日本の「政治」の〈可能性〉と〈方向性〉について考える。

「政治」についての感想なり思いを語りながら、21世紀の〈地域政党〉の〈可能性〉と〈方向性〉について考えたい。

「バリ・アフリーの会」(党)は「同行援護」問題をどう考えるのか

2017-07-07 | 社会 政治
 なぜ「バリア・フリーの会」(党)が必要なのか。視覚障碍者だけではなく障害者全体にとっても必要だと私は推察しているが、視覚障碍者の全体的な輪郭もまだわからないので、視覚障碍者の問題に限定して考えてみたい。と言っても、なお視覚障碍者問題の全容を理解した訳でもないが、それを断った上で、ここでは私の知る限りでの「同行援護」問題を取り上げてみたい。
 私自身はなお同行援護の申請をしてはいない。簡単に言えば、同行援護とは、視覚障碍者が外出する際に、一緒に同行しながら障碍者が希望すr目的実現のための手助けをすることを意味している。たとえば、病院に行く、買い物に行く、視覚障碍者の勉強会や講習会に参加する、散歩に行く等々の日常生活に関する手助けである。
 問題となるのは、視覚障碍者が利用できる同行援護の時間が制限されていて、例えば、愛媛県の東予、中予、南予でも利用可能な時間が異なり、また新旧の利用者においても異なるということである。なお、これについての私の知る具体例はまだまだ少なく、間違っているかもしれない。付言すれば、日本全国で異なるということも聞いているが、これも不確実である。
 ここでの問題は、そもそも視覚障碍者なり障碍者が障碍者手帳を受け取りに自身が出かけていかなければならないことを考えたい。健常者の中にも、例えば非正規の労働に従事したり、ブラック企業で働いている者はいつでも簡単にいろいろな手続きで役所に出かけられないだろう。その家族の中に障碍者がいるとき、手帳の申請や受け取りは簡単ではないことが想像できるだろう。
 次に役所の窓口にたどり着いたとしても、担当職員の心無い対応に参ってしまうこともあるだろう。(窓口の担当者や役所の各部署には非正規雇用で自分の生活を維持できないで、それこそ散歩や病院にも行けないでやり切れない思いをしている職員も多いと推察する。弱者と弱者がぶつかり合うバリアができている。)散歩や買い物はできるだけ奥さんかだれか家族の人に頼んでみたらとこともなげに語る職員もいると聞いた。そもそも同行援護や障碍者福祉にまったく関係ないかのようにふるまう職員が残念ながら存在している。こうした体験を学習した障碍者やその家族の中には、窓口ではどうにもならないので、それを飛び越えてもっと上にいる担当者やその担当者に物申す政治家に頼んだりするのである。
 森友問題や加計学園問題とその根底においてそっくりな仕組みが存在しているのである。私たちは表面というか建前では口利きや忖度、あるいは、ご意向といった行為を非難、批判するのだが、裏では誰しもやってきたことではあるまいか。
 障碍者が卑屈にならないで、また要領よくここバラバラに自分だけの利益を得るために行動することに寂しいものを感じる。もとより、私もきれいごとなど言わない。「数は力となる。」問題はその力の作り方とその講師の仕方が大事なのではあるまいか。
 障碍者の存在としての力をここバラバラに分散させてしまい、またその分散した力を、障碍者の存在をただ自分たちの利害関係に益することしか考えない政治家(政党)や官僚や企業の力の増殖に使われるだけでは、もったいないのではないか。
 それならば、視覚障碍者や障碍者、また社会的差別や不利益を甘受するしかない者たちが自らの団体を立ち上げ、そこに力を結集した形で、自らの力を社会に対して行使していくことを私は主張したい。そこでいう団体が「バリア・フリーの会」(党)である。
 もしその会の存在が世の中に認知され、会員(賛同者)数が日本全国で1000万人を超えていたなら、同会の障碍者のみならず、初めて窓口で同行援護を申請する障碍者の肉体的、精神的負担はどれほど軽減されているかを想像されたい。夢のような話だが、たとえ今はおぼろげな形だとしても、その夢の実現に向けてしっかりと歩を進めていきたい。

