YEAR3210

風に転がる迷走日記

生病

2012-09-08 23:39:18 | 旅行
生病にかかって長い。性病ではない。勘違いしないで下さい。生病とはなんでもかんでも生で喰いたくなる個人的病気のことです。ワニ、ヘビ、タツノオトシゴ、ゾーリムシ、ホッキョクグマ、ステラノザウルス、ジョウモンスギ、サンゴ、ナンデモカンデモわさび醤油で生ビールとともにナマで喰いたい。一種のヤマイでありましょうか。今夜のメニューは海蛇の薄作りとカブトガニ、デザートはホトトギスの足などであれば満足である。まともなところで最近では山形県遊佐で食べた取れたての生鮭、富山で食べたシロエビ、静岡で食べたトロロ、そのあたりの味を体が覚えていて思い出すと悶えてしまう。寝ているアナコンダの下にダイナマイトを仕掛けて爆発させ飛んできた肉の破片をきれいにカットして食べたい。精神的にモンダイがあると言われても仕方がない。
対して余程のことがない限り食べたくないのはコンビニ系のレンジでチンする油系のケミカル食品だ。レンジで暖めると、怪しいアブラが滲み出ている。朝昼晩、三日間それを食べ続けたらかなり深刻な事態になることは間違いない。それらのラベルを虫眼鏡で読んでみると素人には全くわからない物質の名前が書いてある。特によくわからないのは発色剤、pH調整材など。見た目や保存性を上げるため国の定めた規制値の範囲内での添加であろうがアレルギー的個人差の観点では人によりあまり体にはよくないと思えてならない。
だからなおさら食文化の安全性として好みの問題もあろうが毒さえ持たなければ自然の生が安全と考えるのだが、放射能の問題でそれも揺らいでしまっている。江戸時代の食文化についての本を読んでいるが滅法面白い。米と味噌、塩、野菜が中心で地域で魚、たまごである。よく考えるとそれは現在の温泉宿の朝飯なのであった。殿様が諍いに勝利した打ち上げでお城の最上階で酒宴をする。日本酒を飲みながら焼き魚、野菜の煮物、場合によって刺身、汁的なもの、米から作った団子的なもの。自生するイチジク。これまたよく考えると現代の安い温泉宿の夕食とあまり相違がない。国々の食文化は基本的には永遠なのでしょうかね。
ビールを発明した人、醤油を作った人、豆腐というものを初めて作った人、みんな偉い。タコを生で食ってしまおうと初めて考えた人を尊敬しなくてはならない。食文化の中で重要なのは発酵である。発酵技術の歴史、経緯はインターネットで調べられば概ねのことはわかる。しかしそれは平べったい奥行きのない知識だけを得ることでつまらないと思う。所謂、知識人だ。昔、とある音楽アルバム、つまりLPの中に知識というあまり有り得ないタイトルの唄があった。
♪理屈ばかりぶら下げてクビが飛んでも血も出まい、などと知識人に対して痛快に吠えている唄だった。
知識とは体験的に得るのが一番真実味があるし説得力がある。本能的部分もある。暫く家に子猫が居候していたのだが、その猫を本棚の下から三段目に置くといとも簡単に床に飛び降りる。四段目に置くと暫く下を眺めて飛び降りる。五段目に置くと少し下を見ただけで飛び降りる気配は無く「わたしゃここでいっしょうすごすんだけんね」という涼しい顔をしてそこで寝てしまう。これは知識と言うより本能的な部分だが海や川で簡単に溺れてしまう都会育ちの子供より自己判断レベルは上なのだな。ここは波も少ないし、遠浅の海だから流されても大丈夫、という知識が、大人が吹き込んだ知識が悲劇を生んでしまうこともある。
添加物の中にアミノ酸等、と書いてある。その等が怪しいが量として基準値の範囲内であれば等という表記で良いとの保健所的心が読み取れる。保健所ではなく厚生省ですね。
なんだかんだ知識は大事で知らないより知ってたほいがいい。体験的に無理な部分は活字で擬似体験することがいい。だから明日は神田まで発酵文化についての本を探しに行かなくてはならない。

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