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海に帰りたい~@″
 

仕事をぜんぜんソウゾーできない職場

2014年03月30日 | つちのねんど
年度末会議をライブ告知からはじめた大仕事が終わってパラペロリンリン使いもんならんよワシな社長さんを放って

【キヨト】へゴーだ。

中央改札出てすぐ、ヘジャブを被った家族連れ(大人は女性だけ)が、10人くらいで座り込んでいる。
子どもが4人wa-wa-wa---waiwaiwai
紙コップにストローで何か飲んでいて、うちひとりが、ゲロゲロはじめた。
誰も慌てることなく、あらあらと、ゆるゆる動いて吐瀉物に対処。
ティッシュで綺麗に拭いている。
騒がしい雰囲気のグループなのに、ゲロゲロには静か。

その、すぐ横の通路の柱の角で女の人がしゃがみこんで、前屈みになっていた。
大荷物。
コンクリートの床には花束が、投げ出されている。
黄色のチューリップが見えてる。
誰も、助けない。

どうしよう。
隣りを歩かなくちゃ前に進めない。
声をかけてみようかと、通り過ぎつつ近づくと、おわっ!

柱の陰にしゃがみこんで、前屈みで、オバサンは、元気に携帯で電話の真っ最中。

騒がしくて、声が聞き取りにくいから上の苦肉の策なのか。
その散乱してる大荷物と、黄色いチューリップの花束は、なんなんなん?

近未来がずっと一周廻って混沌アジアになっていた。

キヨト駅は、とにかく人だらけ。で、人ゴミの一人として、トイレに並ぶ。

・・・んー、
なんか~大丈夫そうな人だったので、なんか~大丈夫そうかなあ、話したら、パッと見は、ダメ親父ぽかって、でも、なんか~んーなんか~・・・

・・・やたらと、「なんか~」を連発しながら、若い女性が携帯してる。

・・・なんか~話したら、家とかあって、ニコいて、元嫁が。あ、違いますバツイチです。あ、つまり、連れ子と、なんか~できたんで。あ、子どもです。
なんか~ニコ居たんで、子ども。大丈夫そうかなあ、なんか~。

あ、そうです。嫁の連れ子と、出来たので足してニコです。大丈夫そうな感じ、なんか。

あ、はい。じゃ、今から、仕事場すぐ。はい。わかりました・・・

・・・トイレが、空いたから後は聞かないで、進んだら、
アリャリャ。前のヒト。金髪碧眼大きなリュックの白人のヒトは、去っていってました。
立ち去るとバババァ~って、勝手に水が流れるトイレの国からの旅行者であったのかなあ。

アリャリャ~。

はぁ。

トイレ個室から出たら、携帯女子が、今度は違うヒトと電話中。お友達ぽかった。
「これから、職場に行くとこ~」と、話していた。

職場。

トレンチコートの下は、超マイクロ・パンツで、さらさら茶髪の超ヒール・ブーツ。謎。

そのまま、ずっと尾行して、話を聞いて、できたら仕事場と、仕事を突き止めたかったが、水母を受け取り、象さん造る仕事があったので、泣く泣くアジア混沌の中を立ち去る。

あ、夢ではなく、実話です。

アジア混沌駅【キヨト】だった。


『ニコ』は2人の子どもの略で『2子』なのかなあ?

まるまる丸まる猫回覧板

2014年03月26日 | ねこ日記
今朝、足元が重たかった。
しばらくしたら、お腹の上を猫がとことこ踏んでいった。布団をかぶったら、顔も踏まれてしまった。
だけど眠かったから、また、そのままずっと眠り込んでしまった。
起きてから、もうここには、一匹の猫もいないことに気がついた。

庭の猫扉の前に、白い大きな猫が、昨日の夕方、座り込んでいた。
庭の隅っこを、早足で通り過ぎるのを、何回か見たことがあったけれど、あんなに堂々と近くで、ゆったり座り込んでいる姿を見るのは初めてだった。

そろそろ、猫回覧板が回っているのだろう。

あそこに23年も居た、気難しい老猫嬢が、遂に退いたよと猫界隈で噂が広まり、白君が先ず偵察にいらっしゃったという具合か。

まるまると太ったふてぶてしい白君ではなく、出来たらば、小さなサバトラ模様の子猫であってほしい。

でも、どんなのが、やって来ても、今や拒めない心境。


ん?