(付記)これまで3回のブログ記事を読まれて、趣旨にご賛同の方は各自で賛同者を募ってくれませんか。なお、以下のくだりもよければお目をとおしてください。
私としてはもう少し文章を読み直し、読者にわかりやすく間違いない文章を読んでいただきたいとおもってはいますが、ここまでのブログでおおよその内容は示せたと考えます。皆さんの中で社会を少しでも良くしたい、明るくしたいと願う人がいれば、私のブログも参照していただければありがたいです。理論編は、私のこれまで書いてきたことを読んでください。ごく簡単に言えば、福沢の「文系―半開―野蛮」の関係それ自体がまさにバリアと考えられます。文明と半開の、半開と野蛮の、野蛮と文明のそれぞれの間にバリアがつくられています、さらに、文明、半開、野蛮の内部にも無数の多種多様なバリアが張り巡らされています。障碍者と健常者の関係にもバリアがあり、それぞれの中にもバリアがありますが、システム規模で見ますと障害者と健常者の間に存在するバリアの関係は本当にそのごく一部だということがわかります。それにもかかわらず、このごく一部のバリア関係をフリーにしていく営みはシステムそれ自体の堅い岩盤に楔を打ち込める可能性を示しています。まさにこれこそ逆の側からいう「アリの一穴」ですか。

「バリアフリーの会」(党)の結成に向けての行動指針
 まずできるだけ早い時期に同会の賛同者が集合して、結成に向けての決起集会をを開催することが必要となる。これが当面の課題である。10名でもかまわない。そこで次なる課題として私たちの会の趣旨を参加者で練り上げて、どのような方向に会を導いていくかをあらかじめまとめた後に、次の集会を開催する。そこでおおよその見通しをつける。そして3回目の集会で会の正式名称と政治綱領を公にできれば素晴らしいことである。
 笑い話ではないが、ここまでに至る間に私はこの世に生きてはいないかもしれない。5年、10年、20年の歳月を要するかもしれないから。それでも生きている限り、私のできることはしたい。次に希望の松明を手渡す仲間にきちんと道筋だけでも示すことができれば、それだけでも大満足としよう。
 私にはまったく力はないし、人が5人でも集まるのは至難の業だと理解している。それでも私はくじけないし、引き下がれない。私は後悔している。なぜ既成政党のだらしなさや無能さだけを悲憤慷慨してきたのかと。もし私がもっと早くに、前々回でも指摘したように、創価学会という圧力団体に呼応する公明党という政治団体の関係に匹敵した社会的弱者から成る圧力団体とそれに呼応した受け皿としての政党としての政治団体の結成を呼び掛け、その運動にかかわっていたら、非難、批判や不平、不満を言うだけで結局は何もしないで、私の助けを求めている人たちに優しい笑顔を振り向けながらも、最後は背を向け続ける寂しい時間を費やすことはなかっただろうし、自分も苦しめることもなかっただろうに。
 もしこうした社会的弱者から構成される圧力団体とその受け皿としての政党が存在していたら、過労やいじめによる自殺や格差社会の抱える問題に対して従来の向きあい方、取り組み方とは異なる対応ができていたかもしれない。本来ならば、私の大事な仲間となった人々をむざむざと死なせてしまったのだから。どうしようもないやりきれなさを感じてしまう。
 それでもやっとここに至ったのである。齢64を迎える今年こそ、新たな私の出発点としたい。
ここ2,3日間、何かにとりつかれたようになぐり書きしてきました。いつ目が全く見えなくなるかわかりませんので、文章の構成の見直し、文章の修正、文字間違いの点検は省略しました。お許しください。今まさに実践編に取り組み始めたところですが、またしばらくしたら聞いてください。理論編は拙著や拙論を参照してください。システム論とバリアフリーの会設立とは密接に関係していました。もちろん、私の勝手な見方ですが。
傲慢な物言いが随所に出ていますが、いまの未熟な私だとお笑いください。




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