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日本会議福岡

「誇りある国づくり」へ、発言し行動します

世界のイチローが示したもの

2006年03月22日 | スポーツ

■評価されたアジアの野球
 ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で3月18日、日本は韓国を6―0で破り、決戦進出を決めた。台湾国籍の王監督に率いられた日本選手団が韓国と決勝進出をめぐって闘うなど私たちの親の世代から見れば、かつての「大日本帝国」の同胞同士の戦いであり、それが彼の地でアメリカチームを破った上での試合となると血沸き肉躍る。米国が2次リーグで疑惑の判定で日本に辛勝し、韓国に敗れたとき、ヤンキースのロドリゲス選手は、「アジアの野球はNBAで言う欧州チームのような存在」と言った。アジアの野球の存在を見せつけた大会でもあった。

■勝ちたいチームが勝つ
 前置きはこのくらいにしてわが国チームの勝因について語ってみたい。
 一言でいって、それは何が何でも「韓国に勝つ」という執念だったと思う。スポーツの世界では言わずもがな、他の世界でも力のある人が成功するわけではない。技術の立派な会社が一番になるわけではない。成功したり、一番になったりするのは、成功したい人、一番になりたい会社がそうなるだけである。要はその度合の激突が競争なのだ。そして歴史は冷静に審判を下している。今回のWBCでの準決勝でいえば、わが国選手団の方がその度合が相手チームの韓国戦手団よりはるかに強かった(6対0の完勝)というわけだ。

■向こう30年間は日本に手を出させない
 チームリーダーのイチローは1次リーグの試合前「むこう30年間、日本には手を出せないと思わせたい」と言ってのけたが、その韓国に2連敗。「3連敗したら日本球界に汚点を残す」と、悲壮な決意で臨んだ準決勝の大一番を制した。イチローは言う。「勝つべきチームが勝たなければならない。それはぼくら(日本)だと思っている」。

■私が国を背負い、私が国民を納得させるのだ
 以上のような発言には成熟した日本人、国際舞台で国家と民族の栄誉を担うにふさわしい偉大な選手の姿はあっても、トリノオリンピックで多くの惨敗選手が見せた「試合を楽しみたい」式のスポーツチルドレンの面影は微塵もない。主観主義的に「自分が納得すればいい」式の個人倫理を排し、私が「我国を背負い、国民を納得させるのだ」という国民倫理を見るのは私だけであろうか。

■勝者はすべからく賛辞(罵声)を浴びるべし
 イチローの刺激的な発言もあってか「30年間、韓国に手を出せないのは日本の方だ(竹島、李ライン)」「イチローは30年間って言ったけど、日本を破るのは1週間で十分だ」「イチロー、お前は何て言ったっけ?」などと書かれたプラカードで韓国スタンドはあふれ、打席に立ったときや飛球を捕ったときは勿論、ハイビジョンに姿が映るだけでそこからは大ブーイングが巻き起こったという。
 それに対してイチローは「ブーイングは大好き、もっと強いほうがよかった」という。それどころか、さらに「韓国に負けてしゃくにさわったが、今は本当に気持ちがいい。野球はけんかじゃないけど、そういう気持ちで戦った。2度負けたが、本当は勝って当然。」と言ってのけた。

■全ての外交官よ、イチローたれ!
 私はこのイチローの姿に、これからの国際舞台においてわが国が示すべきお手本を見せつけられた思いがした。
イ. 自分たちは国家と国民の代表なのだという自覚と認識
ロ. その国家と国民の声援には勝利というお土産でご恩返しをしなければいけないという義理堅さ
ハ. 相手チームを試合中は明確に「敵」と意識できる強靭な思想性
ニ. 相手チームの応援団から受けるバッシングの嵐にも何食わぬ顔で平常心を持って対応する舞台度胸(胆力)
ホ. 勝利を求める執念はリーダーが一番でなければならないという責任感
ヘ. 私は日本人であり、私たちは日本人の選手団であり、日本の選手団は勝ってあたりまえなのだという自国の伝統に対する比類なき信頼と帰依。そしてその伝統を継承し発展させなければならないという民族的使命感
ト. 以上の全てを説得力あるものとして現実化させていくにふさわしい世界最高級の技術とそれを下支えする水面下の猛訓練、そしてそれを継続する初心と克己心

■ジャパンの帽子
 イチローは言う。「初めてジャパンの帽子をかぶった時、本当にうれしかった。子供のころ、初めて買ってもらった野球帽みたいに・・・。皆より早く、帽子だけアメリカへ送ってもらったんです」。鏡の前で、脱いではかぶり、何度もまわってはほほえんだという。このユニホームを着て世界の頂点へ上り詰めたい。イチローの「日本」には“野球少年の思い”が詰まっている。

■敵はその敵にとって最も強い敵にしか賛辞を送らない
 わが国・日本チームの勝利が濃厚になった7回裏、スタンドを埋め尽くした韓国のファンが、次々と席を立つ。日韓戦に異常な闘志を燃やす韓国の国民感情をなえさすのは最終的にわが国・日本の圧倒的(辛勝でない)な強さだ。イチローはそのことを実証して見せた。
 韓国の金寅雄監督は「日本はまだ韓国より優れている。今大会で最も組織されているのは日本だし本当に強い」と賛辞を惜しまなかった。

 わが国では春分の日にあたる平成18年・紀元2666年(西暦2006年)3月21日、王監督率いる日本選手団は決勝戦でキューバを10対6で下しWBC初の栄冠に輝いた。  (亥)


来年の「昭和の日」の施行を前に

2006年03月19日 | 昭和天皇御巡幸

  昭和の日 4月29日
     激動の日々を経て、復興を遂げた昭和の時代を顧み、国の将来に思いをいたす

  昨年4月5日衆議院本会議を通過、翌月13日参議院本会議を通過し、「昭和の日」が成立した。上記の法案は一週間後の5月20日に公布され、来年1月1日より施行されることになった。

  昭和天皇の御誕生日であった4月29日の思い出は、本会の前身である日本を守る福岡県民会議時代、設立4年目の昭和59年より毎年「天皇陛下御誕生日奉祝県民大会」を開催してきたことが挙げられる。昭和天皇の御聖徳を偲び、激動の昭和を歩んできた父祖達の歴史を若い世代に伝え、昭和の御代の長久を祈念してのことである。

