天正13年(1585年)11月
天正の大地震にて、よね姫ご落命。
もう今回はこれだけでいいや、って、この後なんて書いたらいいのだろう、と思ってしまった。
子供の死はいつの世も、この上なく悲しいものだ。
お裁縫や読み書きより、虫取りや生き物が大好きという、活発な少女に育ったよね。
虫かごを上手に作り褒められはしたものの、そこに捕まえた虫を入れては可哀想。
親・兄弟と離れて自由を奪われては、いい声で鳴かないだろう、と叔父・康豊に言われるよね。
生きた虫の代わりにと、康豊は草でこおろぎを上手に作りよねに渡す。
康豊は、幽閉されて自由を奪われた暮らしをしていた玉のことを思い浮かべていたのだ。
よねは康豊の筋の通った優しさと器用さに、心奪われてしまう。
おませなところは千代に似たのだろうか。
千代がまだ幼い頃に一豊の優しさに想いを寄せてしまった時が思い出される。
年の頃は同じくらいなのだろうか。
そんなよねの淡い恋心を知る由もなく、一豊と千代は、康豊の縁談の話をしていた。
千代はその夜の虫の一件で、康豊の玉への想いに気付いていた。
忠興様の正室ではないか!とうろたえる一豊に、
ほのかな想いを寄せるくらい自由ではないか、と千代。
だんな様とて、と、まさかここにきて一豊の浮気話が浮上しようとは。
これをネタにこれからも千代が一豊を押さえつけようなどとはしないだろうが(?)、一豊には痛恨の過ちとなってしまっているようだ。
それにしても、こんな話の出来るこの夫婦は、本当にいい関係だと思う。
翌日、一豊と康豊は秀吉の所に出向く。
秀吉にこれから自分の右腕となる康豊を紹介。
一豊たちは、織田長益と共に岡崎に行くことを命じられる。
なんとしても家康に上洛して欲しい。
それが叶えば10万石与えよう、と秀吉は言うのだった。
が、家康からは逆に、いつでもこちらに「秀吉が」来て下さい、と。
三方が原での信玄との戦の話をし、その時の信玄がいかに強く威厳があったかということを言っているようだった。
秀吉からはそういったものを感じることはない、ということか。
そして三河を死守すること、これが今一番大事と考えているようだった。
こういった事がいつまでも続くと、無益な戦が始まらないとも限らない、と言う一豊の脅し文句など、何の力もない。
長久手の戦を忘れたのか?と家康。
ただ、佐々・長曾我部などが加わり、秀吉軍もあの頃とは兵力が違う、と康豊が一言。
家康や視聴者に、さりげなく切れ者ぶりを披露。
頼もしい右腕になりそうだ(?)←何となく付けてみたくなりました。
その頃、長浜では大変な事が起きていた。
野生の生き物たちの様子がおかしい。
雲行きも、そして胸騒ぎのするような風も吹いていた。
よねも何か異変を感じていたのか、その晩は不安で眠る事が出来ず、母と一緒にいたかった。
千代は城内の火の用心に侍女達と回っている最中だった。
これは遊びではないのだから、と、よねのことを拒む。
このことでその後千代は自分を責めることになる。
地鳴りと共に大地震が起こる。
天正の大地震。
城が半壊するくらい大きなものだった。
倒れてきた柱などの下敷きになり、誰もが気を失っていた。
意識の戻った千代は、侍女や家臣たちに声を掛け、痛めた足を引きずりながら、大急ぎでよねのところに行く。
目にしたものは瓦礫の山と化したよねの部屋。
その下にはよねと侍女の変わり果てた姿があった。
岡崎から帰る一豊たちのところへ早馬が来る。
よね姫の落命を知らせるものだった。
馬を走らせ一豊は一人先に長浜に向かう。
長浜城主になって、4ヶ月目のことだった。
知らせを聞き、駆けつける法秀尼。
そして一豊。
「お許しください、私が付いていながら」
と泣きながら何度も詫びる千代。
許しを請うのは、許されないことだと思っているから。
よねの死の責任を感じているから。
あの時自分がこうしていたのなら、よねの死は免れたのかも、と母ならきっと誰もが思うことだろう。
ただ、思っても、何をどうしようとも、もう時を遡ることは出来ないのだ。
死んで詫びたいと思っていた。
よねにも、一豊にも。
法秀尼に止められる。
よねの母であると共に、一豊の妻であることを忘れてはならない。
よねの後を追う事だけは絶対に許さない、と。
大名になる幸せの代わりに天は我らからよねを奪ったのかも・・・。
一豊は言う。
そんなの絶対に関係ないからね。
そんな風に思わないでください、一豊さん。
この上ない幸せを噛み締めている時の突然の不幸。
