聖なる国 日本

ジェロニモの聖地・パワースポットのプログ。

諏訪Ⅳ.1500年前の神代鉾【サナギとは!?】長野県⛩️小野神社

2022-09-29 | 諏訪の道

信濃国二ノ宮【小野神社】長野市塩尻市

ご祭神 建御名方命

創建不明(千五百年前以上)

神代の鉾=古代に失われた『サナギ』という神宝が、保管されている神社⛩️

ご祭神である建御名方命が越の国から諏訪へ向かう途中、諏訪の先住部族『洩矢氏』に行手を阻まれ、暫くこちらの小野に駐屯していた。

この場所は、建御名方命の、元宮・仮宮といったところだろうか?

諏訪では『御柱祭』と言って六年に一度、社殿の周囲に立てている四本の木を新しいもの換える祭りがある。

一の宮の諏訪大社から始め、諏訪※の神社という神社の柱を全て新しいものに替えて、翌年、二の宮である小野神社の御柱を最後に替えて終わる。

※諏訪=諏訪盆地全域の岡谷市、下諏訪町、諏訪市、茅野市、富士見町、原村の6市町村のこと。

諏訪で祭りと言えば御柱の事で、なので神輿を担ぐ祭りが無いのは全国でも諏訪だけの様だ。

長野県の諏訪大社では神宝『サナギの鈴』と言いわれ、

矛の先に付ける鳴り物用の鉄鐸がある。

鉄鐸の形状はドアチャイムと同様で、それぞれ長さが違い異なった音色を出す。

鉾の先にその鉄鐸を付けたものを

通称、サナギ(=矛鐸という。

神代鉾ともいわれる。

バリエーションは幾つかあるが、

基本的な形は、この様になる↓↓↓

鳴り物の他には麻弊が結ばれ、小野神社では七年事の祭祀で一本づつ付けてきた伝承があり、その数を数えた方によると1500年以上前に遡るという。

青銅器文化が残る二千年以上前、元々は鳴り物は小銅鐸だったが、製鉄技術の進歩と共に鉄鐸、鈴へ変化していった様だ。

『天鈿女命の神具サナギ』

古くは【日本神話】天照大神の天岩戸隠れの時に、天鈿女命がサナギを振ったという由緒ある神具だ。

弥生時代の終わりから古墳時代にかけてはまだ神代鉾『サナギ』は残っていたと思われる。

この祭祀は古墳時代から飛鳥時代にかけて(3〜6世紀)、忌部氏から中臣氏へと大和朝廷の祭祀が移っていくと失われてしまった。

かつての小銅鐸だけでなく、青銅器文化の象徴である銅鐸や銅剣も完全に姿を消して、忌部氏の一族の忌部広成を最後に古代祭祀も淘汰されていったが、

諏訪大社には鉄鐸が宝鈴として残っていた様で、比較的新しいところでは武田信玄の書状から、信玄が礼銭を払い誓約や祈願をしていた記録が確認されている。


『小野神社』ではこの社宝を拝観させて貰える。

(社宝館は随時開館している訳でら無いので予め確認が必要☝️)

おそらく日本で唯一、この鉄鐸のついた状態で使用されていた神代鉾が拝観できる。

1500年前以上から実際に使用されてきたサナギ。

明治天皇がサナギを鳴らした時に

「もゆらに取りて、動かせば

今も神代の声ぞ 聞こえる」

と、歌を詠んだそうだが、

本当に天鈿女命(天のうずめ)が神具として

使ったサナギなのかもしれない…(-.-)

通称は「サナギ」で、

神代鉾・『鉄鐸』・御正体とも云う。

諏訪にだけ唯一残されてきた神具だが、鉄鐸の出土遺物だけなら茨城県筑波の男体山からも出土していてる。

周辺には諏訪の地名相似や千鹿頭神との関わりも微かに残るが、諏訪の様に武田信玄の誓約(ウケイ)の書状など、神社の神具としての具体的な証拠が残されている訳では無いのでこちらは神具のサナギでなく、山で修行をしていた修験者が法力を得る為に慣らしていた修験道の呪具として考えられている様だ。

【サナギの使い方】

・鉄鐸を鳴らす祭祀の動作と、

・終わりに左薙ぎの動作がある。

①神降ろし
サナギを垂直に立て、上下に振り
を繰り返す。(4回でワンセット?)

何度か繰り返し終えたら

②サナギを一度右に倒し水平にし静止

③静止後、直ぐにサナギを立て今度は左り側に倒し水平を維持

④その姿勢で矛先を左に向けたまま、左から右へ水平に薙ぎ払う様に(左薙=サナギ)体を旋回させていき、体ごと周って右に一回転させる。

⑤元の位置へ戻ったらサナギを垂直に立て静止、膝をつきサナギを地面に突き立て終わる。

大体、お分かり頂けるかと思うが、

サナギ神事の動作は

左から薙ぐ、つまり『左薙ぎする』ことで終了する。

「サナギ」と呼んでいるのはこの動作が語源かもしれない。

剣道で言えば「水平切り」、一連の所作は水平の切り返しの様な動作だが、

剣道以外では水平切りとは言わず、
何故か水平の動きに対しては、薙ぎ『はらう』という神道用語の様な表現になるのが面白い。

(※最初のサナギを上下させる動作は映画『となりのトトロ』で、トトロが傘を立てに持って上下させ、全身全霊を込めて畑に命のエネルギーを吹き込んでいくシーンと一緒😌宮崎監督の映画は、本当に勉強になります。)

境内には、神事を行なったという禁足地の池の前に、サナギを立てた神鉾石が残る。

神鉾社の祠

🙄

大きく重たい矛鐸(サナギ)を使って舞ったのは天鈿女命の時代だけだが、

鳴り物の形が軽い巫女舞の鈴に変わっても左から右ヘ旋回する型は残る。

【矢作神社】

ご祭神 大己貴命 事代主神

小野神社境内に並び左側に鎮座するが、右の小野神社は塩尻市であるのに、左の矢作神社が辰野町になる。

矢作神社のある辰野町はかつては木曽であり尾張の国や美濃の国に領有が変遷してきた。信濃の国『諏訪盆地』との間の緩衝地帯に祭られる要衝の歴史ある神社だ。

【小野神社の注連縄】

昨日、新たに換えたばかりとのこと。


ちょうど御来光タイムになってきて光輝きだした。

使用してるGoogleピクセルのスマホカメラは、

何のエフェクトもせず✨光の筋がくっきりと写るので面白い😂☝️

☝️但し、御来光のタイミングだけで普通に太陽を撮っても写らない。

季節による射角でも撮れる時が限られてます😌


摂社に、奴奈川姫を祭る『子安神社』発見🤩✨

こちらも御来光タイミングになり、子安神社も輝きだす。

てか、輝きすぎ😳


なんと🌈虹のスペクトルまで😮✨✨✨

こんなのは流石に初めてだ、、😭✨🙏


この場所で、

同じに光に包まれている自分はとても心地よい。😌

✨✨☝️✨☝️✨✨

子安神社の御来光の光の中に

自分も入ってみた⛩️🙏

頭頂部へ光を合わせ✨😂

光遊び🤩ちょっとテンション上がる


翡翠色の光があらわれた

秋分の日に越の国へ奴奈川姫リトリートツアーに行ってから

すっかり奴奈川姫のファンになった😍

当て字でなくちゃんと書こう、、

『渟名川姫』

ぬ(に)=美しい珠の意味。

子安神社には、建御名方命をお産みになられた母神さまとして祭られ安産祈願など御利益があるが、御利益とは関係なしに😅越し国の姫・渟名川姫そのものが好きになった。⛩️🙏✨