 また「天皇陛下御即位六十年」を迎えた昭和61年は、歴史上初のご慶事をお祝い申し上げようと全国各地で盛大な奉祝運動が実施された。当地福岡でも次の三大事業に取り組んだ。
 ①「天皇陛下御在位60年をお祝いする福岡県民の集い」の開催
   -昭和61年10月26日 福岡国際センター 12,500人参集、福岡県と共催
 ②映画「天皇陛下-御在位六十年をことほぐ」の上映活動
   -81市町村、263会場、29,089人が観賞
 ③昭和24年の「天皇陛下福岡県御巡幸の記録」の作成
   -『筑紫路を埋(うず)めた日の丸』として出版[昭和63年12月22日]

 このとき作成した『筑紫路を埋めた日の丸』は、昭和24年5月18日から6月11日までの九州御巡幸の中の福岡県の延べ6日間(ご滞在8日間)を記したものである。敗戦の塗炭の苦しみの中から復興と再建に立ち上がっていく国民(県民)にとって昭和天皇の御巡幸が如何に大きなものであったか、当時の資料と体験者への取材を交えて編集した。陛下は遺族・戦災孤児の御慰問と産業復興への御激励のために各地を御訪問された。沿道や奉迎場は毎日数万人から数十万人の人々で溢れ、日の丸小旗が振られ、国歌「君が代」の斉唱、「天皇陛下万歳」が三唱された。国民の熱心な奉迎の様子に同行していた英国の新聞記者も驚きをもって、

日本は敗戦し、外国軍隊に占領されているが、天皇の声望はほとんど衰えていない。各地の巡幸で、群衆は天皇に対し超人的な存在に対するように敬礼した。何もかも破壊された日本の社会では、天皇が唯一の安定点をなしている》

と報道している。
 同書の完成にあたっては、宮内庁からも両陛下の記念の御写真を一葉賜り、国会図書館をはじめ県立及び各市町村の図書館にも謹呈させて戴いた。忘れられない思い出である。

 同書を発行してより18年。来年1月から改正の祝日法が施行され、同年4月29日に初めての「昭和の日」を迎える。それ迄に少しでも昭和天皇と国民(福岡県民)との深い絆、昭和24年の御巡幸のドラマをご紹介できればと思っている。毎週日曜日は『筑紫路を埋めた日の丸』の内容を半年余りに亙って掲載していきたい。ご高覧賜れば幸いである。  (栗)


心の経営ゼミナール(第1回)-人事の要諦は素材にあり

2006年03月16日 | 企業経営

 25年余りに亙って私は学校経営を経験し、その中から感じ取った中小企業の経営ノウハウを不定期ながら紹介させて戴きたいと思う。同業の関係者の方々のご参考になれば幸いである。
 尚、表現などが露骨な点はご寛恕願いたい。企業の生き残りは正しく戦いであり、戦いの中から感じ取った体験をお伝えすることを目的としたものだからである。

  小規模の企業を経営していると「小さいが故の問題」に、それこそ際限がないほどに苛まされる。よくぞこれだけ悩みの種が出てくるものだと驚きを通り越して感嘆すら覚える。今回は、入社希望者の確保と採用についての判断基準について述べたい。

 企業活動とは人事面から見れば、就職(就労)によって退職を補っていく無限連鎖の過程ともいえる。新人の流入に中断が生ずると、構成員の平均年齢の老齢化が徐々に進行し、もしこの点での打開が遅れればそのスピードは一気に加速する。長年にわたる新生児の激減により、我が国日本が全体として厳しい局面に向かいつつある中、独り企業だけが蚊帳の外にあることは無理な話である。では如何にして社業の興隆を図るべきか、意見を述べたい。

  企業が新人を採用することは、「我が国風」に言えばちょうど花嫁を迎える心境に近い。それは企業という「家」に嫁いでもらわないといけないからだ。しかも前提としての交際期間がないために「お見合い結婚」に似ている。中小零細企業は大手と違って構成員が少ないために、「(会社の)水に合わない」人に入られたらそれこそ大変なことになる。経験から言えることだが、そういう人は例外なく早期退職(10年未満)している。
 しかし問題はそれだけに留まらない。場合によっては、企業に相当の爪あとを残して去っていくこともある。その修復に3年から5年かかることすらある。

  他人の家に嫁ぐ(=就職する)ということであれば、まずは己を徹底して空しくし、謙虚さを求めることにしている。新卒、中途採用に関わらず、この点における妥協は企業にとっては死だ。ここのところは、長く勤めてもらっている歴戦の現有社員に対して経営者が行なうべき大事な点であろうと思う。忠勤と人徳に対しては地位をもって、実力と功績に対しては恩賞(報酬)をもって待遇することが企業人事の鉄則である。その両者について未知数である新人に対しては、「今までの自分は捨てるように」と要求する。それは、全てを捨てることのできる者しか全てを獲得することができないからである。中小零細は一人ひとりが貴重な戦力であり、「全てを獲得することのできる人」のみを欲しているのである。

  譬えを替えれば、新人社員は家族では新生児みたいなものである。まずは役に立たないうえに、絶えず周囲の力と保護を必要とする。新人が何でも一人前にやろうとする無鉄砲な懸命さは有り難いものの、新生児が当たりかまわず手にするものは口に入れるのと同様で親から見ていてハラハラさせられる。失敗すれば先輩や会社のせいにし、成功すれば自分の力と過信しかねないところも、子どもの成長過程と似ている。
 もともと子どもは辛抱強く温かい心で抱え込んでいかなければ生きていけないし、家族の一員として成長することはできない。子ども(=新入社員)が家(=企業)を単位とする族(=仲間)の構成員として認知して貰うためには、お互いに守らなければならないルールがあることを理解させなければならない。教育には常に峻厳さが求められる由縁である。

  一方、経営者の役どころは、まずは自らの事業体を小なりといえども入社したくなる会社に作り変えることである。次にそれを広く世に告知し、入社したい人(応募者)の流れを作ることである。第三には、作られた応募者の奔流の中からわが社(家族)の一員とするにふさわしい素材を見極め、内定することである。第四は、見極め内定した相手が十分に社風に合うかどうか、「お見合い結婚」故に設けることができなかった「交際期間」を計画的にしっかり設けることである。最後は、わが社にふさわしい立派な素材だと確認できたときに初めて試採用し、就労させる。

  中小零細にとっての新人の採用は単なる作業員や人足の補充ではない。それはかけがえのない家族の一員を増やすことに他ならず、24時間一緒に暮らすことになるかもしれない末子(末娘)としての認知行為ともいえる。
 とどのつまり、私たち中小零細にとっての新人の採用とは、
 ①素材の選定(仲間を選ぶこと)
 ②選定された素材の加工(仲間に加えること)
 ③加工された素材の商品化(仲間にすること)
そのものである。
 中小零細企業の経営者は、素材発掘には大手以上の真剣さと情熱が必要であり、それが生命線なのである。  (亥)


