11.【 そんな彼の事情 】 (ファルコ)
大統領官邸を出て、そのままツバキを店に迎えに行って家まで送り、船に戻ると朝方の四時過ぎだと言うのに、スレイが仁王立ちで俺を出迎えてくれた。
その顔には確実に不機嫌さだとか心配とかが入り混じっていたけれど、敢えてそれを全部スルーして、右手をあげてみせる。
「よお。遅くまでご苦労サン」
「よう、じゃないだろう。こんな時間まで何をしてたんだ、お前」
「んだよ、目くじら立てて。お前は俺の母ちゃんか」
「こんな薄情な息子、願い下げだ。昨日マリアが来るって、お前も知ってたはずだぞ? それをなんだ。ふらりと出て行ったまま、こんな時間まで連絡一つ寄こさず、帰ってきもしないで」
「しょうがねぇだろ。俺にだって色々用事があんだよ」
「ほう。どんな用事だ? 三年ぶりに帰ってきたマリアと会うより大事な用事があるなら、是非聞かせて貰いたいものだな」
「だーかーら、色々つってんだろ」
「……お前、マリアを避けてるのか?」
「なんでそうなんだよ…」
「そう思われても仕方ないだろう。マリアが来ると分かるなり、いきなり出て行って、こんな時間になるまで帰ってこないなんて」
「あーも、うっせ。俺がふらりと出て行って帰ってこないのは、今に始まったことじゃねぇだろうが。いちいちグチグチ言うんじゃねぇよ」
そう言ってスレイを押しのけ、自分の部屋へと足を向けた俺に大きな溜息を吐きながらも、スレイがブツブツと後をついてくる。
「マリアが大変な時だって言うのに……」
「大変?」
「始終ふらふらしてばっかのお前は知らんだろうがな、昨日の朝、臨時ニュースで流れてたんだよ。一昨日の晩、大物テロリストグループをアトレイユの極秘部隊の助けで一気に検挙したって。今のこのタイミングで、アトレイユの極秘部隊って言ったら、どう考えてもマリアのことだろうが」
「……へぇ」
「なんでマリアが、そんなことしなきゃいけないんだ。聞いても自分の勝手でやったことだとしか言わないし。そもそも、なんでウチじゃなくて機動隊にいるんだ、マリアは。あれはウチの子だぞ」
「俺に言うなよ。知らねぇよ」
言いながら、部屋のドアを開け、しつこく中までついてくるスレイを無視して、ベッドに寝転がる。
「おい、ファルコ。まだ話は終わってないぞ」
「その話なら、また今度にしてくれ。俺ぁ、疲れてんだよ。今すぐ睡眠取らなきゃ、体がストライキ起こして大変なことになっちまう」
「ストライキでもストライクでも勝手に起こせ。それより、マリアのことのほうが大事だ」
「バッカ、お前。俺の体がストライキ起こしたら、大変なことになっちまうんだぞ。夕方になっても起きられなくなんだぞ」
「いつもと変わらんじゃないか」
「ああああっもう、うるっさいお前! あいつだってなぁ、三年前とはもう違うんだから、俺達がいなくてもちゃんとやっていけるっつの。それに機動隊がついてんなら、鬼に金棒じゃねぇか。心配すっこたねぇよ」
「そういう問題じゃないだろう!」
声を荒げて俺から毛布を剥ぎ取ろうとするスレイの後ろから、また違う声が部屋に響く。
「何騒いでるかと思えば。おかえり、ファルコ。今の今までどこで何してたの? 折角マリアが来てたのに」
部屋の入り口から、これ以上ない非難の目を向けてくるトゥルーに、がくりと頭を枕に埋めた。
「お前まで勘弁しろよ。つーか、もう、ほんと寝かせてくんない? マジ限界なんだって、俺」
「……でも、ファルコ。マリア、なんかちょっと変だったんだ」
「変って何が?」
「…上手く言えないけど、なんか、このまま放っておいちゃいけない気がする……」
枕から少しだけ顔を上げ、部屋の入り口に立っているトゥルーを見上げる。
眉を思いっきり八の字に寄せ、不安を隠すことなく覗かせるトゥルー特有のその表情は、三年前と何も変わっちゃいない。もっと言うなら、未だ仁王立ちで俺を睨んでくるスレイの、酷く心配そうな表情もだ。
―――誰も何も、三年前と何ら変わっちゃいないのに。
「分かった、分かった。とにかく、また今度な。もう眠たくて、脳みそが全く働かねぇんだよ」
それだけ言い、毛布に潜り込んだ。
てっきりまだ文句を言ってくると思ったのに、スレイもトゥルーも、そのまま静かにドアを閉めて出て行く。
