日本刀鑑賞の基礎 by ZENZAI  初心者のために

日本刀の魅力を再確認・・・刀のここを楽しむ

脇差 備前介宗次 Munetsugu Wakizashi

2016-05-31 | 脇差
脇差 備前介宗次

 
脇差 備前介宗次安政五年

 孫六写しの一尺三寸強の鎬造の脇差。寸を短く造り込んでおり、明らかに実戦で使うことを考えている。度々説明しているが、一尺~一尺三寸くらいの寸法の脇差は頗る使い勝手が良いことから、南北朝時代から戦国時代にかけて盛んに製作された。脇差と言うと商人の持ち物のように思われがちだが、単純ではない。戦場で太刀や大刀の添え差しとされる脇差と、江戸時代の平和な時代に登城用の大小が定められたことによる脇差とでも全く異なる。もちろん商人が持つ脇差は、戦をするために誂えたものではなく、自らを賊から守るために備えた武器だが構造は全く同じ。戦場で積極的に使うものと、単に一時的に守るものとという使い方の違いがある。その中で一尺三寸ほどの小脇差は特異な形態であり、存在感も強い。江戸時代後期、固山宗次は幾度かの試断を通じて切れ味の研究を突き詰め、自らの作品上に反映させた。備前伝を得意とした宗次だが、同様に最上大業物作者に指定されている孫六兼元を手本とした美濃伝も得意とした。綺麗に詰んだ小板目肌に匂主調の尖り調子の互の目乱刃。所々に沸が流れるように付いている。匂口の締まった焼刃は、刃先にまで匂が達しており、焼刃の幅は比較的狭い。


  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脇差 固山宗次 Munetsugu Wakizashi

2016-05-30 | 脇差
脇差 固山宗次


脇差 固山宗次天保五年

 固山宗次による孫六兼元写しの平造。小板目鍛えの地鉄は刃寄り柾状に揺れて流れる態で、うっすらと関映りも窺え、地相に凄みが感じられる。平造は、刀や太刀の添え差しとされて極めて実戦的な武器であったことはたびたび説明している。この脇差も式正の大小の小ではなく、一尺二寸ほどの扱い易い寸法であり、健全ながら戦場に出ればさぞや活躍したであろうと思われる。意外にも物打辺りが使われておらず、刃先鋭く、健全である。刃文は孫六伝の尖り調子の小互の目乱。匂口が締まって明るく、尖り刃の抑揚も浅く、刃中には肌目からの働きが揺れている。帽子は小互の目が先端まで連続しており、先は地蔵風に乱れて返っている。見るからに孫六兼元だ。
 
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 岩代国住兼定 Kanesada Katana

2016-05-28 | その他
刀 岩代国住兼定

 
刀 岩代国住兼定明治三年二月日

 刃長二尺二寸五分、反り四分。明治に入ってからの、十一代兼定の作だが、作風は前回紹介した刀によく似ている。元先の身幅は尋常に重ねも鎬で二分三厘だから扱い易い体躯に仕上がっている。柾目鍛えの地鉄に焼幅のやや浅めな直刃出来。匂と小沸の刃文は明るく冴えており、刃境にほつれ掛かり、鋭い金線が刃縁を切って流れている。寸が伸びた帽子は小丸返りで、先がわずかに掃き掛けている。
 兼定は明治に入って以降も作刀を続けていたことは、遺されている作品によって知ることができる。一方秀國は、明治に入り廃刀令後は槌をおいているようだ。この頃で六十歳だから、まだまだ作刀は可能であったと思われる。時代を感じたものだろうか。あれだけ、試し切りを通じて斬れ味の高い作品を生み出す研究をしていた秀國が作刀を止めてしまった理由は、いったいどこにあったのだろうか。とても興味がある。そして、今に遺されている秀國の作例は貴重であることも述べておきたい。そう、4月末頃から、京都の霊山資料館で展示されている土方歳三が所持した大和守秀國の刀は、資料の上からも確かめられている遺品であることも加えて紹介しておく。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 和泉守兼定 Kanesada Katana

