午後図書館へ。
グランパ三女、長女、長男、グランパ長男。市立図書館には外国語の本も少しある。フランス語やスペイン語、そして日本語の本も。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/78/d5/04372d96f5b0c81329047b59527e0b9a.jpg)
20分読書をすると1つスタンプ。スタンプをためると賞品がもらえる、という図書館主催読書キャンペーンに参加した子供達。賞品をもらう。ビーチボールと本。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/7d/fa2984b462e2eb5ab68729563e1e3b84.jpg)
次男を追いかけながらふと顔をあげると、1人の女性と目が合った。お互いしばらく見合い、同時に口を大きく開ける。駆け寄ってしばらく抱き合う。目には涙。
14年前アラスカに初めて来、村々に滞在したとき、お世話になったネイティブ(※エスキモー)家族の娘さん。9年ぶりの再会。連絡が途絶えてから6年たっていた。
漁にツンドラでの食料採集に友人達との集まりに、と連れ出してくれたのが彼女だ。1ヶ月間の村滞在、最後にはユピック族の名前ももらい、まるで家族のように暮らしていた。10歳年上の彼女は姉的存在だった。
去年村を出、アンカレッジに2人の子供と暮らし始めたそうだ。村で出会った14年前、彼女は結婚していて子供はなく、私はまだ独身。5人の子供、しかもグランパの子供達も連れ、子供にうじゃうじゃと囲まれている私を見、「マ、マチカ子供だらけ!」となぜか2人で笑い転げる。(笑)
「時期がくれば必ず会うようになると思ってたの。神に祈ってたのよ会えるように。」
元シャーマン一家だった彼女の家族。今はクリスチャン。キリスト教が入ってくる前そこいらじゅうに感じていた「神」に、キリスト教は「名前」をくれたのよ、と言っていたのを思い出す。100年程前ほとんどのエスキモーの人々はキリスト教に改宗している。
私が初めてみたアラスカはネイティブの人々の視点からだった。アンカレッジに暮らし始め、薄れていった視点。
訪問団が帰った後、ゆっくり会おうと約束。美味しいものまた一緒に作って食べようと。何だかアンカレッジに親戚が引っ越してきたような感覚。これから何とも楽しみだ。
左から三女、グランパ三女、長女、再会した友人、次女。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/08/fa/8647cf744a6cfbbe174f4c76e3c2bbfb.jpg)
※「エスキモー」という言葉は侮蔑語ということで世界的に「イヌイット」に置き換えられる。東カナダに住むクリー族の言葉で「エスキモー」は「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈され侮蔑的に用いられたわけだが、本当は亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味。
またそもそもアラスカ南西部に暮らす「ユピック」はカナダやグリーンランドに住む「イヌイット」とは別の集団。「エスキモー」イコール「イヌイット」ではない。「エスキモー」を「イヌイット」と呼ぶことは、全体を指すための呼称を一部を指すための呼称に置き換えてしまうことである。「アジア人」が侮蔑的だからアジア人皆を「中国人」と呼ぼう、みたいな。まあこちらに暮らしていると日本を中国の一部だと思っている人々に出会うこともありますが。(笑)
そこでアラスカでは公にも「エスキモー」という言葉が用いられ、本人達も自分達を誇りをもってそう呼んでいる。
グランパ三女、長女、長男、グランパ長男。市立図書館には外国語の本も少しある。フランス語やスペイン語、そして日本語の本も。
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20分読書をすると1つスタンプ。スタンプをためると賞品がもらえる、という図書館主催読書キャンペーンに参加した子供達。賞品をもらう。ビーチボールと本。
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次男を追いかけながらふと顔をあげると、1人の女性と目が合った。お互いしばらく見合い、同時に口を大きく開ける。駆け寄ってしばらく抱き合う。目には涙。
14年前アラスカに初めて来、村々に滞在したとき、お世話になったネイティブ(※エスキモー)家族の娘さん。9年ぶりの再会。連絡が途絶えてから6年たっていた。
漁にツンドラでの食料採集に友人達との集まりに、と連れ出してくれたのが彼女だ。1ヶ月間の村滞在、最後にはユピック族の名前ももらい、まるで家族のように暮らしていた。10歳年上の彼女は姉的存在だった。
去年村を出、アンカレッジに2人の子供と暮らし始めたそうだ。村で出会った14年前、彼女は結婚していて子供はなく、私はまだ独身。5人の子供、しかもグランパの子供達も連れ、子供にうじゃうじゃと囲まれている私を見、「マ、マチカ子供だらけ!」となぜか2人で笑い転げる。(笑)
「時期がくれば必ず会うようになると思ってたの。神に祈ってたのよ会えるように。」
元シャーマン一家だった彼女の家族。今はクリスチャン。キリスト教が入ってくる前そこいらじゅうに感じていた「神」に、キリスト教は「名前」をくれたのよ、と言っていたのを思い出す。100年程前ほとんどのエスキモーの人々はキリスト教に改宗している。
私が初めてみたアラスカはネイティブの人々の視点からだった。アンカレッジに暮らし始め、薄れていった視点。
訪問団が帰った後、ゆっくり会おうと約束。美味しいものまた一緒に作って食べようと。何だかアンカレッジに親戚が引っ越してきたような感覚。これから何とも楽しみだ。
左から三女、グランパ三女、長女、再会した友人、次女。
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※「エスキモー」という言葉は侮蔑語ということで世界的に「イヌイット」に置き換えられる。東カナダに住むクリー族の言葉で「エスキモー」は「生肉を食べる者」を意味する語と誤って解釈され侮蔑的に用いられたわけだが、本当は亜極北のアルゴンキン系インディアンの言葉で「かんじきの網を編む」という意味。
またそもそもアラスカ南西部に暮らす「ユピック」はカナダやグリーンランドに住む「イヌイット」とは別の集団。「エスキモー」イコール「イヌイット」ではない。「エスキモー」を「イヌイット」と呼ぶことは、全体を指すための呼称を一部を指すための呼称に置き換えてしまうことである。「アジア人」が侮蔑的だからアジア人皆を「中国人」と呼ぼう、みたいな。まあこちらに暮らしていると日本を中国の一部だと思っている人々に出会うこともありますが。(笑)
そこでアラスカでは公にも「エスキモー」という言葉が用いられ、本人達も自分達を誇りをもってそう呼んでいる。
読んでてホノボノしちゃった。
私もアラスカに来るまではみんな「エスキモー」だと思ってたよ。でも、ESLのクラスでだいぶネイティブに関しての本を読まされて、かなり勉強になりました。沖縄とちょっと似てるんだよね。領土を占領されたり、スピリチュアルを信じてたり。伝統的なスピリチュアルの踊りがあったり。
ネイティブの昔の人達の知恵って凄いの知ってる?日本で言うとお婆ちゃんの知恵袋みたいな。。。笑
マチカさんの日記でもネイティブに関して勉強になりました!
