13.【 くだらなくて、小さくて、大事な 】 (ファルコ)
膝を抱えた格好で、マリアは一人ベンチに座って、あの家族を目で追っている。
思わず名前を呼ぼうと開いた口をそのまま閉じ、代わりにゆっくりと近づく。
俺が目の前に来て、マリアはようやく視線を、その家族から離した。
「何してんだ?」
上から声をかけると、そんなはずあるわけもないのに、まるでたった今俺を認識したように、マリアが僅かに目を大きくする。そうして、少しだけ息を吸って何か言おうとしたのだろう、口を開いたもののそれは声にならず結局、そのまま下を向いてしまった。
「どうしたよ? こんなとこで一人で膝抱えて」
それはマリアが何か考え込んだり、心細くなったりした時に無意識にする子供の頃からの癖で。
―――俺の他に誰か、そのことを知っているヤツはいるんだろうか。
―――この三年間で、誰か、それがマリアの癖だと気づいたヤツはいるんだろうか。
そんなしょうもないことを頭の隅でぼんやり考えていると、視線の先でマリアが無言のまま、酷く緩慢な動きで抱えていた膝を下ろした。
「マリア?」
その余りに静かな動作に不安を覚え、マリアの肩に向かって手を伸ばす。と、その手が届く寸前に、マリアがやっと口を開いた。
「………あんなふうになりたかったネ……」
「…あ?」
「あんなふうに、お父さんとお母さんと笑ってみたかっただけなのに……。あの子と私では何がそんなに違ったネ…?」
「……マリア」
「なんで…私は、生まれてこなきゃいけなかったカ……?」
「……………」
ぼんやりと宙を見たまま、そう訊くマリアに、思わず喉が詰まった。
ああ、そうだった。
こいつはいつだって、こうやって、ただ真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。
三年前のあの日のように。
あの日。ゾロがアデル博士を連れてきた日から、六日経ったあの日の夜。
部屋から一歩も出ずに篭城し続けるマリアに話をつけるために、部屋に入った。なのに実際に顔を見たら、話をつけるどころか言葉が何も出てこなくて、二人だけの部屋の中、ずっと沈黙が続いていた。
そんな中、外で雨が降り出したのを契機に、マリアが先手を取って言った。
「やーネ」
「…マリア」
「ファルコ。マリアは、ここにいたいヨ」
気がつくとマリアの目からは、涙が溢れていて。その涙がもう、答えを物語っている気がした。
つまりは、俺達はもう一緒にいることは出来ないのだ、と。
「よく考えろ。あっちに行けば、お前の爺さんが死ぬ寸前まで願ってたことが叶うかもしれねぇ。お前だって種のせいで、今まで散々酷い目にあってきたじゃねぇか。それをやっと終わりに出来るかもしれねぇんだぞ」
「そんなの分かってるネ。でも、イヤ。少なくとも今は、絶対にイヤ」
「マリア、お前も博士の話聞いてただろ? 今ならまだ、体が完全に成長しきってないから、種を除去できる可能性が高いって。それをお前、今行かなくてどうするよ」
「どうもこうもしないネ。とにかく今はまだマリアは、ファルコの傍を離れたくない。どこにも行きたくなんかないネ」
「………いつまでもずっと一緒ってわけにはいかないって、本当はもう、お前だって分かってんだろ? どうしたっていつかは、こうやって離れる日が来るんだよ。……人と人って言うのは」
「でもそれは、今じゃないネ。ファルコ、約束したじゃんカ。マリアが大人になるまでは、傍にいるって。それが保護者のツトメじゃなかったのカ?」
「事情が変わったんだよ。可能性があるなら、それを大事にしてやるっつーのも、保護者の務めだ」
「そんなジジョー知らないネ」
「マリア」
「やーって言ったらやーヨ! 今離れたら、もう二度とここには帰ってこられない気がするネ、そんなのやーネ!」
「いつだって帰ってくればいいじゃねぇか。別にお前、宇宙の果てに行くわけじゃなし、ちょっと帰ってくるくらいそんなに難しいことじゃねぇよ」
「そういう意味じゃないネ! もうファルコの傍にいられなくなるかもしれないから、怖いのヨ! これまでずっとモジャモジャがマリアのこと、必死に護ってきてくれたことは知ってる。ありがたいと思ってるヨ、マリアだって。でもいくらモジャモジャの薦めでも、これだけは絶対にイヤ! 絶対に、絶対に、イヤ!」