2016-05-27 | 
刀 和泉守兼定


刀 和泉守兼定慶應三丁卯年八月日

 会津十一代の兼定である。先に紹介した之定の末流と伝え、秀國とは同時期に活躍していた。土方歳三がこの刀工の刀を使用していたと伝えられていることから異常とも言い得る人気だ。今に遺されている確実な資料に照らして考えた場合、この兼定と同様に秀國をもっと高く評価しても良いだろうと思う。之定の得意とした柾目鍛えに直刃である。秀國と同様に焼幅は低くして折損防止を考慮している。地鉄は刷毛目で掃いたように綺麗に流れる柾目で、小沸に匂を複合させた焼刃の刃境には、大和古伝に見られるようなほつれ、喰い違い、長い金線などの働きが豊富である。帽子は先端が掃き掛けを伴う小丸返り。刃長二尺三寸強、反り四分半。先に紹介した秀國同様動乱の最中の作。明治まで作刀しているが、慶應年紀は手放さない人が多く、出てくる例は少ない。□


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 大和守源秀國 Hidekuni Katana

2016-05-26 | 
刀 大和守源秀國


刀 大和守源秀國慶應三年二月日

 刃長二尺三寸四分強、反り三分強。いかにも実戦を想定した造りで、慶応三年の年紀も騒乱の最中の作であることを物語っており、この刀が生きた背景や存在感に興味が及ぶ。この前年に大和守を受領していることもあり、時代を背負って活躍しようと意気盛んな秀國(元興)の様子が伝わってくる。秀國が多くの試断家の協力を得て截断能力を高め、自らの作刀に活かしたことも良く知られている。この時代に『業物位列』が行われていたら、固山宗次に次いで最上大業物作者に指定されたであろうと想像される。作行の下地には、先に紹介したように孫六兼元に倣った美濃伝の作風がある。この刀は、刃文のみを見れば美濃風とは言い切れないが、地鉄鍛えには美濃古伝の中の善定派にあるような小板目鍛えに直刃仕立てという作風が読み取れる。刃寄りわずかに流れて柾がかり、焼刃は匂口の締まった浅い直刃で、打ち合いを想定した作であることも理解できよう。飾り気を控えた実戦刀である。皺革包みの、時代の拵が附されている。□


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 元興 Motooki Katana

2016-05-25 | 
刀 元興


刀 元興

 孫六兼元を手本とした刀。作者は、この後に秀國と改名した松軒元興。元興は、十一代兼定と共に幕末期に活躍した会津の刀工で、兼定同様に新撰組の信頼を得て近藤局長より数振りの刀の製作を依頼されている。数多く新撰組関連の志士が佩用したという刀剣伝承がある中で、信頼の置けるのがこの刀工への作刀注文であることは、新撰組研究者のあいだではあまりにも有名である。それほどに良く斬れた。この刀にも、山田浅右衛門が太々の部分を土壇まで斬り下ろしたことが記されている。元興に限らず、十一代兼定もまた古作美濃物を手本としていた。兼定の遠祖が美濃兼定であることは言うまでもないが、その斬れ味を再現しようとした刀工は頗る多く、元興もその一人であった。この刀は、適度に反って姿に力強さが漲っているのみならず、鎬が立って刃先鋭く、打ち合いを充分に考慮した構造。地鉄が小板目鍛えで柾状に流れ調子となり、細かな地沸が付き、実戦の武器であるにも関わらずとても美しいと感じられる地相。刃文は尖り調子の互の目乱で、総体に焼刃が浅いところも打ち合いを想定したもの。匂口明るく冴えており、刃縁に細かな金線が走る。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短刀 兼元 Kanemoto-Magoroku Tanto

2016-05-24 | 短刀
短刀 兼元


短刀 兼元(孫六)

