翻訳(独→日)してでも読みたい日本語
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻み続けるという事が極めて重要なのはなぜか、この事を若い人々が理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人々の助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか ― これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、より良い人間になったなどと思い上がってはなりません。 道徳に究極の完成はありえません ― いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝され続けるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力が備わっております。ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたて続ける事に腐心しておりました。
若い人達にお願いしたい。
他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人、
これらの人達に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人達は、互いに敵対するのではなく、互いに手をとり合って生きて行くことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこの事を肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
(荒れ野の四十年 ― ヴァイツゼッカー統一ドイツ初代大統領の1985年演説より)
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読みたくない日本語
外交というと、何か特別なもののように感じている人も多いようです。しかし人間が作っているのが国家ですから、国同志の関係も、基本的には人間関係と同じです。
そこで思い出して見て下さい。小学校の頃、子供の間で一番デカイ顔をしていたのは誰でした?喧嘩の強い子だったんでは有りませんか。じゃ教室の中で一目おかれていた子はどんな子でした?そりゃ勉強が出来た子に決まっています。喧嘩の強いのが「番長」、勉強の出来る子は「級長」と呼ばれていたでしょう。
しからば逆に、子供の間で、イジメラレていた子はどんな子でした?喧嘩は弱い、勉強も出来ない、だけど金持ちの子、しかも成金の子供が、一番イジメラレて居たんじゃありませんか。豪華な弁当もっていきゃ食われ、格好の良いシャープペンシルを持って行きゃ取り上げられる。そういう思い出の一つや二つは、皆持っておられるでしょう。こりゃ何も日本だけの事では有りません。世界中似たようなもんです。
そこで、喧嘩が強いのが軍事力。そこでイジメラレッ子は…?というと、やはり日本に成って来るんじゃ有りませんか。先進国首脳会議で唯一の有色人種ですが、サミットメンバーから除かれた事は一度も有りません。
如何でしょう。以上は私が時々例に出す「外交」の本質を考えて欲しい時に話すネタの一つです。勿論アメリカは、現在の地位をより確固たるものにしようとします。 それなら日本はと云えば、これ等の争いを不安げに見つめているイジメラレッ子の位置に存在しているんじゃありませんか。しかし現状を分析して見れば、心情左翼の日本人やマスコミの反米感情に関係なく、アメリカ寄りの基本姿勢を国策とせざるを得ないのが日本なんじゃ有りませんか。隣り席に危なっかしいのが居るとなれば、守ってくれるのは、自力で出来ないので有れば、ケンカの強いのと仲良くするのは、子供でも知っている生活の知恵ではないでしょうか。少々単純化しすぎていますが、「異論」の一つとして参考にして下さい。
(麻生太郎HPより)
恥ずかしいよう。こんな男が次期首相候補とは、世も末である。
われわれ年長者は若者に対し、夢を実現する義務は負っておりません。われわれの義務は率直さであります。心に刻み続けるという事が極めて重要なのはなぜか、この事を若い人々が理解できるよう手助けせねばならないのです。ユートピア的な救済論に逃避したり、道徳的に傲慢不遜になったりすることなく、歴史の真実を冷静かつ公平に見つめることができるよう、若い人々の助力をしたいと考えるのであります。
人間は何をしかねないのか ― これをわれわれは自らの歴史から学びます。でありますから、われわれは今や別種の、より良い人間になったなどと思い上がってはなりません。 道徳に究極の完成はありえません ― いかなる人間にとっても、また、いかなる土地においてもそうであります。われわれは人間として学んでまいりました。これからも人間として危険に曝され続けるでありましょう。しかし、われわれにはこうした危険を繰り返し乗り越えていくだけの力が備わっております。ヒトラーはいつも、偏見と敵意と憎悪とをかきたて続ける事に腐心しておりました。
若い人達にお願いしたい。
他の人々に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。
ロシア人やアメリカ人
ユダヤ人やトルコ人、
オールタナティヴを唱える人びとや保守主義者、
黒人や白人、
これらの人達に対する敵意や憎悪に駆り立てられることのないようにしていただきたい。若い人達は、互いに敵対するのではなく、互いに手をとり合って生きて行くことを学んでいただきたい。民主的に選ばれたわれわれ政治家にもこの事を肝に銘じさせてくれる諸君であってほしい。そして範を示してほしい。
自由を尊重しよう。
平和のために尽力しよう。
公正をよりどころにしよう。
正義については内面の規範に従おう。
今日五月八日にさいし、能うかぎり真実を直視しようではありませんか。
(荒れ野の四十年 ― ヴァイツゼッカー統一ドイツ初代大統領の1985年演説より)
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読みたくない日本語
外交というと、何か特別なもののように感じている人も多いようです。しかし人間が作っているのが国家ですから、国同志の関係も、基本的には人間関係と同じです。
そこで思い出して見て下さい。小学校の頃、子供の間で一番デカイ顔をしていたのは誰でした?喧嘩の強い子だったんでは有りませんか。じゃ教室の中で一目おかれていた子はどんな子でした?そりゃ勉強が出来た子に決まっています。喧嘩の強いのが「番長」、勉強の出来る子は「級長」と呼ばれていたでしょう。
しからば逆に、子供の間で、イジメラレていた子はどんな子でした?喧嘩は弱い、勉強も出来ない、だけど金持ちの子、しかも成金の子供が、一番イジメラレて居たんじゃありませんか。豪華な弁当もっていきゃ食われ、格好の良いシャープペンシルを持って行きゃ取り上げられる。そういう思い出の一つや二つは、皆持っておられるでしょう。こりゃ何も日本だけの事では有りません。世界中似たようなもんです。
そこで、喧嘩が強いのが軍事力。そこでイジメラレッ子は…?というと、やはり日本に成って来るんじゃ有りませんか。先進国首脳会議で唯一の有色人種ですが、サミットメンバーから除かれた事は一度も有りません。
如何でしょう。以上は私が時々例に出す「外交」の本質を考えて欲しい時に話すネタの一つです。勿論アメリカは、現在の地位をより確固たるものにしようとします。 それなら日本はと云えば、これ等の争いを不安げに見つめているイジメラレッ子の位置に存在しているんじゃありませんか。しかし現状を分析して見れば、心情左翼の日本人やマスコミの反米感情に関係なく、アメリカ寄りの基本姿勢を国策とせざるを得ないのが日本なんじゃ有りませんか。隣り席に危なっかしいのが居るとなれば、守ってくれるのは、自力で出来ないので有れば、ケンカの強いのと仲良くするのは、子供でも知っている生活の知恵ではないでしょうか。少々単純化しすぎていますが、「異論」の一つとして参考にして下さい。
(麻生太郎HPより)
恥ずかしいよう。こんな男が次期首相候補とは、世も末である。