それこそ、これって本当に幽霊かぁ
というものが多かったのに対し、最近ではそのアピール度が半端じゃない


要するに、こんなんじゃ刺激が足りぬ
ということだろう。

もっと恐怖を、もっと驚きを、
これが前面に出ちゃったのだ


きっと当の本人たちはそんなことなどに気づきもしない。
もしかしたら、投稿されている時点ですでに加工されているものもあるからだ。

同じ作り手ならばこんな事態は起こらなかっただろうが、
何せ日本じゅう、いや世界じゅうから送られてくるのだ。

これではもう秩序もあったものではない



もう、グダグダと長い話はいいから、早く本題にっ



あっ、はい。

まず、幽霊が視える人だ。
ちなみに、漢字を「視える」としたのは、僕が読んでいるブログにそう書いてあったからだ(笑)
何でも幽霊に限ってはこの「視える」を使うらしい。

そういう決めごとがあるのなら、僕も従おう


さて、そういう人は、例えば純粋な子どもだとか、
20歳にまるまでに視えなければ、もう二度と視れないとか。

はたまた霊感が強いと自負する人、
どうして自負かというと、それを誰にも証明させようしない頑固者だからだ。


とにかく、子どもやそういう人たちに幽霊は寄って来る……はずだった


はずだったって、何それ??



うむ、それが最近では違うのだ

何でも幽霊というのは、とにかくカメラが大好きで、
そういった霊感の強い人目当てというよりはカメラに寄ってくる

つまり、カメラのレンズ越しにその体を見切らせたりするのだ。



ははあ、幽霊というのはとりあえずは目立ちたがりなのかね
そう、アナタ習わなかった??カメラに背を向けちゃだめだって



とにかく、心霊スポットに何人かで行くだろう。
そうして1人がカメラ役で何人かがそれに向かってイエーイとやるわけだ。
そして、幽霊も同じようにカメラに向かってあいさつをする。



「やぁ、僕、映ってますかね??」



そんな声まで聞こえてきそうだ



……ん、待てよ。
確か幽霊というのはこの世に未練や妬みがあって、この世をさまよっているのだろう。
それがどうしてカメラを気にしているのだ。

カメラよりも先にそのうろうろしている人たちをどうにかしなさいよ。



昔はよかった。

背後に立たれたとか、どこからともなく泣き声だとか。
とにかく、本物感が漂っていたはずだ。

しかし、今は何とも自己主張の強い幽霊ばかり。
こちらも怖がらないで、声をかけたら案外いい奴だったりするんじゃないか?

僕はそうして夜な夜な幽霊に向かって声をかけるが一向に出てくる気配はない



恥ずかしがりやでカメラにだけは向かってくるのか。



それが微笑ましい以外に一体何があるのだろう?
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第303話 幽霊なんて怖くないんだからねっ!!(前編)

2010年03月21日 22時53分02秒 | 心霊検証
さあて、いよいよ本題に入りましょ


とにかく、幽霊がいて、それが怖いというのだ。

これは、クマがいて、それが怖いと言っているようなもので、
対象の特性がどうだというわけではないのだ


……ん??ちょっといきなり意味がわからないんだが


要するに、人は何に対しても恐怖心というものはある。
たとえ、存在するかが疑わしい者であろうと現実に存在しているものでも変わりはしない。


結局のところ、状況がすべてものを言うのだ



というのは、実はかなり前にやったよね

人が何か怖いと思う3大要素は
「暗い」「静か」「寒い」だ。

温かい電気の煌々とついている部屋の中ではたとえ幽霊が出てきてもあまり怖くはない
という説明をいつかにしたはずだね


さて、今回はそれにプラスしてもう少し考えてみようか



ちなみに、幽霊がどうしても怖いという人に質問だ



「あなたが友人を驚かせてやろうと思ったら、どんなシチュエーションを考えるか」



う~ん、やっぱり、物陰にひっそりとしていて、突然わぁっとやるかな。
もしくは、ベッドの下に隠れていて、うめき声を上げるとか、
いや、物置に隠れて、コンコンとドアを叩いてやる



つまり、それこそが幽霊の怖さというものだ。

幽霊は間違っても丁寧にあいさつなどはしないし、
それじゃあ、今から行きますよなんて打合せもない


「突然」「どこからともなく」「さりげなく」


こういった条件も驚く要素の一つである。
そして、それを巧妙にチョイスし、作り上げられているのが



「呪いのビデオ」



というやつだ



……呪いのビデオあれ、怖いから見たくないっ

まあ、そう言わないでほしい。
見たら、見たで結構面白いのだ


まず、どうして誰しもがあのビデオは本物だと決めつけて見るのだ。



えぇ、だって幽霊が映っているからやっぱり本物なんでしょ



もし自分がそんな映像を本当に撮ったとしよう。
本当に本物を撮ったとしよう。


それで、じゃあ、投稿しましょうね
なんて、軽いノリでいられるのかね


特に、我が子の成長の過程なんかを撮ったビデオに映り込んだら、
間違いなく、お祓いだろうさ。

投稿して採用されたら10万円だって。
そんなはした金より、我が子の将来を案じなさいよ


それが我が子ではなくても、自宅や近所でも同様だ。
決してお笑いごとにはせずに祈祷師でも霊媒師でも呼んでほしい。
もちろん、彼らにそんな力があるとも思えないが、それくらいの心配りが必要だ



じゃあ、あの呪いのビデオは一体何なのさっ



早い話、初めから幽霊を期待してカメラを回すだろう?
それで、後で見てみたが、大したことは映っていない。
なら、いっそ加工して映ったことにしようか。

そんな程度の代物だ



結局、僕も心霊スポットツアーをやっていて、カメラを回しているが、
そうして、ぜひ映り込んでください、投稿しますので

そんな人たちが面白がってつくっているというだけで、
何ら怖いものなどは存在しない。



なあんだ安心した
……でも、中にはリアルなものもあるんだけどなぁ。



リアルなものなど、君らだってゲームや映画の中で十分見てきているはずだ。
何もあれだけが特に目立ってリアルなわけではない。


しかし、中には面白いものもある。

もちろん、僕はこうしてよく調べ物をするタイプなので、
そうした彼らの行動なども研究対象の一つだ


例えば、こんなものがある。

カメラを回している者とその友人。
友人が幽霊を見てしまい、ハッとなり、驚き、声も出ない。

素晴らしいほどの名演技だが、残念ながら演技であることに変わりはない


何でそんなことわかるのさ!!くさ過ぎた??


いや、実は人間には意識的に行う行動と、そうでない、生理現象なるものが存在する。
要するに、演技しようにもどうしようもないものだ。

よくやるのは、ひざの少し上をコツンと叩くと、
足がビクッとなり、勝手に動く

反射の一種で、これは意識的に行っているものではない。



僕らが本当に驚いたときも同じで、実は様々なところに反射行動が現れる



まずは目だ

驚くと瞳孔が開く。
もちろん、驚いたふりをして、目を丸く気することはできるが、瞳孔までは開かない。
だって、実際は驚いていないのだもの。開くわけがない。


次に、筋肉の収縮だ。

文字通り、ビクッとなる。
大抵は手足が縮こまる。この「縮こまる」というのはもっともらしい言葉で、
伸びいていた筋肉を縮めるので、全体的に丸くなる。


ほかに心拍数だが、これは実際に胸に耳を押しあてないとわからない。



要するに、演技力は抜群でも、そういったところまではできない。
いくら、わぁ、きゃーと驚いて見せても、
じっくりと見ればそれが演技であることがわかるのだ。



さて、ここまで話して、これでは幽霊がいないと言っているような話になってきたが、
もちろん、これは前半戦であり、ここからがもっと面白いところなのだ。


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第302話 幽霊なんて怖くないんだからねっ!!(導入編)

2010年03月21日 21時26分10秒 | 心霊検証
昨日まで出張で家を2日も空けていた。
もう一人暮らしなのだから、僕以外にこの場所に帰ってくる者はいないわけで、
何とも寂しくもひんやりとしていたことだろう。



さて、そうして土曜日に家に帰ってくると、
ふと赤いランプが点灯していることに気がついた。
僕は、恐る恐るそのランプの方へと歩き出した


最近のインターフォンというのは実に優れていて、
玄関に出ていく前に誰が訪れたのかを確認できるシステムになっている

要するに、いきなり飛び出てグサリッなんてことを防止したいのか、
それとも、勧誘や詐欺なんかからみを守るためか、
一昔からでは想像もできない完全防備なわけだ



そして、僕の家にはそれにつけ加えて、録画機能までついている。
詰まるところ、いない間に誰が来たのか、画像として取り込んでくれる。

ムービーではないのが残念だが、
それでも何とも間抜けな顔が映し出される



……と、説明書きはこんなところでいいや。
それで赤いランプがついていたのだっ

そりゃあ、こんなところに誰が来たのだろうねぇと機械を操作し、見てみる。



ほう、なんかおじさんだね、誰だろか??
……ん?この人、制服着てますね。何とも律儀な方だ。



って、警察官でしょ



一体何のため来たのだっ
捕まるようなことは数知れずしたが、それは子どものころだよ
今は善良な市民として立派なに……、
いや、市民税は滞納しているけどさ、月末には払いますよ