また別に越し国の投稿で、詳しく書いてみたい。

聖なる国 日本の渟名川姫さま✨⛩️🙏

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

その他の展示品・・

珍しい室町時代の唐猫(狛犬)

やたら目が大きく、まるで猫バスみたいだ…

(またトトロか🙄)

まだ狛犬が石で作られる前の、木製のもの。

中国春秋時代 紀元前770~403年の編鐘

小銅鐸や鉄鐸の起源と云われている。


八坂刀売命とされるが、かつてこちらにあった八幡宮焼失後の遺物なので

神功皇后ではないかと言われている。

京都 松尾神社の市杵島姫像にも心なしか似てる気がする、、

見事な翡翠の大珠✨

紀元前の縄文時代から弥生時代、そして紀元後の私達が知る歴史の時代まで、小さな時間基地の様に、貴重な遺物がぎゅっと集められ展示されていた。

海の正倉院と呼ばれる沖ノ島の様に、

山を越えてきた部族達が、神宝をこちらに捧げてから諏訪へ入国していたのかもしれない🤔

山の小さな正倉院。

(拝観料300円でした。開館日は限定されてます。予約が必要な場合も)


展示されている宝物はゆうに億単位の価値のあるものだと思います。

(あくまでも個人の感想です)

長野県塩尻市と辰野町の境

小野神社は

上古からの歴史を感じるスポット✨✨✨✨😮


諏訪Ⅲ.約7000年前の【阿久遺跡】と赤トンボ

2022-09-27 | 諏訪の道

🌾秋分の日の連休に長野県の諏訪を周ったが、初の体験と、出会いが面白すぎて😂諏訪について投稿する前にちょっとピックアップしてみた。


⛩️行く先々の神社では出会った方から素晴らしい情報を頂いたり、 

諏訪から糸魚川の『奴奈川神社』に行った時は、出雲から来たという方と出会うなど、神話や人との出会いや繋がりも感じたが、

 

人との出会い以外にも、貴重な出来事を体験させて頂いた🤩✨✨✨

 

 

【赤トンボと出会う😅✨】

前回の投稿でも書いたが、守屋山の奥宮登山のとき赤トンボが現れ、8合目あたりから山頂まで一瞬に登ってくれた。

お礼を言うと、

ナント!

私の肩にとまってくれるという貴重な体験をした。(人生初🎊)

そして

翌日、

この日予定に無かった阿久遺跡という遺跡になんとなく寄ってみた。

何の遺跡かも知らないで行ったが、120mのストーンサークルが発見された6500年から5000年前の縄文前期の遺跡だった

😳そして、、

路上から写真を撮ろうと

スマホを遺跡に向けてると、

「ここですよ」と、言わんばかりに

スマホに、

すっと

赤トンボがとまった。

驚きとゆ〜よりもはや感動🤣

 

「昨日はありがとうございました。今日もサポートありがとうございます🙏」とゆーと、

こくん、とトンボが頷いた。

マジか😳

(もう神の使いか宇宙人のトンボ型ドローンか?など勝手な妄想が😅👽)

なので、更なる意志の疎通を試みる😂

スマホに止まってるトンボにむかって

「出来れば画像に残したいのだけど、そこだと撮れないから、指にとまって貰っていいですか?」

と、頼むと

🤣普通にとまってくれた。

 


人生初🎊トンボが指に!

😳

 

 

トンボは指にとまると聞き子供の頃は、指トンボ☝️何度やってみても駄目だったが、、

こんな日がくるとは、、😭

 

(虫と話すという、ナウシカな体験+😅)

 

そして、トンボが飛びさった方に行くと縄文遺跡の聖地があった。😮

 


遺物は移されて高速中央道の下になり、残ってるこちらにも何も無いが

モニュメントが残されていた。

 

植わったままの木の株に、そのまま削り出されている

 

 

縄文人には、蛙や蛇を描く

『絵文字文化』があるが、
(そんなのあるのか?🙄)

阿久遺跡では、蛇と蛙に出会った。

 

 

蛇はこの鷹の像の下にいた、🐍

本物だったら蛇の天敵なのに😮

建物も順路も何もない、誰もいない空地だが

トンボ→蛙→蛇→鷹と、奇しくも命の連鎖の順に出あえさせて貰えた。 

💫ネイティブ・アトラクション😂

 

子どもの頃は水中で過ごしたトンボや蛙が多いのは、大地が潤ってた証しで、そしてその蛙を食べる蛇もそうであり、

トンボ→蛙→蛇の食物連鎖は、

稲作文化の人々にとっては豊作の象徴だ。

ミミズも土地が肥えて潤っている証拠✨

なので、縄文土器にも紋章としてよく描かれている。

(クリーチャー好きという訳ではないらしい、、😅☝️)

バッタは、蝗害や不作の危機があったという絵文字たろうか、、?

🤔

 

阿久遺跡は120mの巨大ストーンサークルをはじめ、縄文前期(7000年前から5500年前)の常識を覆すような発掘だった。

人っ子一人いなかったが、

命の循環と

心からほっとする穏やかさを感じさせて貰えた場所。

 

ここから諏訪7000年の歴史が始まった聖地だ✨

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

これから、

諏訪7000年の歴史を、7回くらいに分けて投稿していきたいと思う。

一回千年?🙄


諏訪は歴史が深く、色々な関わりが多いので、謎も深くて
ハテナ?がいっぱいすぎる😵‍💫

とりあえずハテナから書いてみます、

(🙄強気だな)

😑↓↓順不同タイトル(仮

 

1.「矛鐸ってなんだ?」失われた神宝の謎 

2.「ミシャグジってなんだ?」失われた湛え神事とトトロの謎

3.「八坂刀売ってどんな姫?」諏訪大社のご祭神建御名方の妃の誕生

4.「銅鐸ってなんだ?」失われた青銅器文化の謎

5.「越の国ってなんだ?」海神族とウガヤフキアエズの謎?!

6.「狩猟民族の洩矢族って?」秦氏も手が出ない古代ユダヤ・シュメールの人々?!