日本を仮想敵国とする中国の軍拡は脅威

2006年03月14日 | 中国・台湾問題

 昨年、民主党の前原誠治代表と麻生太郎外相が相次いで「中国の軍事力は我国にとり脅威である」という趣旨の発言をし、波紋を呼んだ。中国政府はこの前原発言に抗議の意を表明し、12月に訪中した前原代表との政府及び党首脳会談は拒否するという無礼な対応で報いた。その後、民主党内から前原発言への反発が相次ぎ、前原代表も発言の趣旨の言い訳に追われ、発言のトーンを弱めてしまった。麻生外相発言についても自民党内の圧倒的多数は冷ややかな反応であり、中国の脅威を正確に指摘する声は与野党に殆どなく、中国の言い分に屈した格好である。

 中国政府は建国以来、我国を最大の『仮想敵国』と認定している。この姿勢は不変である。しかも経済発展、経済力の向上と共に、軍事力についても装備の精鋭化に懸命である。核兵器の小型化、新型ミサイルの開発、海軍の新型艦艇の増強、空軍力の増強を主目的とし、軍事力を飛躍的に増強している。しかもその照準の矛先は我国に向けられている。これを我が国の脅威と言わずして何を脅威と言うのか。

 中国の軍事予算は『平成17年版防衛白書』によれば、2005年度は2,447億元(日本円換算で約3兆5千億円)となっている。しかしイギリス国際戦略研究所が編集している文献の『ミリタリー・バランス』(2004―2005)によれば、日本は42,835百万ドル(約4兆9千億円)に対し、中国は55,948百万ドル(約6兆4千億円)となっている。もともと中国の軍事費は政府公表の2~3倍ではないかと言われており、『ミリタリー・バランス』の額のほうが真実に近いのではないか。もしそうであれば中国の軍事費は既に日本の防衛費の1.3倍に達している。
 しかし我が国の防衛費は約4兆9千億円と言っても、その内の約45%は人件・糧食費である。他国の軍隊と異なり我が国の自衛隊員は公務員であり、物価も高いため賃金は世界でも相当高い水準にある。その他にも基地周辺対策費や土地借料といった防衛施設庁の経費にも使用されており、国防を整えるための武器車両、航空機購入費、整備諸費、研究開発費などはそれらを差し引いての費用となる。つまり純粋な防衛費はその半分程度に留まるのである。

 過去17年間中国は、常に前年比2桁増の伸びを記録し、2005年度は前年比16.5%増であった。増大する予算は殆ど兵器の近代化、精鋭化、最新鋭艦船と航空機の購入に当てられている。このような肥大化を続けている軍事力と、覇権主義的国策を継続させている中国について、ブッシュ政権は近い将来大きな脅威となることを政府の政策としてはっきりと認定し、これに対処するために具体的な作業を開始した。

  2004年11月30日にブッシュ政権を支援するシンクタンク[AEI][ヘリテージ財団]とアメリカ陸軍大学付属[戦略研究所]の三者共催による『大躍進-中国軍の将来』というシンポジウムがワシントンで開催された。この会合で「中国の国家戦略、膨張を続ける軍事力はアジア地区の平和と安寧にとって大きな障害となりつつあり、これに即応する為の極東地区の米軍の強化と再編成が必要である」との意見集約が行われた。そしてこの討議結果は、米国の国防計画に取り入れられることになったのである。

 以下、中国の軍事力の一端を紹介する。
  1.総 兵 力 約280万人
 2.核 兵 器 水素爆弾。原子爆弾。中性子爆弾
 3.ミサイル 米国大陸に到達できる大陸間弾道ミサイル(ICBM)を30基。
        2010年には60基を配備できる高性能のICBMを開発中であり、
        2009年には実戦配備の見通しである。
        
短距離弾道ミサイルはすでに500基が配備を完了しており、
        日本向けには核弾頭搭載(広島原爆の30倍)のものが24基
        含まれている。
 4.空 軍 力 老朽化した機種の改編に懸命でロシアから最新鋭のSU27、S
        U30を大量に購入するとともにSU27の自国でのライセンス生
                産を開始。
 5.海 軍 力 米国の空母との対戦を想定し、潜水艦の整備を急いでおり、日本
                近海での海中調査もこれを想定して行なっている。 ロシアから誘
                導ミサイル搭載の駆逐艦ソブレンヌイ型4隻、ディーゼル潜水艦
                キロ級8隻を購入し、配備を完了。
 6.そ の 他 生物化学兵器、地雷の保有数は世界最多である。

  中国の国家戦略はアジアの覇権を目指すことである。自衛隊を圧倒し、米国への牽制能力を備えるために、ここ十数年軍事力の拡大に狂奔している。言わば、台湾進攻や日本との有事を想定し、その為の整備を急いでいると言っても過言ではない。
 嘗て中国の李鵬首相がオーストラリアの首相と会見した時、「2020年には日本という国はこの地上から姿を消している。日本のことは考えなくても良い」と放言したと言われている。この暴言を日本人は忘れてはならない。

 敗戦後60年、米国の核の傘に守られ平和に安住し過ぎた私たち国民一人ひとりの目覚めが必要である。国家の独立と維持のためには、国民に国家防衛の強固な意思と努力が求められる。政府は国民の生命と財産を預かる立場である以上、中国に妥協しない強い姿勢を国民の前に明らかにしなければならない。中国の覇権主義的野望を挫くことができるかどうかは、私たち国民の決意にかかっている。  (春)


3・7武道館大会に参加して(武道館大会参加記)

2006年03月12日 | 近況報告

 千鳥ヶ淵戦没者墓苑を出た私たちは代官町通を抜け、かつて近衛師団司令部であった現国立近代美術館工芸館前を通り、北白川宮能久親王銅像を拝し、北の丸公園を通って武道館に達した。
 菅原副会長、山本理事長、小菅副理事長、そして武道館で合流した塚田副理事長はAゲートから、他はDゲートから入場した。

 「皇室の伝統を守る一万人大会」は15時から始まった。北は北海道から南は沖縄まで全国47都道府県から参加者が集まっていることが紹介された。平日の昼間ながら1階のアリーナをはじめ2・3階席までほぼ満員であった。