とにかく、疲れた体で出張から帰ってきたというのに、
どうしてこんなインターフォンに悩まされなければならぬのだっ

……待てよ、録画機能がいけないのだ。
だって、もし本当に僕に用があるのなら、また日を改めて来るに違いない。
そう、これは見なかったことにしよう、うん



と、物すごい長い導入部分になってしまったが、
皆さん、どうもお久しぶりですっ


えぇっ、待ってなかった
まあ、いいじゃあないか。1週間ぶりの再会も悪くない。



とにかく、この世の中には見なかったことにしておきたいものが山ほどある


テストの答案だったり、成績表だったり、
レントゲン写真に写りこんだ黒い影だったり、
不自然に柔らかい山中の地面の下だったり、


そう、今回、お試し期間とは言えども僕のブログのデータ分析を閲覧できた

何時にページを開いたかやどんな媒体を使ったか、
これは前にお話ししたとおりで、どうやら携帯電話からのアクセスが多いようだ

そして、それに加えてどのページを閲覧したか、
さらには、どんなキーワードを検索し、このページにたどり着いたか。



もう情報社会と言ってもこれはさすがにやり過ぎでは



そんな疑念さえ浮かんでくる中、
まあ、そんなことがあるのなら便乗しようかというわけで、
こうして久々にブログを更新しようというわけだ



あくまでお試し期間ということで、データがつまびらかになったのはわずか1週間。
しかし、その1週間でなかなかのヒット数を記録したものを
きょうはご期待にこたえてやりましょ


皆さんのことだから、もうタイトルを見ただけで理解しているかとは思う。
というか、そのまんまだしね



検索キーワード 「幽霊 怖くなくなる」



とにかく、皆さんは幽霊がどうしても怖いらしい

それはとても残念なことだ。
だって、いないものに怖がったって仕方がない。

それでも、どうしたら怖くなくなるかという疑問を持って真っ向から勝負を挑み、
なんとインターネット検索までしてしまうのだからね



僕なら……、どうだろうか。
まずは、友人に相談してみようかと思うかもしれぬ。
だって、お母さんなら恥ずかしいからね

それで、友人からも何ら期待通りの回答が得られず、
眠れぬ夜を過ごしたのかい??



いいよ、そんなことならお任せあれ



しかし、実は僕のブログではこれまでかなりのネタをやってしまった。
もしかしたら、それを見れば何だそんなことだったのかと解決してしまうかもしれぬ。

でも、それを見ても、まだまだ信じられぬ。
幽霊は絶対にいるんだぁぁ

という方に向けて、温かなメッセージを送ろうか。



ただ、これは絶対に幽霊はいるんだと肯定的に見ている人には、
ある意味、喧嘩を売るようなものだしね

だから、今回は少し趣向を変えて「幽霊はいる」という立場で、
幽霊は怖いのかを考えてみようかっ



というわけで、シャワーの後、また書きます

 
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第301話 自ら死を選ぶのもいいだろう

2010年03月13日 21時33分53秒 | 真面目な社会
……まあ、都市伝説レベルの301話目だ


本当は前回のあれで休憩と言いたかったが、
友人からの一言で今回再び顔を出すはめになった



「話の内容は悪くないが、教育上よくない」



確かに、裏を返せば、
皆さん早く死んでくださいと言っているようなものだものね。

僕は自殺については肯定的だが、
それでも、じゃあ早々に死んでくださいとは強くは言えない。

そういうわけで、
死ぬことに越したことはないが、
あまり早まるのもよくないということだけをつけ加えておきたい



実のところ、自殺ネタというのは、僕の読んでいるブログで
かなりの話題になるほど話が尽きている。

皆さんも、死のうかなと思っているのなら、
ぜひ、そちらに足を運んでくれると、管理者の方から温かい言葉をいただけることだろう。

許可はないが、リンクを張るわけではないので、よしとしてほしい。
たしか、「自殺教室」というものをやっていたはずで、
ぜひ一度は読んでみるとよろしいと思うわけだ。





というわけで、僕の役目はこれで終わったわけだが、
こんなつまらない話だけで終わるのももったいないので、
僕の考えを皆さんにお話ししてから寝ることにしようか


このページが犬死日記と称していることからわかるように、
僕は死と限りなく近くに接近している。

いつの間にか体のあちこちに異変が生じ、
若くして心臓をだめにしてしまった

それでもこうしてなんとか生きているのだが、
体調不良の毎日で、眠りにつくと明日が来ないのではと思う日があるほどだ。



それに手首を切った友人も何人か知っているし、
僕もどういうものかを確かめたくて手首を切ったこともある

死んでしまおうというわけではない。
とにかく、そういう気持ちになる心境を味わってみたかったのだ。

遊び心というわけでは決してなく、
とりあえずという気持ちでもない。



そんな僕がたどり着いた答えは、もったいないということだけだった。



僕らが生きるということは、時間や物事の積み重ねによってあらわされる。
死ぬという選択は1回きりしか使えず、その選択肢を選んでしまえば、
それ以降に別の選択肢は得られない。

生きていれば、生きることと死ぬことの両方を選択できるのに対し、
死んでしまってはそのどちらも失ってしまう。

死後の世界があるとすれば、
死にながらに生き続けるという奇妙な事象に出会うかもしれないが、
それでも死んでしまえば、死ぬという選択肢は与えられない

ある宗教に描かれているもので、
死んだ人間は消滅という形があるのだそうだ。
しかし、それ自らの意思で行うものではないらしい



やはり、生きていることに越したことはないのだ。



僕らが生きているうちにはさまざまな選択肢が目の前に用意される。


それは、お風呂が先か、ご飯が先かという単純なものから、
どの学校を受験しようか、どの職業を選択しようかという人生の分岐点になるものまで、
さまざまとある。

それを手持ちのカードを一つ切るように、
そのとき一番よいと思われる選択をするのだ


そして、そのカードの枚数は人によって違う。

右か左かの2択しかできない者もいれば、
上下に真ん中、後ろに立ち止まるといったように、
いくつもの道を用意している者もいる。


さらにいえば、
同じ人間でも、その時の心境によって持ち札が異なる場合だってある。

精神状態がすぐれないときには1枚きりのカードを出さざるを得ないことだってあるが、
そうでないときには多くのカードの中からそれを選べることができる。


自殺を図る人は、いつだって手持ちカードは少なく、
そのせいで誤った判断に陥りやすいのである



もし、今、死んでしまおうと考えている人がいるのなら、
その手札をしっかりと見つめてほしい。


1枚きりのカードでは迷うことなどできないのだ。
それを出して、自分の人生に幕を引くのは早過ぎる



そう、ここはステイだ。



そうして落ち着いた心で再び手札を見てみよう。

もちろん、そこにはジョーカーは入っているのだろう。
しかし、そのほかにも幾つかのカードが入っているはずだ。


多くの手札で悩み、考え抜いた末にジョーカーを出したならそれもいいだろう。
追い詰められたときの選択とはそれほどまでに誤りやすいのだ。




ちなみに、僕が生きている理由は簡単だ。

人はどうせ死ぬのだし、それなら今生きていても損はない。
それに、もし僕がきょう死んだとして、明日にとてつもないほどの面白いことが待っていたら……。


大地震による都市壊滅、隕石落下による人類滅亡、
宇宙人との大戦争、太陽の爆発と宇宙の消滅、


これを見ずして僕は死ねないね






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第300話 僕らは廻ってるんだよ

2010年03月11日 21時07分07秒 | 真面目な社会
やめた。


継続とか、先延ばしとか、もういいや。



お、おいおい、約束事だろうさ、それは



ヤクソク?何それ、おいしいの



とりあえず、今決めた方針を言う。

まず、今書いている記念すべき300話。
これで休憩する。

理由は単純だ。

小説の方をまず完結させたいのだ。
あっちは完全に更新が止まっているもので、早目に終点にいきたいもの。

そして、それが終わり次第、こちらで継続する


とは言うものの、いいネタを仕入れるには時間がかかる。
もともと100話設定で考え事をしているので、
その考えがまとまらないうちはやっぱりできない

ひとまず、これでいこう、うん



さて、きょうはそういうわけでいきなりのラストっ



最後は、とっても不思議な話で終わりにしようと思う。
学生さんが多い(……知らないけど)ということで、そっち系のネタだ。


父 「いいかい、今、何グラムだい?」
息子「うん、10グラム」
父 「それじゃ燃やそうか」

父 「さあ、もういいだろう。もう一度計ってみようか」
息子「あれっ!?」
父 「どうしたんだい?」
息子「7グラムになっちゃった……」
父 「本当だね」
息子「ねえ、一体どうして?」



