奇跡のコース/奇跡講座で生きる! 愛を阻む障壁を超え、本当の自分を思い出そう【真我なるハート】

2018年10月から奇跡講座の学び実践の奥深さを思い知って、本当の妥協のないプランAの実践で歩むことを望んでいます

どんな混乱も、なにもかも消えてゆく姿

2016年06月10日 00時10分50秒 | ご感想!&ご質問と回答!
6月の合宿終了後、Mさんからいただいたご感想メールです。
掲載をさせて頂けましてありがとうございます♪

この合宿の動機が、「神に仕えてすべてをお捧げしてゆきましょう。」
というところから集まっているので、、
その結集の空間全体(心全体)が「一つの正しい心」によって使われるわけなんですね。

神に捧げ続け、取り消される共磁場として、その場がはたらいているような
正しい心の状態で共に集うということの、計り知れぬスケールの大きな取り消し
まるでエベレスト山が、頂上から山ごと雪崩が起きて、
どの雪も、どの石ころも、瞬間にその場で消滅して光に溶け去ってゆくような

共に意志することで、そのように取り消しを強化するような、
そんな感じを確かに感じ取って下さったMさんでした。



☆ Mさんより ☆

のりこさん、こんにちは!
合宿では本当にお世話になりました。

空間と空間、幻想と幻想の重なり合った隙間、というような不思議な場でしたね。。。
あの場、幻想と幻想の隙間は
映画マトリックスでデータがほつれて真実とリンクしてしまう、、、
バーチャルのデータがバグってほつれてしまっているような。

そういう事なのかな、と感じたりしていました。


なんて、今 脳みそ使って文章書くことが
非常に困難になってます@@;


昨日の夜は、あの場では「思考」が出来なくて
言葉にもならなかったものが
帰宅して「思考」とくっつくと
様々な感情、想いに言語化されて

いろいろ、いろいろ出てきたのですが
(思考=恐れ、というのを実感出来ました)


最終的には

やはり全ては神と私の関係性だけ、
それだけなんだと再確認しました。

イエス様がいてくれたら
何があってもそれだけで大丈夫だ。と
イエス兄さんへの想い
恋い焦がれて胸が焼けつくような
ほんとに胸が熱くて火傷かと心配になるような
焦燥感にもちょっと似た感じと。。。



それで今朝起きたら
頭痛がひどく、胃がいたく、
本気でオエエエ、と突き上げてくるけど何も吐けず。。


仕事しなくちゃと机に座ったものの
今度は全力で

「逃げろ」

というのが沸いてきて、いてもたってもいられなくなり

お腹もすかないけど
何か暖かいものを食べたらいいかな、と

お鍋とそうめんと出してみたけど

そうめん、食べたいのかな?食べたいかどうかも解らない、、、、、


と思った瞬間、
声を上げて泣き崩れていました。

一方ですごく静かにそれを眺める自分も感じるので
大丈夫なのでしょうが

発狂する、としか言えない感じです。

頭かきむしって地団駄踏んでワーワー泣いて
膝から崩れ落ちて手をあわせて

「イエス兄さん助けて下さい」って何度も何度も声にして祈っていて

傍から見たら狂人だな、と思うと怖くなって

「これを受け容れたら大変な事になる
私にはここまで進む準備なんか出来てないし
その気もなかった!ちょっと待ってよ!」
というのが出てきたり


私はずっと
コースをする前から、

「天と地を繋ぐ者」というフレーズが
どこか少し、嫌で

それは

いわば「スピ業界」とでもいうものに嫌気がさしていたから、
そこに引き戻される感じがして嫌なのかな?と
自分では思っていたのですが、実はそうではなく

前回の個人セッションでも、
のりこさんは最初からたくさんの言葉で話して下さっていたのに気づけなかったものが

目醒めの過程の例として五井先生やマザー・テレサの話を出して下さった途端に、
「目覚める気なんかこれっぽっちも無かった」
ハッキリ自我の叫びが出たのは、偶然なんかではなく、

これは、要するに
神が怖いのでした。

なんだか同じ気づきを繰り返しているようですが
今回、どうしようもなくあからさまです。

神が怖い、ただそれだけです。
全力で逃げたいし、
全力で求め焦がれているのです。


このまま受け容れ、明け渡し、委ねてしまったら
いったいどうなってしまうんだろう、、という怖さと
どこかでは「でも、のりこさんや五井先生みたいな全託なんて出来るわけないから大丈夫だろう」
「私の事だからしばらくしたら元通りだろうな」

という、自我のバリア??安心??みたいなものと。
いろいろ。大混乱ですね。。
ひたすらイエスに明け渡ししていますが。
(TT)


神、、聖霊に対して「はい。かしこまりました」
それを言うための合宿だった。

というのが感想でしたが
反動が ここまでとは予想を超えててビックリ


ただ、もう揺るぎなく確かなのは、
私はイエスさまが大好きなんです。
大好きなんです、って書いてて涙が出るほどに。

コースも、イエスの記述だから始められた。
だから信仰さえ揺るぎなく強くなっていけば、
コースである必要すら無いのだ、というのも解りました。
同時に、コースが最短である、というのも確かなことだと改めて解りました。


。。。な、何を書いているのか
自分でもちょっと支離滅裂すぎと思いますが 

書いていたら、ちょっと落ち着いてきました


すみません、このまま送信しちゃいます。
乱文失礼致します。。(TT)


☆  ☆  ☆


Mさん
シェアありがとうございました!!
これで、いいんです^^

今までひたすら抑圧し続けてきて、オブラートをかぶせ続けてきた
あらゆる幻想、思い込みが、、こんなにもあった。

ということを、ちゃんと認めては吐き出し、認めては吐き出し、認めては吐き出してゆくこと
それがとても重要なわけなんですね。
どれ一つ事実はないのだから、逆に、どれほどの混乱と葛藤を秘めて秘めて
抑圧して隠し続けてきたのかを。。。。。

どれほどの誘惑と抵抗を秘めて秘めて抑圧投影し続けてきたのかを
ハッキリと、しらばっくれずに、認識して
真理のもとへと捧げてしまえば、幻想は終わってゆくのですね。

今、めちゃくちゃシッカリと導かれている、その通過点の一段階なんですね。


私も、幻想をしっかりと見つめて、一つ残らず聖霊に捧げ続け
神に仕え続け、祈り続けてゆきます







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