眠たくて限界というのは、逃げるための言わば口実だったのに、官邸に忍び込むのに久々に体力と神経を使ったせいか、二人の足音がそれぞれ遠ざかるのを聞きながら、俺はいつのまにか本当に意識を手放していた。
「今、何時だ……?」
目が覚めて部屋を出ると、居間には誰もいなかった。居間だけではなく、しんとした静けさが、船全体に漂ってる。どうやら全員留守にしているらしい。とりあえず顔を洗い、何か口に入れるために食堂に行く。
時計を見ると針は午後四時半を指していた。
さすが秋だけあって、日が暮れるのが早くなった。もう既に少し薄暗い室内を見渡して、あいつらがどこぞから帰ってくる前に、出掛けてしまおうと行動に移す。
昨日のことをまた蒸し返されて、無駄に討論する気はさらさらない。あいつらが望む答えを俺だって持っていないのだ。大体、マリア自身が俺達の介入を拒んでいるのに、それを一体、俺にどうしろというのか。
街を歩けば機動隊にあたると言うくらい、ここ数日、どこを見ても黒い隊服を着た野郎だらけだ。
徐々にネオンが灯り始める騒がしい通りを、厳めしい顔で巡回する機動隊員を見ながら、溜息をつく。こうも奴らが多くちゃ、街をぶらぶらするのさえ気が乗らない。
見知った士官クラスの隊服を目に映しながら、一昨日の夜に会ったシューインの言葉を思い出す。それと同時に、朝方見た、スレイの心配顔やトゥルーの不安顔が頭を過ぎる。
「…俺にどうしろってんだよ……」
アデル博士の事にしろ、マリアがリムシティに戻ってきている事にしろ、今の俺には何の関係もないことなのだ。
勿論、三年前まで確かにあいつは、俺が守るべき存在だった。
けれど、その義務も権利も何もかもを、三年前に俺は自分から放棄したのだ。
そして、あいつは出て行った。それきり何の連絡もなかったというのに。
あいつが言ったでもなしに、俺があいつのためにしてやれることなど、とうの昔にないというのに。
自然と握られていた拳に気づき、ゆっくりと手のひらを開く。
マリアに会ってからこっち、気がついたらこうして体に力を入れ過ぎていることが多い。
その事実に僅かに眉を寄せ、ぷらぷらと手を振ってみる。
と、馴染みの声が俺を呼んだ。
「おう、ファルコじゃねぇか」
「…よお」
「何してんだ、一人か? しっかし相変わらず死んだ魚みたいな顔してんなぁ、お前。大丈夫か、そんなんで」
「あ、何が? つーかお前に心配されるようになっちゃ、俺もオシマイなんだけど」
振り向くなり、べらべら喋ってくるナッティの顔を見ながら、そう返せば、ナッティが心外だと言わんばかりに口をひん曲げる。
「失敬な。人が心配してやってんのによ」
「だから何、心配って。あぁ、健康? 大丈夫だって、お前。俺は丈夫さだけが取り得なんだからよ」
「誰がお前の健康なんか心配すっか。そうじゃなくて、経営状況だよ、経営状況。さっき、そこでお前んとこの片目と会ったぜ?」
「は、スレイ?」
「ああ、何か不機嫌っていうか、相当思い詰めた顔してたぞ。どうせお前また、金もないのに、飲み屋のツケしこたま溜め込んでんだろ」
「あー……」
気持ち斜め上を向いて、少し考える。
こりゃあ船にはしばらく戻らないほうが良さそうだな。うん。
「ということで、ナッティ。飲みに行こうや、お前の金で」
「あぁっ? 何が『ということで』なんだ、全く話の前後が通じてねぇぞ。言語障害か、お前は」
「いやあ、持つべきものはトモダチだよね、ほんと」
「イヤイヤイヤちょっと、俺の話聞いてる? 聞いてないよね? あれ、聴覚障害? ていうか、引っ張るな、離せ! 俺は家に帰るんだァァァ!」
「おっちゃん、お代わりぃ」
馴染みの安酒パブの中、もう何杯目かよく分からないグラスを突き出した俺を見ながら、隣で、ナッティがどこか不安げな声を上げる。
「おいおい、大丈夫かお前」
「あん? 何言ってんだよ、ナッティお前。こんくらいでビビってちゃこの街じゃ生きてけねぇぞ?」
「いや俺、少なくともお前よりは、まともに生きていけてるから。そうじゃなくて、ちょっと飲みすぎなんじゃないかって言ってんだよ」
「あー、気のせいら、気のせい」
「気のせいって、もう思いっきり呂律回ってないじゃんか。グデングデンに酔って帰って、またスレイにどやされても知らねぇからな」
「ほっとけ。あいつぁ、いっつもなんか怒ってんだから。怒りこそあいつの生きる糧なんだよ」