ある時、知人の父が死んだ。
葬式を一通り終えてから、遺体を火葬し、残ったのは真っ白い骨だけであった。

それをきれいな箱に詰めて、蓋をする。
しんとした空気はやけに冷たく頬を撫でる。

そうして何日か経ち、会ったときに車の中でぼそりとつぶやいた。



「どうして人は死ぬのだろう?」



それは、生命はいつか死ぬ。
この世に生命を受けた以上、必ず死ぬと決まっている。

この世には永遠なんて存在しない。
今ではおとぎ話にだって、ありはしない。



そんなんじゃない。
そんなありきたりの理屈なんかはとっくにわかっているのだ。



どうして僕らは死ぬのだ。



この地球に生命が誕生して以来、何億、何兆という命が生まれ、
そして死んでいった。

ある者は、永遠を信じ不老不死を願い、
ある者は、輪廻転生と言い、生まれ変わりを願った。

しかし、どれもこれも夢で終わり、
実現する者はどこにも存在しない。

ただ、一つだけ確かなのは、
それでも地球だけは存在し、廻り続けていることだけだ。



物体が廻るということは、始まりがあり、終わりがある。
正確な円を描けば、終わりは始まりである。

とぐろのようにいつまでもスタートに戻れずに廻り続けるものもあるが、
僕らは決してそうではない。

生という始まりがあり、死という終わりがある。



知人のその問いに答えるには数秒もかからなかった。
僕にははっきりとした答えがあった。

それがこの世のすべての科学者が到達した結論ではない。
これ以上のない極めて合理的な真理でもない。

ただ、僕はずっとそう思い続けているのだ。





「命は生まれるために死ぬ」





真っ先に思ったのが、質量保存の法則である。



木から枝を折ってきて、その重さをはかる。
それから、それを燃焼し、再び重さをはかる。
そうすると、燃やす前よりも幾らか軽くなっているのだ。

もちろん、軽くなったというのは大きな誤りで、
本当は燃焼中に空気中に気体となって散布されたことが原因である。

だから、密閉された空間で燃焼させても、
質量は変わらず、
先ほどの話で言えば、10グラムから変化することはない。



この世界もそうなのだ。



地球という大きさな受け皿からは1滴の滴すらこぼさない。
時々宇宙船を飛ばし、大気圏を突破することもあろうが、
そんな重さはこの大き過ぎる地球から見れば、シャープペンの芯ほどにも感じない。



そうだ、地球の質量は変わらないのだ。



もし、僕らが死ぬことを忘れて、この星の上に立ち続けたのなら、
その質量が増え続けることになる。

そんなことはあり得ないのだ。


だから、人が増え続ければ、ほかのものが失われる。
何者かが大量に繁殖すれば、何者かが絶滅の危機にさらされる。
何者かを大量に消費すれば、何者かが余分に残る。



地球はいつも同じ重さを抱えて廻っている。
何かを生み出し、何かを失い、
その手のひらから何もこぼさないよう、ゆっくりと時間をかけて廻っている。



だから、僕らは死ななくちゃいけない。
未来の僕らのために、僕らはみずから死んでいくんだ。



なぜ、今、少子化なのか。
女性の社会進出、単身世帯の増加、社会構造。


違うんじゃないか。
僕らが死ななくなったから、生まれてくる命が絶対的に少ないのだ。



もちろん、それが人だけでその均衡を保とうしているわけじゃあない。

動物だったり、植物だったり、水であったり、空気であったり、
それでも人はこれ以上のないほどに増え続けている。



死が敬遠され、生のみに目を向けてはいけないんだ。
生と死はコインの裏表と一緒で、
いくら二つに分けようとしても無理な話だ。



きれいに包まれた遺骨の入った小さな箱は、
まるで赤ん坊と同じくらいの重さで、
それを大切に大切に、決して落とさないように運ぶ。

空に昇っていった見えない重さは、
次に来る未来の新しい命へつなぐ
バトンなのかもしれないね。
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第299話 Sと坊や、来室

2010年03月11日 17時53分33秒 | 日記
とりあえず、誤解していたことを発表するけど、いいかな?

ブログをつくっている僕としては、パソコンでせくせくやっているわけで、
見ている皆さんももちろんそうだと思っていた。

しかし、最近、おもしろいものを発見したのだ。
何でもこのブログにはどこから閲覧しているかがわかると言う

僕からしてみれば、何だか盗み見のような気分も感じるわけだが、
そいいう機能が一般的なら、それもいいのかね


そうして、それを見てみると、
驚くべき事態に立ち入ったっ


8割は携帯電話からじゃあないかっ


ということは、ということはだね、
もしかして、見ている方の多くは学生さん


僕なんかは結構僕に近い年代、
もしくはそれ以上の面々だと勘違いをしていたわけだが、
実はそうでもなかったりしているのかねぇ



といっても、それが僕に何か関係しているかって?



まあ、あまり関係はしていないんだけど、
話す内容もそうしたらもうちょっと考えなくちゃなあ
と思ったりもする。


要するに、これから社会に羽ばたいて、
いよいよ大人の世界のしがらみとか、不満にぶつかっていって、
世知辛い世の中だとがっくり肩を落とす人たちだろう。


いや、悪くしかとらえていないが、
大半はそうでしょ、僕もそうだしね(笑)


それなら話はもう少し精神的なディープな内容がいいもんだ。


副流煙だの、禁煙だの、受動喫煙だのって全部煙草を言っているわけだが、
そういう表面的な話より、
心の問題とか、交友関係とか、そっちの方がいいのかね


まあ、どのみちもうお休みだってころに気がついてもどうしようもないわけで、
とりあえず、そういう事実がわかったことだけはよしとしましょ



さて、本題に入りましょ

格好よくエヴァンゲリオンみたいなタイトルにしてみたが、
来たのは宇宙からの未知なる生物でもなく、聖書に出てくる空想の生き物でもなく、
僕の単なる友人である


まあ、僕も含めて、Sも坊やも日常では滅多にお目にかかれないのだから、
使徒と言っても過言じゃないかもしれぬ。

まあ、その辺が知りたくば過去のSや坊やの話を参照してくださいな


さて、それでそのSと坊やが我が家に遊びに来たわけだ。
もちろん、僕が独り暮らしを始めて、初めての来訪者であり、
まだ段ボールもパラパラとある中、通したわけだ。


2人はそれぞれ一人ずつ、別々の日にやってきた。
しかし、やったことは一緒で、
僕ら2人とコンピューター2人の4人でマリオパーティーをしたのだ



えっ何だって?何パーティー?



いや、だからマリオパーティーだよ。
ほら、あのゲームキューブの。


もう三十路も間近な僕らだが、
そうしてマリオパーティーで仲良く遊ぶわけだよ


ちなみに僕はピーチを使う。
意味はないけど、身軽そうだもの。
キノピオは頭が重そうだろう?マリオは主人公だし、敬遠したい。


S編

僕「どうぞ」
S「おっ、結構広いね」
僕「そうなんだよね。それよりこのソファどう?」
S「めっちゃいい」


坊や編

僕  「どうぞ」
坊や「結構いいっすね」
僕  「そうでしょう。それよりこのソファどう?」
坊や「これいいっすね」


とりあえず、ソファがふかふかなのが自慢の家だ。
しかし、肝心の僕はまだほとんど座る機会がない

パソコン前の椅子か、ベッドにいることしかないので、
要は来客用というわけだ。


Sは、その日、僕の家に泊まったわけで、
まあ、これは僕がSの家に行くときも一緒なのだが、
泊まるための何物も用意しないところが素晴らしい。


S編

S「ねえ、寝袋ある?」
僕「あっ、ないわ」
S「マジかぁ……どうすりゃいいんだ」
僕「そのソファで寝ていいよ」
S「えっ、マジ?なら、いいわ」
僕「あと、この毛布使っていいよ」
S「あはっ、これ最高だわ」


寝どこにもなるフカフカさなわけで、Sも相当ご満悦の様子だ。
僕もそれを見て、ニヤリと笑うと、ベッドにもぐった。


そして、翌日。


S「……nusomoo、朝、めっちゃ寒い」


僕の住むマンションは3階建てで、僕の部屋は2階に位置している。
1階は車庫になっているので、まあ1階よりも少し厳しい状況なのだ。

ガッタガタに震えながらSがそう呟いた。
僕は、それを見ておかしくなって笑った。

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第298話 お願いですから、どうか死んでください。

2010年03月10日 21時08分43秒 | 真面目な社会
僕の幼少期の物語はいったんここで休憩しようと思う。
まあ、話の区切りとしてもいいし、
全体の半分ぐらいであることも手伝っている