 主催者を代表して、三好達・元最高裁判所長官より挨拶があった。三好氏は、終戦の詔勅の中で昭和天皇は「朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ」とお述べになり、陛下は国民に深い信頼を寄せられ、国民も陛下の御心にお応えし、今日の日本を築いてきた。しかし現在の皇室典範の改正は、陛下や皇族の方々のご意見も伺わずに皇位の継承を永遠に変えようとするものであり、国民の手で勝手に進めることなど許されないことだと厳しく批判された。

 続いて各界からの提言があった。まず京都大学教授の中西輝政氏から「皇室典範に関する有識者会議」の結論には3つの瑕疵(かし)-欠点-があると述べられた。一つは初めに結論ありき。二つ目は第一子優先。三つ目は女系天皇の導入。これらがもし実行されれば、神武天皇に繋がる現在の皇統譜や、神武天皇から更に神話まで繋がっている一つの家系、そしてそこからもたらされる権威がなくなってしまうと指摘された。こういう改正は日本の国柄を革命的に変更するもので断じて許されないと締め括られた。

 ジャーナリストの櫻井よし子氏は、まず「有識者会議のあり方は民主主義に悖る」と批難された。有識者会議の結論が17回30数時間の短時間もさることながら、6回や3回も欠席した委員、時には20分で中座した委員など、日本の国柄の根幹に関わる国家の重大事を審議する重要な会合にこのような不真面目な態度は許されないと強く批判された。嘗て昭和天皇は四人続けて内親王様が御誕生になった時、当時の元老であった西園寺公望氏に「養子は取れぬのか?」とご下問になったエピソードを紹介された。昭和天皇でさえ親王様がお生まれにならないからといって皇位の継承を内親王様に継承させることをお考えなさろうとはされなかった。皇位継承とはそれほど重大な事柄であると語られた。

 来賓挨拶は、自由民主党を代表して島村宜伸衆議院議員、民主党を代表して中井洽衆議院議員、最後に日本会議国会議員懇談会会長の平沼赳夫衆議院議員から行なわれた。平沼氏は、有識者会議の委員の中には皇室の歴史や法律に通じている方は僅か2人、また「どうして自分が選ばれたか分からない」という委員がいるなど、有識者会議の人選に疑問を呈された。そして男系による万世一系は「世界の宝」であり、これを絶対に守り続けなければならないと決意を述べられた。

 このあと出席議員のお名前が披露された。国会議員本人の出席は86名、代理出席は78名、合計164名であった。また拙速な皇室典範改正の国会提出に反対する議員の署名が225名に達したことが電光掲示板で紹介された。そして主催者よりこの日の参加者数が「10,300人」と発表されると、場内は喜びで大きな拍手に包まれた。  

 この後、各界を代表して5名の方から意見表明が行なわれた。
 最初に登壇された元インド駐日大使・現慶應義塾大学教授のアフターブ・セット氏は、わが国の歴史に触れられ、我が国の基礎は聖徳太子の時に築かれたこと、また日本の民主主議的な伝統は十七条憲法を基盤にしていることを語られた。そして日本はこれまで賢明な皇族に導かれ、国民は意見の一致に努力しながら、今日まで国づくりに努めて来たことを紹介された。

 続いて台湾総統府国策顧問の金美麗氏は、61年前の敗戦よりも今度の皇室典範改正のほうが国家的危機であると述べられた。何故なら敗戦の時は神風が吹かなかったが、今度は神風が吹いた。紀子妃殿下の御懐妊である。世界には神話を持たない国や歴史の短い国が数多くある中で、日本は神話を持ち、2600年以上の歴史を持っている稀有な国である。しかもその中心には皇室があり、皇室は日本の宝である。皇室の伝統や日本の歴史を大切にすることが重要だと述べられた。

 次に著書『天皇陛下の経済学』で有名なヘブライ大学教授のベン・アミ・シロニー氏は来日できなかったので、大会に寄せられたメッセージが朗読された。シロニー氏は、冒頭に皇室の伝統が廃絶されれば世界的な損失であると指摘された。男系による皇統継承は、ローマ教皇が男性に限定されていることやチベット仏教の最高指導者のダライ・ラマが男性で続いてきたこと、更にはヨダヤ教の祭司は三千年に亙り父から息子へ継承されている事実を挙げられ、皇室の伝統に対する理解を示されると共に、伝統継承の維持を訴えられた。

 次に外交評論家の加瀬英明氏は、まず有識者会議には「皇室を敬う念」のないことを指摘された。有識者会議の「女系天皇の容認」の「容認」という言葉は、国民が皇室の上にいる感覚であり「不遜だ」と厳しく叱責。更に皇室問題は政治の問題ではなく文化の問題であり、歴史・文化問題を扱わずに議論した今回の審議会のあり方を批判された。そしてこの日上梓された三笠宮寛仁殿下の『皇室と日本人』のエピソードを紹介された。殿下は、この時期にこの本を出すことが政治的発言にならないかと慎重であられたが、法曹界を代表する方の意見を聴取されて許可されたことを語られた。

 最後に若手を代表して、ノンフィクション作家の関岡英之氏より、子供たちは日本の建国も初代の神武天皇も全く知らない。しかし神話や日本の国の誕生、歴代の天皇様のことを語ると目を輝かせて聞き入る。日本の国の歴史、天皇様のことを知りたがっている。今の学校教育が教えないのであれば、親が教えなければならないと語られた。

 この後、日本大学教授の百地章氏より大会決議文が朗読され、決議文は自民党の下村博文衆議院議員、民主党の松原仁衆議院議員に手渡された。下村氏、松原氏からは、それぞれ皇室典範の本来あるべき改正へ向けて努力していく旨が語られた。

 最後に、前拓殖大学総長の小田村四郎氏の先導により、皇室の弥栄を祈念して高らかに聖寿万歳が三唱され、二時間に亙った「皇室の伝統を守る一万人大会」は盛会裡に終了した。

 今大会は、主催者はじめ国会議員や何人もの登壇者から大会の盛会さに感動の賛辞が寄せられた。また、我が国の2600年以上続いた皇室の伝統を護持することなくして日本の将来はないとの正鵠を射た言葉と登壇者の決意が語られた、質の高い大会であった。しかし今大会の一番の成果は、この大会が「皇室の伝統を守る国民の会」の設立大会であったことと、この大会を機に皇室制度を検討する「国会議員の会」の設立が進められていくことが決定したことであろう。大会決議に