あなたの卒業旅行記を思い出すよ。
たしかに事情も知らず図書館で子供達に囲まれたマチカさんと再会したらぶったまげると思います。(笑)
マチカさんって旦那様との出会いも図書館じゃなかったっけ!?
図書館はマチカさんのターニングポイントかしら?
彼女との出会いがあり旦那様との出会いがあり子供達との出会いがあり今のマチカさんがあるんだね。
縁ってどこか一本の線で繋がってる気がします
もちろん私との再会も深い縁を感じます(ネット上ですが)いつか、また会いたいね
でも私も会える気がしていますよ
アンカレジか日本なのか?どこでなんだろう(笑)
ESLでも文化人類学の文献を読んだりするんだな、と以前桜さんの話を聞いて思ったの覚えてます。そうか石垣島出身の桜さんが似てると感じたんだね。また色々話を聞かせて欲しいです。
確かにとてもスピリッチュアルです。元々深いところに根付いていた信仰に、キリスト教的枠組みや言葉が当てはめられている、というような印象です。彼女の家は元々シャーマンで、「父は色々なことをまだ隠している」、とよく言ってました。
知恵袋、ホントだね。彼女と話していると受け継がれてきた知恵を感じるよ。
夫とはね、こちらの大学図書館で資料漁りをするためにこちらの大学に立ち寄ったとき、キャンパスで出会った日本人の女の子が泊まっていた日本人女性の家で出会ったのよ。長いね。(笑) 確かに始まりは図書館だね。
世界中これだけの人がいるなか、こうして会って付き合うことになる人々がいて。ものすごい確率での結びつきだよね。
こうしてよっちゃんにもネット上で再会できて嬉しいよ。縁があったんだね。感謝してます。本当だね、今度はどこでいつ会えるんだろう。互いに老女になってて、小中学時代のこと懐かしく話し合うのかな。(笑) その日を心より楽しみにしてます。
もしかして再会の人は Bonnieさん じゃないの?
私も最近エスキモーの人達の事を思い出していたのですよ。シモンが生まれた時、貴女のお父さんと村を訪ねて貰った住所録を、今、出して名前を確かめてみたのです。 あの時も親切にお世話して貰って、次回のアンカレッジでの再会は時間差でお会い出来なかったからね。覚えていますか。イリアがお腹にいる時でしたよね。やはり7月でしたよ。7月はいろんな人達との再会が『神様』の計らいでなされているのかもよ。グランパの大家族達との再会も含めて。なんだかそんな気がします。今度会ったら『またお会いしたい』とお伝えください。ご両親やお姉さんの家族もお元気でしょうか~とネ。写真で見るとにこやかで若々しくて変わっていないですね。兎に角、親戚みたいに懐かしい人に会えて楽しみが出来、最高の日になりましたね。私も嬉しいです。 思っていれば実現するってことを先週も実感しました。その男の子は20歳の頃ダラスから大分市の大学へ留学する時、主人と大分へ行って私の友人達にも紹介したりしたのですが、母親がダラスに居るから時には里帰りしていると思っていたけどこのところ長い間会っていなくて連絡が取れなくなってどうして居るかなと思っていたら、剣道の稽古に来るという連絡が入り会いに行って来ました。名古屋の会社に就職し、住んでいるところは地下鉄の金山駅まで2駅ということでしたので『プラナ』のこと話しておきました。7月9日で29歳になると聞きビックリ!! 10日に日本へ帰るので誕生日には「ミスター寿し」へ行くと云っていまた。父を亡くしたりで3~4年店でバイトをしてた事もあったからね。
先程『パラダイス山荘』から帰宅して留守中のプログ読ませてもらいました。次男坊の誕生日おめでとう!誕生の時の顔を思い出せないくらい可愛く育っていますね。幸いに兄姉すべて美男、美女だからその時によって誰かに似てる気がしますね。また写真を載せてください。
ヨーキさんも、感動する再会があったのですね。ダラスに大分に名古屋に、世界中またにかけての再会ですね。9年ぶりの嬉しい再会なのですね。
次男もおかげさまで無事元気に育ってます。日に日に色々なことを理解しているようです。
感謝をこめて。