というか、気がついたことがある



残りわずかというときに意外にこの話が長くなりそうで、
もう300話が間近なのだ

これでは、完結する前に300話に到達し、
尻切れトンボ状態で休刊することになる



あっ、もう「休刊」するって言ってしまったや

いや、ここはひとつ皆さんにご相談なんですがね、
もう少しだけ続けさせてください

いつものように、300話は、要するに休刊する直前の話は、
ここぞという時をひたすらに待っている特ダネなわけだ。

それを出さずして終われないっってか、終わりたくない


だから、まず、ボールは友達さ♪を完結させて、
ゆっくりとそれを書きたいわけだ。

というわけで、お願いします、締め切りを少しだけ延ばしてください



……う~ん、まあ、ここはnosumooのページなんだし、好きにすればいいよ。



あっ、ありがとうございます

いやあ、これで心置きなくきょうの話題が話せるというもの。
心やさしい皆さんで本当によかった


さて、というわけで、きょうはまた別なお話だ。
タイトルからして、あまり気分のよくなる話ではなさそうだが、
まったくもってそのとおりだ


僕は、今、人生で一番かもしれないほどの怒りに震えている
実のところ、部屋が寒過ぎて、ずっと前から震えていたのだが、
それに拍車をかけるように、僕のもとに入ってきた突然のニュース



公共施設を含むすべての屋内施設での全面禁煙だってっ



きょうばかりは言わせてもらおう。
もしかしたら、こんなことを言うと僕のイメージが崩れるかもしれないが、
言わせてほしいので、見たくない人は1秒ほど目をつむっていただきたい。



ばかじゃないの



本当に世の中狂ってる。
どうして、そう煙草ばかりに敵意をむき出しなのだ。



あっ、もう目を開けてもいいですよ


どうやら、健康増進法なるものができて以来、
世界各国では煙草に対する規制が激しい。

しかし、これは努力義務なので、罰則等は存在しないものの、
社会的風潮っていうのかね、そんなこんなで「煙草=悪者」が定着しつつある。


これは本当に由々しき事態であり、早急に対策をとらなければならぬ。
とは言うものの、僕は総理大臣もなければ、大統領でもない

というわけで、仕方なく自分のブログで小さく吼えてみようと思うわけだ。



まず、煙草が害だって!?
いや、そんなの生まれる前から知ってるし

副流煙といって、自分だけでなく他人にも害を及ぼすらしいよ。
いやいや、それも半世紀も前に周知の事実だし。


きょうも職場の後輩にこう言われる。


「nosumooさん、煙草はやめた方がいいですって。健康によくないですから」


ちょいと待ちなさいと僕は言う。


「ちなみに、煙草を吸うとどうなるんだって?」


後輩は言う。


「血流が悪くなり、動脈硬化、さらには心筋梗塞のおそれがある」


続けて僕は言う。


「そういう症状になる要因でほかに考えられるものは?」


少し戸惑いながらも言う。


「う~ん、高コレステロールの摂取や運動不足、生活習慣とかですかね」


ほれみたことかと僕が言う。


「要するに、煙草が悪いのは明白だ。しかし、同じようにそういったものも体には悪い。

だから、10ある要素のうちの1つがなくなったからといってどうこうなる問題ではない」


後輩も納得の顔色だ。



煙草をやめたときに、唐揚げもかつ丼も食べなくなって、毎日運動するようになって、
早寝早起きして。それで初めて予防と言える。
煙草だけやめても何の意味もないのだ


よーく考えてみるんだよ。

みんなだって夜更かし大好きだし、外食だってするだろう?
添加物だらけのファーストフードに、着色料だらけのジュースに、
遠くがかすむような排気ガスの中で生きている。



若いころから髪の毛を脱色し、化粧をし、
どうか皮膚がんで死んでください。

土いじりもしないで、教室の掃除もしないで、
どうか免疫不全で死んでください。

好き嫌いばかりして、ポテトチップスばかり食べて、
どうか高脂血症で死んでください。



待てよ、これって全然人に迷惑がかかっていないんじゃない?



物事を一つの角度から見ればまさにそのとおりだ。
しかし、ある事象が単発的に発生し、終着することなどあり得ない。

必ず影響は波及するものだ。

目に見える直接的な迷惑は目立つので、やめよう。
しかし、そうではない知らず知らずのうちに蓄積される迷惑はよし


これではいつまでたっても平和な世の中などは到来しない。



メリットとデメリットを天秤にかけて、善し悪しを決める。
もうそんな時代じゃないんだって
人類が文化を持って一体どれだけの月日が流れているのだ。



迷惑のない世界はなく、だからといって迷惑を許すこともできない。
それで、手がつけられそうなところから強制的に排除する。



そんな考えな方は、お願いですから、どうか死んでください



あなたのせいで、地球が滅亡の危機にあるのです。
二酸化炭素を吐き、化学物質をまきちらし、
海を汚し、森を破壊し、自らのエゴの満たすだけの存在です



……おいおいっ、じゃあ煙草を許せってのか?それで済むのか?



はてね。
しかし、そうして立ち止まって考えることが、
人類に必要な第一歩だと思うね。
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第297話 ボールは友達さ♪ 4

2010年03月09日 20時28分14秒 | 時の回廊
1年が過ぎたころ、僕はチームの中で一番にうまくなったことがある。

それはリフティングを含めたボールコントロールであり、
小学生とは思えないほどに安定しているとコーチに言われた。


Jリーガーと比較してみても、
小学生のうちに1000回以上のリフティングができた者は
キングカズと小野伸二、中村俊介などごく少数であり、
そういう意味では僕の持つ820回という記録も努力が報われた結果であったのだ。


しかし、体は小さいという最大の欠点だけはどうしようもないし、
あの当時のサッカーと言えば、ボールを前に蹴り、ひたすら走る。

フォーメーションや戦術などは二の次で、
そういう点からすれば、僕の持つスキルを発する場はどこにもなかった。



だが、監督を含めたチームメイトからの評価も次第に上がり始め、
ある公式で初めて先発出場の機会を与えられた。



「先発は、キーパーは○○、フォーワードは○○と○○」



次々とポジションとそこにつく選手の名前が挙げられる。



「そして、きょうから右ハーフはnosumooだ」



僕の名前が告げられたとき、チームメイトもおおと小さく声を上げた。
僕も驚き、おおと声を上げたかった心境だ。

ようやく11番目の選手となり、
チームの試合に出られる日が来たのだ。

試合開始の呼び出しがかかり、11人がコート間際に立つ。

いつもならば、その後ろ姿をベンチから見つめるだけで、
いつかあの場所に立ちたいと思っていたのだ。

それが、今はこうして皆と肩を並べてここにいる。
もう試合などはどうでもいいくらいに緊張し、胸が高鳴る。



「それでは、試合を開始します」



審判がそう言うと両キャプテンが握手をする。
お互いの健闘といい試合を臨むのだ。



僕に与えられたポジションは右ハーフだ。


当時のサッカーは、今のように複雑ではない。
マン・ツー・マンと言って、相手チームの1人に対し、1人で守備をする。
要するに、10人がそれぞれ相手の選手を一人ずつといったぐあいだ。


自軍のゴールを守るキーパーが1人、
キーパーの前で自分の陣地を守るバックが4人、
相手陣内に入り込み、点を決めるフォワードが3人、

そして、僕のポジションであるハーフというのは、
そのどちらも行ういわばつなぎ目の部分に当たるところだ。

味方がピンチの際は、ゴール前を守るし、
攻撃のチャンスのときは駆け上がり、パスを出す。



一番最初の試合でどうしてこんな難しいところをと思うのだが、
これには先ほど言った大きな理由がある。


当時のサッカーは球蹴りと言うにふさわしく、
パスをつないできれいにゴールするなんていうものではない。

後ろからボールが前に蹴り出され、
それを足の速い者が追いかけ、相手よりも早くボールを奪い、
相手のゴールに蹴り込む。


つまり、体が大きくキック力のある者がバックにつき、
足の速い者がフォワードにつく。

大抵はこれで試合が決まるし、
滅多なことがない限り、プロのようにボールを回して、右へ左へなどはないのだ。


とは言うものの、つなぎ目の役目であるハーフももちろん大事だ。
キープ力のある者、ボールコントロールのいい者が選ばれる。
そういう意味では適任だったのかもしれない。



