日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

刀 出羽大掾國路 Kunimichi Katana

2016-10-31 | 
刀 出羽大掾國路


刀 出羽大掾國路

 たびたび紹介しているのが、江戸時代初期の京都で大人気であった國路である。國廣門に学び、しかも三品派とも技術協力の関係にあったとみえ、両派の作風を受け継いでいる。即ち、地鉄鍛えは三品派のように強く板目が流れて地沸が付き、湯走りが掛かるなど相州伝が強く示されている。刃文も湾れに互の目を交えた構成で、これも相州風。造り込みは平肉が付いて重量があり、江戸時代初期らしさが強く、この点が時代相応。本作が典型的な出来。地鉄は板目が強く現れ、その肌間を細やかに詰んだ小板目肌とし、全面に粗いと言い得る地沸が付いて湯走りも顕著。迫力ある地鉄が好まれたものであろう。刃文も沸が強く深く、激しく乱れた刃文に沸ほつれが掛かり、刃先近くまで厚く付いた刃沸の中を金線砂流しが流れる。帽子が乱れ込んで先掃き掛け、尖り調子で返る。これも特徴。

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刀 康継 Yasutsugu Katana

2016-10-29 | 
刀 康継(江戸三代)

 
刀 (葵紋)康継以南蛮鉄於武州江戸

 初代康継が家康に寵愛され、康の文字と葵紋を貰って以降代々が康継の工銘を受け継いだことはあまりにも有名。その三代目は技量が高く、多くの作品を遺している。康継一門も、江戸時代の多くの刀工と同様に相州古作を手本としていたようだ。初代作は見るからに相州振りが強いのだが、時代が下るに従い、地鉄が密な小板目になり刃文も直刃調子が多くなっている。この刀は、直刃仕立ての中ほどに大きく湾れ込み互の目を交えた焼刃構成とした、相州伝。良く詰んだ小板目鍛えの中に流れるような板目肌を交え、地沸が付いて冴え冴えとしている。刃文は小沸主調に匂を交え、沸の粒子は大小変化に富み、刃境を流れる沸筋も太く細くと抑揚があって二重刃の様相を呈し、所々の匂足をこれが切って流れているため刃中には飛足が窺える。
 

 
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脇差 長曽祢興里虎徹 Kotetsu Wakizashi

2016-10-28 | 脇差
脇差 長曽祢興里虎徹


脇差 長曽祢興里虎徹入道

 虎徹が目指していたのは、正宗や郷と言われている。良く詰んでしかも肌目に力のある地鉄鍛えに、互の目、湾れなどの刃文を焼いたものだが、姿格好は時代に応じた反りの少ない、虎徹の棒反りとも呼ばれる特徴的なものであった。この脇差は、評価ほどは反りが浅くもなく、バランスよく反っている。流れるような板目鍛えの肌間を微塵に詰んだ小板目肌が埋め、しっとりとした質感と、板目の強みが見事に調和している。この地鉄の手本とされたのが相州古作であることは間違いない。刃文は互の目湾れ。江戸時代の作である点と、虎徹の刃文の要素の一つでもある大小の互の目が二つ連なって瓢箪のようになる構成も窺え、これらが高低変化して連続、帽子は乱れ込んで先小丸に返っている。刃中は沸が主体ながら明るい匂が加わり、刃中には沸が流れ、地側にも沸のこぼれた様子が冴え冴えとして見える。刃中の透明感は、この匂の仕業である。虎徹の大業物に指定されている斬れ味もこの匂による。

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短刀 肥後大掾貞國 Sadakuni Wakizashi

2016-10-27 | 短刀
短刀 肥後大掾貞國


短刀 肥後大掾貞國

 貞國は、越前康継と近しい関係にあった刀工の一人。慶長年紀の作が現存することによって活躍期が判明しているが、作刀を始めた年代はもっと古くからであり、康継に先行する古刀期に主に活躍していた刀工というべきであろう。造り込みが片切刃で、表裏の樋も形状を異にし、武骨さと繊細さが同居した作。地鉄は一見して詰んだ小板目状だが、その中に杢を交えた板目肌が良く詰んで交じっており、それが流れるように刀身全体に及んでいる。刃文は小沸に匂の複合になる湾れ主張に互の目交じりで、相州振りを鮮明にしている。刃縁には細かな沸がほつれとなって掃き掛け、互の目の一部は尖り調子に地に突き入っている。本作を見ても、高い技術を備えていたことが良く判る。
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短刀 國廣 Kunihiro Tanto

