奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

それは、まったく別の場所で起きている!相手に対する攻撃も防衛も言い訳も、ココではやってない。やってる場所でやめなきゃ終わらない。奇跡講座/奇跡のコース(2015年11月, 2021年2月勉強会より)

2021年12月02日 20時09分00秒 | 「動画&音声」


さっき、過去動画からの切り抜き動画を公開しました。
この動画を編集&公開した理由は「この道の歩み実践」において、どうしても話しが食い違う理由はコレだろうなと感じたからです。

食い違いというのは、コース実践においてよくある質問のように「形のレベルでガイダンスはあるのかないのか?」とか「ノーマルであれ(世界がいうところのノーマル)」
についてです。


実は、私たちは行動も言動もココ(幻想世界)ではやっていないんです。

どこでやってるの?というと夢の作者・夢見る者の場所(世界を空想してきたレベル)でやっています。

操り人形は操り人形自身で操り人形そのものを動かすことができないのと同じように、肉体は何もしていません。

その空想演劇を操ってきた人形操り師そのものが、完全な平安・完全な幸せを望む自分の真の願望に気がついたなら

今までとは別の思考システムと完全に一致していきながら
ひたすら、その人形や世界という芝居小屋を(おままごとを)演じなおしていくことになります。

どういうわけか、まるで中毒のようになって必死に操り続けてきた操り師が
「今までのようなやり方でやらなくてもよかったのだ」と本気で納得していきます。

冷静に自分自身を認識し始めます。
「自分の中に罪などなかったのか」と安心したその操り師は、自分裁き・他者裁き・世界裁きの空想をストップします。

ゆえに、正気の心という聖霊(罪の非実在性を教える心)のいう通りに、冷静に、安心して芝居小屋を終わらせてもいいのだと納得します。
その、終わりを受け入れるまでの残像のようなその芝居の中では、今までのやり方ではない別の方法で残像を過ごすために
いつ何時も、聖霊にチューニングをして聖霊のおっしゃるとおりに何から何まで従います。

それは奴隷のようなやり方ではなくて「無罪のあなたは、無罪なのでそのようにしてもいいんだ。そのようにしなくてもいいんだ」と
逐一メッセージをくださるので、とても安心するから、嬉しいから、聖霊にいつも尋ね続けたくなるし、養われたいと思うようになるわけです。

幼子が自分で自分の道を切りひらこうとしないのと同じように、両親に委ねて彼らのいうとおりに、のほほんと生きているのと同じように
「次はなに?次はどっち?」と尋ねて、聞いて、従うというものすごく当たり前の生き方に戻るだけ、、というわけです。


本当に、私たち、こんなところにいないし、ここで何かを意志決断したり行動してないんです。
行動や言動は、操り人形師の信念・思考・感情からきています。
だから、世界の起源のその「私」がいつもいつも幼子のように「なにも知らない幼子」として聖霊という親に聴き続けていれば絶対に安心なわけです。

私たちは、ただそれを忘れて盲目になってしまっただけなのでした。


それは、まったく別の場所で起きている!相手に対する攻撃も防衛も言い訳も、ココではやってない。やってる場所でやめなきゃ終わらない奇跡講座/奇跡のコース(2015年11月, 2021年2月勉強会より)









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