それにこれは作り話ではない。
きっと世の中には同じような想いをしている人も多いはずだ。
様々な理由で命を落としていく子供たち。
その親たちがどんな風に悲しみを乗り越えていくのか、千代の姿を見ながらそんなことを思わずにはいられなかった。
葬儀が終わり城の修復の間、京の屋敷で暮らすことになった山内家。
よねの霊前には、千代が縫った小袖と、康豊が作った草の虫が置かれていた。
一度だけ袖を通した小袖。
喜んでいたよねの姿を一豊は見ていない。
大きくなったら康豊のお嫁さんになりたい、と言っていたことも。
この間生まれたばかりだったのに、もうそんなことを考えるようになっていたのか・・・と振り返ってばかりいると、涙も止まる事がない。
これではよねも成仏出来ない。
そう思いつつ、生きがいを失ってしまい途方に暮れる二人だった。
千代は意を決して、この小袖をよねと同じ年頃の娘に着て貰おうと、街に行く。
往来の中、一人の少女に目が留まる。
首から十字架を提げ、キリシタンのようだった。
天竺屋という大店の息女と侍女。
キリシタンは先立った者の供養をどうしているのか、と千代が尋ねると、その侍女は言うのだった。
ただ悲しむだけではなく、死は、神に召される幸せでもある、と。
この言葉から何かを感じ取った千代は、南蛮寺を訪れる。
そこで出会ったのは玉だった。
キリストの教えでは、輪廻転生はなく、現世でどんな事があろうと、神に召されて幸せになれるのだという。
(「輪廻転生」というのは、ただ生まれ変わると言うだけでなく、現世で自分がしてきたこと、罪穢れに応じた次の運命が限りなく続いていく、といった教え、なんですね。上手く言えませんが)
玉は、父・光秀によって辿ることになった数奇な運命、それに関わった人たち全てを赦す事が出来るように強くなりたい、と思っていた。
千代が、娘を奪った運命をいつか赦せる事が出来るように、とも。
そんな玉の言葉を聞き、千代もやっと気持ちを切り替える事が出来たようだった。
いつかあの世でよねとまみえた時、笑われないように強く生きていこう!と。
そんな千代を見ているかのように寺には一匹のこおろぎが。
まるでよねの化身のようでもあった。
・・・と思うのはキリシタン流ではないのかも。
長浜城下での被害も甚大だったのだろうな。
今回はそんなナレーションも一切なかったような気がする。
よねの死で気持ちが一杯いっぱいで、気が付かなかっただけだろうか。
「人の死は神に召される幸せでもある」という大切な言葉を千代に与えた侍女、石川さゆりさんだったんですね。
落ち着いて暖かみのある演技、とてもいいと思いました。(某奥方よりもね)
ただ、何で侍女と息女だったんだろう、何で母娘という設定じゃなかったんだろう、と思いました。
千代の気持ちが分かりすぎて、涙涙のシーンになってしまうのを、あえて避けたのでしょうか。
よねの死に合掌。
直接話に関係はないけれど、今の世の中様々な理由で命を落としていく全ての子供たちにも合掌。
そんな風に思わずにはいられなかった話でした。
「功名が辻」公式HP
誰もが辛かった・・・特に子を持つ親と言う立場の人ほどそうではなかったかな~と、思いますよ。
忘れずにコメントTBありがとうございました。
ドラマの演出とか、演技とか、今回は客観的に語ることができませんでした。
こんなコメントでお許し下さい。
玉が言った仏教とキリスト教の教えの違いは、よねの死は決して悲しいことではない、と言う石川さゆりさんの言葉と同じ、よねの死について言っている、としか捉えていなかったのですが、千代の運命・・・について言っていたんでしょうか。
正確にはよねの死と、どちらにも当てはめて言っていたんでしょうか。
だから誰のせいでもない、と。
そう言っていたんでしょうか。
ハセキョーさんの抑揚のない淡々とした台詞回しが、謎めいた雰囲気を余計に漂わせていたような印象を受けました。
仏教では「輪廻転生」と言って
前世の業を背負いし者は現世でもその業を背負い続ける。
もしくは前世の咎は現世で償う事になる。
そういう考えは私にもしっかり染み付いてます。(笑)
それでも千代には一豊もいるし、家臣達がいます。
おそらく千代はなんとかやっていけると思います。
しかし、玉には誰も自分を支えてくれる人がいないと思います。
そこで彼女が見出した光が「キリスト教」だったというのは
後々を考えれば皮肉な話なのかもしれません。