2016-10-26 | 短刀
短刀 國廣

 
短刀 國廣

 江戸時代に活躍した多くの刀工の初祖的な存在の一人。戦国時代末期にすでに、古作のような鍛え肌が強く出た作より、綺麗に詰んだ地鉄鍛えが求められる気風があったようで、孫六兼元や兼定に、新刀の地鉄を見るような出来が間々ある。江戸時代初期に隆盛した三品一門も、緻密な地鉄へと変化しているように、この流れは他の流派でも同様であった。國廣は各地を巡って作刀技術を学び、後に独自の思考によるものであろう、斬れ味を追求した地鉄を創造した。ザングリと表現される、少し肌立つ小板目鍛えがそれだ。造り込みや刃文は相州伝を基礎においている。この短刀が良い例だろう。刃長は一尺強。身幅広く重ねは控えめに、斬り込んだ刃の抜けが追求されているのは南北朝時代の再現。わずかに先反りがあり、地鉄は板目交じりの小板目鍛えで、総体にザングリとして、刃味が良さそうだ。刃区から斜めに水影映りが生じており、これも國廣の特徴。刃文は小沸出来の浅く湾れた直刃で、刃縁ほつれ、所々に湾れが強まり、刃縁に沸筋や砂流しが流れ掛かる。これまでに紹介してきた國貞や國清の源流の作として捉えると、まだまだ古刀期の気配が濃厚であることがわかる。もちろん戦場を潜り抜けてきた、実戦のみを求めてきた刀工の作である。斬る道具としての凄味があって、しかも美しさの片鱗が窺えるところがすごい。□


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脇差 山城守國清 Kunikiyo Wakuzashi

2016-10-25 | 脇差
脇差 山城守國清


脇差 山城守國清

 國清もまた堀川國廣の門流。信濃国で活躍していた助宗の子で、慶長頃に京に上って國廣門の國儔に学ぶ。先の國貞とは兄弟弟子ということになる。これにより、造り込みや地鉄の緻密さがよく似ているところがある。國貞は摂津大坂に移住したが、國清は越前に移住、松平家の御用を勤めることとなった。斬れ味大業物の能力が評価されたものであろう。この脇差は、元先の身幅が広くがっちりとし、棟の肉を削いで刃の抜けの良さを高めている。腰元に剣巻龍の彫物を緻密に施しているが、まさに実用を突き詰めた構造である。小板目鍛えの地鉄に細かな地景が交じって綺麗に肌立ち、刃文は小沸の粒の揃った互の目湾れで、刃文は相州伝が基礎にあり不定形に乱れ、沸深い刃中には砂流し、ほつれ、金線が顕著。
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脇差 和泉守國貞 Kunisada Wakizashi

2016-10-22 | 脇差
脇差 於大坂和泉守國貞


脇差 於大坂和泉守國貞

 初代國貞の、南北朝時代の相州物を手本としながら、彫刻に独創を加味した、見るからに刃味鋭く斬れそうな小脇差、あるいは短刀。一尺をごくわずかに上回る寸法であり、脇差としても短刀としても利用できたものと思われる。草体の剣巻龍の彫物は、あたかも研磨によって浅くなっているように見え、これも意図的なもの。裏の梵字も、剣巻龍を思わせる意匠。頗る面白い作である。地鉄は良く詰んだ小板目肌。刃文は互の目が揃わずに湾れを伴って見かけは穏やか。小沸の焼刃は刃中の沸が深く強く、この中を沸筋と砂流しが走る。帽子は先小丸に返る。


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脇差 信舎 Nobuie Wakizashi

2016-10-21 | 脇差
脇差 信舎


脇差 信舎

 慶長頃の特徴的な造り込みの、寸法で言えば一尺三寸だから小脇差。重量からすると小脇差どころではない。身幅があって重ねが厚いからかなり重い。刀での攻撃からも受けられそうだ。板目鍛えの地鉄が細かな地景によって躍動的に現れ、全面に地沸が付いてザングリと肌立ち、國廣を思わせる。刃文は湾れに互の目を交え、帽子は掃き掛けて焼き詰め風に浅く返る。焼刃は沸を主張に刃縁ほつれ掛かり、刃中に流れ込む沸筋があり、またそれが太い筋となって長く流れる。刃境の杢目によって渦巻き状に沸が凝り、帽子は火炎風。とにかく激しい出来だ。
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脇差 越中守高平 Takhira Wakizashi

2016-10-20 | 脇差
脇差 越中守高平


脇差 越中守高平

 加賀刀工初代兼若の、高平と改銘後の作。がっちりとした造り込みで、桃山時代を生きた武将の激しい気質を、そして相州伝の隆盛を感じさせる。地鉄は板目肌が流れて強みがあり、地沸が厚く付いて肌目に沿って地景も明瞭。これが良業物兼若の基質である。刃文は湾れに不定形な互の目交じり。刃中沸が強く深く、刃縁は和紙を裂いたように沸でほつれ掛かり、所々荒ぶるところがあり、刃中には沸筋と砂流しが流れる。帽子は小丸返りに沸筋が加わっており、造形と共に迫力がある。
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刀 肥前國正廣 Masahiro Katana

2016-10-19 | 
刀 肥前國佐賀住正廣


刀 肥前國佐賀住正廣

 初代正廣の、相州伝の色合いが頗る強い刀。一口に相州伝とはいっても、江戸時代の刀は、基本的に地鉄が小板目調となり、その中に流れ肌が交じったり地沸が付くことにより、各伝の風合い、殊に相州振りの違いが現れてくる。先に紹介した輝廣などは、作品を見る限りでは相州風が明瞭ではない。國廣のように相州伝を基礎としながらも独創が加わったものを「特伝」と呼んでいるように、輝廣などは正にその類である。対して正廣は、ちょっと見ただけでも相州伝であることが判る。地鉄は肥前肌とも呼ばれる小板目基調で、地沸が厚く付き、湾れ互の目の形状が定まらない刃文が沸強く焼かれており、その中に肥前刀の特徴の一つでもある互の目が二つ並んだ刃文がある。刃中に流れる沸筋、砂流しが、帽子にまで連なっている。