「いや、それ違うと思う。ていうか、本当に大丈夫か、お前。スレイもなんかやたら思い詰めた顔してたし、何かあったのか?」
「何かって、何が?」
反対に聞き返して、グイっとまた酒を飲み干す。そしてまた店のオヤジに向かって、「もう一杯ちょうだい」と叫んだ俺の横で、ナッティが「あっ」と、思いついたように手を打つ。
「ひょっとしてアレか、ツバキちゃんか? ツバキちゃんのことで何かあったのか?」
「あ? ツバキ?」
「最近よく一緒にいるだろ、お前とツバキちゃん。まあ、男と女のことに口出しするほど、スレイも野暮じゃないだろうけど、相棒として一言物申しておきたいことがあんじゃないのか。特にお前、ちゃらんぽらんだし」
「悪かったな、ちゃらんぽらんで」
グビっと酒を呷りながら横目で睨めば、それをいともせずに、ナッティがニヤけた面を近づけてくる。
「で、どうなんだよ、本当のとこ」
「どうって?」
「またまた、トボけんなって。ツバキちゃんだよ、ツバキちゃん。いい仲なんだろ?」
「……あ~…さあ? どうなんだろうな」
「なんだよ、それ。ほんっとお前、ハッキリしねぇよなぁ。そんなんだから、スレイも気苦労が絶えないんだよ」
「あ~、もういいだろうが。ツバキのことは多分何も関係ねぇよ」
「ふ~ん…。ま、いいけど。でも、お前がツバキちゃんといるようになって、俺は結構安心してたんだけどな」
「安心?」
「だってお前よ、マリアちゃんがいなくなってから荒れてただろ? それがツバキちゃんといるようになって、少し落ち着いたから、さ」
「…………荒れてた?」
「荒れてたっていうか…、ピリピリしてたじゃん。横で飲んでてもさ、ピリピリした感じが伝わってきて、正直ちょっと怖かったぜ、俺は」
言って、ナッティが店のオヤジに殻付き豆を注文する。それを耳に聞きながら、俺は酒を凝視したまま、止まっていた。
急に動かなくなった俺に気づいて、ナッティが訝しげに首を傾けて見てくる。
それが分かっても、俺はしばらく動けなかった。
「おい? どうした、ファルコ? まさかお前、目ぇ開けたまま寝てんじゃないだろうなおい」
問い掛けてナッティが、無遠慮に肩をユサユサ揺さぶってきて、そこでようやく金縛りから解けた。
そのまま、ゆるゆると口を動かす。
「………マリアがさぁ…、帰ってきてんだわ」
「え?」
「だ~か~らぁ、マリアが帰ってきてんだよ、リムシティに」
「マリアちゃんが!?」
「ああ」
「ああって、お前。じゃあ、何してんだよ、こんなとこで」
「何してって…、酒飲んでる。お前の奢りで」
「そういうことじゃなくて! マリアちゃんが帰ってきてんだろ? だったらお前、こんなとこで酒飲んでる場合かよ、さっさと帰れ。ここは俺が奢ってやるから、ほら」
「別に、帰っても仕方ねぇだろ。船にいるわけじゃねぇんだから、あいつ」
「あ、そうなの?」
「そうなの」
簡潔に答えて、酒を喉に流し込む。そのまま何を言うでもなく、ナッティが注文した殻付き豆の殻を適当に割って、何粒か纏めて口に運んだ。
そんな俺を同じように黙ったまましばらく見た後で、ナッティが脈絡なく、突然、感慨深げに「はぁ」と息を吐いた。
「なるほどねぇ……」
「あ? 何がなるほどなんだよ?」
「いやいや。なんか変だと思ってたんだよ。今日のお前」
「変? 俺が?」
「あ、やっぱ無自覚なんだ。それはそれで問題だぞ、お前」
「だから、何が変なんだっつってんだよ」
進まない会話に、じろりと目を向ければ、ナッティが焦ったように顔を引き攣らせるのが見て取れた。
「や、変っていうか、お前らしくないっていうか。なんか、いつもの余裕が感じられないと思ってさ」
「そうかぁ?」
「やけにハイッピッチで飲んでるかと思えば、突然魂抜けたみたいに固まるし。急にマリアちゃんの話振ったと思ったら、黙り込んじまうしよ」
「………」
「だから、なんか、らしくないなって思っただけだよ。……ちょ、お願いだから、そんなに睨まないでくれる? すっごく怖いから」
一気に喋ってナッティが、本気でおどおどとした目で俺を見ながら、自分のグラスに口をつける。
よほど俺は今、怖い顔をしてるんだろう。その自覚はないが、やたら苛ついている自覚は少しある。
そこまで考えて、ふとまた、動きが止まる。
―――苛つく? なんで、俺が苛つかなきゃいけねぇんだ?
