傍観者の独り言

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小沢事務所の強制捜査のTV映像が、結果論として、小沢代表失脚の世論形成に(1)

2009-04-01 11:30:09 | 検察・メディア
週刊朝日の4月10日号は、小沢代表秘書起訴事案における「検察の劣化」特集は、検察側への批判が集約されており、朝日新聞の4月1日の「オピニオン」の寄稿欄に、立花隆氏が寄稿し、「小沢代表は総理に相応しくない人物とし、辞任か納得ある説明かの二者選択しかない」とし、元特捜部長の宗像紀夫氏の寄稿では、検察の変容が「検察国家」になる危険性を危惧しています。
検察の思惑が何かは別にして、現下の状況を見れば、結果論とすれば、小沢代表失脚の潮流になり、政権交代に赤色信号が点滅したのは事実ですね。
やはり、世の中、連立方程式のパワーゲームという思いを再認識しましたね。


週刊朝日の4月10日号は、小沢代表秘書起訴事案における「検察の劣化」特集をしており、3月20日号の「検察vs小沢」特集の続編の位置づけのでしょうが、ジャナーリスト、政治家らの「検察批判」の寄稿記事が大部分で、「週刊朝日」自体は、「民主党「小沢おろし」・・・ お家芸「足の引っ張り合い」が始まった」という前原副代表を中心とする「凌雲会」のメンバー(前原、枝野、仙谷、小宮山)の「小沢おろし」の言動を紹介し、民主党は、未成熟と書いているだけで、基軸は検察批判特集ですね。

当方は、政治には無関心で過ごし、逆に、世の中の政治力を現実力(パワー)と認識し、長い物に巻かれるスタイルでしたので、今回の週刊朝日の特集記事の内容は、当方には、新鮮であり、刺激的ですね。

週刊朝日の冒頭記事は、ジャーナリストの松田光世氏の「”ザル法” 政治資金規正法・・・検察の劣化・・・検察よ、それなら、みんな逮捕するのか」で、政治資金規正法という”ザル法”を伝家の宝刀のように振りかざす姿に、巨悪と闘うかつての検察の面影はない。なぜ、検察はここまで劣化したのか?と問いかけています。

松田氏は、検察の狙いは、小沢代表の逮捕であり、地方の検察庁から検事を増員し、東北各県の入札案件を捜査したが、「不正な斡旋や談合の口利きの事実」が浮かばず、大久保秘書の政治資金規正法違反(虚偽記載)しかなく、検察の見込み捜査の失敗としている。
そして、政治資金規正法の罰則適用のハードルを一気に引き下げたとし、「表の献金」の虚偽記載だけでの摘発は初めてのケースと書いています。

松田氏は、麻生太郎、二階俊博、塩谷立、河村建夫、山口俊一、細田博之、古賀誠の各議員の政治資金規正法違反の疑いのある事案への検察対応をリスト(表)アップし、検察の対応が「捜査せず」「未捜査」「不起訴」の経緯を説明し、「法律違反や明白なヤミ献金が見逃される一方で、表の献金での検察の裁量で今回(小沢代表秘書逮捕)のようにいきなり逮捕されるというのは、釈然としないものがある」と書いています。

また、松田氏は、検察組織の調査活動費の裏ガネ問題で、内部告発しようとした三井環大阪高検公安部長を詐欺容疑での逮捕は、検察組織の不祥事を隠す事への画策として、検察が劣化しているとしていますね。

ジャーナリストの上杉隆氏は、「涙の小沢一郎会見・・・・報道されなかった”重要部分”」として、記者クラブの偏向報道の批判と、小沢代表は、「民主党が政権をとったら、記者クラブの開放を約束」したと書いております。
この小沢代表の記者クラブの開放は、上杉氏のダイヤモンド社のコラム「小沢代表から記者クラブ開放の言質をとった記者会見での質問」と、同一の内容であり、上杉氏は、3月24日の小沢代表の記者開放の日は、「日本の政治ジャーナリズムにとっては記念すべき日となった。」と小沢代表のディスクロジャーを重視する姿勢には、絶賛していますね。

元検事の郷原信郎氏は、3月20日号では、「不可解な”微罪”での強制捜査  検察は違法性を立証できるのか」と検察の強制捜査を疑問視していましたが、4月10日号は、「民主主義を否定する検察の横暴・・・・日本は検主主義!?」の標題で、検索の姿勢を厳しく断罪していますね。
この内容は、郷原氏が日経ビジネスに寄稿した

① 代表秘書逮捕、検察強制捜査への疑問
② 「ガダルカナル」化する特捜捜査
③ 小沢代表秘書刑事処分、注目すべき検察の説明
④ 検察は説明責任を果たしたか

の集約した内容です。
郷原氏の首尾一貫した「検察への疑念」の発言は、検察側には、痛い所ですね。

元特捜部長でリクルート事件を手がけた宗像紀夫氏は、「許されない恣意的な摘発、説明が大変になるのは自明」という標題で、小沢代表の公設秘書の逮捕・起訴は政界ルートの入り口でなければ、この程度の事件で政権交代の微妙な時期に、摘発は考えられないとしています。
また、過去は政治資金規正法違反を武器に政治家には、襲い掛かかることは無かったとし、政治資金規正法の考え(価値基準)が変ってきたのか?
検察側の主張は、「政治資金が適正に扱われないから政治家の腐敗が起きる。だから、そこを断つことが重要」とし、これを政治家側は、「変ったのなら、まずは警告を発するべきではないか。いきなり逮捕されてはたまらん」となる。
西松事件で議論になっているのは、政治家側と検察側の間に起きている”常識のすれ違い”のようなものと語っていますね。
宗像紀夫氏は、4月1日の朝日新聞の「オピニオン」にも、寄稿しています。

