建築と福祉と宗教

建築士から介護ヘルパーへ急転身。転身したからこそ知った新しい社会。同じ地域で建築士の30年間、私の知らない世界。

しばらくお休みした私の変化・・・

2013-11-27 03:10:53 | 社会福祉


丁度一年前からお休みしていました。
最初、このブログを始めたのは2010年でしたから今からほぼ3年前です。
当時は、自宅で設計事務所をしていました。ですからブログ名も『建築デザイナーになりたい!』なんて感じだったと思います。その後、設計事務所を廃業し、しかたなく?地域の社会福祉で介護ヘルパーに転職したのでした。そこでブログ名も『建築と福祉』に変えました。まだまだ30年くらいやって来た建築に未練があったのでしょう。ところで、しかたなく転職したとはいっても、実は私にとって地域福祉介護は思いがけなく素晴らしい仕事に思えたのです。
転職したきっかけは、母の入院でした。幸い軽い入院で済んだのですが、退院と同時に市役所に介護申請し、母は週2回のデイケアへ通うことになりました。実際、家族がいきなり入院でもしなければ地域の老人介護福祉がどうなっているかなんて予想もつかないものです。この時ばかりは地域の市役所や福祉関係の機関の存在にありがたいと実感しました。老人の事となれば近くの親戚すら実は何の当てにもなりません。入院中はこの先どうやって行けばよいのか途方にくれました。これが私の人生再出発の始まりでした。
今までの設計事務所の経営状況ではとうてい暮らしてはいけません。思い切るどころか義務的に新しく職を探して収入をとりあえず作らなければなりません。もう今まで住んできた世間も何もない、一世一代の船出でした。
その時、私は49歳で、再就職としては必然的に地域の介護ヘルパーのそれもパートくらいしか望めない状況でした。それでも微かな収入の道の介護ヘルパーへ何もかも捨てて、何の迷いもなく進みました。
ハローワークで介護ヘルパー資格をとるための受講料などの援助を受けるには今までの自営の設計事務所を廃業することが条件でした。そこで思い切って廃業したのです。そしてすぐ資格受講機関へ通いました。3ヶ月間一日も休めないそうです。当時の資格受講は週5日で毎日朝から晩まで3ヶ月間みっちり拘束されます。しかし、設計事務所を廃業し、その受講機関へ通いだした時、今までの自営の辛さが嘘のように、福祉社会の制度のしっかりした状況に、どんどん希望が湧いてくる、不思議なくらいでした。自分にとっては夢のように目を見張る素晴らしい世界があったことに感動し、確かにこれが私の求めていた社会だ、いやそれ以上だ!という実感を確信しました。これから始まる未知な職業世界への不安で自分の考えも定まらないものでしたが、それを遥かに超える大きな確信が自分に冷静さを与えてくれました。
最初に勤務したのは、地域の社会福祉協議会の訪問入浴介護の臨時パートでした。案の定、就職者の交代競争が激しく、週に2日だけなら仕事があるということで勤めさせていただきました。しかし、女性ばかりの職場で勤務最初から人間関係が波乱含みです。初っ端からこれは今までにない大変なことになったと、かなり焦りました。それから私のたった週2日のパートの貴重な収入源も失敗の都度どんどん減らされていくのです。しまいには3ヶ月のうちに私の働く時間はあっという間にゼロにされてしまいました。それで解雇を言い渡されるわけでもありません。はっきり言ってこんな惨い仕打ちは思いがけない初めての経験でした。ただ唖然と目を丸くするばかりで、こんなことは願っても経験できないことだと今でも思います。当然の如く、私はそこを辞めることになりました。といっても当初の臨時雇用期間が1年間契約のその期間を満たないうちに終わってしまったのです。

とは言っても、その場は地域の社会福祉協議会です。何らかでその後も喰らいついて行くしかないのです。なにしろ私だってこの地域の住民だからです。その場で挫折したら住民すらやっていけないのですから。そこで私がどうやってその境遇を乗り越えたか・・・・その状態の私に道を知らしめてくれた、それがこのブログで紹介したい法華經との極めて奇跡的な巡り会いだったのです(それも極個人的に)。それ以来、私にとって法華經は無くてはならないかけがえのないものになりました。そして、このブログテーマも『建築と福祉と宗教』に変えて再スタートです!
前置きがだいぶ長くなりました。しかし、この私自身の大変化が最もこれから伝えたいテーマなのです。是非これからも宜しくお願いします!

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