康豊の作った草のこおろぎも大切な小道具になっていましたね。
小道具・・・なんて言い方だと冷めてしまうかな。
なんて言えばいいんでしょう。
よねの初恋、康豊との心温まるシーンをいつまでも忘れることのないものにさせますよね。
私たちが泣きそうになるのだから、千代の悲しみは想像を超えるものだったのでしょうね。
ドラマとは言え・・・いっそのこと本当に作り話だったらこれほど辛くなかったでしょうね。
周りに気配りの出来る千代が、それを忘れてしまうくらいショックが大きかった、と言うところを見せていたんでしょうね~。
実際あんな事があったら、やはりそれが自然なことなんだろうな。
よねの部屋は見事に全壊していましたね。
城全体はどんな感じだったのだろう・・・。
六平太、以前はどこにいても千代に何かあるたびにすぐそばにいてくれたのに、どこに行っちゃったんでしょうね~。
被害を聞きつけてちらっとでいいから出てきて欲しいですね。
山内家がいつかまた明るさを取り戻してくれますように・・・。
>康豊が作った草の虫が置かれていた
変わっているかもしれませんが、私はこのシーンで少しもらい泣きしそうになりました。
ドラマとはいえ子供が敢え無い死を迎えるシーンを見るのは辛いです。
やはりそのシーンを見て号泣してしまいました…
よねちゃんの死も哀しかったのですが、
愛娘を失ってすっかり元気をなくしてしまった
千代が印象的でした。
いつもの千代なら、よねちゃんと一緒にいた
侍女のことも気遣うだろうし、城の復興にも
尽力していたのではないかと思います。
山内夫妻には本当に早く元気になって欲しいですね…
(この言葉、しばらく頭から離れていました)
子供って不思議。
まだ擦れていないから、野生の感のようなものが残っているのでしょうか。
よく夕方になるとむずがったり、不思議ですね~。
あの時こうしていたら・・・と千代のように思うのは親としてごく当たり前のことだと思うのです。
少しでもそんな風に後悔する事がないような行動を常に取っていなくては、と思いつつ、やっぱり千代のように思ってしまうのでしょうね・・・。
よね、本当に賢くて明るくて、いい子でしたね。
子供の死は、う~~、辛いです。
誰のせいでもなく、運命だったんでしょうね。
それは分かっているのですが・・・。
一豊が取り乱している千代の傍らでとても落ち着いて対応してくれていた、それが嬉しかったかな。
いざと言う時、いいだんな様です。
震災を経験された方が見ていたら、思い出されてなお一層辛かったのではないか、と思います。
同じように子供さんを亡くされた方も多いでしょうしね。
きっと、千代のような思いだったでしょうね。
全てが運命だったのでしょう。
誰のせいでもありません。
りっきーさんは今とても大切な時期ですから、ささっと気持ちを切り替えて、毎日を明るく過ごしてくださいね。
子供の幸せを親は何よりも願いながら・・・切ないことです。今回は斜めからでなく「まっすぐ真剣」です。(なんかどっかで聞いたようなコトバ・・・)
玉の言葉をきっかけに心が前向きになった、で時間のきりもよくこの話は終わってしまいましたが、あんな風にはね・・・。
初めの方は割りとコミカルでしたね。
だから余計に後半が辛かったように思います。
千代が取り乱している分、一豊が悲しみの中にいてもしっかりとしてくれていたようですね。
最近特に子供を巻き込んだ事件多くないですか?
よねの死の話を見ながら、こんな風に悲しんでいる親たちはたくさんいるのだなあ、と思ってしまいました。
ニュースや、関連番組を見ているだけでも、これらが全て「この世の悲しみ」それも一番の悲しみなんだろうな、と涙が自然と溢れ出てきますね。
地域で子供を守るパトロールとか、よく見かけます。
おりょうさんは正にその中に今いる人なんでしょうね。
「功名が辻」とは逸れた話題になってしまいましたが、母親と言う立場で、共感、当然ですよね。
まさかここにきて、あの一夜の過ち話が出てくるなんて、一豊さん、改めてしまったな~、と思ったでしょうね。
この辺は明るい話でしたね。
よねのようにいい子ではなく、生意気でにくったらしい子、うちにもいるんですよ。
でもね~、やっぱりず~っとず~っと元気で大人になって、って、願わずにはいられませんね。
千代と同じ思いの親たち、たくさんいるのでしょうね。
私もまゆまゆさん同様そんな人たちのこと、思わずにはいられませんでしたよ。
やっぱり地震に関するナレーション、なかったですか?