前回紹介した短刀とは、製作の意識として違っている。鎌倉時代の短刀を手本としたものと推考され、小振りに姿が良い。地鉄も小板目状に良く詰んでおり、改良と進化が窺える。このような小板目鍛えも江戸時代の一般的な刀の地鉄に影響しているのであろうか。刃文は直刃。小沸に匂が複合してごく浅く湾れている。地鉄も含めて鎌倉後期の山城物を手本としている。之定も含めて、美濃刀工の中には、新刀に見紛うような小板目鍛えが詰んで美しい作がある。この短刀以上に綺麗な出来もある。この頃になると相州伝の風合いはまったく感じられない。直刃であっても、匂口が締まって美濃物らしさが強まっている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短刀 兼元 Kanemoto Tanto

2016-05-23 | その他
短刀 兼元

 
短刀 兼元(孫六)

 孫六兼元。わずかに区送りされており、刃長が一尺二分で、現代の分類では脇差とされるところだが、戦国時代には短刀、時には小脇差とされていたものであろう、大刀の添え差しという位置付けにあって重宝されていたことが想像される。わずかに先反りが付いた姿格好にも、南北朝時代から戦国時代まで盛んに用いられていた腰刀の様式が窺いとれる。肌目は先に紹介した刀と同様に板目鍛えが強く起ってざんぐりとしており、関映りも顕著に凄みが感じられる。薄手の仕立てで刃先鋭く、造り込みも截断を追求したもの。刃文は尖り調子の互の目乱。匂口が締まって明るく冴えている。地刃の状態など性能上の感覚として、先の刀を短刀にした感じ。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 兼元(孫六) Kanemoto

2016-05-21 | 
刀 兼元(孫六)


刀 兼元(孫六)

 之定に並んで知名度の高い孫六兼元の、磨り上げながら孫六らしい造り込みの出来。二寸ほどの磨り上げで、現在は二尺七分、元来は二尺二寸半ほどの扱い易い寸法。身幅広く先幅広く、大鋒、反り六分、重ね薄く刃先鋭く仕立てて刃の通り抜けを高め、鎬をわずかに立てて横からの衝撃に持耐えられるよう工夫をしている。柾目調に流れた板目鍛えの地鉄は、肌目強く起ってざんぐりとし、関映りも顕著に全面を白っぽくみせた、実用の武器ならではの覇気に富んだ地相。最上大業物の凄みが感じられる。刃文は匂出来の互の目乱れの焼頭が尖った態で、良く言われるような三本杉ではない。三本杉の顕著な作は後の代の兼元に多い。匂口の締まった焼刃は、所々に小沸を付けて出入りが高低し、刃中には淡い匂足が射し、刃縁を金線を伴った沸筋が流れる。帽子の浅く乱れ込んで先が乱れて返る様子は何となく地蔵風にも見えるが、相州伝の影響であろうか沸強く掃き掛けて返っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脇差 和泉守兼定(之定) Kanesada Wakizahi

2016-05-20 | 脇差
脇差 和泉守兼定(之定)


脇差 和泉守兼定(之定)

 薙刀を脇差に仕立て直したもの。刃長一尺五寸強、反り三分半。斬れ味優れた武器であり、さぞや戦場では活躍したであろう。刀身に「人間無骨」の文字彫刻があり、この薙刀を一振りされたら抗い得るものなどなかろう、必ず胴体と首が・・・離れる。元来は、さらに三寸ほど長い一尺八、九寸。大薙刀の部類だ。物打から先反りが矯正されてはいるが、物打辺りが張った様子はそのまま残っている。江戸時代には大小の小とされていたに違いない。地鉄は流れ肌を交えた小板目鍛えで、良く詰んでいる。美濃刀工の中には、新刀の地鉄を見るように切鑢に詰んだ小板目肌があり、兼定の地鉄にそのような例がある。この脇差は平地に板目が顕著に現れ、刃寄り柾調となって古風。映りが起ち、匂口の締まった穏やかな尖り調子の互の目が焼かれている。刃中は砂流し、沸筋が流れ、これが物打から鋒に掛けて顕著。綺麗な地鉄に凄みのある焼刃が魅力と言って良いのだろうか、使うことに徹した武器としての迫力がある。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短刀 兼定 Kanesada Tanto