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短刀 播磨守輝廣 Teruhiro Tanto

2016-10-18 | 短刀
短刀 播磨守輝廣


短刀 播磨守輝廣

 輝廣は何度か紹介している、尾張から安芸に移住し江戸時代を通して安芸にて活躍した刀工の名流。地鉄鍛えに古風なところがあり、時に南北朝時代の相州伝、志津に紛れることがある。この短刀は、九寸四分強の手頃な寸法に、重ねは比較的しっかりとして先反りが付き、いかにも古作を手本とした戦国時代の造り込み。地鉄鍛えが均質に詰み、肌目が地景で綺麗に起ち、鋒辺りが棟側に流れている。古風な地鉄だが、刃文は新刀期のそれ。端正な互の目が連続して帽子は小丸返り。焼刃は小沸と匂が調和して明るく冴えている。江戸期の相州伝の一。
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刀 越後守忠道 Tadamichi Katana

2016-10-17 | 
刀 越後守忠道


刀 越後守忠道

 越前より摂津大坂に移住した刀工。姿格好から寛文頃の作刀であることが判る。小板目鍛えがよく詰んでおり、肌目が目立たないものの、刃中の沸の付き方から柾目状に流れた地鉄が潜んでいることも分かる。刃文は焼幅の広い湾れ調子で、帽子はわずかに倒れて先小丸に返る。焼刃は沸を主張に刃縁に小沸が付いて刃中に広がり、砂流しが濃密に刃中を流れ、刃先近くにまで及んでいる。忠道の工銘はあまり知られていないが、このように優れた相州伝の作を遺している。
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脇差 國重 Kunishige Wakizashi

2016-10-15 | 脇差
脇差 山城大掾國重


脇差 山城大掾國重

 水田國重は戦国時代末期に備中国で栄えた刀工。その流れを汲む江戸時代の國重一門は、戦国期の備前風の作風とは大きく進化して相州伝の沸の強い作を専らとしている。大与五と呼ばれる大月与五郎國重、その先代の慶長頃の大月三郎兵衛尉國重、大与五の弟で山城大掾を受領した市蔵國重などが有名。後に江戸に移住していることから江戸水田と呼ばれているのが山城大掾國重。この脇差は、比較的おとなしい刃文構成だが、板目鍛えの地鉄に地沸が湯走り状に厚く付いて迫力があり、刃文は湾れに互の目を交えて、これもゆったりとした感があるも、刃中は強い沸の広がる、典型的な出来。沸筋、砂流し、掃き掛け、すべてが沸を主体に匂を伴っていて明るい。
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刀 丹波守吉道 Yoshimichi Katana

2016-10-14 | 
刀 丹波守吉道


刀 丹波守吉道

 大坂初代吉道の、同家のお家芸ともいうべき創造性に溢れた焼刃構成の刀。刃文としては縦方向に流れる構成で、いうなれば独風に過ぎるが故に、現代の愛刀家からはちょっと刀らしくないと見られている。ところが、この独創性こそ江戸時代の日本刀の美観を高めた根源に他ならない。京の吉道が、川の流れのようなこの刃文を生み出したが故、その後の助廣が濤瀾乱刃を編み出したのだ。刃文の独創は吉道一門から発祥している。これについて誰が言い出したのか「なんだ簾刃か」との評価。このように言う人は、江戸時代の刀についてもっと学ぶべきである。美術的要素が強くなっていると同時に、良業物に指定されているように良く斬れるのが吉道である。さて、この刀の背後にも相州伝があったことは言うまでもない。


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脇差 國房 Kunifusa Wakizashi

2016-10-13 | 脇差
脇差 國房


脇差 國房

 頗る珍しい、江戸時代最初期の伊予刀工。宇和島を領した伊達家に抱えられた。慶長から元和頃に隆盛した、がっちりとして時代感が失われていない状態。堀川國廣の門流とも考えられているが、地鉄にザングリとした感はなく、むしろ綺麗に詰んで潤いがあり、著名ではないにもかかわらず高い技量を備えていたことが良く分かる。刃文は相州伝の湾れ刃に地に突き入るような互の目を交え、帽子は小丸返りながら掃き掛けを伴っている。焼刃は匂口が締まって冴え、刃中に広がる沸と匂の働きの他、焼頭から地中にも匂が流れ込んで鮮やかに輝く。身幅広く重ね厚く、先反りが付いて物打辺りの張った姿はいかにも実用の武器。南北朝時代から好まれて使用され続けてきた短寸脇差の造り込みだが、鉄砲伝来以降の、がっしりとした甲冑に対応するため、このような一尺三寸ほどの脇差が重宝されたのだ。その健全体躯のまま伝わっている。85□
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