長内那由多のMovie Note

映画や海外ドラマのレビューを中心としたブログ

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

2017-05-28 | 映画レビュー(ま)

 北国育ちの人ならマンチェスター・バイ・ザ・シーの冬の寒さは身に沁みてわかるだろう。低い雲がたちこめる曇天が続き、春が来たと思えばまた雪が降ったりする。長く、過酷な季節だ。

主人公リー・チャンドラーはボストン郊外でマンション住み込みの便利屋として暮らす男だ。
玄関前の踏み固められた雪をかき、融雪剤を撒く。ゴミを出し、水回りの工事をする。夜は一人、近所のバーで飲み、酒に呑まれて人を殴る。他人と目を合わさず、言葉を交わそうとしない孤独な男だ。
そんな彼のもとに最愛の兄の訃報が届く。もうしばらく会っていなかったが、兄は心臓が悪かった。リーは葬儀のため、故郷マンチェスター・バイ・ザ・シーへ帰郷する事となる。

 2005年の『マーガレット』(公開は2011年)以来、実に12年ぶりとなるケネス・ロナーガン監督による本作は、アメリカ映画の歴史の中で脈々と受け継がれてきた“映像文学”の新たな傑作だ。マンチェスターへと帰郷したリーの脳裏によぎる、過去の凄惨な事件。ロナーガンは安易な癒しも救済も持ち込まず、人生の長く険しい冬を迎えてしまった人間をじっくりと描いていく。
心を閉ざしたリーとは対照的に描かれるのが兄の遺児、パトリックだ。16歳の高校生である彼は友達に囲まれ、アイスホッケーと(下手くそな)バンドを楽しみ、二股交際中のカノジョとエッチする事しか考えていない。まさに人生の春を謳歌している最中だ。そんな彼の後見人をリーは託されてしまう。
人生に絶望した弟へ我が子を託した兄の遺志には、人は親になる事で、人と人とが一緒に寄り添う事で幸せになれるのだという深い愛情が伺える。

ロナーガンの深いヒューマニズムを体現する俳優達は、いずれも困難な役柄をモノにした名演である。
リー役ケイシー・アフレックは研ぎ澄まされた集中力で心の揺らぎを体現し、アカデミー賞はじめ数々の賞を独占した。しばしば大芝居の熱演がもてはやされてきたハリウッドにおいて、ようやく静かな内面演技が勝利したように見えるが、そもそもアクターズスタジオによってもたらされたこのメソッド演技こそが、ニューシネマ以後のアメリカ映画を形成してきたのではなかったのか。ロナーガンは舞台演出家らしく長回しを多用し、アフレックがキャラクターの深淵に迫る瞬間を見逃さない。自分自身への怒りに満ちたアフレックの視線は観客を惹きつけ、多くの行間を生む。彼がいかに過酷な精神状態で役柄に挑んだのか、想像に難くない。

彼の妻を演じたミシェル・ウィリアムズもアカデミー賞にノミネートされた。
短い出番ながら彼女の“ハート・ブロークン”なシーンは本作のクライマックスだ。彼女がとっさに口に出す「死なないで」という言葉に、かつて愛する者(ヒース・レジャー)を失った哀しみを知る彼女でしか出せない真実を見た気がするのはうがち過ぎか。何とも業の深い芝居である。

長く寒い冬を人はそれでも静かに耐え忍ばなくてはいけない。春は未だ遠い。それでも人生は続く。

『マンチェスター・バイ・ザ・シー』16・米
監督 ケネス・ロナーガン
出演 ケイシー・アフレック、ミシェル・ウィリアムズ、ルーカス・ヘッジズ、カイル・チャンドラー、グレッチェン・モル、マシュー・ブロデリック
 

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