さて、試合結果はというと、
我がチームが10-0で圧勝した。


本当にサッカーの試合かと思うような数字ではあるが、
小学生の試合ではよく見る光景だ。

サッカーのうまい者がたまたま集まった学校は強いし、
全くだめな、人数さえ確保するのが難しい学校は弱い。

同じ学年にも関わらず、こういった大差の試合になるのも当たり前なのだ。



そして、僕はというと、
もう訳もわからないほどであり、監督からは、



「最初にしては上出来だった。次からだな。あと体力をつけろ」



とお世辞と課題だけを告げられた。

練習試合ではうまくできたことも満足にできず、ミスを連発する。
ベンチからは監督の怒鳴り声で、体はそのたびにビクビクする。


これが俗に言うプレッシャーであり、
いつもの半分も力が出せないのだから情けないことだ。

何事も経験が大事とはよく言ったものだが、
1発勝負というのはこれからだってあるだろう。

やはり、いつ、いかなるときでも本来の力を発揮させなければならないのも
スポーツ選手に欠かせない要素の一つなのだ。



そして、今回出た試合は公式戦であるため、
勝った僕らはトーナメントを駆け上がり、次の試合がすぐ翌日に控えている。


僕はきょうの自分の不出来をもう一度思い出しながら
緊張と試合でクタクタになった体で家に帰った。
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第296話 ボールは友達さ♪ 3

2010年03月08日 20時58分28秒 | 時の回廊
僕は自分から見ても他人から見てもわかるほどの特徴がある。
長所でもあり、短所でもある。



それは、飽きずにコツコツと作業を繰り返すことだ。



幼いころから、アリの巣の前で3時間も黙ったまま、
巣から出てくるアリと入っていくアリを見続けたこともあった。

学生のころのお昼ごはんは学食で決まったメニューを食べ続け、
缶コーヒーと煙草すらもほとんど変わったことがない。



神なんて存在は信じないけれど、
もし本当にどこかにいて、人の性格や特徴をつくれるとしたら、
僕をとにかく単純に作ったのだろうということがわかる。


思えば、少年団に入りたてのころも、
ただひたすらに壁に向かってボールを蹴っていたし、
学校からの帰り道の歩数を数えたりもした。


単純な作業に飽きることなく、
それが僕の唯一の特徴なのかもしれない。



そして、その日、監督から言われたとおりに、
僕はボールを足の甲のみで落とさずに蹴り続けた。

初めは案の定、10回もしないうちにボールは落ちてしまい、
また、1からのやり直しだ。

しかし、やればやるほど回数というのは伸びていくもので、
またまた半年が過ぎたころ、

要するに、1学年上がり、小学5年生になったころには、
僕は一度も落とさずに100回もできるようになっていた。



もちろん、監督の言いつけどおりに、
利き足、反対の足、そして、足の甲に側面と、
ありとあらゆるところで100回を達成できるようになった。


とは言うものの、それが試合で活躍できるほどの技術と言うわけではない。
1学年上がっても、やはりこのころのサッカーというのは、
足の速さと体の大きさで勝負が決まる。



僕が試合に出られる日は、まだ当分先の話だ。



「毎日、100回ずつやろう」
「それで、それが達成されたら10回ずつふやしていくのがいいな」



友人も僕と一緒に練習をやる。
毎日100回のリフティングが日に日に数がふえていき、
ついには150回、200回にまで達するようになっていた。

友人何人かで始めたこの毎日○○回特訓は、
皆が競うようにして楽しみながらやっていた。



「俺、150回できるようになったぞ」
「くそっ、明日になったらその記録抜いてやるからな」



ライバルがいると、上達のスピードも違ってくる。
負けたくないという気持ちは何より強い。
しかし、その数が上がるにつれて、達成が困難になっていく。

皆も僕と同じようにコツコツとしたやつというわけではない。
気がつけば、次第にその数は7人、5人、3人と減っていき、
ついには再び僕だけとなった。



「そんなにリフティングだけができても意味がないじゃん」



最後に残った友人がそう言い残し、
ほかのことに夢中になり始めたころ。
僕は自分自身の記録との闘いとなった。

このリフティングというのは、単純に足で真上にボールを蹴り上げるだけの作業だ。
よって場所をとらない。

家の中でもやり出し、母に怒られ、家の前でやる。
それでも通行人の邪魔になれば駐車場に行き、
新記録の一歩手前でクラクションを鳴らされる。

とにかく、もう何日も何日もただボールを真上に蹴り上げる日々が続いた。



そして、その日はついにやってきた。



練習は、ランニングから始まり、2人1組のパスの練習、
そして、リフティング、シュート練習、ミニゲームといった形で進む。

リフティングの練習とは、
フエの合図がなったら全員でそれを行い、
最後の1人が落とすまで続けられる。

以前まではよくできた人でも50回程度だから、
その時間は10分もかからない。

しかし、今では100回、200回とできるものが続出するのだから、
その練習にかかる時間も多く配分されるようになっていた。



この日もそうしてフエが鳴る。



数分がたち、何人かが脱落する。
中には、ボールを見当違いの方向に蹴ってしまい、
他人を巻き添えにして終わる者もいる。


また数分がたち、
コートの隅に座る脱落者と残りわずかの選手がそれを続ける。
僕もまだそのうちの一人だ。



「201、202、20さぁぁぁぁぁぁぁ……」



友人が自己記録を更新し、最後に倒れ込むようにボールを地面へと落とした。



「お前すげーな」
「おお、俺、何回だった?」
「202だよ」
「やったぁ、記録更新だよ」



そんな会話が横から聞こえてくる。
しかし、僕は今それどころではなかった。

団員全員の視線が次に僕へと向けられる。



「おーい、nosumoo、今、何回よ」
「……27、28、29、230」
「おぉ、すげー、nosumoo、頑張れ」



ただっ広いコートの真ん中には僕一人がポツリといて、
ボールを落とさず、ただひたすらに蹴っていた。

僕のこれまでの記録は300ちょっとなので、
あと少し頑張れば、僕も友人についで記録を更新することになる。



1年遅く入り、チームにほとんど溶け込めずにいた僕でも、
今はみんなが僕1人のために声援を送る。



「頑張れ」
「絶対記録更新しろよ」



初めはやめるつもりだったが、
こうしてここまでやってきてよかったと思えた。

チームメイトというのは本当に大切な存在で、
励まし合い、競い合い、そうして僕らは成長していくのだ。



「……48、49、350!!!」



おおと歓声が上がる。
正直、僕にはほとんど聞き取れないほどで、
ついには自己記録を更新し、皆以上の興奮状態にいたのだ。



「351!!352!!353!!」



全員が大声でカウントをする。
一体どこまで行くのだ!?
そんな期待感に包まれ僕はまだひたすらにボールを蹴り続けた。




……そして、30分後。




「……おい、まだやるの?」

僕はまだボールを蹴り上げ続けていた。

記録更新の初めは、全員が興奮し、カウントをしていたはずだった。
しかし、今では隣の者と談笑する者や寝転がりグダグダとする者もいる。



「おい、早く終われよっ!練習時間なくなるだろ」



先ほどまでの歓声はどこへ消えたのか、
僕は皆にブーイングをされながらも、宙に浮いたボールを見続けた。



さらに、数分が経つ。



「おい、nosumoo、いい加減に終われっ!!」



一人がふざけて僕の方へとボールを転がす。
詰まるところ、それに気をとられて僕がボールを落とせばよしという考えだ。


しかし、集中の集中の最中にいた僕には、
それがまるでスローモーションのように見え、
まるでボールを足で蹴っているとは思えないほどにきれいにピョイと飛びよけた。



「59、60、61、62」



僕は頭の中で上がり続ける数をカウントし続けた。



そして、一人が立ち上がる。
ボールを転がすのでは飽き足らず、僕にめがけてボールを投げつけた。


もちろん、僕はそれをきれいにかわすと、
またカウントを続ける。


不思議な後輩たちからの歓声と、
いらだった同年代の仲間たちの声とボール、
そのすべてがコート全体を縦横無尽に飛び交う。


まるで後ろに目がついているように、僕はするりするりとボールを交わし、
その周りでは僕をめがけてボールを投げる。



そして、最後は。



ついに我慢ができなくなったキャプテンが、
僕にダッシュをして向かってきて、僕のボールを横からゴールへと蹴り飛ばした。



「ゴーーーーール!はい、次の練習」



僕は息を切らしながら、呆然と立ち尽くした。



まだやれた。



そんな気持ちとここまでできたという確かな実感。
いろいろなものが渦巻いて、途中で止められた事への悔しさの入る余地はどこにもなかった。



友人が申し訳なさそうに近づいてくる。



「……なあ、結局、何回やった??」




「うん、820回」



要した時間は1時間とちょっとであった。

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第295話 ボールは友達さ♪ 2

2010年03月08日 00時35分42秒 | 時の回廊
サッカーというのは、足でボールを蹴っていき、
相手のゴールにより多く入れた方が勝者となる。

手を使えば、反則となるため、
野球やバスケットほどの正確さがない大雑把なスポーツだ。

もちろん、それがプロにでもなれば、
それなりに正確さは必要にもなるが、
小学生のサッカーというのは名ばかりのものだ。

ただ、ボールを蹴っていき、うまくゴールに決められればいいというぐあいで、
漫画のような必殺技もテニクックもほとんど要らないのである。



そんな身体能力だけでやるようなスポーツでは、
足の速いものが勝ち、体の大きい強い者が勝ち、背が高い者が勝つ。


どれも130センチの僕には足りないものばかりで、
要するに僕は初めから負けが決まっていた。


僕が1学年下、いや、もう1学年下のチームでやれば、
それなりに活躍もできたろうが、
何とも虚しく学年別にチームが決められており、
自分の学年、もしくは上の学年の試合にしか出られない。


僕の学年には僕を含めて16人の団員がいて、
サッカーというスポーツは11人でやるのだ。


キーパーと言って、自分のゴールを手を使って守る役目がいる。
大抵は体が大きい者が選ばれるので、残りの枠は10人分。


16番目の僕は、とりあえずその10番目を目標にすることだった。


それにしても、僕にできることは一体何だろうか?

