硝子のスプーン

そこにありました。

「LIKE A FAIRY TALE」 17

2012-06-19 17:48:33 | 小説「Garuda」御伽噺編
17.【 あの日の僕らにバイバイ 】   (トゥルー)


 どうにかしなくちゃいけないと思っているのに、どうしたらいいのか全然分からない。
 それが今の僕の現状だった。
 おかげで昨日は、ろくに眠れなくて、目の下にクマが出来てしまった。

 マリアが帰ってきたあの夜。確かに感じた、あの奇妙な悪寒。
 それを確かめたくて、機動隊隊舎まで来たというのに、アトレイユの護衛官だか特殊部隊だか知らないけど、やたらゴツイ人達に邪魔されて、会うことも出来ないし。
 ただ実際、会えたとしても、どうしたらいいかなんて僕にもまるで分かってなくて、だけど考えれば考えるほど、じっとなんかしてられなくて……。結局、堂々巡りだ。苛々して思わず、ただでさえアトレイユの人の対応にキレ気味だったアンナに突っかかって怒らせちゃうし、一体何やってんだろ、僕は。
 いや、何やってんだって言うなら、僕よりファルコだ。
 マリアの様子がおかしいってちゃんと伝えたのに、相変わらずダラダラ寝てばっかだし(まぁそれはいつものことだけど)、そうかと思えば、こっちがプリンを買いに出掛けてる隙に、またいなくなっちゃってるし。三年前のファルコならきっと、マリアのために何かしらの行動を起こしていたに決まってるのに。
 と、そこまで考えて、「三年前」という単語の響きに溜息を漏らす。

 三年前とは確かに違う、今の僕ら。
 僕らはあの日、きっと、何かを失くしてしまったんだ。
 三年前のあの日まで、確かに在った、何かを。

 ふと空を見上げれば、十四夜の月が寸足らずな丸さで、地上を見下ろしていた。
 明日は旧世界の一地域の人達が「中秋の名月」と呼んでいた、一年で一番綺麗な満月の夜だ。ここ最近ずっといい天気が続いているから、明日もきっと晴れて、さぞ月が綺麗に見えることだろう。なんか、忌々しい。人がこんなに悩んでるのに。そんな暢気に光ってる場合か。
 なんて、月に八つ当たりしてみても仕方がない。はぁと大きく溜息を吐きながら、とぼとぼと道を歩く。夜が明ける頃にはファルコも帰ってくるだろう。ひょっとしたら酔い潰れているかもしれないけど、もしそうだったら、今度こそいつもの十倍、いや百倍くらいキツく小言を言ってやろう。

 でも、それ以上はどうしようもないのかもしれない。
 僕はマリアを可愛がっていたし、仲も良かった。今だって変わらず大切に思っているけど、でも、アトレイユの人達に囲まれて護られている今の彼女に、今の僕がしてやれることなんて、何もないのかもしれない。

 暗くなっていく思考を振り切るように、勢い良く頭を横に振る。
 ダメだ。
 こんなことを考えているようじゃ、本当に何も出来ない。
 顔を前に向け、拳を握る。

 だけどそれは気持ちばかりで、行動は結局、さっきから変わらず、意味なく隊舎の周りをウロウロするしか出来ていない。大体、僕はマリアの家族だと言っていい立場にあるのに、どうして少しの面会すら許されないのだ。おかしいじゃないか。何を考えてるんだ、アトレイユの人達は。
 憤りにフンッと思いっきり鼻を鳴らしたとき、隊舎の敷地を囲む鉄柵に空いた小さな穴を見つけた。
 いつテロリストに報復されるか分からないというのに、なんとまぁ無用心な。なんて、良識的な考えは即座に消えた。
 『一般人の面会はすべて禁止されている』なんて、アトレイユの人は言っていたけど、僕は一般人じゃない。彼女の「家族」なのだ。会う権利は絶対にある。というか、こうなったら何が何でも会ってみせる。肉体的運動はあまり得意じゃないけど、意地と根性があれば人間何だって出来る、はずだ。
 スレイとアンナを先に帰してしまったのはちょっと失敗だったかなと一瞬思ったけど、スレイじゃこの穴は通れないだろうし、アンナは騒ぎを大きくする天才だから、この場合いなくて正解かもしれない。
 急に早くなった動悸に再び拳を握ると、僕は身を丸め何とかその小さな穴から、敷地の中へと潜り込んだ。



