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星野真澄の引退と、心技体という世界。

2015-01-31 00:30:48 | シーズンオフ。

2015年が明け、ひと月が経って、
あっという間に2月のキャンプを迎える時期になった。
一軍のメンバーに選抜されたジャイアンツの選手らは、
すでにキャンプ地・宮崎に入って合同自主トレを行っている。
そこで、ファンのひとりとしても、新たなシーズンを迎えるにあたり、
このシーズンオフに起きたいくつかの出来事を整理しておこうと思う。
とくに個人的な思い入れの強かった選手の退団、移籍については、
しっかりと自分の中で決着をつけて新たなシーズンに臨みたい。


まさか昨季で星野真澄が引退することになるとは思いも寄らなかった。
だいたいが、10月某日の戦力外通告のリストの中に、
星野の名前があることに目を疑った。

2012年の手術で再び育成に戻り、一昨季途中、
再度支配下を手に入れて、昨季はファームながら45試合に登板、
3勝2敗3セーブ、防御率1.25とまずまずの成績を残した。
同じ左腕で年齢も立場も似たタイプの須永英輝や、
歳やキャリアや立ち位置に多少の違いはあれ、
やはり同じ左腕の枠を争う若い公文克彦らと比べても、
数字的にはまったく劣るところはなかった昨季ファームでの成績。
ペナントレース後半を迎える前に、星野の一軍昇格を望む記事を書いたが、
結局、一度も一軍での登板は叶わなかった。
それでも来季の一軍中継ぎ陣の中には、
必ず加わってくれるだろうという期待は増していた。

たしかに昨季、ファーム中継で見た星野の投球に、
故障前のような140キロ台後半のストレートは見受けられなかった。
二軍選手相手の抑えた抑えられなかったが指標になるとは限らないだろうし、
ファームの数字で良し悪しが計れないことも理解できる。
そこそこの数字で見栄えは良くても、それが一軍のステージで通用するレベルなのか、
答えは既に昨季、シーズン中にあったということなのだろうか。
そこの見極めがプロフェッショナルと素人の差ということか。

それでも、トータルの成績や特徴からして、
星野の働き場所はまだまだあるように思えた。
ジャイアンツでチャンスがなくても、
他球団に行けば左のスリークォーターは充分に需要があるだろうと、
トライアウトを受ける前にどこからか声がかかるのではないかと予想していた。
多くのファンの声もそこに寄っていたように思う。
しかし、トライアウト前にそういった報道はいっさい見受けられず、
一回目のトライアウトが終わった後も、星野に声はかからなかった。
トライアウトでは左打者から三振を奪うなど、現状での持ち味は示せたようだが、
一部で言われているように、ここで拾われる選手は極稀で、
拾われる選手はトライアウト前にほぼ決まっているなどといった意見もある。
まだ野球がやれる資質が残っていれば、
あるいはNPB以外のオファーの可能性はあるかもしれない。
たが星野は、第一回目のトライアウトの前から二回目は参加しないと公言していた。
独立リーグから育成選手としてプロ入りし、支配下を勝ち取るが故障で再び育成契約へ落ち、
その後、厳しいリハビリを経て再度、支配下まで漕ぎつけた。
「その流れをもう一度やろうとは思わない。あくまでも支配下でのオファーを待つ」。
一回目のトライアウトでNPBからの支配下オファーがなければ引退、
それが星野のスタンスだった。
同じく、昨季、DeNAを自由契約になり、
ガムシャラに野球にこだわる姿勢を見せていた藤井秀悟は、
スポーツ紙などでも大きく取り上げられ話題になっていたが、
星野のスタンスはそれとはやや対象的な印象を受けた。
なにがなんでももう一度、そういう藤井のような泥臭さは失せているように見えた。
あるいは戦力外の通告を受けたときから、
星野はそういった泥臭さとは既に違ったポジションに立って
野球と向き合っていたかもしれない。

昨年、星野の記事を書いたときに触れたが、
前回故障したときのリハビリは、相当過酷なものだったようだ。
星野のリハビリを担当されたトレーナーらしき方が、
星野を取り上げた記事で話されているのを読んだが、
そのトレーナーの方いわく、星野だから乗り越えられた、
それほど厳しいものだったと語っていた。
社会人時代の苦労を経て(気胸という病)、
BCリーグから育成契約でプロ入りし、
プロに入ってからも順風ではなく、故障にも苦しんだ。
そんなモガキ苦しんだ道筋はもう辿りたくない、
そんな思いがあっても当然だろう。