牛乳を飲むこと?
いや、身長などは何日かで極端に伸びるものでもないし、
人並みに伸びたところで、特段素晴らしいわけでもない。



とりあえず、ボールを足で蹴るのだから、
思うようなところに蹴ることができればいいのだろう。

まずはそこから始めてみる。



といっても、3歳児だって、ゴムボールを蹴って遊ぶ。
目の前にお母さんが手を開いて待っていてくれる。
そこに向かってボールを蹴る。

こんなことは誰にだってできるのだ。
もしチームが僕を必要としてくれるぐらいと言ったら

「どこにいても、どんな距離でも」

このぐらいは目指さなければならない。



そうして、僕はひたすらボールを的に当てる練習を繰り返した。
練習のない日も家の近くの公園でただひたすらにボールを蹴った。

壁に的を書くと怒られるので、黒ずんでいる場所をめがけて蹴る。

初めは1メートルほどの近くからにして、
慣れてくるとその距離をだんだんと遠ざける。

そんなことを1か月も2か月もやるのだ。



公園を通る人は皆こう思う。



「あいつはいつも一人でさびしい奴だ」



まるでスラムダンクの中でやるような特訓だが、
やはり、練習というのはこういうものなのだ。

面白いかと聞かれれば、それは確かにつまらなそうに見えるかもしれないと言うだろう。

でも、的に当たる確率が10分の1から10分の9くらいまでになると、
なかなか面白みが出てくるものだ。



そうしているうちに、練習でも監督から褒められるようになった。


「パスが正確になった」


約半年が過ぎようとしたとき、
僕はボールをほとんど狙い通りの場所に蹴ることができるようになっていた。

ゲームセンターにあるキックターゲットといって、
ゴールに的が書いてあるゲームがあるが、
現役を数年前に退いた今でもすべての的に当てることができる。

積み重ねた練習は、体に染みついて離れないほどになった。



僕らの学年のチームは、以前に述べたように、
たまたまうまい選手が集まった。

それでか知らぬが、公式戦でも勝ちを重ね、
気がつけば、札幌市内でも強豪という名がつくほどになった。


もちろん、僕はベンチでそれをずっと見ていたわけだが、
チームが強いせいか、練習試合を申し込まれ、
2軍として幾度か試合を経験した。


試合というのは面白いもので、練習でできていたことがなかなかできないのだ。
あれほどまでにミスがなかったボールコントロールも
ひとたび相手がいれば、思うようには蹴れなくなる。



僕の課題がまた一つ見つかった。


そして、それと同時にチームも思わぬ転機を迎えることとなった。



小学校のスポーツ少年団というのは、監督はその学校の先生なのである。
これは中学校や高校の部活と一緒で、
そのスポーツをやっていた先生である場合もあれば、
全く知らないが、その任を請け負うという場合もある。


今までの僕らの監督はその後者の方で、
サッカーのサの字も知らずに監督をしていたのだ。

もちろん、何年もやっていれば、多少の知識や技術が身につくもの。
しかし、もともとサッカー選手というわけではないので、
戦術といった類の深い知識を持ってはいなかった。

練習は週に3回学校が終わってから行うだけで、
恐らく、そういうわけもあってか、僕の学校のチームはあまり強くなかったのだ。



それが、新しい先生が赴任して、
僕らの少年団の監督になってくれたのだ。

もちろん、バリバリの経験者で、
後に区の選抜チームの監督を任されるほどの人であった。


練習方針ががらりと変わり、
昔の言葉で言う「スパルタ」というやつだ。

それでも、僕らは試合に勝ちたかったし、もともと負けん気の強い者ばかりで、
そんな先生のもとで、ヒーヒー言いながらも練習を進めていった。



そして、ある時、先生がこう言った。


「お前ら、サッカーは足でやるもんなんだぞ。太ももで蹴ってどうするんだ」


これは僕らがリフティングという練習の時であった。

このリフティングというのは、
ボールを地面に落とさずに足で蹴り続けることで、
中村俊介やロナウジーニョなどがよくやるあれだ。


小学生では10回できればよし。
50回落とさずにいれば大したもので、
100回もできる者は勲章ものだ。


もちろん、僕も太ももを使いながらでようやく10回といった程度で、
先生の言葉に衝撃を受けた。



「太ももなんて試合中に使わないだろ。お前ら足でやれよ」


その場にいた僕らは皆唖然とし、仕方なしに足の甲だけでやってみる。
もちろん、ボールに紐がついていもわけでもないので、
2、3回蹴ったら、ボールはどこかに飛んでいき、地面に転がっていく。