2016-05-18 | 短刀
短刀 兼定


短刀 兼定

 之定の初期銘であろう、この短刀は、刃長七寸強の姿が良い作。写真は印刷用に仕上げたモノクロしか残っていないのでご容赦ねがいたい。地鉄が綺麗だ。良く詰んだ小板目鍛えに地沸が付いて映りが加わり、全面が白っぽく見えるほど。焼が強く地中に湯走り沸筋が走っている。刃文は互の目に角のような尖刃が交じっている。帽子も沸が強く掃き掛け、相州伝の影響を強く受けていることが判る。この激しさが魅力だ。先に紹介した短刀にも似ているが、刃文構成は流れるような地鉄に沸筋の流れを同調させているようだ。匂口の締まったところは美濃ものの特質。写真で刃文が明瞭に見えないのは研磨の方法が違っているから。今風の刃採りを施した研磨であれば写真でも判りやすいのだが、刀は写真で見るものではない。手にとって光源の調子を良く観察すれば、この引き締まった焼刃の様子に脳の奥底が刺激され、心奪われること間違いなし。さすが名工の作である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

刀 兼定(之定) Kanesada Katana

2016-05-17 | 
刀 兼定(之定)


刀 兼定

 刃長二尺一寸半、反り五分強。頗る扱い易い打刀である。柄と鐔を装着して手持ちが良いことを確認している。肥後拵に収められており、まさに抜き打ちに用いたもの。戦場で活躍したであろうことが想像される。姿からも物打辺りが使われていることが判る。板目鍛えが良く詰んで地沸が付き、映りが起ち、焼刃の沸が地中に流れ込んで凄みがある。刃文は匂に沸が付いて浅い湾れに互の目を交え、所々に尖刃が組み込まれている。物打辺りが折れないように浅い互の目湾れとされている。
 最近考えていることだが、刀の寸法は様々あるが、最も良く使われているところは鋒から三十センチぐらいの範囲で、物打と呼ばれているところ。では、その下、区から刀身中程までの範囲で斬ることなどあるのだろうか。使わなければ刃など必要ではなかろうと感じてしまった。日本刀が本当に実用の道具としてしか見られないのであれば、斬れる部分だけが存在すればいいわけで、何も刀身中程から下は折れ難く曲がり難い堅牢な構造物であればいいわけだが、そういった刀はない。それに近い武具として考えられるのが薙刀や槍である。槍は「穂先三寸」の言葉があるように、十センチほどあれば充分に攻撃としての効果がある。江戸時代の女性の武術であった薙刀も、一尺強の刃長で充分に刀に対応ができた。そう、刀の物打より下はなくてもよいではないか・・・と。ところがここに日本刀の真の存在意義がある。このように、実は鎌倉時代から実戦武器としては薙刀が用いられていた。薙刀と刀で戦ったら薙刀の方がだんぜん強い。それでも刀や太刀を備えているのは、刀が武士の象徴的存在であるからに他ならない。象徴とはいえ形骸化した飾りではない、切れ味は最高である。武士の存在を示すのが刀や太刀である。だから美しく造り上げた。美を見出した。そう、姿にも美しさ、格好の良さが見出されねば刀ではないのだ。区まで刃が存在して刀。実用の道具としてはさほど必要ないものだが、決して必要のない部分ではないのだ。




コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

短刀 兼定 Kanesada Tanto

2016-05-16 | 短刀
短刀 兼定


短刀 兼定

 室町時代後期の美濃刀工の代名的な存在が兼定と孫六である。兼定はその二代目がノサダと呼ばれており、最上大業物作者に指定されていることからも著名で、刀を学んで知らぬ者はない。ノサダとは、定の字のウ冠のしたが之(ノ)となることからの呼称。この短刀は、その初期作。こうして作例をみると、兼定は相州伝の鍛冶であると言っても良いだろう。これまで見て来た綱家、綱廣と大きく変わらぬ地鉄と刃文だ。板目鍛えの地鉄は良く詰んで動きがあり、これに地沸が付いて刃文は尖り刃交じりの互の目乱で、飛焼があり、棟焼がある。その通り、美濃伝と一口に言うも、大和から移住して来た千手院派、手掻派などの工により、時代によって影響を相州伝に受け、移住した美濃においてはその複合的な地刃を突き詰めた結果、直刃出来、互の目出来、湾れ出来、尖刃出来など様々な地刃のものがそれぞれ定着している。その中では特に志津伝(相州伝)が色濃く残されているように感じられる。ただ、一段と尖刃が強くなっている代の降る兼元などのような作もある。皆焼は相州伝や美濃刀工だけのものではない。戦国時代の備前刀工も焼いている。さて、この短刀は、兼定銘を切っていた頃、ノサダ銘になる以前の作。造り込みは鎌倉時代の短刀を想わせる八寸弱の身幅尋常なる格好の良いでき。地鉄は板目が緊密に詰んで流れ肌が交じり、関映りが顕著。尖刃交じりの互の目の焼が強く、棟焼に飛焼が加わりった皆焼の典型。相州伝だが強い沸だけでなく匂が主調となっている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脇差 相州住綱廣 Tsunahiro Wakizashi

2016-05-14 | 脇差
脇差 相州住綱廣


脇差 相州住綱廣

 戦国時代も降った文禄頃の相州綱廣の脇差。頑強な造り込みが、戦国時代の綱廣には多い。一尺六寸強だから、激しい打ち合いにも打ち勝てるような意図があったものと思われる。一尺三寸ほどの脇差にもこのような幅広肉厚の作がある。同時代の同田貫派が頑強な造り込みを特徴としているように記されているが、同田貫だけではない。大和国金房政次や、この綱廣も製作している。時代の特徴でもあり、同田貫だけの特徴と言うものでもない。刃文は、先に紹介したような皆焼も多いが、ゆったりとした湾れに互の目を交えた出来もある。地鉄は板目が詰んで小板目状に詰んでいる部分もあり、地沸が厚く付く。折損しないよう匂口の潤みごころの焼刃が多く、ここにも時代背景が窺いとれる。湾れの刃中には小足が入り、刃境はほつれが掛かる。激しいばかりが相州伝ではないことの良い例である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

脇差 相州綱廣 Tsunahiro Wakizashi

2016-05-13 | 脇差
脇差 相州綱廣


脇差 相州綱廣

 刃長一尺一分、反り一分八厘ながら、脇差と表記した。前回紹介した綱家とはほとんど同じ寸法なのだが、どう違うのだろうか。大きな相違点は、この綱広の場合、片切刃造であること。反りが強いこと。片切刃造の短刀がないとは言わないが、使用上における短刀の手軽さとは異なり、刃先近傍まで重ねが厚い切刃造りは、激しい打ち合いにも耐えるような、頑強な武器と捉えて良いだろう。刃の通り抜けを考えると鎬がない方が良い。だから平造が出来た。ところが打ち合いを想定すると平造より鎬造の方が、鎬が張っているぶん強い。即ち、片切刃造は、この両方の良い点を採り入れたものと思われるが、どうだろう。この点は日本刀の構造上からの力学などを研究しておられる先生に窺いたいところだ。近々、日本刀を科学的視野で捉えた本が出るそうだ。この辺りの話が出ているだろうか、興味がある。さて、本作は、先反りが付いて姿格好も脇差、即ち、南北朝時代から戦国時代に掛けて隆盛した手頃な寸法の武器である。地鉄は板目肌が良く詰んで地沸が付き、ざんぐりと肌立っていかにも斬れそうだ。匂を主調に沸を交えた焼刃は、出入りの複雑な乱刃に飛焼が顕著に入り、棟焼も所々に入った皆焼。彫刻のある部分にも焼が入っている。


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする