硝子のスプーン

そこにありました。

「LIKE A FAIRY TALE」 18

2012-06-19 17:49:41 | 小説「Garuda」御伽噺編
18.【 イヴは最初から知っていた 】   (ツバキ)


 出来ることなら男に生まれたかったと思ったのは、一度や二度のことじゃない。
 女だからこそ出来ることだってあるのは、分かっているけれど。


 派手なだけで冷たいネオンの光を浴びながら、隣を歩く人を見上げる。

 ここのところ、随分とまめに店へ迎えてきては家まで送ってくれる。
 今日だって、仕事が終わって外に出ると、この人は明後日の方向を見ながら待っていてくれた。
 少し冷えた手が今店に着いたわけではないことを語っていたけれど、それでも、偶々通りかかっただけだと言って譲らないこの人を、私はやっぱり愛しいと思ってしまう。

 いつからだったろう。
 はじまりは、私に纏わりついていたストーカーを撃退するために、ボディガードを頼んだだけのことだった。
 なのに、いつのまにか、この人とこうやってただ一緒に歩いたり、ご飯を食べたりすることが、私の中でとても大事なことになっていて。
 いつのまにか、この人が笑うたびに嬉しくなって、この人が悲しい顔をふと見せるたびに、胸が締め付けられるようになっていて。
 本来の目的はとうの昔に達成されて、もうボディガードは必要ないのに、気がつけば私は、この人のぶっきらぼうで優しい手を離せなくなってしまっている。

「どうした?」
 上から降ってきた声に顔を上げる。私のことなんて気にしていないとでも言うような顔をしているくせに、目だけがとても真面目にこちらを見つめてくる。
 この人の目は、私だけじゃなく、ガルーダの皆や他の人にも、同じように優しいのだろう。
 最後には必ず助けてくれると信じてしまう、彼の優しい瞳と力強い手を、私は知ってしまったのだ。
「どうしたって、何がかしら?」
「いやお前、ここに思いっきり皺が寄ってるぞ?」
 ここに、と言いながら彼は、自らの眉間をとんっと指で叩き、こちらを見ている。眉間に皺を寄せながら、目尻を下げているその顔が何だか可笑しくて、噴き出しながら、何でもないと彼に返した。
「なんだよ、もう心配しねぇかんな」
 噴き出したのがどうも彼の気に障ったようで、ブツブツと口を尖らせながら、彼は私の一歩前を歩いていく。
 その後姿に目を細めて、肩から掛けたバッグの柄をきゅっと握った。

 彼がここのところ、深夜にこうして店まで迎えに来てくれる理由を、私は知っている。
 三日前、突然、本当に突然、帰ってきた少女。……いや、もう少女のそれとは違い、彼女は立派な女性になろうとしていた。
 その彼女が現れて、私達に言ったこと。
 意味がよく分からなかったけれど、夜は一人で歩くなと彼女が言ったその言葉を受けて、彼は私を守ってくれている。

 だけど、それはきっと――――。


「三年前…」
 つい、ぽろりと言葉が漏れる。
 慌てて口を閉じたけれど、どうやらそれは彼の耳には届かなかったようで、目の前を行く彼は振り向くことなく、歩みを止めることもなかった。

 三年前。
 三日前と同じように突然消えてしまった少女。
 ガルーダの誰に訊いても、アトレイユの遠い親戚のところに行ったとしか教えてもらえなかったけれど。
 一度だけ、目の前を歩く彼に尋ねたことがある。
 一体何があったのだと問うた私に彼は、お酒のグラスから目を離すことなく、ただ一言、「何もなかった」と、答えた。
 それ以上のことを、私は知らない。
 彼の言葉は全くの真実でもないだろうけど、嘘でもないような気がして、それ以上何も聞けなかったのだ。
 そのうちに、最初は彼女の不在に疑問を投げかけたり、寂しさを訴えたりしていた街の人達も自然と、彼の前では彼女の話をしなくなって、ガルーダの皆でさえ、たまに会っても、彼女の名前を口にすることはしなくなっていった。
 ちょうどその頃だった。
 ストーカー行為が激しくなって、困り果てて、私が彼に依頼を持ち込んだのは。
 そうして気がつけば、依頼が無事解決した後も、私と彼は自然とよく一緒にいるようになっていたのだ。

 二人でいると、彼はとても優しかった。
 勿論、言葉や態度は昔とそんなに変わらないけれど、その瞳や差し伸べられた手はとても暖かくて。

 とても、優しかった。

 私達の間に何かあったかと訊かれれば、私はあの日の彼のように、何もなかったとしか答えることが出来ない。それは彼にしてみても同じだろう。
 実際、本当に何もないのだから。
 ずっと以前のように、仮初に体を重ねることも、軽い戯言のような上辺だけの甘い言葉を交わすことも、一度も無かった。
 でも、彼の手は以前よりずっと優しくて、ずっと、暖かくて――――。
 何かしらはきっと、私達の間に生まれていた。
 そう信じてる。