かなり広範囲に亘っての被害だったようですね。
身を挺してよねを守っていた侍女のこと、瓦礫の下から見つけ出した時、少しでもいいから抱きしめて涙したり、そんな千代の姿があっても良かったですね。
子供が一番かわいいのは当たり前、でもよく考えたら、一緒にいた人を放ったらかし、と言うのも、不自然な気がしてきました。
子供たちにはやっぱり成長して青春を謳歌して、この世に生まれた以上、味わって欲しいです。
そんな道を辿っていくのが当たり前、と思ってはいけないんですね。
当たり前と思っている全てのことに感謝していかないと・・・。
放送の日はそう、原爆の日でしたね。
そういう日に合わせてこの悲しい話を持って来たのかな、とも思いました。
考えすぎでしょうか。
何でこんなことで亡くなるの?
と思うような子供を巻き込んだ事故や事件があまりに多いので、ふとそんな一言も添えて書きたくなりました。
そんな運命を親が赦せると思う日は、いつやってくるのかな。
少しは心穏やかになる事があっても、そんな日は来ないのかもしれないなあ・・・、とも思いました。
よねの想い人、康豊にもよねの死後もう少し絡ませて欲しかったですね。
ところで康豊が、家康に物を言った態度が、とても冷静できっぱりとしていたので、切れ者という印象を持ったのですが、本当にそうだったのか、不安になってきて、?を付けてしまいました。
秀吉に向かって物を言う三成と少し印象が似ていたんですけどね~・・・。
大好きな康豊とのエピソードで出てきたこおろぎが、最後に効果的に繋がっていましたね。
千代もきっとこおろぎを見ながら、よねのことを思い出していたんでしょうね。
強くなるから、もう大丈夫、という笑顔だったのでしょうか。
原作を読まれていると、今回の分以外でも、色々と違うな~と思うところはあるんでしょうね。
たいてい劇団たぬきさんは、それでもドラマの描き方も有りかな~、と言う見方をされていたように思うのですが、今回ばかりはちょっと・・・でしたか。
わが娘が一番かわいい一番大事と思う個人的な気持ちを横に置いといて、家臣たちのことを先に考える。
そんな千代の姿を自分なりに思い描いてみました。
これは、周りで見ている家臣たちもかなり辛いかも。
千代のことを改めて素晴らしいお方様だと思うのでは。
よねのことで取り乱す千代も、あれは自然な姿だと思いました。
でもそうですね、よねを身を挺して守ってくれた侍女に向かって涙する姿とか、そのくらいあってほしかったですね。
この話を教えていただいて、やっとあの侍女のことはどうなったの?と気付くようではいけませんね、私も。
二話に亘って、もう少し丁寧に描くとより良かったのかも。
一話では、立ち直るにしてもまだ早いような、よねの着物を誰かに着て貰う、と言う話も何だか突然過ぎて、想いが今ひとつ伝わらないような気はしていました。
子供の死の話は本当に辛いです。
実話と言うことでますますね。
フィクションならここまで辛くないんですけど。
放心状態の千代。
取り乱す千代。
実際ああなってしまうでしょうね。
取り合えず立ち直るきっかけに出会い、元気を取り戻したようですが、この先もずっとよねのことは引きずっていくんでしょうね。
ドラマなのでいつまでもそのことばかり触れずにどんどん先の話に進んでいくのだろうと思いますが、そこがドラマの残念なところでもありますね。
本当にみているのが辛かったです・・・
城主になる代わりに、よねを失った・・・
一豊の言葉が印象的でした・・・
天災は恐ろしいですね。
命を落とす子供は、運命とはいえ、可哀相すぎますね。
今回のお話は、とても辛い回になりましたね。
天災と言う思わぬ形で突然子どもがいなくなってしまう。
とてもではないですが、想像できないし、したいとも思わないですが、やはり耐えられる事ではありませんでした。。。
身近に「阪神・淡路大震災」と言うものがあっただけに、余計にそう感じてしまうのかもしれませんが・・・。
今回は本当に辛い回でした。。。
千代は玉を会うことによって、少し救われたようですが、
やはりまだ娘を失った傷は、癒えそうにありません・・・。
前半は小りんの話題が出てきて、コミカルだったのですが、
後半は想い展開で、千代と一豊の苦悩が伝わってきたと思います。
昔は どのニュースも同じような度合いでした。
でも、自分が子どもを産んで 親となってからは 子どものニュースに 非常に敏感になりました。