「どうしたんだ、本当に。なんかもう怖いを通り越して、恐いぞお前」
ビビリながらも、意味不明なことを言ってくるナッティの顔は見ぬまま、口を動かした。
「なぁ。…なるほどって何? 何がなるほどなわけ?」
「え、いや、それはさ」
一瞬言いにくそうに口ごもったナッティが、動かない俺を見て、観念したようにひとつ息を吐いて、喋り出す。
「マリアちゃんが帰ってきて、なのに、いる場所がお前のとこじゃないってなったら、どういう事情があるにせよ、そりゃあ、さすがのお前だって寂しくなっちまうよなぁと思ってさ」
「………」
「いや、馬鹿にしてるわけじゃないぞ。お前が目に入れても痛くないってくらい、マリアちゃんのこと可愛がってたのは、お前らのこと知ってる奴なら誰でも知ってる。マリアちゃんもお前によく懐いてたしなぁ。いっつも、ファルコファルコってお前の後ばっか追いかけてさ」
「………」
「その子が久々に帰って来たってのに一緒にいられないんじゃ、寂しくなって当然だよ。まあ、お前は天邪鬼だから認めたくないのかもしれないが、でもそりゃあ、当然の感情だよ」
言い切ってナッティがちょっと俺を見た後、「まあ飲め。付き合ってやるよ」と、グラスを傾けて中身を空にし、店のオヤジへと視線を投げる。
けど、もう、俺の意識はそこになかった。
「おおい、マスター。もう一杯くれ。ついでに、こいつにももう一杯……」
「……ぇよ……」
「? 何か言ったか? ファルコ」
「違うんだよ」
「え?」
きょとんとして見てくるナッティに、「ここは奢りなんだよな? ごちそうさん」とだけ言って、席を立つ。
「あ、え? おい、ファルコ?」
そのまま店を出ていく俺の背中に向かって、ナッティがやや困惑気味に呼びかける。その声に背を向けたまま、右手を挙げる。
その手をひらひらと振ってみせながら、少しだけ振り返り、笑って言った。
「俺ぁ、寂しいなんて思ってねぇよ」
そう、寂しいだなんて思ってはいない。そうじゃなくて、俺はただ―――。
「ただ無性に、悔しいだけだ」
分かってみれば、単純なこと。
あいつが、俺を頼ろうとしないことが悔しくて。
悔しかったから、苛ついた。
我ながら、ガキ臭くて笑える。
自分から突き放しておいて、そのくせ、あいつが俺なしでもきちんと立てるようになっていたことが、その様子を人から聞くのが、イヤでたまらない、なんて。
自分で全部放棄したくせに、あいつのために俺がしてやれることがもう本当に何もないのだと、その事実を思い知らされるのが、イヤでしょうがない、なんて。
おまけに――――……。
思わず、フっと自嘲の笑みを浮かべた俺の耳に、その時不意に聞こえてきたのは、小さな子供特有の少し甲高い笑い声。
こんな時間に?と、思い、目をやれば、駆けて行く子供の姿があった。
それを諌めるように母親らしき人物が後を追い、父親らしき人物はゆっくり歩きながら、そんな二人を笑って見ている。
きっと、家族揃っての外食の帰りか、なんかだろう。こんな時間にと一瞬思ったけど、よくよく考えてみれば、まだ九時にもなっていない。早い時間から飲み出したせいか、どうも時間の感覚がズレてしまったらしい。
何となくボンヤリと、その家族を見送りながら、その子供が来た方向に何気なく目をやる。
そこには、ぽつんとベンチに蹲るようにして座る、マリアの姿があった。
(NEXT⇒色を失くした世界の隅っこで)
大統領官邸を出て、そのままツバキを店に迎えに行って家まで送り、船に戻ると朝方の四時過ぎだと言うのに、スレイが仁王立ちで俺を出迎えてくれた。
その顔には確実に不機嫌さだとか心配とかが入り混じっていたけれど、敢えてそれを全部スルーして、右手をあげてみせる。
「よお。遅くまでご苦労サン」
「よう、じゃないだろう。こんな時間まで何をしてたんだ、お前」
「んだよ、目くじら立てて。お前は俺の母ちゃんか」
「こんな薄情な息子、願い下げだ。昨日マリアが来るって、お前も知ってたはずだぞ? それをなんだ。ふらりと出て行ったまま、こんな時間まで連絡一つ寄こさず、帰ってきもしないで」
