FAR SKY (遠い空) 世の中の本質を自分なりに・・・

遠い空には何が見えるのだろう。若者には輝く未来が。関西弁おっさんにはオネーチャンの優しい笑顔。遠いあの空はどこに行った。

京都人(9) ㉕ 奈良に軽いライバル心を持っている。

2015年02月17日 21時20分46秒 | 日記

9年前の京都逆単身赴任時に改めて京都は日本一の観光都市だと痛感した。そうだ!京都に行こう。のJRキャンペーンにはじまり、メディアは年がら年中、京都特集を組み、京都を宣伝してくれている。当然、外国人観光客も多い。京都駅などは外人・ガイジンで、かの万博状態を呈する。私はJR京都駅から自宅まで徒歩で通勤していたが、朝の出勤時に自宅から京都駅の間に、外国人と日本人とどちらと多くすれ違うか何度か勘定したものだった。結果はいい勝負でほぼ同数。ある日は圧倒的に外国人が多い日だった。駅前の修学旅行を商売にしている旅館から数百名のオーストラリア高校生がぞろぞろとバスに乗り込んでいるのに出くわしたからだ。ここは本当に日本なんだろうか?オーストラリアかあ?上野の駅ではここはナイジェリア?と思った事があったが、ナイジェリア人は修学旅行でなくカセギに来ているので、すごくおっとろしい気分になった。これが京都と東京の違いだ。
さて、奈良。京都は歴史的中心としての機能が長すぎたために奈良に比べ文化的にも焦点が定まらずにいる。観光客にとっては飛鳥時代より古い広隆寺や伏見稲荷。平安時代のイメージを受ける御所、平安神宮。藤原時代の平等院。平家時代の六波羅。ぐっと下がって相国寺に金閣、銀閣。信長の本能寺。秀吉の伏見城、お土居、醍醐寺。豊国神社の国家安康の鐘。江戸時代の二条城、幕末は坂本竜馬に新撰組。それこそきりがないほど魅力いっぱいだ。一方、奈良はシンプルである。観光客の興味の対象は奈良時代のみに集中する。学術的探求も対象が限定されるだけに、その研究の深さと重みが京都とは一味も二味も違っている。観光客にとって荒木村重や筒井順慶などに興味が湧くわけがあろうか。
京都の博物館などで展示されている文化物はレプリカがほとんどだが、奈良の文化財はそうではない。たった一度だけだが奈良の博物館を訪れた。展示物の保存のよさに、思わず館員の方に「これ。レプリカですか?」と尋ねてしまった。その時は本当に顔から火がでるほど恥ずかしい思いをした。本当の奈良の底力に圧倒された。

「奈良に軽いライバル心を持っている。」のではなく、奈良はひと時代分、さらに時間が遠い場所であり、それは京都の尊敬すべき先輩であり、千年の都「京都」につながる先人が生きた大古都という思いが強い。


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