 《皇位継承問題をはじめ、宮家の存続や拡充、皇族方の教育制度、皇室に課せられる相続税をはじめとする皇室経済の問題、皇室関係法規の不備など、皇室制度にかかわる解決すべき課題は山積している。これらの諸問題を抜本的に検討し、万世一系の皇室を磐石ならしめることこそ、いま国民に課せられた責務である》

と示されたように、私たち国民は戦後60年放置されてきた皇室制度に関わる様々な課題を解決していく責務が残されている。この大会を機に民間及び国会議員がその決意を新たにしたのである。世界に誇る皇室の伝統を守るために、ここに大きな第一歩が踏み出されたことを実感した。  (明)


3・7武道館大会に参加して(千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問記)

2006年03月11日 | 近況報告

 パール博士の顕彰碑見学の後、私たちは遊就館内の食堂に入った。菅原副会長(陸軍士官学校第57期卒)お奨めの海軍カレーを食した。説明書によれば、当カレーは明治41年の海軍割烹術参考書のレシピに基づいて丁寧に復元されたものであるとの由。食には事欠かない現代にあってもその美味な味わいには驚いた。

  食後は、遊就館の書籍販売コーナーに立ち寄った。館内の雰囲気は明るく、書籍コーナーには良書が多く並べられ、人の賑わいもあり、嘗ての遊就館には見られない柔らかさであった。国民が体験してきた真実の歴史に触れる場が少なくなっている今、参観者が遊就館を通して英霊の方々の言葉や真情に触れ、また書籍を通して真実の歴史の世界に触れることができるなら有り難いことである。遊就館が現在及び後世に生きる日本人と、英霊及び日本の真実の歴史とを結ぶ架け橋になることを願って止まない。

  この後、私たち一行(菅原副会長と金澤常任理事を除く五名)は千鳥ヶ淵戦没者墓苑に向かった。靖國神社から内堀通、鍋割坂を経て東門より墓苑に入った。多数の参拝客が次々と訪れる靖國神社とは異なり、楠や欅などが鬱蒼と生い茂り、参拝者を殆ど見かけない閑静な墓苑であった。

  墓苑の中の説明板には、先の大戦における海外主要戦域別戦没者数(昭和12年7月7日以降、軍人軍属及び一般邦人の数)一覧表が掲示されていた。
  総数 2,400,000人
   フィリピン                 518,000人
  中国本土                  465,700人
  中部太平洋                 247,000人
  東部ニューギニア、ビスマーク・ソロモン諸島 246,300人
  中国東北地区(旧満州)           245,400人
  沖縄                    186,500人
  インド・ミャンマー(旧ビルマ)              167,000人
  パプア州(旧西イリアン)           53,000人
  ロシア及び旧ソ連新独立国家諸国(旧ソ連本土) 52,700人
  台湾                      41,900人
  北朝鮮                     34,600人
  インドネシア                  25,400人
  樺太・千島・アリューシャン列島                24,400人
  タイ・マレーシア・シンガポール         21,000人
  硫黄島                         20,100人
  韓国                         18,900人
  ボルネオ島                        18,000人
  ベトナム・ラオス・カンボジア(旧仏印)       12,400人
  モンゴル                           1,700人

 戦没者240万人のうち、軍人・軍属の方々が210万人、戦火で亡くなられた一般邦人が30万人と言われている。現在我が国の防衛の任務に就かれている陸海空自衛隊の方々は約24万人。一概に比較はできないが、その数字と比べるとき如何に多くの方々が国の御楯となって大東亜戦争で亡くなられたか、言葉に尽くせないものがある。

 昨年8月15日日本武道館で開催された「全国戦没者追悼式」には、昭和38年の開催以来初めて戦没者の両親の世代の参列がなかったと言われている。戦没者の両親や妻の方々が激減している現在、遺族の方々にとっても世代を経るごとに戦没者の方々が遠くなっていくことは否めない。しかし先の戦争が国家の総力を尽くし、国民挙げての戦いであったことを思えば、家族の方々だけでなく国民全体が遺族に他ならない。家族や亡くなった方を慕う遺族の気持ちを胸に、国民全てがいつまでも変わりなく戦没者に対して追悼の誠を捧げていかなければと思う。
 この後、多数の供花がそえられた正面奥の六角堂にお参りし、戦没者の方々のご冥福をお祈りした。

 参拝の後、昭和35年3月28日に竣工された昭和天皇の御製碑
  國のため命ささげし人々のことを思へば胸せまりくる
 昨年9月27日に竣工された今上天皇の御製碑
  戦なき世を歩みきて思ひ出ずかの難き日々を生きし人々
を拝誦し、陛下の御心をお偲びしつつ、千鳥ヶ淵戦没者墓苑を後にした。  (勝)


3・7武道館大会に参加して(靖國神社訪問記)

2006年03月10日 | 近況報告

 3月7日(火)15時から東京の武道館で開催される「皇室の伝統を守る一万人大会」に参加した。日本会議福岡の近況報告として武道館大会への参加を3人のリレーで紹介したい。

 日本会議福岡からは、武道館大会に一行6名(菅原副会長、山本理事長、小菅副理事長、金澤常任理事、梶栗事務局長、小野事務局員)と塚田副理事長(武道館で合流)、私(吉村)が参列した。私たち以外にも本会の役員や会員の方々も参加しておられるので、最終的には20名前後であったと思う。私は所用で先に上京していたので、一行6名の方々とは11時35分に靖國神社で合流した。

  これ迄靖國神社には十幾度訪問したことがあった。大鳥居(第一の鳥居)から青銅大鳥居(第二の鳥居)、神門をくぐり、拝殿前で二拝二拍手一拝をし、英霊の御霊への感謝を捧げ、皇室の弥栄と日本国の安泰を祈念して靖國神社を後にしていた。時々遊就館には寄るもののいつも参道を直線的に往復する参拝であった。

  今回は陸軍士官学校(第57期)を卒業された菅原副会長より境内のご案内を戴いた。
 最初に、「幕末の志士ゆかりの練兵館跡」地を紹介された。そこには石碑と標示板だけがあった。練兵館とは神道無念流練兵館のことであり、千葉周作(北辰一刀流)の玄武館、桃井春蔵(鏡新明智流)の士学館とともに『幕末三道場』と言われた道場である。天保9年(1898年)にこの地に移ってより約30年間隆盛を誇った。その間、高杉晋作や桂小五郎(木戸孝允)、品川弥二郎など幕末の志士が多数入門し、厳しい稽古に励んだと言われている。歴史の一齣を教えて戴いた。