「しょうがねぇだろ。俺にだって色々用事があんだよ」
「ほう。どんな用事だ? 三年ぶりに帰ってきたマリアと会うより大事な用事があるなら、是非聞かせて貰いたいものだな」
「だーかーら、色々つってんだろ」
「……お前、マリアを避けてるのか?」
「なんでそうなんだよ…」
「そう思われても仕方ないだろう。マリアが来ると分かるなり、いきなり出て行って、こんな時間になるまで帰ってこないなんて」
「あーも、うっせ。俺がふらりと出て行って帰ってこないのは、今に始まったことじゃねぇだろうが。いちいちグチグチ言うんじゃねぇよ」
そう言ってスレイを押しのけ、自分の部屋へと足を向けた俺に大きな溜息を吐きながらも、スレイがブツブツと後をついてくる。
「マリアが大変な時だって言うのに……」
「大変?」
「始終ふらふらしてばっかのお前は知らんだろうがな、昨日の朝、臨時ニュースで流れてたんだよ。一昨日の晩、大物テロリストグループをアトレイユの極秘部隊の助けで一気に検挙したって。今のこのタイミングで、アトレイユの極秘部隊って言ったら、どう考えてもマリアのことだろうが」
「……へぇ」
「なんでマリアが、そんなことしなきゃいけないんだ。聞いても自分の勝手でやったことだとしか言わないし。そもそも、なんでウチじゃなくて機動隊にいるんだ、マリアは。あれはウチの子だぞ」
「俺に言うなよ。知らねぇよ」
言いながら、部屋のドアを開け、しつこく中までついてくるスレイを無視して、ベッドに寝転がる。
「おい、ファルコ。まだ話は終わってないぞ」
「その話なら、また今度にしてくれ。俺ぁ、疲れてんだよ。今すぐ睡眠取らなきゃ、体がストライキ起こして大変なことになっちまう」
「ストライキでもストライクでも勝手に起こせ。それより、マリアのことのほうが大事だ」
「バッカ、お前。俺の体がストライキ起こしたら、大変なことになっちまうんだぞ。夕方になっても起きられなくなんだぞ」
「いつもと変わらんじゃないか」
「ああああっもう、うるっさいお前! あいつだってなぁ、三年前とはもう違うんだから、俺達がいなくてもちゃんとやっていけるっつの。それに機動隊がついてんなら、鬼に金棒じゃねぇか。心配すっこたねぇよ」
「そういう問題じゃないだろう!」
声を荒げて俺から毛布を剥ぎ取ろうとするスレイの後ろから、また違う声が部屋に響く。
「何騒いでるかと思えば。おかえり、ファルコ。今の今までどこで何してたの? 折角マリアが来てたのに」
部屋の入り口から、これ以上ない非難の目を向けてくるトゥルーに、がくりと頭を枕に埋めた。
「お前まで勘弁しろよ。つーか、もう、ほんと寝かせてくんない? マジ限界なんだって、俺」
「……でも、ファルコ。マリア、なんかちょっと変だったんだ」
「変って何が?」
「…上手く言えないけど、なんか、このまま放っておいちゃいけない気がする……」
枕から少しだけ顔を上げ、部屋の入り口に立っているトゥルーを見上げる。
眉を思いっきり八の字に寄せ、不安を隠すことなく覗かせるトゥルー特有のその表情は、三年前と何も変わっちゃいない。もっと言うなら、未だ仁王立ちで俺を睨んでくるスレイの、酷く心配そうな表情もだ。
―――誰も何も、三年前と何ら変わっちゃいないのに。
「分かった、分かった。とにかく、また今度な。もう眠たくて、脳みそが全く働かねぇんだよ」
それだけ言い、毛布に潜り込んだ。
てっきりまだ文句を言ってくると思ったのに、スレイもトゥルーも、そのまま静かにドアを閉めて出て行く。
眠たくて限界というのは、逃げるための言わば口実だったのに、官邸に忍び込むのに久々に体力と神経を使ったせいか、二人の足音がそれぞれ遠ざかるのを聞きながら、俺はいつのまにか本当に意識を手放していた。
「今、何時だ……?」
目が覚めて部屋を出ると、居間には誰もいなかった。居間だけではなく、しんとした静けさが、船全体に漂ってる。どうやら全員留守にしているらしい。とりあえず顔を洗い、何か口に入れるために食堂に行く。
時計を見ると針は午後四時半を指していた。
