シンシンの日記

47歳の中年のオッサンの日々の雑感

日本精神通義、読書感想

2010-07-15 17:37:08 | 1.こころざし
この週末、関西師友協会の主催する夏季合宿教学研修会に参加します。

申し込みをしたところ、昭和11年に発行された安岡正篤先生が著された「日本精神通義」を熟読し、読後感想を研修当日までに提出せよ、との有り難いご指示。

久しぶりによい学びの機会となりました。

以下は提出レポートです。

平成22年7月15日
日本精神通義、読後感想

東洋文化と西洋文化の陰陽相対的原理からの対比

東洋文化
陰の原理→統一含蓄、徳操的
知 反対語 情、愛
隠逸心、内省心→没我的に自己の純潔天真を守り、美しく静かな仁の生活を尊ぶ
 欠点 社会が発展しない

女性
坤徳 こん‐とく【坤徳】
皇后の徳。〓乾徳(ケントク)。    → 坤徳文明
複雑な差別を統一し、なるべく含蓄しようとする


西洋文化
陽の原理
個人主義的、利己主義的、物質的、機械的、才能本位、功利的→知 反対語 情
権利概念、平等思想
功名心 欠点 競争、陰謀、詐欺、排斥が起こる

男性
乾徳 けん‐とく【乾徳】
(「乾」は天の意)
〓天の徳。天子の徳。聖徳。〓坤徳(コントク)。
〓進んでやまないりっぱな精神。  → 乾徳文明
1つのものが自分を分化し、形を採って自分を発現しようとする働き


読後感想
11章、12章の「東西文化の本質的対照」のなかで述べられる、東洋文化、日本文化に対する理解は、本書が書かれた昭和11年以降、敗戦、占領、そしていわゆる戦後教育時代を経て、ますます希薄になり、西洋文化の典型的概念である個人の権利・平等思想の下、経済的発展を享受してきたものの、本来、日本人に備わっていた美徳や歴史観は、私の世代の多くひとは、私を含め、正しく理解できていない、と考えます。例えば13章P180に全体主義についての説明がありますが、東洋文化の原点である徳操的で統一含蓄の精神を理解したうえで本文を読むと、現代社会にも欠けていて必要な概念であると理解できるのですが、我々の世代は学校教育において学習した「いわゆる全体主義」の内容とは全く別のものであります。

本書の中では、日本文化のみならず東洋文化全体に対しまして、あるいは西洋文化を含め安岡先生が深い尊敬と理解を持っておられること、そして日本文化はその地理的条件に恵まれ、そして皇室、天皇を中心に頂くことにより、特に東洋文化のなかでも純化していたことが述べられていますが、本書が書かれた当時の国情は安岡先生の述べられたような理解は一般的ではなく、誤った国粋主義が台頭しており、そのような考え方は日本精神に反する、と述べられておられる事も、その事がその後の歴史にどういう結果を招いたかを知る我々には、大変興味深いところであります。

そして現代に翻って考えるとき、現在、中国の急激な経済発展を遂げつつも、もしかすると近いうちに崩壊を迎えるのではないかとも思える状況から鑑みますと、過去の歴史や文化を否定し、利己的に功名心にはやることは大変危険である、と感ずるとともに、わが国とて状況にそう大差は無く、中国のことを他人事として批判できる状況ではないと思うのであります。

私事ですが、致知出版社が発行されておられる安岡先生の一日一言というメールマガジンに登録しているのですが、最近、6月21日に送信されてきた【思考の三原則】のお言葉が非常に印象に残っています。

私は物事を、特に難しい問題を考えるときには、
いつも三つの原則に依(よ)る様に努めている。

第一は、目先に捉(とら)われないで、出来るだけ長い目で見ること、
第二は物事の一面に捉われないで、出来るだけ多面的に、出来得れば全面的に見ること、
第三に何事によらず枝葉末節(しようまっせつ)に捉われず、根本的に考える

ということである。

この思考の3原則は、本書のなかで述べられる日本文化の概念に通じるものがあり、現在の日本の政治、教育に、そして私を取り巻く企業活動に於いても、欠けている重要な要素ではないかと思います。

そして本書文中P161に「首領というものの存亡の如何に拘わらず、政党及び政党員は独立性をよく保っている。政党に属する議員が平気でその党の政策を批判もすれば、反対もする。」と書かれておりますが、この点に関しては、現在、わが国の国会における論争を見ていて、欧米の政治に率直に学び、安易に党議拘束をかけることをやめるべきではないか、と思います。

そして、私の世代の多くが、東洋的、日本的な文化を理解できていないもう1つの理由として、生活環境の変化により、和服文化や和風建築物下での実体験が乏しいことも影響しているのでは無いかと思います。文中P144に「東洋的、殊に日本の神社建築になりますと、如何にして人間の一切の粉飾を去って、大自然に冥合せむかという風に苦心しております。神社建築は木と石と明かりです。その他何もない。その極まるに及んでは山そのもの、森そのものを神体とし、神社として拝み入るように出来ております。」とあります。この3日間の期間を通じ、勉学のみならず、そういった事を体感する機会としても期待しております。

今回の学びの機会を得ましたことは、友人である田中直人君とそのお父上、田中教仁様の御縁そして今回、貴協会とご縁をもたせて頂いたお陰であります。浅学菲才で無学な自身を少しでも高めるべく、努力をして参ります。よろしくご指導下さい。