今日はある出来事があった。
私が今の仕事場に入ってから、ずっと取引先で担当であったある人が、その職場を退職することになったという。つい昨日、聞いたことでびっくりした。で、今日、その挨拶に来られたのだ。
彼はその職場で23年間、勤めたと言う。私は、今の仕事場で16年になる。入った当初からの担当だったので、仕事上とはいえ、彼とは16年のつきあいだ。仕事場は離れているが、仕事上、頻繁に連絡を取り合うこともあり、声を聞いたりしていた。わりと長いつきあいだ。
どうも、会社の方の体制などが変わり、またちょうど子供さんが就職してひと段落された時期であったのと重なったため、決断されたらしい。
彼とは、仕事上でお世話になったし、もちろん、長い間にはお互いにうまくいかなく、言い合ったことも何度かあった。仕事をしているのだから、当たり前だ。
年齢も近く、子供の歳や学生であることなども似かよっていて、そんな話もしたし、だいだいお互いの人生が想像できるような感じであった。
挨拶に来られた彼に、私は、決めるまでにいろいろ考えたのであろうし、あなたが下した決断は、あなたにとってベストな決断だったのだろうという意味のことを言った。
そう、人生には、何度か、そういう決断をしなくてはならない時があるものだ。
その人の人生は、その人が一番よくわかっているし、決断は自分自身でしかできない。大事な決断ほど、他人にはわからないし、関与できない。
そして、その時々に、人は、自分の考えうる範囲で、一番の最善手を選ぶのだ。
将棋ではないが、その最善手の連続が、人生を形作る。いやその最善手の連続こそが、人生そのものと言えるのではなかろうか?
訪問されて、しばらく話をして、帰り際に、私は求めて彼と握手をした。
今まで有難う。
お互いに健康に気をつけてがんばりましょう。と。
すると、彼は目を潤ませて、何かをこらえた。もちろん、その感情はこちらにもすぐに伝わってくる。
その瞬間、私は、「ああ、これが人生なんだな」と感じた。
長い間、仕事上ではあるが、つきあってきた人が、別の場所に行き、たぶん会うこともなくなる。
だが、この瞬間に、ふれあった心と心のつながりは、「ほんもの」であると思う。
人生は長くはない。そして、こうした瞬間というのはわずかしかない。
ただ、そのわずかな瞬間にこそ、人生の真髄があるのだろうと思う。
今日は人生の真髄を味わった、貴重な日だった。
私が今の仕事場に入ってから、ずっと取引先で担当であったある人が、その職場を退職することになったという。つい昨日、聞いたことでびっくりした。で、今日、その挨拶に来られたのだ。
彼はその職場で23年間、勤めたと言う。私は、今の仕事場で16年になる。入った当初からの担当だったので、仕事上とはいえ、彼とは16年のつきあいだ。仕事場は離れているが、仕事上、頻繁に連絡を取り合うこともあり、声を聞いたりしていた。わりと長いつきあいだ。
どうも、会社の方の体制などが変わり、またちょうど子供さんが就職してひと段落された時期であったのと重なったため、決断されたらしい。
彼とは、仕事上でお世話になったし、もちろん、長い間にはお互いにうまくいかなく、言い合ったことも何度かあった。仕事をしているのだから、当たり前だ。
年齢も近く、子供の歳や学生であることなども似かよっていて、そんな話もしたし、だいだいお互いの人生が想像できるような感じであった。
挨拶に来られた彼に、私は、決めるまでにいろいろ考えたのであろうし、あなたが下した決断は、あなたにとってベストな決断だったのだろうという意味のことを言った。
そう、人生には、何度か、そういう決断をしなくてはならない時があるものだ。
その人の人生は、その人が一番よくわかっているし、決断は自分自身でしかできない。大事な決断ほど、他人にはわからないし、関与できない。
そして、その時々に、人は、自分の考えうる範囲で、一番の最善手を選ぶのだ。
将棋ではないが、その最善手の連続が、人生を形作る。いやその最善手の連続こそが、人生そのものと言えるのではなかろうか?
訪問されて、しばらく話をして、帰り際に、私は求めて彼と握手をした。
今まで有難う。
お互いに健康に気をつけてがんばりましょう。と。
すると、彼は目を潤ませて、何かをこらえた。もちろん、その感情はこちらにもすぐに伝わってくる。
その瞬間、私は、「ああ、これが人生なんだな」と感じた。
長い間、仕事上ではあるが、つきあってきた人が、別の場所に行き、たぶん会うこともなくなる。
だが、この瞬間に、ふれあった心と心のつながりは、「ほんもの」であると思う。
人生は長くはない。そして、こうした瞬間というのはわずかしかない。
ただ、そのわずかな瞬間にこそ、人生の真髄があるのだろうと思う。
今日は人生の真髄を味わった、貴重な日だった。