アラスカ南西部の村から2年前にアンカレッジに越してきた*エスキモー、ユピックの「姉」と食事。
(http://blog.goo.ne.jp/nmachika/e/0ad0fc47079b0b42da961b2d1c740d86)
オバは長男出産時に手伝いに来てくれた際、村を訪ね村の「家族」と会った。
昨日11年ぶりの再会。
村からの食材を持ってきてくれる。スモークサーモン。キング、レッド、チャム。獲れた川が違うので味も違うと。
手前左ツンドラで摘んだラバドール、茶にする。手前右エスキモー・アイスクリーム(各種ベリーをアザラシの油で混ぜたもの)、これには米も少し混ぜてあった。エスキモー・アイスクリームはユピックの人々にとってデザートに欠かせない。
友人の家でとれたという新鮮な卵もゆで卵にしてもってきてくれる。
こちらは巻き寿司に五目寿司。
いっただっきま~す! 「姉」の二人の子供も。
11年前オバが村を訪ねた際、寿司を作った。村の「父」は今でも夏になると獲れたてのサーモンで寿司を作っているのだと「姉」が言う。
これまで、これからのことを話し、楽しいひと時だった。
*「エスキモー」という言葉は侮蔑語ということで世界的に「イヌイット」に置き換えられる。東カナダに住むクリー族の言葉で「エスキモー」は「生肉を食べる者」を意味する語、と誤って解釈され侮蔑的に用いられたという理由からだが、実は亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味ともいわれる。
またそもそもアラスカ南西部に暮らす「ユピック」はカナダやグリーンランドに住む「イヌイット」とは別の集団。「エスキモー」イコール「イヌイット」ではない。「エスキモー」を「イヌイット」と呼ぶことは、全体を指すための呼称を一部を指すための呼称に置き換えてしまうことである。「アジア人」が侮蔑的だからアジア人皆を「中国人」と呼ぼう、というような。
そこでアラスカでは公にも「エスキモー」という言葉が用いられ、本人達も自身を「エスキモー」と呼ぶ、誇りをもって。
(http://blog.goo.ne.jp/nmachika/e/0ad0fc47079b0b42da961b2d1c740d86)
オバは長男出産時に手伝いに来てくれた際、村を訪ね村の「家族」と会った。
昨日11年ぶりの再会。
村からの食材を持ってきてくれる。スモークサーモン。キング、レッド、チャム。獲れた川が違うので味も違うと。
手前左ツンドラで摘んだラバドール、茶にする。手前右エスキモー・アイスクリーム(各種ベリーをアザラシの油で混ぜたもの)、これには米も少し混ぜてあった。エスキモー・アイスクリームはユピックの人々にとってデザートに欠かせない。
友人の家でとれたという新鮮な卵もゆで卵にしてもってきてくれる。
こちらは巻き寿司に五目寿司。
いっただっきま~す! 「姉」の二人の子供も。
11年前オバが村を訪ねた際、寿司を作った。村の「父」は今でも夏になると獲れたてのサーモンで寿司を作っているのだと「姉」が言う。
これまで、これからのことを話し、楽しいひと時だった。
*「エスキモー」という言葉は侮蔑語ということで世界的に「イヌイット」に置き換えられる。東カナダに住むクリー族の言葉で「エスキモー」は「生肉を食べる者」を意味する語、と誤って解釈され侮蔑的に用いられたという理由からだが、実は亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味ともいわれる。
またそもそもアラスカ南西部に暮らす「ユピック」はカナダやグリーンランドに住む「イヌイット」とは別の集団。「エスキモー」イコール「イヌイット」ではない。「エスキモー」を「イヌイット」と呼ぶことは、全体を指すための呼称を一部を指すための呼称に置き換えてしまうことである。「アジア人」が侮蔑的だからアジア人皆を「中国人」と呼ぼう、というような。
そこでアラスカでは公にも「エスキモー」という言葉が用いられ、本人達も自身を「エスキモー」と呼ぶ、誇りをもって。
そうだったんですね。
私もエスキモーは侮辱語だと聞いて、イヌイットを使うようにしていましたが、それも間違っていたんですね。
マチカさんのブログはいつもためになります。
ただカテゴリー的にイヌイットとエスキモーはイコールではないですからね。イヌイットに入らないユピックは、じゃあそのままエスキモーでもなくイヌイットでもなくユピックと呼ぼうという人々もいます。
こうしてブログに書留め日々整理していくことで助けられてます。読んでいただいてありがとう。
この「父」は15年前村を訪ねたとき、ツンドラからとれたという植物で作った茶や薬とともに、スーパーで売られている緑色のチューブの「わさび」ももっていて、「これは鼻づまりにきくのだ」と教えてくれたんですよ。(笑) こうして文化は創造されてますね。
もともとシャーマンの家だったようで、「姉兄」も「父」がまだまだ秘密にしていることがたくさんある、と言ってました。