7.「縄文人ってなんだ?」諏訪に残る古代人たちと封印の謎


そして更に加筆できれば😂諏訪を飛び出して番外編まで

+「山の民ってなんだ?」鬼、土蜘蛛、デイダラボッチ、ヒバゴン、トロール、そしてビッグフットと呼ばれた巨人たちの謎

 

これだけの投稿で

【諏訪7000年の歴史】


が綴れるか分からないですが、、書きます😌🙏

 

(🙄なんか張り切ってるけど書けるのか)

 

どうか、 

興味のある方はご覧下さい🙏✨

そして

最後まで読んで下さってありがとうございました🙏✨

 

🥸その後の追記です。

この投稿の後、諏訪の歴史についてあれこれ書きましたが、

ブログに全て書こうとするには長文になり過ぎるので、

本に書く事にしよう、、と、思い。

1年が過ぎ、ようやく書ききれなかった事なども

書籍化した『聖なる国日本』の方に載せ出版にこぎつけました。😌

 

しかし、更に本にも書けなかった事は

YouTubeで配信することに😂

 

どうか書籍の方の『聖なる国日本』も宜しくお願いします🙏

 

 

 


諏訪Ⅱ.偶然でしょうけど『驚いた話し』✨😌

2022-09-25 | 諏訪の道

本日は一日中、諏訪大社付近をあちこち周った。

なかなかお目にかかれなない様な、珍しい事があったので幾つかあげてます🤩☝️


【御柱祭り特別篇】

諏訪大社の御柱祭りは、七年ごと(寅年と申年)に行なわれる。今年は寅年🐯だったが、御時勢で山から豪快に木を落とす「山出し」が中止になった😔

諏訪大社の御柱祭は終わってるが、今は各地域の小宮の御柱祭が始まっていた。

やはり山出しはせず、里引きだけでやるらしく、偶然にもトラックで運ぶところを😳みてしまった。

ある意味、貴重かもしれない🤔

 

二度とない光景であってほしい😑

 


【御頭御社宮司社のドングリ】
諏訪大社の本宮と前宮の間くらいにある守矢資料館の奥に、ミシャグジという古くからの信仰の総社が祭られている。

代々、守矢氏が神長となり世襲され続けられてきた神事。古代狩猟民族の伝統で、鹿などの獲物が奉納される。

 

剥製だけど、ちょと怖い😅

諏訪大社上社・前宮には、75頭の鹿が奉納され一頭だけ特別な矢で屠られ、耳を裂いて奉納するという😱今は実物では無いらしいですが、、


きょわい、😱

右の耳が裂かれてる、、

 

げんなりしてしまい😔

御頭御社宮司社にお参りするのもビビって、社前で憚っていた。

😳すると、カランッと響きのいい音で目の前の階段にドングリが落ちてきた。🌰

「ぬ?!」😅ちょっと驚く

なんか、映画であったやつみたい😂☝️

と、今度は、カッ!カッ…カッ!カッ!

と、何発か連発で落ちてきて、

マジか😂😂😂

 

となりのトトロメイがドングリにつられて森の中に入って行った様に、

ドングリを目で追いながら、あまりに不思議なので境内の中まではいってしまった😅

人生初となる、メイの体験をした😂

 

導かれたようで、

⛩️🙏✨結局、お参りさせて頂きました。

 

『ミシャク神』と書かれていた。

みみ・サク?!😱

 

しかし、ドングリって自然に落ちる時はこんな感じで実に包まれてるみたいで、誰かが威勢よく落とさないと普通はカッ、カッ!とは落ちてこない、、😳

偶然にしても、不思議だ、💦

誰か落としたのかな🤔

(誰が?🙄)

 


【守屋山奥宮の赤トンボ】
諏訪大社の神体山と言われる守屋山🏕

守屋山頂の奥宮にお参りする為、1651mの登山をした。

立石コースは、登山口まで車でけっこう上まで行けるが、


それでも1時間半近い登山😵‍💫

(🙄龍みたいな雲やな、、)

 

8合目付近まで来ると流石に痺れる、、

トンボがやたら飛んでいて、目立つ赤いトンボが、

まるで導く様に、

ちょっと先をヒュンヒュンと飛んでくれている。

面白くなってきて😂暫く、疲れも感じず人生初のトンボと登山🤣☝️

お礼をいうと、近くまで飛んできて

ナント!私の肩にとまった😳

人生初🎊トンボが肩ににとまる😂

頂上に着くと山頂碑の前で「ご苦労さま」と言わンばかりに待っててくれた。

(🙄偶然やろ)

 

【子安神社】
ご祭神 奴奈川姫

先日、新潟県糸魚川市の奴奈川神社までお参りに行ってきたが、

諏訪大社上社・前宮で、奴奈川姫様を祭る子安神社を発見⛩️😍

 

ベストタイムだった様で、陽の光が心地よかった✨

 

 

やっぱり神社は落ち着く😌タイミングに感謝✨🙏

 

(諏訪大社も、神社だが😅)

 

【立石公園からの諏訪湖】
映画「君の名は」の、湖を見下ろすシーンのモデルとも言われている😌

立石公園からの展望✨

今日は不思議な雲だった。

 

 

 

ちょうど下の方で御柱の建てをやっていたらしく、掛け声が一帯に響き渡ると、どよどよと形が変わっていった😳

 

今日も、何気に不思議な日だった。😌

 

【藤森栄一】

最後に、一番驚かされたこと😳☝️

諏訪大社前の『諏訪博物館』に考古学者の

故・藤森栄一さんコーナーがあった。が、

少年のころの藤森さんが、

 

✨眉目秀麗すぎて🤩驚いた!!

 

大正時代?

 

なんと😍美少年な、

これが、こんなオッサンになってしまうとは、😂

 

(耳をすませばのお父さんぢゃないよ😅)

 

それにしても、、

背後の山々の風景はもののけ姫の最初のシーンに似てる。

 

宮崎駿監督は藤森栄一さんの影響を受けていた様だ、、

(すると少年の藤森さんはトトロに出てくるカンタか?😂)

というより私自身が、諏訪七千年の歴史を知るほどに宮崎駿監督と藤森栄一さんの世界にぐいぐい惹き込まれている😌

 

最後まで、

読んで下さってありがとうございます🙏✨

 

 


諏訪Ⅰ.越の国『奴奈川姫』諏訪入りルート🌾秋分の日弾丸ツアー

2022-09-24 | 諏訪の道

諏訪大社に祭られる建御名方命と、
母・奴奈川姫が、越の国(新潟県糸魚川市)から諏訪までやってきたルートを巡ってみた。

諏訪から糸魚川までのワンデーリトリートツアー🚐

 

島根県の出雲市、新潟県の糸魚川市・長野県の諏訪市は、日本神話にちなみ、神話のかみがたりネットワークを結んでいる☝️

 

 

『日本神話』
出雲国(島根県)の大国主命が遠く
越の国(新潟県)の奴奈川姫にまで妻問いをし、建御名方命(タケミナカタ)が生まれた。

『出雲の国譲り』で、出雲は侵攻してきた天孫族に帰順する。

大国主が逃げた後、建御名方命は最後まで戦った。

しかし、天孫族のタケミカヅチに敗れてしまう。

建御名方命は、越の国の母・奴奈川姫と奥信濃を抜けて信濃国の
諏訪まで逃げてきた。

 

1.御座石神社

鹿に乗って諏訪入りしてきた奴奈川姫はこちらに居住したという。


「どぶろく祭り」が有名で、出雲大社と同じ火切りの臼で火を起こし振舞う。

 


諏訪入りした時の鹿の足跡が残るという石。

 

 

 

2.洩矢神社と藤島神社

洩矢神社

 

藤島神社(小さい😳)

 

建御名方命らが諏訪入りした時、先住氏族の洩矢氏に阻まれ天竜川を挟んで対峙した。

洩矢氏は、鉄鐶を使い
建御名方は、藤の蔓で
一騎討ちをして建御名方が勝った。

その時挿した藤が育って、藤島神社が祭られた。

川を挟んで対岸には洩矢神社が鎮座する。

 

 

3.南方御社宮司社
タケミナカタでなく🙄ミナカタ?