これは、具体的な対象が居ないにもカカワラズ、恋したい気持ちに似ているように思うけど、あんまり最近、無かった気持ちなので、わからんなってるな。

ははは…

くぎりみたいなものに釘 リミットはいつも突然あらわれて ギクシャクするりと去るから会釈

2014年03月24日 | 日記
二年半ほどの仕事が、一段落した。
人生の一区切りというような具合。

そのあいだに、
幼なじみがふたり、相次いで時間を、自ら終わらせた。

その時まで、そういう選択を選ぶとは思ってもみなかったから、わたしは彼らにとって友人とはよべないなとうっすら思った。

ひとりは、そうしてからも暫くは意識があって、困難な時間を何カ月も過ごした。

何日間かで終わるかもしれない、何年、何十年続くかもわからない時間の、今、振り返るとちょうど、真ん中あたりで、
彼女はこの時間軸から去っていった。

公園でぐるぐる走り回った幼い子どもの記憶がぐるぐる回っている、残されたわたしの頭の中。

もうひとりは、年下の友人、。
ときたま偶然、彼と出合うと、大人になってしまった線引きの、むこうとこちらで遠く隔たりながら、気まずく挨拶する。
そしてまた、うやむやとお互いの時間に戻る。

やっぱり、ぐるぐる回る頭の中には、原っぱや空き地で彼や妹と、走り回った意味のない駆けっこ。

うやむやな挨拶の後ろには、うっすらと剥がれそうだけれど、剥がれずにある記憶。

脱皮直後の蟷螂のようだ。

大人になるのは、歯がゆい。

で、彼はもうこれ以上、時を刻まないと決めた。

受け入れ難い思いは、後悔を伴う。
けれど、それでは、
結果を知っていたとして、いったい彼に何か出来ただろうか?

結果を知っていても、何も出来ることなど思いつきもしない。

人に関わると、歯がゆさを伴う。


生活の雑用を重ね、技術を積み重ね、瞬間の天の配分のような小さな得難い時間を拾い集めて暖炉のようなものを暖める。

そういう繰り返しの時間の隙間に、それは右の耳にポツリと膨らみ始めた。

去年の冬の入り口辺り。

何気なく耳に指をやると、耳穴のちょうど入り口が小さく膨れている。

自分の耳の入り口は、合わせ鏡をいろいろ動かしてみても、なかなかピタリと合う場所がない。

足の裏は見えるし、背中も何とか鏡に映せる。

だけど、耳の入り口は、不思議と盲点になっている。

自分の身体の一部だのに、しっかり把握できない。奇妙に気になって、でも、耳のポツリのことは、だいたいの時間、忘れている。


そういうことが、年を越して続いていた。

ちょうど生活の雑用がピークに近づいて、負荷がかかりすぎたノイズを盛んに発信する壊れたラジオのような自分を

壊れたラジオのようだ、ノイズが酷過ぎると、

漸く気づいた日の夜、耳の膨らみがポロリととれた。

小さな胡麻粒。

粒は本当の胡麻の形で、きちんと縁取りがあって、

胡麻粒は、
わたしはわたしになりました。と、主張していた。

わたしが、わたしを通して捉えていた、耳穴の膨らみはわたしの一部であったのだけれど、ポロリと剥がれた。

これはもう、わたしではなく、胡麻粒に似た、わたしとは違うもの。

胡麻粒を窓からポイと庭に投げた。

生きていても、微小に世界の循環に関わっていく。

この胡麻粒は、ダンゴムシに有効かな?

微生物は見向きするのか?

ぽろり。

世界とわたしの境目は、曖昧。

曖昧の陽炎の交わる辺りに柔らかなぬくもり。

べったり貼りついてない、良い具合の混じり気。

そういう言葉。

重奏低音のような言葉を、遠く隔たった人と交わしていた。



ぽろり、はらはら。