こんばんは、春を感じるボカボカ陽気のとても気持ち良い週末でしたね。
私の地元では、今日、マラソン大会が開催され、熱戦が繰り広げられれました。
さて、今回のテーマは、『自分との和解』です。
以前から自己受容について、色々感じたり考えたりしているときに、行き付けの本屋をたまたまブラブラしていて、棚にある一冊の本が私の目に止まりました。というより飛び込んで来ました。
『the deepest acceptance(もっとも深いところで、すでに受け入れられている)』 ジェフフォスター著』です。
まだ全て読みきれていないのですが、自分にとってしっくりくる箇所があったので、ご紹介します。
『私たちはある特定の体験、例えば醜さ、弱さ、失敗、無力感といった、自分が完全性の脅威になると考えるあらゆる体験から逃れようとする、しかし、それらは実際には完全性の脅威ではない。海に浮かぶ波として、それらはすでに深く受容されている。私たちに必要なことは、今の瞬間にあるその受容をただ認識することだけだ。全ての思考や感情は、あなたという存在の中で生まれては消えていくことが許されている』
私たちは、周りからの愛情を得たい、その為に自分を向上させたいとの思いで、自分の理想イメージ(愛情深い、優しい、思いやりがある、人情深い、成功者、人気者など)を作り上げ、これを維持しようと試みます。
しかしながら、この理想イメージを強く思えば思うほど、それとは反対の感情、思いが現れた時、それが自分の中で許せず闘いとなり、最終的には抑圧して、表面上だけでも理想イメージを維持しようと頑張ってしまいます。
これは本当に苦しいです。
私も職場や家庭で、自分の理想とはかけ離れ、無力感、無能感に襲われたとき、心の奥底でこれは絶対自分であってはならないし、拒絶しなければならないとの気持ちが意識水面下で起こり、必死に抑圧しようとするが耐えきれず最終的に怒りに変容する場面が、数多くありました。
でも本当は、理想イメージもその反対の感情、思いも、自分という映画スクリーンに映し出すことが許されている一時的な映像(海でいうと波)でしかなく、しかも映し出されただけで自分自身がそうなったわけではありません。そう思うと自分の中で闘う必要も抑圧する必要もないとの思いに至りました。
過去の後悔や未来の理想イメージから作り出される、自分はこうあるべき、こうすべきといった思考(波)は、自分の中にある自然現象の一つと捉えて受け入れるとともに流していき、もっと大切なこと、
いま目の前にいる人、目の前の景色、いまここの体験に意識を向けて、目の前のことに無心で取り組む、そういった時間を少しずつ増やしていきたいと改めて思います。
それでは。
それでは。
私の地元では、今日、マラソン大会が開催され、熱戦が繰り広げられれました。
さて、今回のテーマは、『自分との和解』です。
以前から自己受容について、色々感じたり考えたりしているときに、行き付けの本屋をたまたまブラブラしていて、棚にある一冊の本が私の目に止まりました。というより飛び込んで来ました。
『the deepest acceptance(もっとも深いところで、すでに受け入れられている)』 ジェフフォスター著』です。
まだ全て読みきれていないのですが、自分にとってしっくりくる箇所があったので、ご紹介します。
『私たちはある特定の体験、例えば醜さ、弱さ、失敗、無力感といった、自分が完全性の脅威になると考えるあらゆる体験から逃れようとする、しかし、それらは実際には完全性の脅威ではない。海に浮かぶ波として、それらはすでに深く受容されている。私たちに必要なことは、今の瞬間にあるその受容をただ認識することだけだ。全ての思考や感情は、あなたという存在の中で生まれては消えていくことが許されている』
私たちは、周りからの愛情を得たい、その為に自分を向上させたいとの思いで、自分の理想イメージ(愛情深い、優しい、思いやりがある、人情深い、成功者、人気者など)を作り上げ、これを維持しようと試みます。
しかしながら、この理想イメージを強く思えば思うほど、それとは反対の感情、思いが現れた時、それが自分の中で許せず闘いとなり、最終的には抑圧して、表面上だけでも理想イメージを維持しようと頑張ってしまいます。
これは本当に苦しいです。
私も職場や家庭で、自分の理想とはかけ離れ、無力感、無能感に襲われたとき、心の奥底でこれは絶対自分であってはならないし、拒絶しなければならないとの気持ちが意識水面下で起こり、必死に抑圧しようとするが耐えきれず最終的に怒りに変容する場面が、数多くありました。
でも本当は、理想イメージもその反対の感情、思いも、自分という映画スクリーンに映し出すことが許されている一時的な映像(海でいうと波)でしかなく、しかも映し出されただけで自分自身がそうなったわけではありません。そう思うと自分の中で闘う必要も抑圧する必要もないとの思いに至りました。
過去の後悔や未来の理想イメージから作り出される、自分はこうあるべき、こうすべきといった思考(波)は、自分の中にある自然現象の一つと捉えて受け入れるとともに流していき、もっと大切なこと、
いま目の前にいる人、目の前の景色、いまここの体験に意識を向けて、目の前のことに無心で取り組む、そういった時間を少しずつ増やしていきたいと改めて思います。
それでは。
それでは。