評論家の室伏哲郎氏は、「官僚機構に公益は関係なし、検察は昔から権力の走狗」の標題で、積年の自民党政権の間に、検察をはじめとした官僚機構が「公益の代表者」でいられなくなった」とし、検察は一貫して、「公益の代表者」ではなく、独善的な権力の走狗になってきたとかたっていますね。
小沢政権になり、多数の行政官を新たに外部から導入されことは、古い官僚組織にとっては、一大事件。
公益かどうかは、彼らには関係がありませんと、今回の事件は、「公益の代表者として」に違反している内部実情によると推測していますね。

衆議院議員の鈴木宗男氏は、「目に余る捜査情報のリーク・・・メディア誘導で国民に予断」の標題で、自分の体験を含め、検察側は捜査の過程をリークし、有利な世論形成すると語っていますね。
また、検察は警察と違い捜査の手足が無く、検察は情報を基に頭でストーリーを組み立てるので、時には間違った判断がされる恐れがあるとしています。
検察側が国民に予断を与える情報を流すやり方がまかり通るのであれば、裁判員制度も危ういと言わざるを得ないと語っています。

ジャーナリストの魚沼昭氏は、「冷戦後に強大化した検察・・・政権にも「お墨付き」の怖さ」の標題で、「議会民主主義は、あくまでも選挙で民意を問う事が基本だ。選挙に影響を与えるような捜査は極力控えなければならない」という検察の常識がひっくり返ったとし、従来なら、上層部が捜査を待ったをかけたケースで、検察の組織防衛の意識が働いたのはないかと語っていますね。

そして、検察を増長させた責任には、マスコミにあるとし、松田氏と同じ、内部告発した三井環大阪高検公安部長の微罪での逮捕事件の報道機関の姿勢を批判していますね。
検察が気に食わない政権を作ろうとしたら、すぐに何かの微罪で引っ掛けられてしまう。
検察の「お墨付き」を受けた政権しか作れなくなる。
これが最も重要な点で、議会制民主主義の根幹に関わる恐ろしいことと語っていますね。

政治学者の五十嵐仁・法政大学教授は、「職務権限大きい自民議員・・・捜査せねば漆間発言が的中に」の標題で、与党幹部にも捜査の手を伸ばさないと漆間発言が正しかったとなり、「国策捜査」に批判され、検察の中立性に疑問符が付くとし、小沢代表が「形式犯だ」と主張しても、たとえ微罪でも「犯」は「犯」であり、民主党は「公共事業受注企業からの献金禁止」のマニフェストを掲げており、その責任は免れず、代表辞任すべきとしていますね。

当方は、週刊朝日の特集記事を読み、小沢代表秘書の逮捕劇は、検察の組織のもとでの方針決定(黙認)がなく、一部の検事の思い込みでの強制捜査・起訴であり、郷原氏の見解が合理的と思えましたね。

しかしながら、松田光世氏の「大山鳴動して秘書ひとりとは・・・・」と記事の書き出しにありましたが、3月4日の小沢代表事務所の強制捜査のTV映像は、庶民には強烈な印象を与える内容であり、微罪でも「犯」は「犯」という意見もあり、小沢代表は「悪だ」という流れを形成したことは事実ですね。
東京地検の谷川恒太次席検事が今回の政治資金規正法違反を「国民を欺く重大かつ悪質な事案」と説明には、各氏の発言を鑑みすると谷川恒太次席検事の説明内容には違和感は感じますが、強制捜査のTV映像の前には、検察批判の声は「犬の遠吠え」に過ぎないでしょうね。

各氏の意見を要約すると、小沢代表の失脚が狙いで、組織の上層部は黙認のもとで、小沢代表秘書を政治資金規正法違反で逮捕し、小沢逮捕へ捜査したが、確証が得られず、小沢代表秘書の逮捕・起訴だけで収束に至っていますが、あの仰々しい強制捜査のTV映像が世論形成に決定的に働いたことは事実ですね。

週刊朝日が検察批判の特集号を出そうとも、3月4日の仰々しい強制捜査のTV映像は、庶民に「小沢代表も、やはり金に汚い」という強烈な印象を与え、その後の新聞・TV報道で、小沢代表・民主党には逆風が吹き続けているおり、庶民には、検察に内在する問題より、「小沢代表は自民党体質の人間だ」という洗脳には決定的な効果となり、結果的には、小沢失脚に流れを形成したことは事実です。
守旧グループは、TV映像で庶民を洗脳した成果に、微笑んでいるでしょうね。

二階経産相にも、政治資金規正法の虚偽記載で検察は立件する方向と報道がありますが、今度は、検察は従来の手法で、粛々と事情聴収するでしょうし、仰々しい強制捜査・逮捕のTV映像はなく、新聞報道程度で、、検察も、「国民を欺く重大かつ悪質な事案」などの説明などないでしょうし、庶民における印象は二階経産相の場合には薄いでしょうね。

新聞・TVワイドショーは、連日、「小沢代表は、いつ辞任するか?」、「小沢代表は国民が納得する説明を」、「どうする民主党」が報道され、庶民の関心事は、小沢辞任しかありませんので、二階経産相の問題や検察批判は、枝葉末節と捉えていますね。
報道機関も商売ですから。

これが現実のパワーゲームですね。


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