昨季、スポーツ報知の 「ジャイアンツ日記」 で、
星野がクローズアップされていた回の記事が何となく印象に残っている。
夏場だったと思うが、練習と猛暑に音を上げた星野が、
歳を感じるといった感想を記者に漏らしたという内容だった。
勿論、しんどい練習の中で発せられた、
記者に対するリップサービスも兼ねた軽口だったろうが、
それにしても今年で30歳になったとはいえ、まだ年齢を口にするには早いし、
故障明けのシーズンで、さあこれからだと期待しているファンにしてみれば、
ちょっと苦笑いでツコッミたくなるような記事だったので、
なんとなく頭に残っていたのだった。

一度、大きなケガを負うと元の状態に戻すことは容易なことではないのだろう。
われわれプロ野球ファンもそんな選手たちの葛藤をこれまで数多く見てきている。
それでもそれに打ち勝って、そういったものを跳ね除ける、よほど強い何かがないと、
プロの、高いレベルの戦いを勝ち抜くことは難しいのかもしれない。
心技体、いずれかで何かしらの欠点や弱音を露呈してしまっていると、
見極める側はそれを見逃さない。
それがプロの目であり、プロの世界か。


少し話は逸れるが、昨季の第一回目のトライアウトの開催前に、
ジャイアンツは中日を戦力外になっていた吉川大幾を即効で獲得した。
吉川についてはこのブログで過去に何度か取り上げたことがあった。
PL学園のころから彼の身体能力の高さには注目していたから、
当時、中日がドラフト2位で獲得し、
彼に与えられた背番号が立浪氏の背負っていた3と知ったときには、
それに相応しい選手になって欲しいと期待を寄せた。

昨季のシーズンオフ、吉川の戦力外は意外なほど話題になった。
宮崎フェニックス・リーグを視察に来ていた谷繁監督にグラウンドで説教を喰らい、
その日のうちに名古屋に強制送還されたという記事がスポーツ紙に載ると、
その翌日、中日は吉川の戦力外を発表した。
スポーツ紙はこぞって吉川の野球に取り組む姿勢に問題があり、
今回の戦力外は球団が下した制裁ではと書きたてた。

たしかに吉川のそういった傾向の記事を過去にも目にしたことはある。
以前、吉川のことをこのブログで書いたときにも少し触れた。
彼の入団2年目だったろうか、どうしているかと気になってネットで調べていたら、
中日スポーツの記事で、当時、中日の二軍監督だった鈴木孝政氏が、
強い口調で吉川を叱責している記事を見つけた。

その後、井上一樹二軍監督(一軍打撃コーチだったろうか)にも
名指しで注意を受けるなど、彼が、なにかしらの、
そういった要素を抱えていそうな、そんなイメージをそのとき抱いたことを覚えている。
本人はジャイアンツ入団後のインタビューで、
過去の自分の未熟さを反省しながらも、
一度ついたイメージは変えられなかったと、
現在は真摯に野球に取り組んでいると強調する。

中日にしても高卒4年目を過ぎたばかりの、しかもドラフト2位で獲得し、
背番号3をいきなり与えているような選手をそんな簡単に戦力外にするとも思えない。
練習態度や野球への取り組み、素行の問題など、
やはりどこかしらに度重なる問題があった故の決断ではなかったかと想像する。
まだ若いし、能力を持った選手であることに間違いはない。
社会の厳しさを知って、環境が変わり、ここからどこまで自分を律することが出来るか。

心技体とはよく言ったものだ。
その道で才能を開花し、長くやり続けることの出来る人というのは、
そのすべてが完璧とまではいかないまでも、
どれひとつおろそかにせず、大きく取りこぼすようなことはしないし、
また、そうならない。
道は、そうやすやすと究められるものではなく、
すべてを掴みとることなど生易しいことではないけれど、
どれに対しても、実直に向き合える姿勢は持っている。
もって生まれたものだろうか。
努力の賜物だろうか。
それは、そのレベルで戦えている人にしか分からないことかもしれない。
ただその近くまで辿り着けた人ならば、
その世界と直接的に対峙することは出来る。
それが現在、プロの第一線の場で鍛錬を重ねている人たちだ。
そこに辿り着けただけでもすごい。

ただ、ひとつでも大きく取りこぼしたり、
大きく感(かま)けたりしたなら、
見極める側のプロの目は、見逃してはくれないのだろう。