「ラビッ!」

 潜り込んだ敷地の中で、木や茂みの影に身を潜めてうろつくこと、数十分。幸い、誰に見咎められることもなかったけど、逆に軽く迷子になりかけていた僕は、聞こえてきたその悲鳴のような声に、瞬時に反応した。
 マリアだ。僕が間違うはずがない。あの声は、マリアの声だ。

 茂みの中から、そっと周りを窺う。と、僕が隠れている場所から存外近い場所に、マリアはいた。
 マリアの後ろのベンチに座っているあの白髪の人は恐らく、マリアと一緒に来たとかいう、もう一人の種子なのだろう。そうだ、昨日マリアは確か「ラビ」と、彼のことを言っていた。

 ゆっくりと、そのラビくんが、マリアに向かって笑った。
 そして酷く穏やかな声で、マリアに「約束をしよう」と呼びかける。
 その言葉に何故か、途端にマリアが、酷く怯えたような表情を浮かべた。

「違うって。そういう意味合いでの約束じゃない。ただの指きりげんまんの約束、だよ」

 そう言ったラビくんの声がとても優しくて、僕は完全に出ていくタイミングを失ってしまった。
 仕方なく、茂みの中に身を隠したまま、息を潜める。
 そっと二人を見れば、マリアは、今度は明らかに不審そうな顔つきになっていた。それにしても今日が十四夜で良かった。月が明るいから、二人の表情まで良く見える。ついさっき、月に向かって暴言を吐いてしまったけど、あれ、全部取り消します。ごめんなさい、お月様。

「何の約束ネ?」

 聞こえた声に、はっとして、慌ててマリアの方を見る。
 もうさっきの不審顔は消えていたけど、代わりにどこか緊張しているように見えた。

「僕とマリアの約束だよ」
「だから、何の約束ネ?」
「ちゃんと“ファルコ”に会って、ここに戻ってくること」
「………」
「会っておいでよ。それで思ってること全部伝えておいで。少しの心残りもないように」
「……心残りなんか、もうないって言ってるネ」
「嘘が下手なんだから、もう。顔に書いてあるよ。“ファルコ”が好きで、諦めきれないって」
「………」
「ねぇ、マリア。本当にもう時間がないんだよ。分かるだろう?」
「…っだったら! なんで今そんなこと言うネ…ッ!」
「君がマリアで、僕がラビだからだよ」
「?」
「マリアが大切だから、悔いなんか残して欲しくないんだよ」
「………今更、ネ」
「そうだね、今更だね」
「違うヨ…。今更、今更会いになんか行けないって言ってるネ」
「どうして?」
「会って、思ってること伝えて、今更何になるのヨ?」
「少なくとも、マリアの心に悔いが残らない」
「残るヨ!」