  続いて大手水舎で手を洗い、口を漱ぎ、拝殿で参拝した。
 次に拝殿・本殿を右手にしながら「守護憲兵之碑」や旧軍の方々によって献納されている献木などを見て回った。拝殿や本殿の周囲をまわれるとは全く不知であった。「守護憲兵之碑」の説明には「憲兵の任務は監軍護法に存したが、大東亜戦争中は更に占領地の行政には現地民族の独立指導に至誠を尽くした。又昭和二十年三月十日の東京大空襲の戦火が靖國の神域を襲うや神殿を挺身護持したのも憲兵であった」と記されていた。戦後の歴史では憲兵は悪者のイメージでしか伝えられてこなかったが、憲兵の役目も決して小さくはない。憲兵の任務と功績、誇りが記されたこの説明文はもっと多くの人に読まれてほしいものだと思った。

 この後、回遊式の日本庭園を訪れた。靖國神社の中に日本庭園があることを初めて知った。標示板には「靖國神社神池・庭園」と記され、明治時代を代表する名園と解説されていた。正面奥のほうには隠れ滝があり、清楚で美しい庭園だった。池には錦鯉が泳ぎ、風情豊かな景色に、皆で庭園の中を廻った。

 最後に遊就館へ回った。遊就館の前には、昨年(平成17年)6月25日に建立されたパール博士の顕彰碑があった。この顕彰碑は、今から9年前のインド独立50周年にあたる平成9年11月20日に京都霊山護国神社の境内にも建立されている。いずれも陸軍士官学校出身の有志の方々(同台経済懇話会)の努力が大きく、日本国家の恩人であるパール博士の碑の建立はまことに意義深い。碑にはパール博士の次の文が刻まれていた。

  《時が熱狂と偏見とを
   やわらげた暁には 
   また理性が虚偽から 
   その仮面を剥ぎとった暁には 
   その時こそ正義の女神は   
   その秤を平衡に保ちながら 
   過去の賞罰の多くに     
   そのところを変えることを 
   要求するであろう》

 東京裁判における連合国11ヶ国の中でパール博士は唯一の国際法専門の判事であり、昭和21年5月の開廷から23年11月の閉廷まで膨大な史料の調査と分析に従事され、当時の国際法に照らして我が国被告の全員の「無罪判決」を下された。今や博士のこの裁定はや国際法学界の定説と言われており、独り我が国だけが連合国の復讐と虚偽、偏見等に塗れた東京裁判史観に拘束されている。パール博士の記念碑が靖國神社に建立されたことは、アジア解放のために尽くした英霊の方々が祀られた聖地であるだけに天界の博士も喜んでおられることと思われる。しかしその反面、戦後60年を超えながらもなお東京裁判史観から抜け出せない戦後の日本政府及び国民に対し、一日も早く覚醒せよと檄を飛ばされているのではないだろうか。

 博士は、昭和25年10月に二回目の来日をされた時、次のような言葉を残された。

《戦争が犯罪であるというなら、いま朝鮮で戦っている将軍をはじめ、トルーマン、スターリン、李承晩、金日成、毛沢東にいたるまで、戦争犯罪人として裁くべきである。戦争が犯罪でないというなら、なぜ日本とドイツの指導者のみを裁いたのか。勝ったがゆえに正義で、負けたがゆえに罪悪であるというなら、もはやそこには正義も法律も真理もない。力による暴力の優劣だけがすべてを決定する社会に、信頼も平和もあろう筈がない。われわれは何よりもまず、この失われた「法の真理」を奪い返さねばならぬ。

《日本は独立したといっているが、これは独立でも何でもない。しいて独立という言葉を使いたければ、半独立といったらいい。いまだにアメリカから与えられた憲法のもとで、日米安保条約に依存し、東京裁判史観という歪められた自虐史観や、アメリカナイズされたものの見方や考え方が少しも直っていない。日本人よ、日本に帰れ!と私は言いたい。

 博士のこれらの言葉は肝に銘じておきたい。

 靖國神社は、私たち日本人にとって我が国のために尊い生命を捧げられた英霊の方々に感謝の誠を捧げる場であるとともに、英霊の方々を顕彰慰霊していくべき聖地である。英霊の方々の生き方や歴史を学びながら、誇りある日本の歴史を後世に正しく語り継いでいかなければと思っている。  (恭)


軍歌祭・特別攻撃隊慰霊祭のご案内

2006年03月08日 | 行事案内

 3月10日(金)は101年前の日露戦争において、有色人種である日本の25万の陸軍が世界一の大国であった白人社会のロシアの30万の陸軍と満洲(今の中国が占拠して居る東北)の奉天で大会戦を行い、日本が勝ったという世界的な記念すべき日です。戦前は「陸軍記念日」と言う祝祭日でした。
 昨17年は旧陸軍士官の会(偕行会)に本会も共催という形で、「日本の正しい戦争展」「記念講演会」など100周年記念行事をいろいろ行いました。今年も3月10日偕行会の主催で天神の大丸上16階の福岡国際ホールで15時50分から陸上自衛隊第4音楽隊の演奏があり、16時45分より「軍歌祭・懇親会」(ここからは有料1人9,000円、偕行会員の同伴者扱の場合は5,000円となって居ります)が行われます。御希望の方はなるべく偕行会員の同伴者として御参加下さい。

 今年も桜と共に「特別攻撃隊慰霊祭」が各地で行われる季節となりました。

(イ)18年3月30日(木) 東京・靖国神社にて特別攻撃隊戦没者合同慰霊祭が10時30分より受付、12時から13時まで昇殿参拝が行われます。(玉串料2,000円)

(ロ)18年4月6日(木) 都城市都島町旧陸軍墓地にて都城市特別攻撃隊戦没者慰霊祭が9時30分より受付で10時から11時40分まで式典が行われます。

(ハ)18年4月9日(土) 南さつま市(合併により今迄の加世田市含む)万世特攻平和祈念館にて第35回万世特攻慰霊碑慰霊祭が11時より受付、13時から15時まで慰霊祭が行われます。

(ニ)18年5月3日(水) 鹿児島県知覧特攻平和観音堂前にて知覧特攻基地戦没者慰霊祭が11時より受付で13時より行われます。

出席される方、又はお問い合わせは副会長 菅原道之事務所までご連絡下さい。
TEL 092-412-3979  FAX 092-412-3893
メール sugahara@elf.coara.or.jp   (道)