全員がそんな感じで、うまい人では20回程度をやった人もいたが、
それでも先生は満足しない。



「少なくとも50回はできるようにしろ。それも利き足と反対の足でな」



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第294話 ボールは友達さ♪ 1

2010年03月06日 21時57分36秒 | 時の回廊
僕には誇れる事がほとんどない。

特段、何かが人よりうまくできるわけでもないし、
特別、容姿がよかったり、頭がいいわけではない。


そういう人間は人以上に努力をしなければならぬ。
それでも追いつけなくて、ただひたすら走り続けて、
まだまだ先は見えないけれど、やっぱり走るしかないのだ。

夢中になって走り続けて、ふと気がつくと、
いやあ、実はこんなに走ってきたのだなと思う瞬間がある。

だって、ゴールなんて決めていないのだもの、
思うがままに走り続けていた。

何が残せたかはわからないが、
とにかく人間というのはここまで走れるものなのだと
たったそれだけだが、そうわかった事がある。



僕は小学4年生のころ、
サッカークラブに入った。
どこの学校にもある少年団というやつだ。

サッカーが好きだったわけではない。
仲良くしていた友人がそのクラブに入っていたのだ。



「一緒にサッカーやらないか?」



僕の通っていた小学校のクラブは入部を3年生までとしていた。
その決まりに何の意味があるかはわからない。
とにかくそういう決まりだった。

僕が誘われたのは4年生の春のことだ。
もう既に入部時期が終わっていて、普通ならば入団ができない。

でも、そのとき仲がよかった友人とその母親が、
どうしても入れさせたいという希望で、
特例中の特例で入れさせてもらったのだ。


何ともありがたい話で、さぞ僕に対する期待も大きかったのかと思うなかれ。


僕はその当時、身長が130センチもなかった。
目が悪く眼鏡をかけていたし、
ぱっと見ても期待できる選手というわけではなかった。


小学生のころというのは、体の大きさで随分と能力も違う。
速い、速いと言っても、一歩が違うのだ。
10センチも大きい同学年の子にもすぐに追い抜かされてしまう。

体がぶつかり合えば1メートルほど吹き飛んでしまうし、
何より眼鏡があってはぶつかることさえ躊躇する。

体とともに眼鏡まで吹き飛んで、
床をオロオロしながら手探りをする。


一体、どうしてサッカークラブになんかと思うかもしれない。
サッカーが好きなら話は別だ。
友人に誘われただけだろう。


僕にもそんな深い理由はなかったのだろう。
とにかく、それからサッカーへと打ち込む日が続いたわけだ。



入団して間もなく、両親にサッカーボールを買ってもらい、
とにかくボールを蹴ってみる。

練習は見学から始めて、
できそうなことには参加した。

僕より下の学年の子も練習をしている中、僕だけが見学をするのだ。
同年代の友人は既に1年を経験しており、
もう既に一通りの基礎が終わっている。

僕に与えられた課題は思いのほか多いのだと実感するが、
何せ、初心者一人に時間を割く暇もない。
僕はそれを見続け、一人で真似事をする以外にはなかった。



サッカークラブとは1学校に一つはあり、
それとは別にクラブチームが存在する。

クラブチームとは、選りすぐりの子どもたちが学校を越えて入るため、
やはり学校単位のチームとはわけが違って強いのだ。

僕ら一般のチームは学校単位なわけで、
変な話、住んでいるところにうまい人がいるかどうかで強さが決まる。


そして、僕の学年はというと、
俗に言う豊作の年であり、うまい選手が集まったのだ。


そんな中にポツリと一人入ったのだから、
場違いもいいところだった。



ああ、間違ってしまったかな、やめてしまおうかな。



そんな感じさえ否めない。

それでも、やるだけやってだめだったらやめればいい。
そうして僕はただひたすらに練習する日々が続いた。



しかし、事態はいい方向には行かないものだ。

練習にも慣れ始めたころ、監督が僕を呼んで話して聞かせた。



「君は体が小さい。サッカーには向いていないのかもしれないね」



昔ではよくある光景で、
今のように何でもかんでも平等の時代ではない。


素質がない者はやる資格がない。


クラブチームでもないただの学校のクラブでも、
こんな話はある。



その日、僕は練習にも身が入らず、
監督に言われた事が頭をグルグルと回っていた。


家に帰り、やめようかと思うと漏らす。
しかし、さすがは両親だ。


「あなた入ったばかりでしょう。やるだけやってだめだと思ったときにやめなさい」


そんな事を言われてもと僕は思った。

第一、身長なんかすぐに伸びるわけでもないし、
もとはと言えば、こんな小さく僕を生んだ親が悪いのではないか。
体の小ささは僕自身にどうにかなる問題ではないのだ。



それでも、ボールは買ってもらったわけだし、
一通りの段取りを組んでくれた親や友人にも悪いという気持ちで、

とにかくやれるだけやるという不安定なスタートを切ったのだ。
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第293話 本当に起こっちゃったし……。

2010年03月05日 21時26分01秒 | 真面目な社会
ようやくバンクーバーオリンピックが一段落して、
世の中がまた退屈で平穏を取り戻したと思ったら、
何とも僕らの世界はまた別のところで大事件が起こっていたようだ


というのは、ほんの数日前の話で、
僕は日本人でありながら、フィギアスケーターのキム・ヨナを応援しているということで、
スポーツには人種や国籍などは一切関係のないものだと言っていたね。


しかし、現実はどうやら違っているというか、まあ当たり前だけれど、
日本人は浅田真央を応援し、韓国人はキム・ヨナを応援していた。


結果は、キム・ヨナが見事に金メダルで、浅田真央は銀メダル。


それに憤慨したのか知らないが、
キム・ヨナの採点が高過ぎると批判をし出した人がいるそうだ


これにはさらに時を遡り、男子フィギアスケートでも起こったようで、
4回転ジャンプを飛んだプルシェンコだが、
3回転しか飛ばなかったライサチェクが勝ったわけだ


難易度の高い技に挑戦することなく、
あえて安全策をとった選手たちが結果的には勝ったというだけで、
それに怒りを見せた大勢の人たちが批判をしたということだ。


日本と韓国はもともと対立状態であるため、
日本ではキム・ヨナの悪口大会を2ちゃんねるというところで惨めに開いたところ、
韓国の人に見つかり、2ちゃんねるをブレイクダウンさせるための
サイバーテロを起こしたという経過のようだ


それで、一体何が本当に起こってしまったのかというと、
以前、もしも第三次世界大戦が起こったらというタイトルでお話をしたのだ



要するに、次に起こる戦争とは、
戦闘機や戦車などで派手に爆弾攻撃というものではなく、
知らぬ間に相手の情報網、さらには電気通信設備を破壊するというものだ


相手国の電力さえ奪ってしまえば、
冷蔵、冷凍ができないためにあっという間に食糧不足

連絡を取ろうにも自分の足で走るしかない。


それが少し昔まで江戸時代でしたっていうのなら痛くもかゆくもない。
まあ……、そうなの?仕方のないことだね
と言いながらやるかもしれぬ。

しかし、僕らは既に科学の力におんぶに抱っこだ。

1キロメートルだって歩くのは嫌だし、
どんどんと腐っていく生鮮食品を見て、途方に暮れるに違いない



でも、2ちゃんねるって掲示板のことでしょう?
第三次世界大戦っていうほどのもんじゃあないよ



と、僕らは口々に言えるだろう。
そう、そういう皆さんは割りと心も健康だということだ


しかし、中にはそうでもない人がいるのだ。



例えば、ちょっと前に起きた事件では、
親が子どもの携帯電話を取り上げただけで、その子は自殺をはかったのだ。


待て、待て、携帯電話を取り上げただけで
一体何でそんなばかなことを


これは今はやりの携帯電話依存症っていうもので、
日常のほとんどを携帯電話を解してコミュニケーションをするものだから、
僕らで言えば、目と耳と口をいきなり塞がれたのと一緒なのだ

僕だって、いきなりそんなことになってしまえば、
びっくりしてしまうだろうし、それが誰かの力で強制的に行われるのだもの。
自殺したくなるというか、死にたくなる気持ちもわからないではない



今回の事件も同様で、
2ちゃんねるというサーバー一つが落ちただけで、
精神が不安定になり、オロオロとし出した人たちがいたそうだ



う~ん、まあ、そういうこともあるんだね
でも、信じられないっていうか、まだそんなことがあるなんて疑問に思っちゃう。



まあ、僕だって、それほどネットに依存しているわけではない。
使えない日があれば、仕方なく漫画でも読んでいるし、
携帯電話を携帯しないのが僕のよいところでもある


しかし、今の時代ではそんな簡単に流せることではなくなった。



それは、社会がおかしいとか、そう感じる人がおかしいというわけではない。
強いて言うならば、技術に社会が追いついていないだけなのだ


携帯電話が電話機能に留まらず、
インターネットができて、写真を撮れて、音楽が聴けて、メールができて、
売買契約ができて、サイフにもなって、改札でさえ通れる時代だ。


そんなものを何の制度もつくらずに
僕らに与えてしまったことが大きな問題なのだ

もう携帯電話は電話とはとらえずに、
もう一つの心臓というぐらいに考えて、きちんと取り扱いをするべきで、

あれはだめだ、これはだめだと少しずつその禁止事項をふやしたり、
親が教育しなさい、いいや、学校の先生だなんて少しふざけ過ぎている



まあ、僕らの世代の両親だって子どもに使い方を教わるほどだし、
そういうことに抵抗があるのはわからないではない
しかし、事は一刻を争う事態なのだもん。



生まれたときに、専用の携帯電話をへその緒と一緒に渡し、
保険証の番号と同じぐらいにナンバーを大事にし、
生年月日と同じくらいにメールアドレスを記憶させ、
小・中学生の必修科目に携帯電話の使い方を取り入れる。



こうでもしなければ、僕らはまだまだ情報社会に追いつけないでいるのだ。
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第292話 いないのなら、作ってしまえばいいんじゃないかっ!! 3

2010年03月04日 21時08分01秒 | 心霊検証
いきなり来訪者が来たかと思えば、NHKの取立てじゃあないかっ
危うく受信料を払ってしまうところだった。

とは言うのの、向こうも必死だ。
テレビがついているのだから、払うのは当然だと、
口を動かしながらも支払い用紙を差し出してくる。



日本国民なのだから、払ったっていいじゃあないかっ



その気持ちもわからないわけではない。
しかし、必要がないのだから、払う必要もない。

「テレビがついている」とか「義務」とか、
もっともらしい言葉を並べられてもイマイチ説得力がないのはなぜだろう

それは、払わない人が払わずにいられる何らかの理由があるからかね。
そこで、詳しく調べてみると、さまざまなことがわかる。


と言っても、今回はそんなNHKの特集をするわけではないのだ
それなりにNHKは面白いものもやっているが、
こうしてテーマを決めてやるまでの力量を僕は持っていないのが残念だ



さて、というわけで、いよいよ本題に入りましょ


まず、本当に、本当に、本当に久しぶりのコメントが来たっ
うれしくて、少しの間、じーんと感動に浸っていたわけで、

内容は、何とも明快に1行でまとめてくれた。



「昔は火葬ではなく、土葬」


あれだけわかりづらい説明をした時間軸のお話を放っておいて、
ここに突っ込んでくるのかっと少しだけニヤリとしてしまう。

まあ、しかし、このコメントは事実であり、
明治の初期までは日本も土葬が主流だ。

というのも、火葬なんてする意味がないからね


当時の家屋はほとんどが木造で、
タイガーの商品のように、火は通しませんよ。しかも強くて丈夫ですっ
なんていうつくりになっているわけがない。

火事になれば、隣の家にも、その隣の家にも燃え広がるし、
気がつけば黒こげ死体が炭と一緒に発見される


そして、理由はもう一つある。

日本は土地が随分と狭いのだ

アメリカならば、誰を何人、どこに埋めたとしても、
無限に広がる土地、土地、土地。

その点、日本は隣の家との間すらうっすら確認できるほどしかあいておらず、
これで死んだ人間のためにそれなりの土地を用意しましょか
なんていう気持ちはどこにも存在しないのだ。