「……………」
「お願いヨ、ファルコ…。マリアはまだ、ファルコの傍にいたいネ。ただ、いさせてくれるだけでいいネ。傍にいさせて、お願いヨ…」
乱暴に涙を拭きながら、マリアは真っ直ぐにこっちを見た。
「ファルコが好きなの」
途端、腹から込み上げるものがあって。
……あぁ。分かってる。俺だって、マリアを手放したいわけじゃないんだ。
マリアの方に伸びようとする腕を必死に押さえて、出来るだけ冷静にマリアの名前を呼んでやる。
だけど、マリアは厭々と駄々をこねるように首を横に振るだけで、こっちを見ようとしない。
本格的にしゃくりをあげ始めたマリアの肩を掴んで、こっちを向かせる。
見上げてくる瞳は涙に濡れてとても綺麗で、必死に自分に言い聞かせる。
……駄目だ。
こいつがずっと、欲しがることさえ出来なかった本物の自由が、手に入るかもしれないんだ。
何にも怯えなくていい未来が、その可能性が、こいつを待ってる。
それを、何もかも全部捨てさせて、ずっと俺の傍においておくなんて出来るわけがない。
こいつだけじゃない。ゾロにも他の奴らにも色んなものを捨てさせることになるのに、そんなこと、していいはずがない。
俺達は家族みたいにずっと一緒にいて、だけど本当は家族でも何でもなくて。
俺がこいつに与えてやれるものなんて、所詮、ちっぽけなものでしかなくて。
本当に、ちっぽけなものでしかなくて。
なのに、こいつはいつだって、そんなちっぽけなもののために、何だって投げ出そうとするから。
そんなこいつを俺は人生をかけて守ると誓ったのだから。
だから。
だから、こそ。
落ちたのは言葉ではなくて、涙だった。
それを見て、マリアはしゃくりあげていたのを止め、息を呑んだ。
「……………ファル、」
「行けよ。………頼むから………」
それだけ言うとマリアの前から立ち上がり、背を向けた。
部屋のドアを閉じる前に見たマリアは、未だに微動だにしないままで。
その視線を遮るように、バタンとドアを閉めた。
そしてグイっと腕で涙を拭き、自分の部屋に戻って、ベッドに入った。
溢れたのは、言葉か想いか。
その答えを見つけだすことなく、静かに、最後の夜は更けていった。
(NEXT⇒背伸びをしてみても)
膝を抱えた格好で、マリアは一人ベンチに座って、あの家族を目で追っている。
思わず名前を呼ぼうと開いた口をそのまま閉じ、代わりにゆっくりと近づく。
俺が目の前に来て、マリアはようやく視線を、その家族から離した。
「何してんだ?」
上から声をかけると、そんなはずあるわけもないのに、まるでたった今俺を認識したように、マリアが僅かに目を大きくする。そうして、少しだけ息を吸って何か言おうとしたのだろう、口を開いたもののそれは声にならず結局、そのまま下を向いてしまった。
「どうしたよ? こんなとこで一人で膝抱えて」
それはマリアが何か考え込んだり、心細くなったりした時に無意識にする子供の頃からの癖で。
―――俺の他に誰か、そのことを知っているヤツはいるんだろうか。
―――この三年間で、誰か、それがマリアの癖だと気づいたヤツはいるんだろうか。
そんなしょうもないことを頭の隅でぼんやり考えていると、視線の先でマリアが無言のまま、酷く緩慢な動きで抱えていた膝を下ろした。
「マリア?」
その余りに静かな動作に不安を覚え、マリアの肩に向かって手を伸ばす。と、その手が届く寸前に、マリアがやっと口を開いた。
「………あんなふうになりたかったネ……」
「…あ?」
「あんなふうに、お父さんとお母さんと笑ってみたかっただけなのに……。あの子と私では何がそんなに違ったネ…?」
「……マリア」
「なんで…私は、生まれてこなきゃいけなかったカ……?」
「……………」
ぼんやりと宙を見たまま、そう訊くマリアに、思わず喉が詰まった。
ああ、そうだった。
こいつはいつだって、こうやって、ただ真っ直ぐに言葉をぶつけてくる。
三年前のあの日のように。
あの日。ゾロがアデル博士を連れてきた日から、六日経ったあの日の夜。
部屋から一歩も出ずに篭城し続けるマリアに話をつけるために、部屋に入った。なのに実際に顔を見たら、話をつけるどころか言葉が何も出てこなくて、二人だけの部屋の中、ずっと沈黙が続いていた。
そんな中、外で雨が降り出したのを契機に、マリアが先手を取って言った。
