長男と出かけた。二人で過ごすために出かけるなんて初めてのこと。
昼はカフェ、夜はバーになるという北ヨーロッパのある都市の名前のついたカフェで、長男はイタリアンソーダを、私はチャイを頼んで向かい合って座る。昼と夜のちょうど間の時間、店内はがらりとして客もほとんどいない。
じっと顔を見ると、少し恥ずかしそうな表情をして目をそらす。11歳、今年1年で彼は随分と変わった。「子供」というにも「大人」というにもしっくりとこない独特な過程にいるのかもしれない。改めて向き合うと、「私の子供」というより、「1人の人」に向き合っているような気持ちになる。
軽く冗談を言い合い、互いに少しずつオープンになっていく。学校のこと、友達のこと、好きな本や漫画や映画のこと、彼の話を聞き、私の思うこと感じることも話す。
この日長男と出かけたのは、夏始まりを祝い、これからの長い夏休み、仲良くやっていこうじゃないと二人で手を握り合う、というような意味合いもあったのだけれど、何より長男をじっくりと観、そして彼が彼自身の進む方向を明らかにしていくための手伝いができたら、という思いがあったというのが大きい。
彼が思い描く彼の進む道、今まで私自身が生きてき、そして11年彼と暮らしてきて、私が彼にとってよいだろうと思い描く彼の進む道、この日初めて、その二つが少し重なり合う方向がみえてきた。「その道を歩いていくの、全力でサポートするから」と伝える。
アップダウンもあるだろう、自分なんてだめだと思うこともあり、他の道をいこうと思うこともあり、全くパッションが感じられなくなることもあるだろう。それでもその少しずつ見えてきている道にくっついて進んでいこう、その時は見えなくても必ず開けてくるときが来るから、と話す。
「自分ができないと思わなければ、必ずできる」と言ってみる。
その人にとって現実的でない道も確かにあるのだろう。その人のもっているもの、環境、生きてきた流れ、それらがぴったりと合わさった道があり、その道を進み続けるのなら「自分ができないと思わなければ、必ずできる」のかもしれない、と最近よく思う。
カフェの後、ベーカリーでパンを買い、本屋に寄り帰宅。2時間程だったけれど、長男と私の関係が少し変わったように感じている。今二人が進む方向が、少し見えてきたのかもしれない。
少しずつ、一歩一歩、進み続けていきたい。
今まで見たことのない長男の表情に気がつくことも多くなった。