まあ、昔は有り余るほどの土地だったし、
焼くなんてのはかわいしそうだということで土葬だったんだね



さて、一応、コメントには誠意を持って対応したつもりだが、
果たして本当にこれでいいのだろうか……



あの1行には実はもっと深い意味があるのではっ



確かにそうかもしれぬし、そうではないかもしれぬ。

だから、僕がその底の底まで読み取って、
勝手に話を展開するのがよさそうだ



それはあなたの勘違いよ



そう言われればそれまでだが、
それもまた一興といったところだ。



昔は火葬ではなく、土葬である(だから、幽霊となる要素は残っているはず)。



うむ、確かに土葬であれば、虫たちに食べられておらずにきれいな残っていれば、
幽霊としての何らかの手がかりになるのかもしれぬ

しかし、僕らは有機物である以上、腐敗は絶対に防げない。
腐敗が進めば、僕らが乗り込んだ体自体がなくなっているのだから、
少しの間お借りしていいですかってことにはならいなのだ


この腐敗というのは簡単な言葉で言うと「腐る」ということだ。


生きているうちは、細菌に対抗する力もあるのだが、
死んでしまうと、そういった力も失うわけで、
小さな細菌にすら敵わないのだ


昔、日本で土葬が行われ、今でも依然としてその姿を保っているというのは、
極めて難しい状況にある



むう!?難しいってことはできるってこと



細菌による腐敗を防ぐには、僕らがよく知っている方法で簡単に抑制できる。
もちろん、完全にってわけじゃあない。


例えば、僕らはスーパーでお肉を買ってくると冷蔵庫に詰めるよね?
低温では細菌の活動が低下するからであり、
別に冷たくしておくと美味しいからというわけではない

また、ただ冷やすだけではなくて、
食べられない量は大抵は冷凍する。

これも同じ原理で、冷凍すればかなりの期間は腐敗を防ぐことができる


ほかにも、乾燥させて、ホシイカやホシガキなんてのも結構保つよね


僕らが何気なく、日ごろからやっていることにはきちんと意味があって、
そういえばそうなのだっていうことがゴロゴロと転がっている。

昔はおばあちゃんの知恵袋なんて言って、
結構なるほどと思うこともあったはずだけど、
今じゃあ、おばあちゃんが家にいることが珍しい

時々遊びに行くおばあちゃんの家で、
不思議なものを見かけたら尋ねてみるといい。

きっと何かしらの意味があって、そうやっているはずなのだからね



さて、というわけで、

土葬をしても、結局は幽霊につながりそうなものはありそうもない。
塩漬けか、冷凍保存でもしたいたのならその物体自体は目にできるかもしれないが、
やはり、それがひとりでに動き出すということはできない。

そう、僕らは有機物なのだから、
いろいろなものへと循環していかなければならない。

土に還り、草木となり、実を結び、種となる。

幽霊なんか怖いことなんかあるもんか。
むしろ、僕らのために結構いい働きをしているんじゃないかっ

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第291話いないのなら、作ってしまえばいいんじゃないかっ!! 2

2010年03月03日 20時39分20秒 | 心霊検証
坊や「ふと思ったんですけど」
僕 「なに?」
坊や「幽霊のスタイリストっていると思いません?」
僕 「……ああ、そうかもね」



坊やが言うには、幽霊の世界でも、ファッションリーダー的な存在があって、
カットからパーマ、さらには衣類までコーディネートしてくれるらしい


要するに、昔の幽霊はモダンと言ってしまえばおかしな話だが、
白装束に三角のあれ(名前がわからない)を巻いて、
髪はばさばさにして登場する。


しかし、今は何でも多様化の時代だ。
お気に入りの服にその身を包み、髪の毛も結んでいたりと自由きままなのだ。


う~む
あながち坊やの言うことも否定はできないな


Dランク幽霊「では、現世に行ってまいります」
Aランク幽霊「ちょっと待ちなさい」
Dランク幽霊「……えっ?何ですか?」
Aランク幽霊「アナタ、その格好で行くわけ?」
Dランク幽霊「まあ、これしかないんで」
Aランク幽霊「で、髪の毛もそのまま?」
Dランク幽霊「はぁ、いけませんか?」
Aランク幽霊「ダメよ、そんなんじゃ」
Dランク幽霊「だめですか」
Aランク幽霊「まず、着ているそれ。もう時代遅れよ。それに前髪どちらかに分けなさいよ」
Dランク幽霊「たしかあの有名な貞子さんはこんな感じでしたけど……」
Aランク幽霊「それが時代遅れだって言ってるの!」
Dランク幽霊「そうなんですか。それは済みませんでした。私、この世界来たばかりで」
Aランク幽霊「まあいいわ。私が直々にコーディネートしてあげる」



こんな会話が日々あちらの世界では繰り広げられていると思う


大体、日本は大抵は火葬だろう?
それにちゃあんと送り人がきれいな衣装に着替えをさせてくれるのだ。

それなのに、どうして幽霊はそれを脱ぎ捨てて、
自分の好きなものに着替えて出てくるのだ

せめて、裸で出てくるか、そのきれいな衣装で出てきてほしいものだ。



……と、全然関係のないところで茶化してしまったが、
とにかく話を進めましょか



先日お話ししたとおり、
死んだ人間ってのは無理がある。


もうこの際だから、「幽霊=死人」という概念は取っ払ってしまおうか
それに、死後の世界ってのもやめて、別な形にしよう。

僕らは死んでしまえば、ただの肉の塊になる。
意識とか、感情とか、それは生きている間にしか発揮できない。

死ぬということに文学的な表現は伴わず、
ただ、機能が停止したという一言に尽きるのだから。



さて……、それでどうやってつくるかが問題だ。

とにかく、今の僕らにできることと言えば、
時間軸をずらすことぐらいだ。

要するに、タイムスリップだ


例えば、僕らは皆同じように時間を刻む。
皆さんが明日をあと数時間後に迎えたときに、僕だけが明後日を迎えるということはない。

でも、それをずらせたとするならば、
幽霊というか、心霊現象のほとんどは解決できるはずだ


僕の部屋にきょうの僕と明日の僕、昨日の僕を連れてくる。
本来、いるはずのない僕なわけで、
空間すら時間を目の前すれば、全く意味をなさない。


瞬間的にあわられて、煙のように消えてしまうことも可能だ。



……あの、ちょっと待ってもらえますか
要するに、あのドラえもんのタイムマシンの話と捉えていいんだろうか。



まあ、そういうことだ。
ただ、マシンは使わない。物体の時間旅行だね。

ただし、この場合には気をつけなければいけないことがある。
要するに、送った物体はその時間だけそこからなくなってしまうのかということと、
そのままそこには存在するのかということだ


早い話が、タイムマシンでのび太君がどこかへ1時間だけ行ったとしよう。
そうすると、のび太の部屋にはそのときののび太君は1時間だけいなくなってしまう


それだとのび太のママがどこへ行ったのかと心配してしまうし、
これだと時間旅行とは言いがたいのだ

だって、それでは1時間お外で遊んでいたって、過去や未来へ行ったって、
現在の時間で1時間いないことには変わらないからね。


そこで、のび太君は、タイムマシンで1時間だけどこかへ行ってもらう。
そして、帰ってくるときに同じ時間に帰ってきたもらう。

そうすると、のび太君は1時間どこかに行ったけど、
ほかの人から見ればどこにも行っていないように見えるわけだ

僕らから見れば、
のび太君は行ってきますと手を振って別れた次の瞬間には、
ただいまと笑顔であいさつをされる。

待て待て、お前は、今、行ってきますと行ったばかりだろうと尋ねても、
いや、だから、行ってきて今帰ってきたんだよとにこやかに言われてしまう。



これが大体の時間旅行の考え方で、
これだと幽霊よりははるかに現実的だ



う~む、説明は何となくだが、わかったような気がする。
それでそれで、その時間旅行とやらはどうやってできるの??



それが簡単にできれば苦労はしないのだ



えぇぇぇぇできないのかいっ



まあねぇ、できませんよ。
しかし、死後の世界よりははるかに可能性が高い。


それにあまり考えたくはないが、仮に死後の世界があるとしよう。
そして、だれかれ問わず、一通りの生命が死後の世界に行ったしたら?

どんなに広い死後の世界だろうと、
もう飽和状態に決まっている


人間で言えば、寿命を平均すると80歳だとしよう。
そうすると、死後の世界では、80年サイクルで60億人ずつ人口が増える計算だ。

それに動物や昆虫、植物など、ありとあらゆる生命を加えたら、
もう収集がつかないほどの生命体で満ち溢れている。

そうして、死後の世界に入りきらなくなった生命体が、
まるで満員電車から押し出されているようにして現世に戻ってくるのだとしたら、
むしろ温かく接してやらなぬければならない。


ああ、乗り切れませんでした?
大丈夫ですよ。この世界はまだスカスカですからね。
それにもうやめた方がいいですよ。
私たちがこうしている現在も世界のどこかで1億もの命があちらの世界に行っているのですからね。





コメント (1)
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