さすが秋だけあって、日が暮れるのが早くなった。もう既に少し薄暗い室内を見渡して、あいつらがどこぞから帰ってくる前に、出掛けてしまおうと行動に移す。
昨日のことをまた蒸し返されて、無駄に討論する気はさらさらない。あいつらが望む答えを俺だって持っていないのだ。大体、マリア自身が俺達の介入を拒んでいるのに、それを一体、俺にどうしろというのか。
街を歩けば機動隊にあたると言うくらい、ここ数日、どこを見ても黒い隊服を着た野郎だらけだ。
徐々にネオンが灯り始める騒がしい通りを、厳めしい顔で巡回する機動隊員を見ながら、溜息をつく。こうも奴らが多くちゃ、街をぶらぶらするのさえ気が乗らない。
見知った士官クラスの隊服を目に映しながら、一昨日の夜に会ったシューインの言葉を思い出す。それと同時に、朝方見た、スレイの心配顔やトゥルーの不安顔が頭を過ぎる。
「…俺にどうしろってんだよ……」
アデル博士の事にしろ、マリアがリムシティに戻ってきている事にしろ、今の俺には何の関係もないことなのだ。
勿論、三年前まで確かにあいつは、俺が守るべき存在だった。
けれど、その義務も権利も何もかもを、三年前に俺は自分から放棄したのだ。
そして、あいつは出て行った。それきり何の連絡もなかったというのに。
あいつが言ったでもなしに、俺があいつのためにしてやれることなど、とうの昔にないというのに。
自然と握られていた拳に気づき、ゆっくりと手のひらを開く。
マリアに会ってからこっち、気がついたらこうして体に力を入れ過ぎていることが多い。
その事実に僅かに眉を寄せ、ぷらぷらと手を振ってみる。
と、馴染みの声が俺を呼んだ。
「おう、ファルコじゃねぇか」
「…よお」
「何してんだ、一人か? しっかし相変わらず死んだ魚みたいな顔してんなぁ、お前。大丈夫か、そんなんで」
「あ、何が? つーかお前に心配されるようになっちゃ、俺もオシマイなんだけど」
振り向くなり、べらべら喋ってくるナッティの顔を見ながら、そう返せば、ナッティが心外だと言わんばかりに口をひん曲げる。
「失敬な。人が心配してやってんのによ」
「だから何、心配って。あぁ、健康? 大丈夫だって、お前。俺は丈夫さだけが取り得なんだからよ」
「誰がお前の健康なんか心配すっか。そうじゃなくて、経営状況だよ、経営状況。さっき、そこでお前んとこの片目と会ったぜ?」
「は、スレイ?」
「ああ、何か不機嫌っていうか、相当思い詰めた顔してたぞ。どうせお前また、金もないのに、飲み屋のツケしこたま溜め込んでんだろ」
「あー……」
気持ち斜め上を向いて、少し考える。
こりゃあ船にはしばらく戻らないほうが良さそうだな。うん。
「ということで、ナッティ。飲みに行こうや、お前の金で」
「あぁっ? 何が『ということで』なんだ、全く話の前後が通じてねぇぞ。言語障害か、お前は」
「いやあ、持つべきものはトモダチだよね、ほんと」
「イヤイヤイヤちょっと、俺の話聞いてる? 聞いてないよね? あれ、聴覚障害? ていうか、引っ張るな、離せ! 俺は家に帰るんだァァァ!」
「おっちゃん、お代わりぃ」
馴染みの安酒パブの中、もう何杯目かよく分からないグラスを突き出した俺を見ながら、隣で、ナッティがどこか不安げな声を上げる。
「おいおい、大丈夫かお前」
「あん? 何言ってんだよ、ナッティお前。こんくらいでビビってちゃこの街じゃ生きてけねぇぞ?」
「いや俺、少なくともお前よりは、まともに生きていけてるから。そうじゃなくて、ちょっと飲みすぎなんじゃないかって言ってんだよ」
「あー、気のせいら、気のせい」
「気のせいって、もう思いっきり呂律回ってないじゃんか。グデングデンに酔って帰って、またスレイにどやされても知らねぇからな」
「ほっとけ。あいつぁ、いっつもなんか怒ってんだから。怒りこそあいつの生きる糧なんだよ」
「いや、それ違うと思う。ていうか、本当に大丈夫か、お前。スレイもなんかやたら思い詰めた顔してたし、何かあったのか?」
「何かって、何が?」