 そう叫んだマリアは泣いていた。
 震えながら、声を、絞り出している。

「もうどうしようもないのに、気持ち押し付けて、何になるっていうネ? また傷つけてしまうだけヨ。そんなの…やーヨ。それこそ悔いが残ってしまうだけネ」
「マリア…」
「私はもう、これ以上ファルコを傷つけたくない。だから、もう会わないって決めたネ。傷つけるだけだって分かってるのに、会うなんて出来ないヨ」
「……マリア、それは違うよ。マリアは思い違いをしてる」
「思い違い?」
「マリアは“ファルコ”を傷つけたくないんじゃなくて、自分が傷つきたくないだけだ」
「………」
「人の心はその人にしか分からない。心は体の一番奥にある、神聖なものなんだ。他の人に触れられるものじゃないし、他の人がどうこう出来るようなものでもない。だから、誰かの心を自分が傷つけたなんて言うのは、傷つけたと思ってる人の思いあがりだ。傲慢だよ」
「でも…」
「“ファルコ”は強い人じゃなかったの? マリアに自由と世界をくれた、強くて優しい人だって、言ってたじゃない。僕達みたいな存在に、そこまで出来る人はそうはいないよ。アトレイユでの生活で、マリアにも分かったはずだ。彼がどれだけ優しい人だったか。どれだけ強い人だったか。そんな人の心を、たかだか十八歳の女の子の気持ち一つで簡単に傷つけられると本当に思ってるのだとしたら、それはマリアが彼を見くびってるってことだ」
「………」
「会っておいで、“ファルコ”に。それで傷つくなら、思いっきり傷つけばいい。思いっきり何かが出来るなんて、これが最後かもしれないんだから」
「……でも、今会ったら…、もう一回でも顔を見たら、私、きっと、止まらないネ」
「止まらない?」
「…ひょっとしたら、怖くなって、そのまま逃げちゃうかもしれないヨ…? だから、行かないネ。それに今、ラビを独りであの人達の所に残して、どこにも行けるわけない」
「だから、そのための約束なんだよ。本当は、マリアがそうしたいなら、そのまま逃げちゃってもいいんだ。マリアならもしかしたら、どうにかなるかもしれないし。だけど、僕がいる限り、マリアはそれが出来ないだろう? 今、僕を残して逃げたら、もし奇跡が起こって助かったとしても、マリアはずっと悔やむだろう? 絶対に。さっきも言ったように、僕はマリアには悔いてほしくない。だから、約束」
「…約束?」
「そう、約束。マリアはファルコに会って、ここに戻ってくること。僕はギリギリまで持ちこたえて、限界までマリアを待つ。それを約束しようって言ってるんだ。それが、マリアの歯止めにもなるだろ?」
「…………」
「マリア?」
「…でも、やっぱり行けないヨ。今行っても迷惑になるだけネ。私がここを離れたのは三年も前のことで、今更私が会いに行ったって、ファルコだってもう…、」
「行ってきなよ」

 気がつくと僕は茂みから出て二人の前に姿を出して、マリアの言葉を遮っていた。
 二人の表情から、僕の登場が全くの予想外だったと知る。正直僕だって、予想外だ。でも、どうしても、声をかけずにはいられなかった。

「行ってきなよ、マリア」
 同じ言葉を繰り返しながら、二人に近づく。
 大きく開いたマリアの目からは、まだ涙が毀れていた。
「ファルコの都合なんか、考えるだけ無駄だよ。忘れちゃったの?」
「…トゥルー」
「マリア、僕ね。ずっと考えてたんだ。三年前、違う道を選んでたら、何か違ってたのかなって。だけど、考えても考えても分からないんだ。この僕が、クマが出来るまで考えて分からないなんて、有り得ないけど。だけど、考えたって意味がないんだって、今やっと分かった」
「………」
「あの日の選択によって、僕らは確かに三年間別々になった。でも、ただそれだけのことだよ。仮に違う道を選んでいたとしても、その結果違ったことなんて小さなことでしかないんだ。だって、それによって三年前の僕らが消えてなくなるなんてことは、絶対にないんだもん。どの道のどの未来に立とうと、その結果、どれだけ環境や状況が変わっても、僕らが一緒だったあの日々は消えない。そんな薄っぺらいものなんかじゃ絶対になかったって言いきれる自信が、僕にはある」
 言いながら、ゆっくりとマリアに近づいていく。
 マリアは、あの、真っ直ぐな瞳でこちらを見上げていた。
「ねぇマリア。この三年間、僕らはずっと会ってなかったから、ちょっとした変化に戸惑ってしまったけど、そんなものに何の意味もないんだよ。あの頃も今も、僕らは僕らであることに違いはないんだから」
「………」
「この三年で、マリアにとってのファルコが他の誰かに取って代わったわけじゃないみたいに、ファルコにとってのマリアだって他の誰にも代えられる存在じゃないはずだよ? そりゃ確かに三年経ってるわけだから、何もかも昔のままってわけにはいかないかもしれない。だけど、どんなファルコでもマリアから見たら、ファルコはファルコでしかないでしょう? 同じようにファルコから見たら、どんなマリアでも、マリアはマリアだよ。根本的なものは何も、ひとつも変わらない。僕にとってのマリアが、三年経った今も変わらず、小さな可愛い妹であるのと同じようにね」
「…変わらない、カ…?」
「変わらないよ。マリアの周囲は確かに変わっちゃったかもしれないけど、そんなの僕らには関係ないよ。たとえマリアが、闇の帝王とかになっちゃったとしても、僕にとってはずっと、マリアはマリアだから」
「ていおう?」
「もしくはプリン王国の女王でもいいよ」