『炭鉱の真実と栄光-朝鮮人強制連行の虚構』の推薦

2006年03月05日 | 図書紹介

 諺に「一犬虚に吠えて万犬実を伝う」とある。一匹の犬がものの影におびえて吠えると他の多くの犬も吠え出す。転じて一人が嘘をつくと、多くの人はそれをよく確かめもしないで事実として語り継いでいくとの謂である。今日歴史教科書にも登場する「朝鮮人強制連行」はその一つである。

 そもそも戦前に「強制連行」という言葉はない。この言葉の初出は昭和40年に出版された朴慶植著の『朝鮮人強制連行の記録』と言われている。平成15年川口外務大臣(当時)は、国会で山谷えり子議員の「強制連行はあったのですか」との質問に対し、「そのような事実はございません。国民徴用令が一時期朝鮮半島に適用されたことがありましたが、それは合法的なものでした。そして大部分が、自由渡航、自由契約でした」と答弁している。即ち、日本政府も強制連行については否定しているのである。

 我が国は昭和13年に国家総動員法が成立し、翌14年に「朝鮮人内地移送計画」が策定された。以後終戦までの約6年間、同計画に基づき、多数の朝鮮人労働者が日本に集団的に渡航した。これを労務動員という。労務動員は形態により自由募集(14年7月~)、斡旋(17年2月~)、徴用(19年9月~20年5月)の三期に分けられるが、いずれも合法的に進められた。国会で議決し国家の法に基づき実施される行為が、どうして今日強制連行のイメージで流布されている人権蹂躙や恐喝、人攫いのような悪逆非道な手段で行なわれるはずがあろうか。もしそれが実行されたならば、連行された被害者の親や家族、地域の住民が黙っているはずはない。逆に朝鮮独立の好機として、民族の誇りと威信をかけて朝鮮人が各地で蜂起し、我が国の朝鮮統治を根底から覆す大事件に発展しているはずである。しかしそのような痕跡は存在しない。

 昭和14年7月から終戦までの約6年間に労務動員で我が国に渡航した者は、66万7千人と記録されている。これだけでも相当な渡航者数である。しかし自由渡航者と言われる人々はそれよりも遥かに多い。労務動員が敷かれる(昭和14年)前に我が国に自分の意思で渡航した者は約80万人、労務動員が敷かれた後も120万人余りの朝鮮人が自由に渡航している。これだけの人々が我が国に渡ってきた背景には、当時朝鮮から見て日本は如何に魅力的であったか、また生活の糧を得る場があったかを証明するものである。もし我が国に辿り着いて、朝鮮人の虐待や迫害、虐殺、強制労働、極端な差別、不当な使役などが行なわれていれば、とても200万人以上の人々が自分の意思で渡航してくることはあり得ない。

 本書(A5版 108頁)は、元炭鉱マンであった著者(佐谷正幸氏)が自らの経験と関係資料を広く渉猟して記したものである。当時、その噂すら耳にしなかった朝鮮人の強制連行、強制労働、虐待、虐殺の話が今日まことしやかに流布され、また戦後の我が国の復興を支えた花形産業であった炭鉱のイメージが「暗い、汚い、危険、きつい」等の最低の産業に貶められたことに、著者を含め当時の炭鉱マンの人々の悲憤が伝わってくる。  

 本書を手にして戴ければ、炭鉱における朝鮮人強制連行の話が如何に歪曲され、捏造されているかが判明する。このような虚構が実話として喧伝され続けることは日韓にとって不幸なことであり、両国の将来に多大な悪影響を及ぼすことは必至である。既にその兆候は顕われ始めている。今は一日も早く真実が多くの人々に解されることを期待したい。
 ご参考までに、本書の「はじめに」と「目次」を掲載する。ご高覧願えれば幸いである。


≪はじめに 

 朝鮮人強制連行については、昭和40年に朝鮮総連の朴慶植氏が著書に書いたことを端を発し、これが次第に蔓延して中学の歴史教科書にまで引用、掲載され、更にこれが虚構であることが判明した後も、平成16年1月の全国大学入試センター試験の世界史で、「日本への強制連行があった」を正解とする問題が出題され、受験生の一人が採点の除外を求める仮処分の命令を申し立て、国会議員団が文部科学省にその不見識を糾弾する事件が起きた。
 一方今、旧産炭地の筑豊地方では、巷の本屋や地方自治体の図書館には、強制連行論作家やその共鳴者による朝鮮人強制連行に関する書籍が溢れ、講演会や記念碑見学会も行われ、新聞やテレビは、これらや強制連行犠牲者追悼のニュースを流し続けている。特に平成12年12月に、在日韓国人のぺ・レソン氏等が飯塚市に納骨式追悼堂「無窮花堂」を建立して以来、新聞は事ある毎に朝鮮人強制連行犠牲者追悼の記事を書きたて、テレビも放映するようになった。又、たまたまこれとほぼ同じ時期の平成12年1月、強制連行論者の武富登巳男、林えいだい両氏の共編で海鳥社より『異郷の炭鉱-三井山野炭鉱強制労働の記録』という極めてセンセーショナルな表題の本が刊行された。
 しかし、戦前は朝鮮人も日本国民であり、自国民に対し、強制連行のような野蛮な行為が果たして行われたであろうか。体制として朝鮮人強制連行がなかったことは、日本政策研究センターの『強制連行はあったのか-朝鮮人・中国人「強制連行」論の虚構』や在日2世から帰化した東京都立大教授・鄭大均著『在日・強制連行の神話』にまとめられており、明らかであり、又元朝鮮総督府警察部長・坪井幸男氏と同地方課長・太子堂経慰氏の対談(正論2003年3月号)でも明らかにされている。更に国の立場としては、平成15年9月、国連における北朝鮮の「800万人強制連行」非難に関し、後に詳述するが川口外務大臣は国会答弁で「強制連行はなかった」と明言している。
 このように、既に体制として強制連行はなく、内地と同じく合法的な戦時労務動員であった事は明白であり、送り出す側の元朝鮮総督府職員も強制連行がなかったことを証言しているが、今度は労務動員を受け入れた筑豊の現場において、果たして強制連行に相当するような受け入れ方をしたのか、強制連行論者がいうような朝鮮人のみを差別する苛酷な強制労働があったのか否か、筑豊で究明し、発信していかなければならない。これは筑豊人に課せられた義務である。
 そこで、先ず内地への労務動員の実態の概要を前記文献『強制連行はあったのか』、『在日・強制連行の神話』、『正論』を中心に整理し、次に筑豊の現場における資料や証言により、朝鮮人の就労状況を究明して行く。
 これまでは、炭鉱に何の寄与もせず、責任も持たない言わば余所者の作家や元教師が朝鮮人強制連行を喧伝し、筑豊と炭鉱を非難してきたが、本稿では戦時中炭鉱で働いた炭鉱マンの証言や炭鉱の資料に基づいて朝鮮人強制連行の虚構を解き明かすものである。特に前述『異郷の炭鉱』については、元三井山野炭鉱マン達の反論の遺稿が見つかったので、これを現場からの証言に加えた。
 この「強制連行」と共に筑豊のイメージを暗くしているのが「炭鉱犠牲者」という言葉であり、あたかも炭鉱が人をあやめる場であるかのように聞こえる。本書はこの2つに光を当て、炭鉱の真実を明らかにせんとするものである。≫