反対に聞き返して、グイっとまた酒を飲み干す。そしてまた店のオヤジに向かって、「もう一杯ちょうだい」と叫んだ俺の横で、ナッティが「あっ」と、思いついたように手を打つ。
「ひょっとしてアレか、ツバキちゃんか? ツバキちゃんのことで何かあったのか?」
「あ? ツバキ?」
「最近よく一緒にいるだろ、お前とツバキちゃん。まあ、男と女のことに口出しするほど、スレイも野暮じゃないだろうけど、相棒として一言物申しておきたいことがあんじゃないのか。特にお前、ちゃらんぽらんだし」
「悪かったな、ちゃらんぽらんで」
グビっと酒を呷りながら横目で睨めば、それをいともせずに、ナッティがニヤけた面を近づけてくる。
「で、どうなんだよ、本当のとこ」
「どうって?」
「またまた、トボけんなって。ツバキちゃんだよ、ツバキちゃん。いい仲なんだろ?」
「……あ~…さあ? どうなんだろうな」
「なんだよ、それ。ほんっとお前、ハッキリしねぇよなぁ。そんなんだから、スレイも気苦労が絶えないんだよ」
「あ~、もういいだろうが。ツバキのことは多分何も関係ねぇよ」
「ふ~ん…。ま、いいけど。でも、お前がツバキちゃんといるようになって、俺は結構安心してたんだけどな」
「安心?」
「だってお前よ、マリアちゃんがいなくなってから荒れてただろ? それがツバキちゃんといるようになって、少し落ち着いたから、さ」
「…………荒れてた?」
「荒れてたっていうか…、ピリピリしてたじゃん。横で飲んでてもさ、ピリピリした感じが伝わってきて、正直ちょっと怖かったぜ、俺は」
言って、ナッティが店のオヤジに殻付き豆を注文する。それを耳に聞きながら、俺は酒を凝視したまま、止まっていた。
急に動かなくなった俺に気づいて、ナッティが訝しげに首を傾けて見てくる。
それが分かっても、俺はしばらく動けなかった。
「おい? どうした、ファルコ? まさかお前、目ぇ開けたまま寝てんじゃないだろうなおい」
問い掛けてナッティが、無遠慮に肩をユサユサ揺さぶってきて、そこでようやく金縛りから解けた。
そのまま、ゆるゆると口を動かす。
「………マリアがさぁ…、帰ってきてんだわ」
「え?」
「だ~か~らぁ、マリアが帰ってきてんだよ、リムシティに」
「マリアちゃんが!?」
「ああ」
「ああって、お前。じゃあ、何してんだよ、こんなとこで」
「何してって…、酒飲んでる。お前の奢りで」
「そういうことじゃなくて! マリアちゃんが帰ってきてんだろ? だったらお前、こんなとこで酒飲んでる場合かよ、さっさと帰れ。ここは俺が奢ってやるから、ほら」
「別に、帰っても仕方ねぇだろ。船にいるわけじゃねぇんだから、あいつ」
「あ、そうなの?」
「そうなの」
簡潔に答えて、酒を喉に流し込む。そのまま何を言うでもなく、ナッティが注文した殻付き豆の殻を適当に割って、何粒か纏めて口に運んだ。
そんな俺を同じように黙ったまましばらく見た後で、ナッティが脈絡なく、突然、感慨深げに「はぁ」と息を吐いた。
「なるほどねぇ……」
「あ? 何がなるほどなんだよ?」
「いやいや。なんか変だと思ってたんだよ。今日のお前」
「変? 俺が?」
「あ、やっぱ無自覚なんだ。それはそれで問題だぞ、お前」
「だから、何が変なんだっつってんだよ」
進まない会話に、じろりと目を向ければ、ナッティが焦ったように顔を引き攣らせるのが見て取れた。
「や、変っていうか、お前らしくないっていうか。なんか、いつもの余裕が感じられないと思ってさ」
「そうかぁ?」
「やけにハイッピッチで飲んでるかと思えば、突然魂抜けたみたいに固まるし。急にマリアちゃんの話振ったと思ったら、黙り込んじまうしよ」
「………」
「だから、なんか、らしくないなって思っただけだよ。……ちょ、お願いだから、そんなに睨まないでくれる? すっごく怖いから」
一気に喋ってナッティが、本気でおどおどとした目で俺を見ながら、自分のグラスに口をつける。
よほど俺は今、怖い顔をしてるんだろう。その自覚はないが、やたら苛ついている自覚は少しある。
そこまで考えて、ふとまた、動きが止まる。
―――苛つく? なんで、俺が苛つかなきゃいけねぇんだ?
