先週23日は沖縄戦の慰霊の日でした。
64年前、昭和20年の6月23日は同年3月から始まった沖縄決戦において牛島満中将、大田實少将が自決された日でありました。
九州、鹿児島県の現
南九州市
にある知覧飛行場を中心に1036人もの若者たちが、家族や祖国、そして戦地である沖縄の地を守るため、自らの命を捧げて行かれた事は、ご存知の方も多いと思います。
日本人として生まれた限り、いつか知覧の地を踏みたい、と思っていたのですが、この度、願いがかないました。
ここは多くの隊員が出撃の前に訪れ、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんが営んでいた富屋旅館
ここは知覧平和会館に復元された、特攻隊員が出撃2~3日前に宿泊したという、三角兵舎
夜中、毛布のなかですすり泣く隊員も多かった、との事でした。
写真は戦闘機隼、平和会館、屋内には飛燕、疾風、ゼロ戦も展示されていました。
改めて、現在の我々の恵まれた生活は、多くの先人達の自己犠牲の上に成り立っていることに思い致せる訪問となりました。
64年前、昭和20年の6月23日は同年3月から始まった沖縄決戦において牛島満中将、大田實少将が自決された日でありました。
九州、鹿児島県の現
南九州市
にある知覧飛行場を中心に1036人もの若者たちが、家族や祖国、そして戦地である沖縄の地を守るため、自らの命を捧げて行かれた事は、ご存知の方も多いと思います。
日本人として生まれた限り、いつか知覧の地を踏みたい、と思っていたのですが、この度、願いがかないました。
ここは多くの隊員が出撃の前に訪れ、特攻の母と呼ばれた鳥濱トメさんが営んでいた富屋旅館
ここは知覧平和会館に復元された、特攻隊員が出撃2~3日前に宿泊したという、三角兵舎
夜中、毛布のなかですすり泣く隊員も多かった、との事でした。
写真は戦闘機隼、平和会館、屋内には飛燕、疾風、ゼロ戦も展示されていました。
改めて、現在の我々の恵まれた生活は、多くの先人達の自己犠牲の上に成り立っていることに思い致せる訪問となりました。