≪目次 
 Ⅰ、戦前、戦中の朝鮮人の内地渡航、就労状況
 Ⅱ、朝鮮人強制連行とは
 Ⅲ、就労先における朝鮮人強制連行の虚構究明
 Ⅳ、飯塚市庄司の納骨堂「無窮花堂」建立の経緯と問題点
 Ⅴ、労務動員者遺骨の処理
 Ⅵ、強制連行論の害毒
 Ⅶ、郷土筑豊のイメージアップのために ≫


ご希望の方は本会までご注文下さい。1冊800円(送料実費)です。  (敏)


FM-MiMiラジオ『日曜討論』番組視聴のお奨め

2006年03月03日 | 日曜討論

 毎週日曜日午前10時から12時30分までFM-MiMi『日曜討論』が生番組で放送されている。主催者は「FM-MiMi 日曜討論番組を支える会」(小菅亥三郎代表世話人)である。
 平成15年8月30日、女性センター・アミカスで本会主催による「『男女共同参画社会を考える』講演会」(講師:伊藤哲夫氏)を開催したことがきっかけで、当時福岡コミュニティ放送㈱の渕上当社長とのご縁が生まれ、同年10月5日より今日まで1回も途切れることなく2年半に亙って放送されてきた。既に番組の回数は120回を超えている。本会も、『日曜討論』の「国益を守り、真実を語り、誠心を尽くす」をモットーに「誇りある国をつくり、活力ある国民を育てる」との目的に賛同し、番組構成のための資料提供や出演者依頼に協力している。

 現在は第20回目のシリーズ(毎シリーズ6回で構成。今回は事情により5回で構成)を迎え、タイトルは「日本の安全保障を考える」である。今シリーズの担当者は、平成16年3月11日に本籍を日本の固有の領土・竹島に移して全国的に注目された濱口和久氏(防衛大学出身/日本政策研究センター研究員)である。今回のシリーズに安全保障が取り上げられたのは、それが我が国の国益を守る最重要の課題に他ならないからである。

  今年2月17日の産經新聞「正論」欄にクライン孝子氏が、「肝心な問題から目をそらす国会論戦」と題して次のような内容を記された。
《 年明け早々、日本にとってまことに嘆かわしく、由々しい事件が相次いだ。
 一つは、ヤマハ発動機が軍事転用可能な高性能無人ヘリコプターを中国に不正輸出し、外為法違反容疑で摘発された事件だ。
 相手には人民解放軍傘下の兵器メーカー「保利科技有限公司」(ポリテク社)も含まれている。しかも、中国側から事実上の工作資金として毎年三千万~五千万円が流れていたことも判明、日本の大手メーカーが、中国の対日工作に協力するという信じ難い事実が浮き彫りになった。
 ついで在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)傘下の「在日本朝鮮人科学技術協会」(科協)に、陸上自衛隊の最新型地対空ミサイルシステムの機密情報が流れていた事件が明らかになり、さらには、大手メーカー「ミツトヨ」による中国やタイ、北朝鮮への核関連機器の不正輸出事件も明るみに出た。
 ところが何ということだろう。日本の国会は、この国の安全保障の根幹に関わる重大な問題には目もくれず、昨年より持ち越された耐震強度偽装問題、年明けとともに強制捜査が始まったライブドア事件、さらには米国産乳牛の再禁輸や防衛施設庁談合事件を「4点セット」として取り上げ、まるで天地がひっくり返らんばかりの大騒ぎをしている。
 
私など、当地ドイツから日本の国会におけるこの空虚な討論風景を眺めていると、いったい日本は、これで二十一世紀を生き抜くことができるのだろうか、もしかすると滅亡の運命をたどるのではないか、と少なからず心配になってくるのである。
   ‥‥(中略)‥‥
 これら一連の国際社会での動きは、日本の能天気な政治の現状とも微妙に重なり合う。実は日本は、自らが知らぬ間に米中の情報戦争に巻き込まれており、その渦中で一種の代理戦争を国内で演じさせられているのではないか。そんな気すらしてくる。
 日本の国の軍備は、予算ベースでも近代化レベルでも世界有数の位置にあり、アジアではトップクラスと聞く。それなのに、こと情報戦の世界では、攻守両面ともに他国に大きく遅れをとっている。まるで目隠しでジャングルを進むような暗然たる状況にある。何とかならないものか。いや、即刻何とか対策を講じなければ、この国の未来はないものと断言していい。

 これは、戦後我が国が軍事を否定的に捉え、自国の安全保障を他国に委ねてきた結果に他ならない。

 『日曜討論』の今シリーズ「日本の安全保障を考える」が、その任の万分の一をも担えるわけではないが、国民の一人としてこの問題を真剣に考え、呼びかけていくことは大切である。今回のシリーズの内容(予定)は、
 2月26日(日) 「竹島問題」 
 3月 5日(日) 「中国の脅威」 
 3月12日(日) 「日本国憲法と自衛隊①」
 3月19日(日) 「日本国憲法と自衛隊②」
 3月26日(日) 「タブーを斬る!『徴兵制等は必要か』」
である。関心や興味を持って戴ける方、ご意見のある方々は是非ご視聴願いたい。      
 ラジオでの聴取(FM 76.8MHz)はラジオ局(福岡市早良区百道)より半径25kmの範囲の方に限られるが、インターネットでは(http://www.fmmimi.com)、放送の時間帯なら国内外どこからでも受信できる。これまで番組へのメールやFAXは、県内は言うに及ばず宮崎、川崎、札幌から、また米国のフロリダからも届いた。同番組ではメールやFAXは随時紹介されるので、視聴に際しては是非ご意見やご感想をお寄せ願いたい。「国益」を論じ、対社会的に寄与できる番組が一つでも多くなることを願って、『日曜討論』番組を視聴し、内容に参加して戴ければ幸いである。  (勝)