普天間基地移設問題は、鳩山内閣は連立堅持を意識して年内決着断念と報道されています。
武藤功氏(文芸誌「葦牙」編集長)は、『普天間基地問題の焦点は何か ── オバマより鳩山が断然正しい』で、鳩山首相の「先送り論」を支持しており、共感しますね。
武藤功氏(文芸誌「葦牙」編集長)については、当方には、未知なる人物であるが、[THE JOURNAL]への寄稿の『普天間基地問題の焦点は何か ── オバマより鳩山が断然正しい』の論説は共感しました。
論調は、本ブログで紹介した高野 孟氏の論調と同質と思われますが、既存路線の見直し論ですね。
既定路線については、江田賢司議員がブログ「パンドラの箱を開けた(下)・・移設先はキャンプシュワブ沖」で、普天間基地移設は、当時の政府・・・橋本内閣の苦渋の決断であったと紹介しており、当時の日米関係から、苦渋の決断の背景は理解できます。
しかしながら、石破茂政調会長がブログでの、
”「普天間基地移設は緊急の課題であるにもかかわらず、「県外移設を模索する」「国外、最低でも県外への移設に向けて行動を起こす」などと実現のあてもない公約をしてしまった結果、沖縄に期待を抱かせ、米国の不信を増大させている。
閣僚の発言は悉く食い違い、総理の発言も日によって変わる。
これらを追及されたら政権は持たない、との判断に違いありません。」”
の既定路線が絶対解で、日米関係を支障をきたすという主張には、賛同できませんね。
武藤功氏は、「自公政権は石破氏らを先頭に「日本と極東地域の平和と安定」というお題目を唱え続けて「沖縄の軍事基地化」という現状の固定化を推進してきた」とし、それを同調してきたメディアらを「安保バカ」と称しています。
そして、「鳩山首相が言うように、決着の時間は基地を貸している日本側が決めればいいのだ。国外に撤去させるか、県外に移設するのか、その主導権は日本側が持たなければならない。あまりにも当然のことである。」とし、
「鳩山首相の「先送り論」には、戦後始めて政治論をたてて沖縄基地問題に取り組もうとしている姿勢が窺える。
政治論というのは、政府が沖縄県民の方を向くということである。
たしかに、まだその姿勢の「兆し」といえるほどのものかもしれないが、この政治状況においてはそれは実に貴重なものであり、未来の国民が確実に実体化しなければならないものである。」
と論じています。
武藤功氏は、鳩山首相の言う普天間問題の「先送り論」を成就させるには、国民の総意の結集が必要としているが、現実は、
”「国会の対応があまりにも鈍すぎる。沖縄県民も、展望が開ければ1、2年の辛抱は十分に可能であろうが、国会議員や本土の世論があまりにも「安保ウイルス」に感染されすぎているので、「先送り論」に秘められた鳩山ビジョンを開花させるところまでは行けないだろう。」”
と悲観的な見方をもしています。
悲観的な背景に、
”「それは鳩山氏に強固な理念がないからではなく、肝腎の閣僚や与党議員にフィリピンの国会議員(非核条項を盾に、基地撤廃させた)ほどの理念も意欲もないからである。
そしてこの与党議員の周りには多くの日本国民がおり、かれらは「憲法9条」は持っているものの、こと米軍基地に対してはそれをフィリピン憲法の「非核条項」同様に有効に活用することができないできたからである。
国民的な広がりを見せている「9条」運動も、その意味ではまだまだ揺籃期にある。
その結果が沖縄県民の米軍基地反対運動を孤立させ、自公政権の売国的な基地政策を生きながらえさせてきたといわざるを得ない。」”
と国民全体が、沖縄基地は無用とする総意の結集が無く、沖縄県民の問題として、孤立させていることと評しています。
当方は、武藤功氏の沖縄基地問題の見解には、同感する思いです。
政権交代が実現でき、既成路線を変更する好機を得たのに、鳩山首相だけが「沖縄県民の民意」を重要視しているが、メディアも野党も民主党の一部議員も既定路線を最善解とし、先送りは日米関係を不信を買うという固定観念で批判していると思っています。
橋下大阪知事が、沖縄基地問題は沖縄だけの問題でなく、全国民の問題であり、知事会も解決努力すべきとし、政府から要請があれば、関西空港も検討するという発言は、別な思惑があると思うが、これも、鳩山首相の先送りの効果かな。