 そう言ってやると、初めてマリアはくしゃくしゃな顔で笑った。それを見て、僕もつられて笑う。
 僕らはみんな(あ、鈍感女王は別にして)、共にいなかった三年間に気を遣いすぎていたのかもしれない。
 本当は今みたいに、ちゃんと向き合えば、そしてちゃんと顔を見て笑い合えば、それで良かっただけなのに。
 三年間なんて、気にすること、なかったのに。

「行ってきなよ、マリア」
 もう一度念を押すようにそう言うと、マリアはまだ少し躊躇するように眉を顰めた。
「いいんだよ、マリア。ファルコに気を遣うだけ無駄だって。それこそ今更だよ。忘れちゃったの? 君ら二人、涎を掛け合いながら昼寝してたことだってあるし、晩御飯のおかずのことで本気の喧嘩してたことだってあるんだよ?」
「…でも…」
「それにマリア、散々あのダメ人間に苦労かけさせられたじゃん。夜中に酔っ払って玄関でぶっ倒れてるの、何回ベッドまで運んでやった? マリアがちょっとくらい我侭言ったって、甘んじて受ける義務があるよ、あのバカには」
 そこまで言って、僕はちょっとだけマリアから目を逸らした。
 これはちょっと、まともに目を合わせたままでは、何となく、気恥ずかしくて言えないのだ。
「…あ~……、それに、さ。ファルコなら、どんなことでも受け止めてくれるよ、きっと。あの人、ああ見えて強いしさ。そりゃダメなところもめちゃめちゃあるけど、でも、いつだって僕らのことは……、特にマリアのことは、きちんと受け止めてくれるよ。あの人は」
 それを一番信じてたのは、マリアでしょ? そう言いながら、マリアの方を向く。
「…うん」
 そう言ったマリアは、さっきよりずっとくしゃくしゃな顔で笑っていた。
 涙を乱暴に拭き取りながら、もう一度確認するようにマリアは笑った。

「ラビ。約束」
 ゆっくりと後ろに下がりながら、そう言ってマリアが、左手の小指を持ち上げる。
 横にいたラビくんも、笑いながら右手の小指を上げた。
 それを見届けると、マリアはラビくんから僕に目線を移して、「トゥルー、ありがとネ。機械オタクでも大好きヨ!」と、名誉に思っていのか不名誉なのかよく分からない台詞を一言残して、ひらりと身を翻した。

「おいっ、待て! どこに行く! 止まれ!」

 途端にどこからか、焦ったように出てきたアトレイユの人達がそう叫んで、その後を追おうとしたけれど、マリアの俊足に追いつけるはずもなく。
 マリアは自分の背丈の何倍もある鉄柵をいとも簡単に、ひょいと飛び越えていく。
 それを見送りながら、僕はもう見えない彼女に向かって手を振り続けた。
 アトレイユの人達が何か大声で喚いていたけれど、それは全部無視して、そこに残った蜃気楼のような彼女の影に、僕はずっと手を振り続けた。


 大事なことは、きちんと彼女と向き合うことだったのだ。
 三年前のじゃなくて、この三年間のでもなくて、今の彼女と。

 やっと分かった。

 僕らが三年前に失くしたもの。
 それはきっと、先に伸びていこうとする気持ち。

 三年前に別れたことを悔やんで、あの頃は良かったね、なんて思ったって過去は過去で、もうどうしようもないことでしかなかったのに。
 僕らが生きていくためには、先に、先に、伸びていかなきゃいけなかったのに。
 思い出ばかりを大事にして、僕らは、それを忘れてしまっていた。

 だから、僕は手を振り続けた。

 楽しくて、騒がしくて、まるで家族みたいだったあの頃の僕らに向かって。
 もう二度と戻れないんだと、何度も自分に言い聞かせながら。
 もう一度、マリアとファルコ、それにスレイやアンナや僕や、みんなで、ああやって笑い合うために。


 横にいたラビくんが一礼して、アトレイユの人達と一緒に去っていった後も、騒ぎを聞きつけた機動隊の人達がやってきた後も、僕は彼女が行った先を見つめ続けた。

 いなくなった僕らに向かって。

 家族みたいで、ただ、楽しくて、騒がしかった僕らに向かって。


 そっと、

 別れを口にしながら。




(NEXT⇒イヴは最初から知っていた)


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