夢屋だより

那須高原・古民家のカフェ夢屋より、カフェの新着情報・染め織りの記録、その他つれづれ日記などをupします。

その2

2010年09月18日 | インポート

で、その公演をする劇場というのが、新宿2丁目にある地下劇場で、だいたい何しても良くて壁さえも後で黒に塗り直せば何しても良いという、海のような広い心の劇場なのです。

そして最大の特徴として、24時間使って良いという・・・

そうです。泊まれるんですね~。

小屋入り初日は完全徹夜でした。2日目は役者陣が小屋入りして舞台稽古と場当たり。ここで初めて芝居の全貌を知ることになったため、照明・音響はこの時間に明かりをつくり音を入れ、この日は終了。音照舞監はもう今日は劇場でゆっくり寝ようと話していると、演出家くんが暗転稽古をやりたいと言ってくる。

「スタッフは帰って大丈夫だよ」って、音照舞監がいなくてどうやって暗転稽古するんだ~い!

で、1時くらいには終わるだろうと思っていたら結局終わったのは4時でした。

二日で4時間睡眠というファンタジー。

3日目はゲネと初日公演が終わったところで完全に電池が切れて家に帰る気が起きず、また劇場に泊まることに。劇場にシャワーはついていたのですが「お湯に浸かりたい!」という日本人気質が出てきたため、スタッフ数人と演出家くんで銭湯へ行くことに。

24時の新宿2丁目はもう異空間でした。外国に迷い込んだよう。びくびくしながらも、こんなことがなければ一生来なかったかもしれない世界が新宿にあるんだな~と冒険気分。たこやき屋のおじさんが「学生さん?二丁目になにしに来たの~?」・・・確かに~。

銭湯もファンタジーな空間で、女湯は普通でしたが演出家くん曰く「男湯は自分以外全員入れ墨」だったようです。コインランドリーで洗濯して帰劇場。照明バトンに洗濯物を干して就寝。

しようと思ったら床面の塗り直し作業があったため、雀が寝たのは結局4時。

4日目は起床して立ち上がったら、やたら立ち眩みがする。何でかなーと考えてみたら劇場入りしてから忙しすぎてろくなもの食べてない上に、地下劇場のため日光にまったく当たらず、ビタミンの生成ができていなかったためと判明。スタッフ陣はビタミン剤をのんでしばし日光浴。

4日目は帰宅できたのですが、結局帰るのさえ億劫になりもう一泊。最終日はバラしてそのまま徹夜で打ち上げ。結果的にふとんで寝たのは5日ぶりになりました。

今回よく分かったこと。「演劇はたくさんの人のかなりの無理によって可能になる」


その1

2010年09月18日 | インポート

ヤマをひとつ越えました。

実家から帰って次の日から始まった劇団は大変なヤツでした。

演出家くんは本当に演劇が好きなやつで、本当にやりたいことがあふれ出てくるやつで、本当に面白いやつで、ゆえに求めてくるものに妥協がない。

「舞台装置はね、白い洞窟の中で岩がひとつひとつ取れて、とれた岩に座れて、で、壁には絵を描けるんだけど最終的に光沢のある黒になるの!で、最後に岩の割れ目からパーッと光が差すの!」

とかキラッキラした目で言ってくるのです。

「ん?!」

って思ってもできないと言わないのが舞台監督で、演出のやりたいことを実現させるというのが舞台監督だと思うわけで、でもさすがに気が遠くなるわけで、映像に行けばいいと思ってしまうわけで・・・

装置のプランナーと照明のプランナーと頭を抱え、ビバホームを5時間うろうろしたのも今では良い思い出です。この時期は他団体の公演が重なったり、帰省シーズンだったりで叩き(舞台装置の制作)を手伝ってくれる同輩・後輩があまり来られず、照明と舞監がナグリとノコをもって叩き場に通うという珍しい事態になりました。

この叩き場というのが「屋根はある」という場所。酷暑の中、世の大学生が遊び惚けてる夏、雀は釘の打ち方が上手くなっていき、丸ノコとジクソーが使えるようになりました。

そして演出家くんは初主宰に重ねて、本も書いて主役の次くらいにたくさん出演するという無謀すぎる子で、本がなかなか上がってこない。やっと上がったのは小屋入りの3日前でした。