「どうしたんだ、本当に。なんかもう怖いを通り越して、恐いぞお前」
ビビリながらも、意味不明なことを言ってくるナッティの顔は見ぬまま、口を動かした。
「なぁ。…なるほどって何? 何がなるほどなわけ?」
「え、いや、それはさ」
一瞬言いにくそうに口ごもったナッティが、動かない俺を見て、観念したようにひとつ息を吐いて、喋り出す。
「マリアちゃんが帰ってきて、なのに、いる場所がお前のとこじゃないってなったら、どういう事情があるにせよ、そりゃあ、さすがのお前だって寂しくなっちまうよなぁと思ってさ」
「………」
「いや、馬鹿にしてるわけじゃないぞ。お前が目に入れても痛くないってくらい、マリアちゃんのこと可愛がってたのは、お前らのこと知ってる奴なら誰でも知ってる。マリアちゃんもお前によく懐いてたしなぁ。いっつも、ファルコファルコってお前の後ばっか追いかけてさ」
「………」
「その子が久々に帰って来たってのに一緒にいられないんじゃ、寂しくなって当然だよ。まあ、お前は天邪鬼だから認めたくないのかもしれないが、でもそりゃあ、当然の感情だよ」
言い切ってナッティがちょっと俺を見た後、「まあ飲め。付き合ってやるよ」と、グラスを傾けて中身を空にし、店のオヤジへと視線を投げる。
けど、もう、俺の意識はそこになかった。
「おおい、マスター。もう一杯くれ。ついでに、こいつにももう一杯……」
「……ぇよ……」
「? 何か言ったか? ファルコ」
「違うんだよ」
「え?」
きょとんとして見てくるナッティに、「ここは奢りなんだよな? ごちそうさん」とだけ言って、席を立つ。
「あ、え? おい、ファルコ?」
そのまま店を出ていく俺の背中に向かって、ナッティがやや困惑気味に呼びかける。その声に背を向けたまま、右手を挙げる。
その手をひらひらと振ってみせながら、少しだけ振り返り、笑って言った。
「俺ぁ、寂しいなんて思ってねぇよ」
そう、寂しいだなんて思ってはいない。そうじゃなくて、俺はただ―――。
「ただ無性に、悔しいだけだ」
分かってみれば、単純なこと。
あいつが、俺を頼ろうとしないことが悔しくて。
悔しかったから、苛ついた。
我ながら、ガキ臭くて笑える。
自分から突き放しておいて、そのくせ、あいつが俺なしでもきちんと立てるようになっていたことが、その様子を人から聞くのが、イヤでたまらない、なんて。
自分で全部放棄したくせに、あいつのために俺がしてやれることがもう本当に何もないのだと、その事実を思い知らされるのが、イヤでしょうがない、なんて。
おまけに――――……。
思わず、フっと自嘲の笑みを浮かべた俺の耳に、その時不意に聞こえてきたのは、小さな子供特有の少し甲高い笑い声。
こんな時間に?と、思い、目をやれば、駆けて行く子供の姿があった。
それを諌めるように母親らしき人物が後を追い、父親らしき人物はゆっくり歩きながら、そんな二人を笑って見ている。
きっと、家族揃っての外食の帰りか、なんかだろう。こんな時間にと一瞬思ったけど、よくよく考えてみれば、まだ九時にもなっていない。早い時間から飲み出したせいか、どうも時間の感覚がズレてしまったらしい。
何となくボンヤリと、その家族を見送りながら、その子供が来た方向に何気なく目をやる。
そこには、ぽつんとベンチに蹲るようにして座る、マリアの姿があった。
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