 だから、


「おい?」
 彼はいつの間にか私の前に戻ってきていて、さっきと同じあのおかしな顔で、こちらを見ている。
 私はどうやら考え事が過ぎて、足が止まっていたようだ。
 先ほどから一向に変わっていない周りの景色が、それを物語っている。
 ぼんやりと彼を見つめていると、空は晴れているはずなのに、水滴が私の頬を伝って落ちていくのが分かった。
 それを見た彼はぎょっとしながら、「どうした?」と、訊いてくる。
 その心配する顔に胸が詰まって、何でもないと、言葉にすることも出来ず、ただ首を横に振るのが精一杯だった。
「ツバキ?」
「……何でもないわ、…大丈夫」
「何でもないヤツが、いきなり泣くのかよ」
「…女心は複雑なのよ。男と違って、ね」
 そう言って顔を上げると、彼は思いっきり怪訝な顔をしていた。
 スンと鼻を鳴らしながら、正面から彼の顔を見つめ返す。

 いつのまにか、彼がかけがえのない存在になってから、その瞳の中にずっと探し続けてきたもの。

 物心ついてから、いつもいつも願い続けてきたもの。

 彼はきっと否定するだろうけど、彼のそれは、三年前、彼女が持っていってしまっていたのだ。
 三日前のあの日、彼の顔を見て確信した。
 彼女を見つけた瞬間の、あの、まるで迷子の子供がやっと帰る場所を見つけたような、そんな顔。
 そんな……、あんな、表情。

 それは言葉にすれば酷く陳腐で、この界隈ではあらゆる場所で囁かれているものだけど。

 それでもずっと、探してきたもの。

 彼も同じだったら、少しは救われていたのに。彼にとってのそれは、ずっと、彼女だけにしかなかったのだと分かってしまった。
 
 そう。きっと、そう言えば、彼は否定するだろうけど。
 きっと彼は、ずっと、待っていたのだ。

 私が女じゃなかったら、何も気づかないまま、鈍感に時を過ごせたかもしれないのに。
 私は、女で。
 男の彼を、愛しいと、そう思ってしまったから。
 だから、気づいてしまった。

 そういう意味合いで私に一度も触れなかったのは、冗談でも甘い言葉を一度も言わなかったのは、そこにずっと彼女がいたから。
 その心の奥でずっと彼女を、彼女だけを、渇望していたから。

 きっと、彼は何も気づいてはいないのだろうけど。
 言えばきっと、否定するだろうけど。
 こうやって私を守っているのも、彼女のため。
 彼女に関係することで万が一私に何かあったら、間違いなく彼女は傷つくから。
 彼女が傷つくことがないように、彼女を守るために、彼は私を守ろうとしているのだ。

 きっとそれは、思考で生み出された行動ではなく、きっと、そう多分、本能のようなもので。
 それほどまでに彼女の存在が大き過ぎて、そのあまりの大きさに、彼自身、それに気づけていないのだろうけど。


 それでも。

 そんなところですら、愛しいと思ってしまう、から。
 私達の間にも、それとは違うかもしれないけれど、確かに何かが生まれていたのだ。
 そうじゃなかったら、彼の手があんなに暖かかったわけもないし、優しかった彼の瞳の意味もない。


 だから、もう、充分でしょう?


 そう思うのに、言葉が前に出てこない。
 喉に引っ掛かった言葉は、そのまま絡まって胸の中に落ちていくだけだ。






「ファルコ……ッ!」



 突然、何処からか聞こえてきた声に顔を上げる。
 その声の主を探すためじゃなく、彼の顔を見るために。

 ―――やっぱり。
 今、鏡があったら、彼にその顔を見せてやるのに。
 そんな安心したような、情けない顔。

 ああ、でも、私はその顔を、三年前から知っていた。
 いつのまにか、自分に都合よく、忘れたフリをしていただけだ。
 そうだ。
 私は、初めから知っていたのだ。
 彼女を見るときの彼の瞳の中に、それが溢れていたのを。
 それがずっと彼女一人に向けられていたことを、最初から私は、彼よりも知っていたのだ。

 知って、いたのだ。


 引っ掛かった言葉ごと涙を飲み込んで、そうして私は、私達を終わらせてくれる彼女の存在を静かに待つ。
 彼の意識は、既にここにない。
 それを痛感しながら、彼を見上げて、口をそっと開いた。

『 行かないで 』

 声にはせず、心の中だけで呟いた言葉。
 これくらいは許して欲しい。

 優しい瞳と力強い手を知ってしまったけれど。
 それが誰のためにあるものだったか、思い出してしまったけれど。
 届きも敵いもしなかったけれど。

 だけど、これでもう、充分だから。

 この約一年半の間、共にいた私達にだって、得たものはきっとあったはずだから。
 この言葉はちょっとした、悪足掻きのようなものだ。

 寄り添い、時に手を繋ぎながら過ごした、暖かな日々への。
 その中で育んだものへの。
 ひょっとしたら、育ったかもしれないものへの。


 そして、

 私自身の、女心への――…、


 ―――――――――最後の、悪足掻き。






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