諏訪の謎。諏訪の神社は諏訪大社の様に社殿の周りに四本の柱が立てられている。

ある方が意味深な事を教えてくれた。
「神社の周りを四本の御柱で囲っているが、順に辿って中心を探せば本殿の位置が分かる」という、、😳

という事は、本当に祭ってる場所が違う場合もあるってこと?!

それに従えば、南方御社宮司社の中心はこっちになる😮

なんと、、榊が😳☝️

 

 

4.諏訪大社
ご祭神 建御名方命
洩矢氏との一騎討ちに勝って、諏訪入りしたタケミナカタは諏訪大社上社の大祝となった。

諏訪大社拝殿の下に立てられている『一の御柱』の後ろの沓石の、更に後には「天の逆鉾」と言われる九州からきた石剣が祭られている。

 

何故か、良く見ないと分からなほど、ひっそりと祭られている。

 

 

 

5.松本考古館
塩尻峠より北、松本平

珍しい顔面土版

 

 

千鹿頭神社
ご祭神 建御名方命

諏訪からの、勧請らしい

 

が元々は「服神社」といってご祭神は不明?🤔

 

 

6.穂高神社
安曇平にる。海の神・綿津見神⛩️

豊玉姫を祭る

 

九州の安曇氏の始祖・安曇磯良も祭られている。

 

更に北へ、姫川沿いを日本海に向かって下る。姫川は、奴奈川姫が由来。

 

7.白馬村 青鬼神社

善い鬼の名が残る。

 

青い目をした鬼だろうか、、


ここで姫川沿いから外れて、険しいカーブが続く山道を1時間半🚐戸隠を抜け、

 

8.野尻湖ナウマンゾウ博物館へ向かう

 

ちょっと後悔😅


青鬼の里からは、日本海側の糸魚川市までは140㌔

 

9.長者ケ原考古館

翡翠の出土品。翡翠は糸魚川で採れる。硬いので石器時代・縄文時代は石剣や石斤を加工する道具に使われた。

 

『玉の姫』とも言われた奴奈川姫の一族だけが、糸魚川の硬い翡翠を加工する事ができて宝玉や勾玉を作った。


奴奈川姫らが諏訪に移った後、古墳時代になると翡翠は加工をされなくなり、産出さえも忘れ去られていった。

 

10.奴奈川姫の産所(お生まれになった所)

割と山奥です😵

 

11.弁天島
ついに日本海側へ抜けた🚐

 

12.対岸の白山神社では
大国主命と奴奈川姫が祭られる。

 

13.奴奈川神社

同じ名前の神社がもう⛩️ひとつある。

 

 

14.奴奈川姫と建御名方命の像

 

糸魚川駅前の奴奈川姫の像 

ちなみに、糸魚川市には糸魚川という川はありません😅奴奈川姫にちなんだ、姫川とヌナ川があるだけです。

糸魚川市の謎😑

 

15.奴奈川姫神社
こちらは天津神社と合祀されてる。

最後の奴奈川神社⛩️

 

 

奴奈川姫のルートを行く旅GOLL🌈🎊

長かった、、😵

 

雨☔も振ってて、夕方で参拝客はいなかったが、

ほぼ同着で、隣りに車を停め、
お参りした方が一人だけいた。まるで一緒に来たみたいじゃないか🤣

私の様に、一人弾丸ツアーをしてる方がいるとは、、😂


そしてナント!その方は

出雲から来たという、😳😳😳


ここが最後でこれから帰るとの事、、

(本当遠かったべな😳)

 

彼が
出雲から糸魚川へ

私が
諏訪から糸魚川へ

神話のルートを巡り、まるで示し合わせた様にGOLL🤩

 

疲れたけど、最後に

 

なかなか印象深い秋分の日🌾になった。🤣🤣


さぁ、

帰ろう

新潟県糸魚川市能生 

雨が少し上がり薄っすらとした日本海の夕陽

 

最後まで読んで下さってありがとうございます🙏✨

 

 

△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

😌ちょっとした重大発表を、、🙏

(日本語おかしいな🙄)


最近、あちこち周っても

ブログに投稿しきれない所がだんだん溜まってきて、

(😂周りすぎ)

加筆してどんどん長文になっていくしで、、😔🙏

(大体読むのに15分くらいかかる😅)

もう、ブログは無理かな、、🤔

と、思いまして

この『聖なる国✨日本』

というブログで

書ききれなかった事など、まとめて

来年、2023年9月23日

秋分の日に

思いきって出版することにしました。

と言っても

電子書籍で自費出版ですが、

内容的にもマニアックなことなどなど、、自粛もせず自由に書いてみたいと思います🤩☝️

あちこち周ってると本当に怖い思いをしたこともあり、これは流石にブログに書けないな😱とゆう体験なども

思いきって書いてしまいたい👽
(考察も長いですが、、)まだ

どんな本になるか分からないですが、


普段暮らしていて、感じることのない日本の奥行きを綴れたらと思います。

この私の長めのブログも、読んで頂いてありがとうございます🙏✨

 

『聖なる国✨日本』


2023年9月23日に向けて出発🛸🛸


秋分の日🌾諏訪へ

2022-09-22 | 諏訪の道

明日は、秋分の日🌾

例によって連休を利用した弾丸ツアーに行ってくる🚀🚀

今年🌸春分の日には、出雲大社と伊勢神宮の同日参拝をしたが、

今回🌾秋分の日は諏訪中心。

神社やパワースポットというより、主にミシャグチという古代信仰を巡る旅🛸

前回、諏訪の井戸尻・尖石縄文遺跡を周ったときは、そのまま北へ新潟をすっ飛ばして山形県『出羽の国』まで行ってきた。

国宝【縄文の女神】山形県立博物館

 

 

文政4年【日本サーフィン発祥の地】
山形県湯野浜の夕日

 

明日は先ず、諏訪から日本海側の新潟県糸魚川市に出て、諏訪大社に祭られている建御名方と奴奈川姫が、糸魚川から諏訪入りしたルートを巡る予定。

 

新潟県糸魚川市【奴奈川姫】


諏訪学もよく分からない私には、
諏訪はハードルが高い、、😑

 

諏訪大社春宮

 

今まであまり触れてこなかったが、

『聖なる国✨日本』というブログタイトルどおり日本を紹介するならば

諏訪はなんとしても避けて通ることは出来ない☝️

 

😔諏訪は歴史が深く諏訪を語らずして日本は語れない、、

が、歴史が深すぎてハードルは高い

今までに無い相当なチャレンジ😱

 

 

私はファルシズムという考え方は好きではないが、

(😔見たまんまに偏ってる感じで)

尖石縄文考古館で初めてこの石棒の出土品を見たとき、😳↓↓

一瞬!世界最古の遺跡12000年前の

ギョベクリ・テペの模型展示かと思い驚かされた😅、

しかし、そうではなく

五千年前の諏訪盆地の尖石縄文遺跡からの出土品です。↓↓

 

尖石縄文遺跡の出土品と似てるのは、

正確にはキョべクリテペから30 km 離れた

カラハンテペの方↓↓↓

 

近年発掘が進むトルコの世界最古のカラハンテペ遺跡。

縄文遺跡じゃないよ☝️😂

 

諏訪は歴史も深いが、

もしかすると謎も相当深そうだ、、

 

フットワークだけは良いので、三連休でぜんぶ周ってみる💦🛸🛸🛸

↓↓↓

 

松本市 考古博物館
安曇市 穂高神社
北安曇 青鬼神社
野尻湖 ナウマンゾウ博物館
糸魚川 奴奈川神社・長者ケ原考古館・産所
上田市 生島足島神社
岡谷市 洩矢神社、藤島神社、スクモ塚
塩尻市 小野神社(鉄鐸)、
石神、御社宮寺、弥彦神社、畑中遺跡、伊那考古館、

諏訪博物館、諏訪中洲神宮寺、御作田社、諏訪大社春宮、諏訪大社秋宮、
綿の湯(八坂刀姫のコットン化粧水)

小海町松原諏方社、御射山、御射山遺跡、御射山社、諏訪大社本宮、守矢資料館、

御頭御社宮司総社、達屋社、守屋山奥宮、山ノ上神社、諏訪大社前宮、四賀普門寺、小袋石、

御座石神社塚原鎮守神社、千鹿頭神社、矢剥神社、

精進屋 (折橋子之社)、原村 阿久遺跡 、、🙄

ぜんぶ😅周れるだろうか、、

 

ちょっと前まで全国の⛩️スサノオ様を周っていたが、いつの間にか諏訪巡りが始まってる、、




スサノオ→❣️→ゲリーボーネル→富士見町→宮崎駿→→藤森栄一→ミシャグチと、何だか導かれる様に気がつけば諏訪にハマりだしている✨(変な繋がり方🙄)


(正直)、、😑ちょっと怖いです、、


が、日本をもっとよく知りたい😍

気持ちが、49対51で怖さを上回り諏訪にひきこまれる。

 

長野県諏訪盆地周辺には、

謎の『み』〜さんがいっぱいで

ミシャグチ(御社宮神)
みみず(蚯蚓)
ミズチ(咬耗)
みつは
みさく
御射山
御名方、、

(アニメ映画イッコ混ざってる🙄)

 


蚯蚓神社(みみず神社)日本で唯一、みみずを祭っている


ミミズかヘビか?謎の軟体動物的クリーチャーの紋様😮

井戸尻考古館 蛙文・ミズチ文深鉢

 

素破こそ!いざ諏訪へ 🚐=3


日本大昔ばなし①【建御名方と出雲物語】諏訪大祝へ

2022-09-12 | 諏訪の道

【日本大昔ばなし】

今回は、スポットの紹介ではなく、

諏訪大社に祭られる建御名方の一説の紹介です。(文章多め😅🙏)

前回の投稿で、ミシャグジと諏訪大社の習合について少し触れましたが、今回はそれ以前のお話し😌

興味のある方はご覧下さい🙏✨

【出雲連邦王国】

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム

国造り秘話【建御名方のヒストリー】

出雲最後の王・建御名方命

父は『出雲国』の大国主、
母は『越の国』の奴奈川姫、

この二人の結婚は、勢いを強めていた天孫族の勢力に備える為、越・出雲両国の同盟から始まった。

越の国と出雲国で、婚姻による合併策が行われ、互いの王と姫を結婚させ生まれた子・ミホススミ姫を女王とした。

そして、弟の建御名方命は皇太子となり次期大国主となる為、出雲にいた。

(前回の投稿でも書きましたが建御名方は実名かは分かりません)

ミホススミ姫は、互いの勢力境界

島根半島(ミホの岬)から
能登半島(ススの岬)まで、

越の国と出雲国を結ぶエリアの国母となり、新体制での国造りが行なわれていった。





石川県能登半島(ススの岬)

この婚姻合併策が成功したことにより日本海エリアに長大な

出雲連邦王国=

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム が誕生する。


(英語にするとカッコいいな🙄)

出雲連邦大国の盟主を、「大国主」という。

出雲は、建国当初より新羅からの国引きや和国九州勢との婚姻合併など、様々な他部族と結ぶことで礎を築いてきた国だ。

敵対的な他部族の国にまで、大国主は妻問いをし婚姻政策を進めていった。

なので、大国主には沢山の政略結婚の王妃がいた😌

特に九州の海の部族・宗像氏からは田切姫・湍津姫と姉妹二人も娶っていて繋がりは強かった。

 

福岡県宗像市 宗像大社 【ご祭神】田切姫・多岐津姫・市杵島姫

田切姫とは、スサノオ正妃の血統であった稲田姫の嫡流を途切ったということかもしれない。🤔

(🙄ないと思います)しかし、

大国主の代には稲田姫系から出雲の軸は移った。

そして最終的に、越の国との政略結婚による


別系統

『奴奈川姫ーミホススミ姫』の血統による新体制が出来上がり、出雲連邦国の盟主に君臨した。

、、奴奈川姫と大国主の政略結婚は外部に対してだけでなく、内部に対しても重要な意味を持っていたと思われる。

富山県【気多神社】越中の国一宮 ご神神 大国主命(大己貴)・奴奈川姫

【出雲の国の内訌】
出雲は隣国の『因幡の国』(鳥取県東部)とも婚姻合併を行い、
因幡の白ウサギこと八上姫を娶っていた。


伯耆国の(鳥取県西部)スセリヒメは、スサノオと櫛稲田姫の娘で大国主の正妃だった。正統なプリンセスでありクイーンである🫅

隣の因幡の国(鳥取県東部)の八上姫は他部族であり、出雲に入り後継を狙うことをスセリ姫側の勢力は許せず、伯耆と因幡に内訌を生んでいた。

一般的に「スセリヒメは嫉妬深かった」と現代ロマン風に解釈され、感情的な対立とされているが、実際はそれ以上に根が深い政治的な対立だった。

この二つの勢力を抑えたのは、


北陸の強国・奴奈川姫勢力との婚姻合併で、

この強力なパートナーの存在により、内部勢力の対立は沈黙させられた。

かくして

スセリ姫八上姫の子が次期・大国主になることは無くなり


奴奈川姫の子タケミナカタが大国主となり、

奴奈川姫の娘ミホススミ姫は、両勢力を挟み込むように能登半島と島根半島に君臨した。

(実際は美穂姫とススミ姫という二人の人物がいたのかもしれないないが🤔)

連綿と続けられてきた出雲の婚姻政策による

出雲連邦王国=

グレートイズモ・ユナイテッド・キングダム

の『国造り』はこれでクライマックスを迎えた。

しかし、連邦国であるが故に越の国側との間に亀裂が入ることもあり、一枚岩とはゆかなかった。

大国主こと父・オオナムチの下で大将軍の如く、

事あらば兵を出し、婚姻政策で繋いだ日本海沿岸の国々をまとめる為の軍事を建御名方は一身に捧げていた。次期出雲王(次期大国主)として、戦えぬ戦さも戦い抜いた。平時においては、出雲のミホの岬から、能登のススミの岬まで船を出し、越の国まで武威を布武し、治安を維持に努め国がためを続けた。

それ程にまだ、新しい出雲連邦大国は纏まってはいなかった。

そして、遂に

西から天孫族(後のヤマト朝廷)が侵攻してきた。

出雲勢は帰順することになる。

この時、出雲系でまだ大国主の位にあったオオナムチは天孫族とは戦わず逃げることを決めた。そして、息子の建御名方に地位を譲り、

「降伏するかは、建御名方に任せる」と言い残し、

船で息子の事代主と逃げ去っていった。

静岡の三保へ妻と共に降臨した。静岡の伊豆も出雲が語源と云われる)



静岡県 御穂神社【御祭神】 大己貴命(大国主命) 三穗津姫命

羽車に乗りお二人が降臨してきたので、日本最古の新婚旅行と云われているらしいが、、😑 (ていうよりカケオチ😳☝️)

△前々回の投稿で、弥生時代に稲作が行なわれていた事が発見された、静岡の弥生遺跡『登呂遺跡』について書いたが、静岡へ稲作文化をもたらした弥生人が流入したのと、大国主と美穂津姫が静岡へやってきたのはほぼ時期的にも重なる気がする。

静岡市登呂遺跡

【戦う建御名方命】

大国主の地位にいた父・オオナムチは戦わず逃げたが、

後を任された越の国系の建御名方命だけは、最後まで天孫族に抵抗した。

しかし、天孫族の将軍・武甕槌命に敗れてしまう。

かくして天孫族は出雲勢を祭政合併して、天孫族が政治の実権を握り、出雲側には出雲大社に祭祀を司らせる形で民衆を取り込み、皆、天孫族勢力に帰順した。

敗れた建御名方命は、仕方なく越国の母・奴奈川姫と共に川を遡り、山深い信州へと逃げていった。

奴奈川姫の一族がいた日本海沿岸の北陸地方(富山県・新潟県境)は、信州への塩の提供地でありもともと縁故があったと思われる。

しかし、諏訪まできて進軍できなくなってしまう。

諏訪側の先住部族・洩矢氏の勢力に諏訪入りを阻まれ、

建御名方命は暫く北小野(塩尻市)で駐屯していた。

その後、天竜川を挟んで両陣営は対峙し何度か戦っても決着がつかず、洩矢氏側は、武居恵美寿、横内佐口らが戦死したという。

建御名方側は、出雲連邦の残党を引き連れていて出雲氏族単独ではない。

寧ろ出雲族らは天孫族に帰服し、出雲連邦が解体され行き場を失った氏族らが行動を共にし、出雲大物主系の外戚氏族や、三輪氏、鴨氏の残党らが従っていた。

これ以上、人々の首長として互いの兵を犠牲にすることは出来ず、

建御名方と洩矢氏側とで一騎討ちをし決着をつけることになった。

  ⚔️

建御名方は藤の蔓を使い、洩矢側は鉄輪を得物に使い戦った。

洩矢氏側が負け、建御名方はついに諏訪に入りした。

狩猟部族の先住部族であった洩矢族(守矢一族)を、祭政合併して
建御名方命が諏訪の大王(大祝)となった。

△母・奴奈川姫は、鹿に乗って諏訪入りしてきたという、、。

もしかすると、奴奈川姫の一族は元々の越の国(新潟)の土着勢力ではなく、

九州の志賀島に『鹿の角』を奉納していた部族とも関わりがあったのではないだろうか。

天孫族がまだ大和朝廷を開く前の事で、天孫族にとっての東方とは狩猟民族など異民族が住む異国の地であり、建御名方が強行し諏訪に入ったという事は

『逃げた』というよりも、実質的な追放だったのかもしれない。諏訪に入った以上、二度と天孫族の土地に戻ることはなかった。

諏訪大社【上社本宮】建御名方命 

戦いの連続だった、出雲連邦王国最後の王・建御名方命の物語はここで終わった。

母の国である越の国の民、天孫族の支配下で部民となり隷属することから逃げて来た人々、最後まで建御名方命を慕い運命を共にした将軍達を諏訪入りさせ

そして犠牲になった悼むべき人々、全てに「最後は責任をとる」と言い

諏訪大祝となって最後をむかえた。

また別の投稿で詳しく、

奴奈川姫と【蛇と鹿】について書いていく・・・

(つもり😅)

書き切れれば、九州とユダヤの起源まで😌


今月は連休があるので、暫く諏訪地方に滞在してあちこち回ってから書いてみる。

数日滞在しただけで古代諏訪の歴史は深く、知りようもないと思うが、、

できる限り深堀りしてみたい、、😌

聖なる国 日本に✨
不思議な歴史がいっぱい✨😮☝️


ミシャグジの謎【大先神社】長野県 樋の底村跡地

2022-09-08 | 古代ミステリー

【大先神社】
長野県富士見町『稗の底村』跡地にある。

稗の底村は戦国時代まで小集落ながら存続していたが、寒さが酷く住人は隣の乙事村と立沢村に移っていったという。冷えの底村?🤔

火の底村とも。(諏訪盆地から北、佐久穂方面には『稗の口村』もある😮)

用水路沿いの道をいく


途中、沢を渡ると稗の底村・跡地碑がある。

私はテレビも YouTube も見なくなって知らなかったのだが、

富士見町出身の方に聞いたところによると、都市伝説でこちらの大先神社が紹介されていたらしい。

知る人ぞ知るパワースポット、😮



鳥居はなく幡立の石柱が二柱左手にあり、その奥に小さな石段が続く、



社殿はなく、巨石と祠があるだけ。

こ、ここは、😳

神社というより、、まるで

ミシャグジの依り代の様だ😮


ミシャグジは諏訪地方を中心にひっそりと広がり今も残る、遥か古代の信仰だ。

ミシャグジ信仰は岩や木、石棒を依り代としている様で、

石棒が5000年程前の出土品である為

その起源は、5000年前に栄えた縄文中期にまで遡って考えられる事が多い。


沖縄の聖地『御嶽』の様に古木の前に石を配するスタイルは、ミシャグジと同じ。

ジブリ映画【もののけ姫】に登場するアシタカが運ばれた聖地シシガミの池にも、古木のまえに岩がある。

木を伝わり降りてきて岩に宿る、、というのが、渡来人が来る以前の、日本の原始からの依り代スタイルかもしれない🤔

(*_* 顔らしきものが彫られている。


元々、八ヶ岳山麓にある諏訪盆地は巨石が多く、八ヶ岳噴火で飛んできた岩も多い。

噴火前は、富士山より八ヶ岳の方が高かったが、日本最高峰だったその頃の八ヶ岳の残骸だ。

13世紀の史書に

硯石 沓石
蛙石 小袋石
亀石 兒玉石
御座石

諏訪七石とあり

失われた諏訪大社の神事の1つ、『たたえ神事』が行われていたのではないかといわれている。


しかし、諏訪七石にしろ、


こちらの大先神社の巨石にしろ、神社というよりもミシャグジ感が漂う。

よく見ると、顔の上に剣の様な形が掘られている。😮


ミシャグジの神具は上に小刀子が水平に刺さっているが、

(或はミシャグジそのものとも言う)

これだとまるで上に剣が生えてる様だ、、😳

謎、、😑

不思議過ぎる。そして

ちょと怖い・・・😅

しかし、

ここはもしかするとミシャグジではなく、

もっと神聖なスポットなのかもしれない✨🤔

ミシャグジの様な、降ろしたり上げたりするのではなく

石に彫られた顔の上の矢印の様に、

と繋がる場所、、😳

何より、

ミシャグジや諏訪大社の様な四本の柱が立っていない。

四本の柱は、春夏秋冬に対応しそれぞれ太さや長さが違い、季節ごとに真ん中に祭られている石や祠に影陽があたる様に配されている重要なものだ。

主祭神が、女神の場合は四本の御柱は立てないというが、、🤔

男性的な猛々しさは感じられない。(女性の神様には鳥居を立てるそうなので多分?10月には鳥居が立ってるのでしょう⛩️今年は7年に1度の御柱祭✨)

季節神事の必要性があった農耕民族ではない、

何かの聖地だったのだろうか、、😳


本当に宇宙と繋がるとか、UFOでも降りてきそうな雰囲気だ👽🛸

かつては石段の上のウテナ(高台)には特別な人しか上がれなかったのだろう、🤔

異聞では

本当は『稗の底村』ではなく、日栄え村であり

かつて栄えていた中心地だったが、

廃村『稗の底村』として隠したとも。

ミシャグジを司る神長には、黒魔術的な呪術もあり

神灰を撒くと土地に災いが起きたという、、😮

もしや稗の底村に人が住めなくなったのも、、?!と

あらぬ事を勘繰ってしまうほど、他とは違う場所に感じる。

ミシャグジの雰囲気の違いを感じ、

かえって理解が深まった気がする😌

では、ミシャグジとは一体何なんだ?!


△▼△▼△▼△▼△▼△▼△▼△

ミシャグジとはトトロだ!

と、一言で言ってしまえればいいのですが、長くなるので少しだけミシャグジを加筆します😌興味がある方はご覧下さい🙏



(少しじゃないと思う🙄)



【古代信仰ミシャグジの謎】

かつて稗の底村には山神社(大山祇命を祭る)もあったようで、諏訪大社と同様「前社」があったので、この辺りにも地域のミシャグジがあったのかもしれない。

前宮とは弥生人の祭る神社に対し、それ以前からの祭祀場があった場所のことをさしていう。

人が住まない廃村になって500年経っても、今も大切に残されてる事からも重要な場所であったことが伺える。

通常、神社の本宮に対して

元宮、奥宮、など元々祀られていた神社が存在するが、

『前宮』という名称は諏訪独特だ。

社殿はなく、古代信仰ミシャグジの聖地が、弥生人の神道の神と習合した諏訪大社になった時に『前宮』と呼ばれる宮になった様だ、、🤔

出雲の国譲りで、天孫族に敗れた建御名方命が諏訪まで逃げてきて、元々諏訪にあったミシャグジと習合した。

諏訪には、狩猟民族の先住部族『洩矢氏』がミシャグジを司っていたが、

建御名方命は大祝となり、諏訪大社上社本宮に祭られ

ミシャグジの祭祀場が諏訪大社上社前宮となった。

諏訪大社下社『春宮』と諏訪大社下社『秋宮』は農耕民族の祭祀だが、

ミシャグジの季節神事にも対応していると思われ、

日本神道の神社となることで、そのまま神事だけを残した。

ちなみに『前宮』の神事は冬に対応している。

季節神事は弥生人の農耕文化に、ミシャグジが見事にマウントされた様な神事だ。

少なくとも農耕文化の神とか、狩猟文化の神とかでは

言い切れない、何か得体の知れなさを感じる、😑

ミシャグジは漢字で書くと

御社宮司、
御社宮神、
御佐口など
当て字が地方ごとに多数あり、200種類以上あるという。

漢字文化が伝来するずっと以前の古い信仰なので、元々の漢字の意味を考えても意味が無いが、かつては漢字の意味で答えを出そうとした「石神論争」などもあった。

ミシャグジ=御社宮神は、

神仏との習合で生まれた比較的新しい(といっても千年以上前だが)漢字表記で今に続くミシャグジの公式表現っぽく思える。

(室町時代の史書には、御佐口神と😌)

大和朝廷が日本を統一し、神道や仏教が広がる中でも、諏訪地方を中心に『ミシャグジ』という石棒や巨石を依り代にした古代信仰は根強く存在していた。


ミシャグジとは、

人・岩・木を依り代に降ろされたり上げられたりする得体の知れない何かだ。👽

人・木・岩は、その入れものにすぎない。


神道であれば『○○坐す○○神社』と御神名高らかに祭られ、必要があり封印する場合でさえ違う神の名で祭る。

ミシャグジはミシャグジであり、
果たして神名なのか
固有名詞なのかさえも分からない。

降ろす依り代になる、人・岩・木のことも
「ミシャグジ」と呼んでいる様なので、とりあえずまずその体で理解していくことにした。


大国主も人名ではなく大いなる国を建てる国主のことであり、
初代・大国主がスサノオで、
二代・大国主が大己貴命だが、

諏訪大社に祭られている大国主の子・建御名方も神名かどうかは分からない。

そのまま読めば建御名方=

『建国者の御名を持つお方』

という意味で、親方、賄方、勘定方など役割の呼称の類いと変わらない。

確かに、建御名方とその子らは佐久地方に農耕を拓いた開国者であり、土地を開墾することを、土地を「さく」と言うが、そのまま「佐久」という地名になったらしい。

ミシャグジ=御社宮神は、

御○○神、

ミ=御が敬語で、ジ=神が神であり
真ん中の「シャグ」二文字が、
信仰の依り代に降りてくる何かをさしているという説があるが、ここに「佐久」を当てはめる説もある🤔

(すると🙄開墾のパワーが降りてくるとか?)

諏訪大社なども、神社の名を冠しているが、甚だカムフラージュにしか思えず、『神道』ではなく『ミシャグジ』をただ神道風にふりをして祭っているだけの様にも感じる。

古神道の祭祀の様に社殿が無いか、あっても、ミシャグジを隠すために社殿で覆ってる気もする。

諏訪大社の様に四本の御柱を立てるのは、ミシャグジの特徴だ。

この6年に一度行われる諏訪大社の御柱祭を始めとして、諏訪地方の神社という神社は全て4本の御柱を立てる。

諏訪地方で祭りと言えば=『御柱立て』で、日本で唯一お神輿を担ぐお祭りが無いのも諏訪地方の特徴かもしれない。


ミシャグジを詳しく書くと

闇の部分、、😔

【黒歴史】生贄の話しがあり、

これは西アジアの

モレク信仰に似ている。

モレヤ氏(洩矢氏)が司ったというのでモレクと一脈相通ずるところはあるのかもしれない。


これ以上書くとまた長くなりそうなので、あらためてまた別の投稿で😌

ちょっと勇気がいるが

【ミシャグジの謎】を何回かに分けて

綴ってみたい。

ミシャグジが弥生人・建御名方の信仰と習合して諏訪大社となり祭られた様に、ミシャグジには他の信仰を取り込み習合する力がある。

こちらの大先神社も、もともとは今のミシャグジとは別の

神聖な場所だったのかもしれない。


、、

縄文との繋がりも確かに感じるが、
短絡的に、縄文と結びつけてしまったり

自然崇拝と結びつけたりといった、
初歩的な間違いはしたくないので、

(🙄もう終わりじゃないのか、)

古代ミステリーになるが、あえて
【ユダヤ人渡来説】からも考えて書いてみたいと思う。


縄文人は、約10万年前の今の人類の紀元であるアフリカ人に近いそうで種としての起源は古い

人類が7〜8万年ほど前アフリカを出てユーラシア大陸の西と東に広がる前に、暫くは西アジアにいたというので、私達日本人の起源が西アジアにある事は間違いない。

案外、ユダヤ人と日本人どちらも祖先は近しいのかもしれない、🤔


また、とりとめなくなりそうなので
これで終わります。😅

最後まで読んで下さってありがとうございました🙏✨😌


聖なる国 日本✨ 歴史も謎も深い🧙


縄文の道・縄文【尖石遺跡】と弥生【登呂遺跡】

2022-09-04 | 縄文の道

日本の中の二つの故郷

◇五千年前の
縄文時代『尖石遺跡』(長野県)と

◆二千年前の
弥生時代『登呂遺跡』(静岡県)の投稿です。画像多め…😌

 

登呂遺跡(静岡市駿河区登呂5-10-5)

 

考古学の考え方では、文明とは「農耕と定住』が必須要件である様で、狩猟民族や遊牧民族の文化は文明ではなく劣るものとして格付けされてる様だ。

 

「はたして弥生時代に稲作はあったか?」🤔という議論が昔はあった。

 

【登呂遺跡】

 

しかし昭和初期、こちらの登呂遺跡が発見され、日本で初めて水田遺構が確認された。

これにより、弥生=稲作のイメージは定着し、


日本考古学協会発足の契機ともなった。

 

 

復刻水田と復刻住居により当時の村の様子が再現されている。

 

 

 

【登呂遺跡の復刻水田】

 

 

弥生集落は、


大規模な水田と住居、高床式の食糧貯蔵庫からなる。

 

 

 

登呂遺跡は安部川と藁科川に挟まれた扇状地で約2000年前の弥生時代後期から古墳時代(1500年前頃)まで存在していた。その間に2回の壊滅的な洪水があり、

復元されているのは1回目の洪水前の最盛期の集落とのこと。

 

駿河湾を望む静岡平野は、安部川と藁科川下流に作られた堆積平野で、

登呂遺跡もかつては海だった場所。入江の中にあった。

ちなみに、日本神話の「出雲の国ゆずり」では、大国主は天孫族へ国をゆずり船で居なくなったとされているが、静岡には大国主と美穂津姫が降臨したという伝承がありお二人は美穂神社に祭られている。

(静岡の伊豆も出雲が語源という🤔)登呂遺跡など、

静岡へ弥生式※の稲作文化をもたらした弥生人が流入したのと、大国主と美穂津姫が静岡へやってきたのもほぼ時期的にも重なる。

(※縄文時代にも稲作はありました😌)

 

 

【尖石遺跡】長野県茅野市豊平4737-132

縄文中期・約五千年~四千年前の遺跡✨

 

尖石遺跡の前にある尖石縄文考古館では、出土品である

国宝の【縄文のビーナス】と【仮面の女神】が展示されている。

 

『仮面の女神』

縄文のビーナスも、どちらも妊娠している女性のイメージらしい。

 

縄文時代の住居

(井戸尻遺跡)

縄文住居のタイプは見た目には、弥生時代とそう変わりはない。

五千年前の縄文住居は竪穴を掘り屋根を被せるが、ニ千年前の弥生時代のものは、外構や地面上げと土留など土工部がハイグレードとなっている。

 

尖石遺跡跡地

 

しかし、縄文集落は、都市デザイン化のごとく

住居エリア、大規模な公衆施設、
「石柱石壇」の祭祀棟
「土偶」を扱う祭祀棟
「石棒」を使う祭祀棟

異なる複数の祭祀配置を持つ複合型施設の集落だった様だ。😮

 

 

かつては石器時代(=縄文時代)と呼ばれ、

縄文土器の種類や貝塚などだけが研究対象でしかなかった縄文だが、

この尖石遺跡の発見後、昭和初期からの本格的な発掘により

日本で初めて、縄文人の集落や暮らしのスタイルの全貌が発見され

縄文考古学の契機となった。

石皿など食器や調理器具から、食生活が割だされ当時はまだ画期的だった

『縄文農耕論』が藤森栄一氏によって初めて語られた。

 

現在では粟稗だけでなく稲も発見され、縄文人が狩猟民族だとされることはなくなったが、流石に今さら農耕とも言えず『園耕』民族という聴き慣れない呼ばれ方をしている。

農耕だけに頼らず、現代人の様な「農・畜・魚」とバランスのとれた食生活をしていた為、農耕だけの民族ではないので園耕ということらしい🤔

 

尖石縄文考古館では、「となりのトトロ」が吹いていた土笛作り体験ができる。

オカリナの起源は土笛で、マヤ文明と縄文まで遡る。

信州は、縄文文化の中心地であり石器の刃物となる「黒曜石」がこちらで産出され東日本に広がっていった。

尖石という黒曜石を研磨したような跡がある岩が見つかったので、

尖石遺跡という。

 

【尖石】

 

しかし、この岩の祭り方は・・・😑

 

 

諏訪地方を中心にひろがる、洩矢氏の古代信仰である

『ミシャグチ』の祭り方では・・・?😳

 

ミシャグチについてもまた、詳しく別の機会に投稿したい。

(多分、長くなりそうですし)

 

今回は

弥生時代・縄文時代を知る契機となった二つの遺跡の紹介で終わります。

 

読んで下さってありがとうございました。