その子だけでなく、その子のご両親の気持まで、また もしも我が子だったら・・・・、など いろいろ出てきてしまいます。今も昔も 罪もない幼い命が奪われるのは とてもつらいですね。
少し和めたのは「過去の浮気をネタに脅す千代」ぐらいでしたね。
最近、よねちゃんぐらいのお子さんが亡くなる事件・事故が相次いでいるので、悲しむ千代や一豊の姿が、亡くなったお子さん達のご両親の姿に重なり、なんとも言えない悲しい気持ちになりました……。
侍女すらも軽く払いのけていましたね。
それもスルーしていましたから被害のこともあえて触れなかったのでしょう。
戦も本能寺も短いけれど、山内家に関する部分は長いですよね。ドラマとして山内家を重点にみている表れでしょうか。
子供の死は本当に切ない。最近の事故もニュースが出るたびに暗澹たる気持ちになります。
どの子もみな幸せであって欲しいものです。
よねに合掌
子供が亡くなる話は本当にイヤなものです。
>直接話に関係はないけれど、今の世の中様々な理由で命を落としていく全ての子供たちにも合掌。
最近、悲しい事故や事件の話も多いですものね。。。
そして、昨日は広島原爆記念日でもありました。
悲しい出来事で命を全う出来なかった全ての
子供に合掌したいです。
よね姫の死が一豊夫妻にどういう変化をもたらすのでしょうね。
それはこれからじっくり見ていきたいな。
>さりげなく切れ者ぶりを披露
うむむ。康豊さまはこれから一豊さまと一緒に山内家を守り立てていくのですね。
辛い回でしたけれど、それだけは頼もしいな、と思いました。
最後のこおろぎのシーンが印象的でした。
よねの生まれ変わりを思わせるこおろぎに
気付いた千代がうっすらと微笑みましたね。
たしかに「悲しい」回ではありました。
そりゃそうですよね。あんなにいたいけな娘が、目の中に入れても痛くない娘が、あんなに笑顔のかわいい娘が・・・死んでしまったんですからねェ~
でも、僕はどうしても「初野」の死に対してあまりにもスルーが酷かったので、逆にそっちに「?」って感じがしてなりませんでした。。
初野はよねを身を挺して守った、とそう思うからです。
大石さんなりの描き方かもしくは演出の仕方なのかは、わかりませんけども、「初野」の死を悼むという描き方をセリフのどこかでもいいから、取り上げてほしかった、とそんな感想を持ちましたm(_)m
よねの落命後のシーンが結構長々と描かれており少し驚きました。
親より子供が先に死ぬというのはやはり酷いことです。
一豊と千代の立ち直りを見守っていきたいですし、よねちゃんの冥福を祈りたいです。
何といっても歴史に大きく名を残した者たちの戦ですもんね。
昨夜の家康の話から、秀吉、軽く見られてるな~と痛感いたしました。
よね、母親に似て年上好みですね。
もう少し愛しの康豊と一緒にいられる時間を与えてやりたかったですね。
本当に書けなかったんです。
悲しみの後には、きっと後悔は付きものなんでしょうね。
仮に千代がよねと一緒にいたとして、その場所の方が被害が甚大だった、ということもありうるわけで。
何を考えても時を戻すことは出来ず、だから余計に悲しみは深くなってしまうんですね。
ゆっくりでいいから、二人には元気になって欲しいですね。
重複ですね。一つ削除させていただきました。
今年は長浜あたり、人が多く集まっているんでしょうか。
よねの死は、山内家に本当にあった話なので、余計に悲しく思いました。
地震は怖いですね。
天変地異にあっては、本当に人って非力なものです。
いつもありがとうございます。
よねの幼い恋心、康豊に伝えるチャンス
が永遠になくなったのは残念~。
ワタシ浜松に5年ほどいたことが
あるので家康の三方が原敗戦の悔
しさの話は何度も聞きましたよ。
住んでたところから三方が原古戦
場が近かったから身近に感じる
史実です。
http://tb.plaza.rakuten.co.jp/bluestar1719/diary/200608060002/32645/
今回の功名が辻は悲しい話でした。
千代にしても一豊にしても、自分がこうしていればなどと思ってしまうのですが、もちろんそれはそういうことでは無いのでしょうが、そう思ってしまうのかもしれませんね。
TBが2つも入ってしまいました。1つ消しておいてください。
ちょっと関係もないと想ったんですが、TBさせて頂きました。