「やーネ」
「…マリア」
「ファルコ。マリアは、ここにいたいヨ」
気がつくとマリアの目からは、涙が溢れていて。その涙がもう、答えを物語っている気がした。
つまりは、俺達はもう一緒にいることは出来ないのだ、と。
「よく考えろ。あっちに行けば、お前の爺さんが死ぬ寸前まで願ってたことが叶うかもしれねぇ。お前だって種のせいで、今まで散々酷い目にあってきたじゃねぇか。それをやっと終わりに出来るかもしれねぇんだぞ」
「そんなの分かってるネ。でも、イヤ。少なくとも今は、絶対にイヤ」
「マリア、お前も博士の話聞いてただろ? 今ならまだ、体が完全に成長しきってないから、種を除去できる可能性が高いって。それをお前、今行かなくてどうするよ」
「どうもこうもしないネ。とにかく今はまだマリアは、ファルコの傍を離れたくない。どこにも行きたくなんかないネ」
「………いつまでもずっと一緒ってわけにはいかないって、本当はもう、お前だって分かってんだろ? どうしたっていつかは、こうやって離れる日が来るんだよ。……人と人って言うのは」
「でもそれは、今じゃないネ。ファルコ、約束したじゃんカ。マリアが大人になるまでは、傍にいるって。それが保護者のツトメじゃなかったのカ?」
「事情が変わったんだよ。可能性があるなら、それを大事にしてやるっつーのも、保護者の務めだ」
「そんなジジョー知らないネ」
「マリア」
「やーって言ったらやーヨ! 今離れたら、もう二度とここには帰ってこられない気がするネ、そんなのやーネ!」
「いつだって帰ってくればいいじゃねぇか。別にお前、宇宙の果てに行くわけじゃなし、ちょっと帰ってくるくらいそんなに難しいことじゃねぇよ」
「そういう意味じゃないネ! もうファルコの傍にいられなくなるかもしれないから、怖いのヨ! これまでずっとモジャモジャがマリアのこと、必死に護ってきてくれたことは知ってる。ありがたいと思ってるヨ、マリアだって。でもいくらモジャモジャの薦めでも、これだけは絶対にイヤ! 絶対に、絶対に、イヤ!」
「……………」
「お願いヨ、ファルコ…。マリアはまだ、ファルコの傍にいたいネ。ただ、いさせてくれるだけでいいネ。傍にいさせて、お願いヨ…」
乱暴に涙を拭きながら、マリアは真っ直ぐにこっちを見た。
「ファルコが好きなの」
途端、腹から込み上げるものがあって。
……あぁ。分かってる。俺だって、マリアを手放したいわけじゃないんだ。
マリアの方に伸びようとする腕を必死に押さえて、出来るだけ冷静にマリアの名前を呼んでやる。
だけど、マリアは厭々と駄々をこねるように首を横に振るだけで、こっちを見ようとしない。
本格的にしゃくりをあげ始めたマリアの肩を掴んで、こっちを向かせる。
見上げてくる瞳は涙に濡れてとても綺麗で、必死に自分に言い聞かせる。
……駄目だ。
こいつがずっと、欲しがることさえ出来なかった本物の自由が、手に入るかもしれないんだ。
何にも怯えなくていい未来が、その可能性が、こいつを待ってる。
それを、何もかも全部捨てさせて、ずっと俺の傍においておくなんて出来るわけがない。
こいつだけじゃない。ゾロにも他の奴らにも色んなものを捨てさせることになるのに、そんなこと、していいはずがない。
俺達は家族みたいにずっと一緒にいて、だけど本当は家族でも何でもなくて。
俺がこいつに与えてやれるものなんて、所詮、ちっぽけなものでしかなくて。
本当に、ちっぽけなものでしかなくて。
なのに、こいつはいつだって、そんなちっぽけなもののために、何だって投げ出そうとするから。
そんなこいつを俺は人生をかけて守ると誓ったのだから。
だから。
だから、こそ。
落ちたのは言葉ではなくて、涙だった。
それを見て、マリアはしゃくりあげていたのを止め、息を呑んだ。
「……………ファル、」
「行けよ。………頼むから………」
それだけ言うとマリアの前から立ち上がり、背を向けた。
部屋のドアを閉じる前に見たマリアは、未だに微動だにしないままで。
その視線を遮るように、バタンとドアを閉めた。
そしてグイっと腕で涙を拭き、自分の部屋に戻って、ベッドに入った。
溢れたのは、言葉か想いか。
その答えを見つけだすことなく、静かに、最後の夜は更けていった。
(NEXT⇒背伸びをしてみても)