パール博士の顕彰碑見学の後、私たちは遊就館内の食堂に入った。菅原副会長(陸軍士官学校第57期卒)お奨めの海軍カレーを食した。説明書によれば、当カレーは明治41年の海軍割烹術参考書のレシピに基づいて丁寧に復元されたものであるとの由。食には事欠かない現代にあってもその美味な味わいには驚いた。
食後は、遊就館の書籍販売コーナーに立ち寄った。館内の雰囲気は明るく、書籍コーナーには良書が多く並べられ、人の賑わいもあり、嘗ての遊就館には見られない柔らかさであった。国民が体験してきた真実の歴史に触れる場が少なくなっている今、参観者が遊就館を通して英霊の方々の言葉や真情に触れ、また書籍を通して真実の歴史の世界に触れることができるなら有り難いことである。遊就館が現在及び後世に生きる日本人と、英霊及び日本の真実の歴史とを結ぶ架け橋になることを願って止まない。
この後、私たち一行(菅原副会長と金澤常任理事を除く五名)は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かった。靖國神社から内堀通、鍋割坂を経て東門より墓苑に入った。多数の参拝客が次々と訪れる靖國神社とは異なり、楠や欅などが鬱蒼と生い茂り、参拝者を殆ど見かけない閑静な墓苑であった。
墓苑の中の説明板には、先の大戦における海外主要戦域別戦没者数(昭和12年7月7日以降、軍人軍属及び一般邦人の数)一覧表が掲示されていた。
総数 2,400,000人
フィリピン 518,000人
中国本土 465,700人
中部太平洋 247,000人
東部ニューギニア、ビスマーク・ソロモン諸島 246,300人
中国東北地区(旧満州) 245,400人
沖縄 186,500人
インド・ミャンマー(旧ビルマ) 167,000人
パプア州(旧西イリアン) 53,000人
ロシア及び旧ソ連新独立国家諸国(旧ソ連本土) 52,700人
台湾 41,900人
北朝鮮 34,600人
インドネシア 25,400人
樺太・千島・アリューシャン列島 24,400人
タイ・マレーシア・シンガポール 21,000人
硫黄島 20,100人
韓国 18,900人
ボルネオ島 18,000人
ベトナム・ラオス・カンボジア(旧仏印) 12,400人
モンゴル 1,700人
戦没者240万人のうち、軍人・軍属の方々が210万人、戦火で亡くなられた一般邦人が30万人と言われている。現在我が国の防衛の任務に就かれている陸海空自衛隊の方々は約24万人。一概に比較はできないが、その数字と比べるとき如何に多くの方々が国の御楯となって大東亜戦争で亡くなられたか、言葉に尽くせないものがある。
昨年8月15日日本武道館で開催された「全国戦没者追悼式」には、昭和38年の開催以来初めて戦没者の両親の世代の参列がなかったと言われている。戦没者の両親や妻の方々が激減している現在、遺族の方々にとっても世代を経るごとに戦没者の方々が遠くなっていくことは否めない。しかし先の戦争が国家の総力を尽くし、国民挙げての戦いであったことを思えば、家族の方々だけでなく国民全体が遺族に他ならない。家族や亡くなった方を慕う遺族の気持ちを胸に、国民全てがいつまでも変わりなく戦没者に対して追悼の誠を捧げていかなければと思う。
この後、多数の供花がそえられた正面奥の六角堂にお参りし、戦没者の方々のご冥福をお祈りした。
参拝の後、昭和35年3月28日に竣工された昭和天皇の御製碑
國のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる
昨年9月27日に竣工された今上天皇の御製碑
戦なき世を歩みきて思ひ出ずかの難き日々を生きし人々
を拝誦し、陛下の御心をお偲びしつつ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を後にした。 (勝)

